230 幕間 ディルクの追想 その2
俺の両親は、鉱夫だった。
父親は返す事が不可能な借金を背負い、母親と幼い俺を引き連れて、遠く離れた鉱山で鉱石や魔石を採取していた。
元々体の弱い母親も鉱山労働者として入り、毎日、重い廃石を外へと運んでいた。無論、俺も働いた。
だが、来る日も来る日も休みなく三人で働き続けたが、借金の利息すら返す事は出来なかった。
そんなある日、父親がガス溜まりで死んだ。
その影響か、数日と経たず母親も倒れ、そのまま息を引き取った。
当時の俺は借金というものが分からなかった。鉱山で働く事が当たり前で、何の為に働くのかも分からなかった。そんな俺は、両親の死を切っ掛けに鉱山から逃げ出した。
理由はない。ただ両親の死という現実と疲れるだけの炭鉱から逃げ出したかったのだ。
逃げ出した先に何があるのかまったく分からず、ただただ何も考えず足を動かした。
丸一日、山の中を彷徨い歩いた俺は、野営をしている冒険者の集団と出会う。
俺は無理矢理頼み込み、冒険者集団の一員へとなったのだ。
そして、現在に至る……。
ゲルハルト・ビューロウ子爵に不敬を働いた罪で囚人となり、ルウェン鉱山へ送られる事になった。
銅等級冒険者まで登り詰めた俺であるが、名が売れ始めてすぐにヘルムート・ポメラニア伯爵の専属冒険者になったおかげで、昔なじみの冒険者以外、俺の顔は知られていない。さらに、白銀等級冒険者とはいえ裏方に回っている俺は、癖の強い脳みそ筋肉の四人に囲まれている所為で、個人としての知名度はないに等しい。
そんな俺を衛兵は、貧民地区のゴロツキで、貴族に逆らった馬鹿と思われている。
良いのか悪いのか分からないが、囚人としてルウェン炭鉱へ潜入するには好都合であった。
二日ほど衛兵詰所に監禁された後、ルウェン炭鉱へ向かう事になった。
正直、気乗りはしない。
暗く、狭く、辛いだけの思い出しかない鉱山になんか行きたくなかった。
だが、断わる事の出来ない大貴族の依頼だ。
俺は空を見上げ、大きく息を吐いて、気持ちの整理をする。
幼少の時の記憶を思い出さないように、依頼の事だけを考えよう。
ベアボアが牽く馬車に乗り込むと、運の良い事に目の前に第二目標である男が座った。
名前は、アケミ・クズノハ。
困っていたら助けてやれ、と意味不明な依頼をしなければいけない相手だ。
この男を見る限り、何から助ければ良いのか分からない。
逞しい体付き。目を逸らしたくなる厳つい顔。俺以上に囚人が似合う人物で、新人の鉄等級冒険者とは思えない、歴戦の戦士のような男だった。
俺が助ける必要あるのか?
当のクズノハは、隣に座っている細身の男と呑気に話をしている。
俺は目を瞑ってクズノハたちの会話を聞いていると、どうやら見た目とは違う人物だと分かった。
若い女性のような口調で話すクズノハは、見た目に反して、物腰柔らかく、気弱そうに感じる。決して、囚人として炭鉱送りになるような人物ではない気がした。
ますます訳が分からない。
混乱していると、兵士の怒鳴り声でクズノハたちの会話が止まる。
呑気に話をしているのが、気に入らなかったようだ。
俺は目を開けて、つい眉を寄せてしまう。
もう少し、クズノハの人となりを知りたかったのに、止めないで欲しかった。
それにしても暑い。
何度か魔物退治の依頼で砂漠を縦断した事はあるが、今は帆に包まれた荷台にいる所為で、一段と暑い。
依頼など受けるのではなかったと、今更ながら後悔している。
荷台に揺られている囚人連中は、こぞって死にそうな顔で暑さを我慢していた。その一人がついに倒れた。ペーターと名乗るクズノハと話していた細身の男だ。
ペーターが倒れた事で外に出て休憩をする事が出来た。
案の定、監視が仕事の兵士たちは、倒れたペーターに水や氷の魔術で介抱する事はせず放置している。
俺はクズノハとの接触は控えて、しばらく観察する予定だったのだが、ペーターを介抱する為にクズノハと一緒に日陰に運んでしまった。仕方が無いので、岩陰から魔水ヘビを探し出し、血をペーターに飲ませてやった。
その時に「俺も元冒険者だ」と伝え、近親感を与えておいた。まぁ、馬鹿正直に白銀等級とは言わず、銅等級と伝えた。別に嘘を吐いている訳ではないので良いだろう。
この時が俺とクズノハとの初接触であった。
太陽が沈み、標高が上がった事により気温がグンッと下がる。
ようやく、ルウェンの町に到着だ。
俺たちは囚人が住まう炭鉱には向かわず、町の教会で一晩を明かす事になった。
女神様を称える神聖な場所で寝泊りさせる兵士の神経が信じられない。ダムルブールの兵士は、神官同様、地に落ちている。さらに教会の荒れ模様を見て、腸が煮え繰り返る。
俺は精神を安定させる為、蜘蛛の巣が付いている女神様の祭壇に行き、祈りを捧げた。
床に膝を付け、目を閉じて、愚痴に近い祈りを捧げる。
俺に倣い、何人かの囚人が同じように女神様に祈る。その中にクズノハの姿があった。
彼は、俺と同じように地面に膝を付き、瞳を閉じて、手を前に組んで熱心に祈っている。
俺はその姿に見入ってしまった。
理由は分からない。
なぜだが、堂に入っていたのだ。
「な、なに?」
俺の視線に気が付いたクズノハは、驚いた顔をして尋ねてきた。俺は「いや」と首を振って、祭壇を離れる。
アケミ・クズノハ……彼が女神信者である事で好感が上がった。
理由はどうあれ、女神様を称える教会に迷惑を掛けたクズノハだ。怒りを抱く相手であったのだが、彼が女神信者と知った今では、その怒りは沈静化していく。
女神信者に悪い奴はいない。
囚人である俺がテオドール・ロシュマン男爵の悪事の証拠を掴む事は不可能に近い。それなら第二目的であるクズノハを見守るという依頼を第一に移行した方が良さそうだ。
そう決断した次の日、一緒の宿舎になれば都合が良いなと願っていたら、クズノハだけ囚人とは別の場所へ連れて行かれた。
横目で様子を伺っていると、女性兵士に連れて行かれたクズノハの行き先は、兵舎の近くに建っている小屋であった。
どういう訳か、クズノハは他の囚人とは別の場所で寝起きをするようである。これでは、終始見守る事が出来ない。
このままでは本当に何も出来ず、囚人として生活するだけで終わりそうだ。
ちなみに朝礼でテオドール・ロシュマン男爵の姿を見た。
正直、思い出したくない出来事だった。
見るに堪えないクソ男爵は、醜い姿の醜い声で女神様の代理人とほざきやがった。
それを聞いた俺は、すぐにでも鉄拳教育をしてやろうと思ったが、隣にいたクズノハが心配そうな顔で俺を見ていたので、何とか思い留まる事が出来た。
あんな男、依頼料を貰わなくても喜んで地の底へ叩き落としてやる。
そういう男だった。
囚人宿舎に行くと、先人の囚人が俺たち新人を集めて、宿舎での生活を教えられた。
一棟に尽き、四十人前後の囚人が寝起きをする。壁際左右に二十人で雑魚寝をするので、寝相の悪い奴はガタイの良い囚人に挟まれて、潰れるように寝る羽目になるから気を付けろと言われた。
食事も宿舎で摂るので、時間に居なければ、別の囚人に食べられるから気を付けろと教えられた。
就寝と食事以外は、外に出ても良いし、他の宿舎に行っても良いが、宿舎を囲う木柵だけは越えるなと何度も注意された。
それを聞いた俺は、炭鉱作業を除けば、罪人とは思えない好待遇だと驚いた。
火蜥蜴人の兵士が説明した通り、囚人とはいえ、炭鉱作業を効率的に行う為に無意味に酷使する事はしないのだろう。ただ、終始兵士と囚人が側にいるので、就寝中に抜け出して男爵について調べる事は出来そうにない。
本当にこのまま囚人として依頼が終わりそうだ。
次の日、朝礼で兵士に殴られた。
兵士と囚人の間に立場を植え付ける行為なので、一応は殴られる事に理解は出来る。ただ、名も知らない奴に殴られるのは、精神的にくるものがある。
脳みそ筋肉の仲間と一緒に訓練をする事がある俺からすれば、兵士の拳など大して痛くもない。だが、隣にいるクズノハは兵士に殴られて派手に倒れた。そして、悔しそうな顔をしていた。
これに関しては、通過儀礼みたいなものなので、我慢してもらおう。
囚人に鉄拳教育をするだけの朝礼が終わると炭鉱作業である。
ここでもクズノハとは別れる事になった。
過酷な環境下での肉体労働。
魔物退治に向かう際、体を温めるとか言って、馬や馬車を使わずに走って向かう脳みそ筋肉の仲間と一緒に行動をしている俺だ。幼少の時の経験もあり、余程の作業でなければ、やっていける自信がある。そう意気込んでいたら、比較的楽な作業で拍子抜けしてしまった。
新しく掘られた坑道の壁と天井が崩れないように支える柱を組む作業だ。
確かに坑道内は、暑くて、湿気が多く、そして薄暗い。この場に居るだけで体力を持っていかれる。だが、資材を搬入する為に外と坑道を往復するので、常に坑道内にいて岩盤を掘る連中に比べれば楽な作業内容だろう。
「おい、貴様! 今、俺の顔を見て笑っただろ!」
依頼の事などすっかり忘れて支保作業をしていた俺に兵士が怒鳴り付けてきた。
チラリと顔は見たが、笑ったつもりはない。ただ殴る為のこじつけだろう。
「こっちへ来い!」と鋭い声で俺を呼ぶので仕方なく兵士の指示に従う。
一緒に支保作業をしている仲間や近くで別の作業をしている囚人がそそくさと遠ざかっていく。
近くにいた別の兵士も一緒に付いてきて、二人の兵士に挟まりながら坑道の奥へ連れて行かれた。
「名前を言え!」
怒鳴るように兵士が聞いてきた。俺が素直に答えると、二人の兵士が顔を合わせる。
二人で殴り付けられるのかと覚悟を決めていると……
「俺たちは、ポメラニア伯爵の私兵だ」
……と小声で言ってきた。
「どうだ、囚人生活は? やっていけそうか?」
「二人の兵士に殴られると後悔していた所だ。今すぐに帰りたくなった」
俺が軽口を叩くと、二人の兵士がふっと笑った。
「滅多に体験できない囚人だ。依頼料分はしっかりと働け」
「囚人の身分で出来る事はない。期待に応える事は無理そうだ」
「それでもやれ」
無茶な事を言う。
「今後、俺たちのどちらかと目が合ったら粗相をしろ。今回のように話す場を作る」
「……ああ」
「今日は挨拶だけだ……では、精根注入する。歯を食いしばれ」
言うや否や、兵士の拳が俺の顔を襲った。そして、「行ってよし!」と指示を出す。
今後、兵士と密談する度に殴られるのだろう。本当に帰ろうかと悩んでしまった。
その後、何事もなく炭鉱作業を終え、囚人宿舎へ戻ってきた。
粗末な夕食を摂ると外へと出る。
井戸で服を洗っている者、畑で野菜を育てている者、輪になって酒を飲んでいる者、と好き勝手していた。
兵士たちは木柵の外側を巡回しているだけで、宿舎の中まで入ってくる事はない。
俺は、暇にしている囚人に声を掛けていく。
取り留めのない会話から始め、最後は男爵について聞いていく。
囚人たちの話を聞く限り、男爵が坑道内まで足を運ばせる事はないようで、殆どの囚人が男爵の姿を見た事がないと答えた。中には名前すら知らない者もいる。無論、炭鉱で採れた魔石や宝石が他国へ流れるという重要な話は一切でない。
つまり、情報はゼロだ。予想の範囲内なので、特に落胆する事はない。
宿舎の中央へ向かうと、沢山の囚人が輪になって何やら騒いでいる。
どうやら囚人同士で殴り合いをして、それを見ている囚人たちが賭け事をしているようだ。
「勝った」「負けた」と一喜一憂する囚人たちが僅かな銅貨をやり取りをしている。どこからお金を調達しているのか分からないが、殴り合いに関しては、若干理解は出来た。
食欲や性欲を持て余す環境下だ。欲求を発散するには、体を動かす事に限る。ただ、明日も過酷な労働作業があるのを考えると、あまり得策な発散方法ではないだろう。
それでも楽しそうにやっているのを見るに、娯楽的な要素が高いのかもしれない。
少し休憩を挟むと次の試合が始まった。
片目に大きな傷のある長身の囚人と細身のひ弱そうな囚人の戦いだ。
細身の囚人に見覚えがあった。確かペーターと言う名前だっただろうか?
そのペーターは凄く嫌そうな顔をしている。
周りの囚人の話を聞く限り、新人歓迎会らしく、必ず参加しなければいけないようだ。
くだらない。
どう見ても結果は分かり切っているだろう。
無理矢理、囚人の輪に入れられて殴り合いをさせられるペーターに同情してしまう。
無論、結果はペーターの負け。
拳一発で倒れて、動けなくなった。
ペーターに賭ける者は居らず、賭け試合にすらならなかった。
「お前も新人だろ」
ペーターを殴りつけた囚人が俺の顔を見ながら拳を向ける。
「弱すぎて消化不良だ。次はお前が入れ」
男は俺の姿を上から下まで観察するとニヤリと笑った。
その視線に嫌悪感が纏わりつく。
あまり関わり合いになりたい相手ではない。だが、何も出来ずただ殴られたペーターを見て、代わりに殴ってやろうという気持ちも湧いてきた。
「お前の顔に付いている傷跡は偽物か? 猫にでも引っ掻かれたのか? 本物の傷が増えるのが嫌なら俺の前で跪きな。そうしたら、俺が面倒見てやるぞ」
ニヤニヤと気味の悪い顔をする男が俺を煽る。
俺は傷跡や火傷の跡を手で擦ると、囚人の中へと入っていった。
俺の至る所に付いている傷跡は、俺が歩んできた歴史だ。一つ一つに思い入れがある。嬉しい事もあれば、悲しい事もある。仲間の死を連想する傷もある。一般人が見たら遠ざかれる傷で、俺もあまり鏡で見たくないが、目の前の男に貶される傷跡では決してない。
俺は無言のまま腕を構える。
男はシッと息を吐きながら拳を振るう。
右、左と連続で襲ってくる拳を俺は最低限の動作で躱していく。
やはり、この程度か。
突きは鋭く、腰の入った重い拳だ。
だが、所詮はゴロツキ相手にしてきた拳。技術も駆け引きもない。なにより、怖さがない。
白銀等級の魔物を狩り続けた俺にとって、目の前の男は脅威にすらなかった。
全ての攻撃を躱され続けた男は、怒りに任せて大振りの攻撃になっていく。
そろそろ仕留めるか。
俺が大きく後ろへ後退すると、男は「オラッ!」と叫びながら蹴りを放った。
蹴りを避けた俺は、男の足を払って地面に倒す。
背中から倒れた男の口から「ぐぇっ!?」と情けない声が漏れる。
俺は倒れた男の鳩尾に踵を落として動きを封じると、苦痛に歪む男の顔に拳を振り落とした。
男は白目をむいて動かなくなる。
一瞬、囚人たちが静まり返る。そして、すぐに歓声が沸き上がった。
歓声よりも悔しがる声の方が多い事から、どうも俺に賭けた囚人は少なかったみたいだ。その分、儲けが良く、勝った囚人から「儲けたぜ」と端金を貰った。
こうして、俺の新人歓迎会は終わった……と思っていたら、就寝中に続きが起きた。
囚人たちの鼾を聞きながら慣れない寝床で横になっていると、開け放たれている宿舎の入口に人影が見えた。
四十人近くいる囚人は、俺以外、全員眠っており人影には気づく者はいない。
無論、竈の近くにいる寝番の兵士も仕事を放棄してうたた寝をしていた。危機管理のない兵士で逆に心配になってくる。
人影の数は二人。
左右に別れた人影は、寝入っている囚人たちの顔を確認していく。
賊か? と思ったが、こんな場所に忍び込む賊はいない。
様子を見る為に寝たふりをしていると、一人の男が俺の顔を確認するや否や、もう一人の男に合図を送った。
薄目を開けて顔を見る。
先程、俺と戦った男だ。
こいつら、負けた腹いせに俺を殴りに来たのか? いや、あいつの雰囲気からして、別の意味で襲うつもりかもしれない。
それにしても、どうやって抜け出して来たんだ?
兵士、仕事をしろ!
二人の男たちが無言で頷き合うと、俺に向けて腕を伸ばしてきた。
ガバッと起き上がった俺は、手前にいる男の顔を殴り付ける。
殴られた男は後ろに吹き飛び、寝ている囚人の上に倒れた。
「な、何だ!?」
「痛ぇッ! どういう寝相しているだ!」
囚人たちの悪態が薄暗い宿舎に響き渡る。
「お前たち、大人しく寝ていろ……って、おい、お前ら、誰だ!? 待て、逃げるな!」
目を覚ました兵士は、鼠のように宿舎から逃げ出した二人の男を追い掛けて行った。
囚人たちも目を覚まし、ざわざわと小声で話し合っている。
これでようやく眠れる。
小さく溜め息を吐いた俺は、鼾が聞こえなくなったおかげで、眠りにつく事が出来た。




