228 幕間 コニーの追想 その2
色鮮やかな花畑。
甘い香りが鼻腔に広がり、体の隅々に染み渡る。
心温まる太陽の下、私は花に囲まれて寝そべっていた。
暖かく、香りが良い、フカフカの花のベッド。
意識があるのかないのか、定かではない。
微睡の中、唯一分かるのはとても気持ちが良い事だけだ。
このままずっとここに居て、寝ているのか覚めているのか分からない状態が続けば良いと思う。
そんな夢心地の中、聞くに堪えない声が邪魔をする。
「……副助祭……副助祭……起きろっ!」
眉を寄せながら瞳を開けると、ギョロリとした目を充血させた男の顔が映る。
その男は私が意識を戻した事で、大きな声で喚き散らし始めた。
寄りにも依って、ゲレオン司教の一派であるグレゴール助祭だ。
感情を一切隠さず、誰それ構わず怒鳴り散らすので、良い感情を抱かない。本当にマルティン大司教と同じ神官なのかと疑問に思ってしまう。
そんな人物が見慣れない場所で転がっている私に唾を飛ばしながら喚いている。
「宝はどうした!」とか、「お前が盗んだな!」とか、「何を企んでいる!」とか、「審問に掛ける!」とか、訳の分からない事を言う。
さっぱり、分からない。
私は、どうしてこんな場所に居て、グレゴール助祭に怒鳴られているのだろうか?
確か書類を届けた後、廊下を歩いていたら、この部屋で寝ていた。
記憶が抜けている。
「グレゴール、君が一方的に話していては、副助祭が口を開けないではないか。私が代わるので、君は落ち着きなさい」
後方から声がした。
グレゴール助祭の剣幕で気付かなかったが、この部屋にはもう一人いた。
ゲレオン司教だった。
細身の初老であるゲレオン司教は、ダムルブール大聖堂で二番目に権威のある神官であり、最高責任者であるマルティン大司教の座を狙う人物だ。
ただ会話が成立しないグレゴール助祭と違い、司教にもなったゲレオンは、別派閥の副助祭の私でも話を聞いてくれる人物であるので、正直、助かった気分であった。
「いつまでも、ここで話を聞くのは不味いだろう。一度、上に戻り、近くの部屋で話を聞こう」
「立てるかね?」とゲレオン司教が尋ねたので、地面に倒れたままの私はゆっくりと立ち上がる。体に異常はない。痛い所もない。どうしてここで寝ていたのか、余計に分からなくなった。
私の様子を見るとゲレオン司教は、階段を上がり始めた。
私も後を追うように上がる。後ろから鋭い視線を向けてくるグレゴール助祭は気にしないでおこう。
階段の入口には数人の神官が待機しており、私が廊下に出ると鋭い視線を浴びせてきた。
ゲレオン司教は壁に手を当てて魔力を流す。すると、階段に続く壁が動き始め、隙間を埋めた。
隠し部屋!?
どうして、そんな場所で私は倒れていたのだ?
「ここで良いだろう」と壁を戻したゲレオン司教は、すぐ近くの部屋に入る。
部屋は、机と椅子があるだけの未使用の小部屋だった。
「早速だが説明をしてくれ。何があったのかね?」
言葉が通じるとはいえ、教会内で二番目に偉いゲレオン司教だ。私を見る眼光は鋭く、真偽を見ぬこうとしている。
だが私は後ろ暗い事など一切ないので、ありのまま起きた事を伝えた。とは言え、重要な部分を覚えていないので、廊下を歩いていたら謎の部屋でグレゴール助祭に起こされたとしか説明できない。
「それだけでは無い筈だ! 何を隠している!? ゲレオン司教の前で虚偽とは、何たる背徳行為だ!」
私の説明を聞いたグレゴール助祭が怒鳴り散らす。それをゲレオン司教が右腕を上げて止める。
「私は、あんな場所に隠し部屋があった事すら知りません。そもそも、あの部屋は何なのでしょうか?」
「あの部屋は代々引き継がれてきた宝を管理している宝物庫だ。重要な場所なので、少数の者しか知らない。副助祭の君が知らなくても不思議ではない」
若輩の私の問いにゲレオン司教は律儀に答えてくれる。
確かに言われてみれば、部屋の中には色々な貴重な物が整理され置かれていた。
そうか、私が気絶していた部屋は、宝物庫だったのか……と思考を巡らしていると、空白だった記憶が徐々に霧が晴れるように薄らいでいった。
「その宝物庫の一つに厳重に封印されていた宝箱がある。その箱が開いており、中身が無くなっていた。盗まれたと考えてもいい」
「盗まれ……あっ!」
ここでようやく全てを思い出した。
何で今まで忘れていたのだろうか?
あんな危険な顔をした男の事を……。
「私、会いました! 宝物庫で見た事もない男を見ました!」
「それは本当かね?」
「嘘を吐くなよ!」
知らぬ存ぜぬと言っていた私が、突然、思い出した事でゲレオン司教とグレゴール助祭は、眉を寄せて私を凝視する。
私は自分の疑いを晴らす為に、失われていた記憶の内容を伝えた。
「その男だけか? 他の者は居たかね?」
「い、いえ……その……居ないと思います」
一通り聞いたゲレオン司教の問いに、自信を持って答える事が出来ない。
私の記憶では男だけだったのだが、もしかしたら男の背後や棚の影に居た可能性はある。
それについては、断言しかねた。
「まだ教会内に不審者がいる可能性がある。グレゴール、今から何人か引き連れて捜索してくれ。ただし、騒ぎを大きくしたくないので、隠密に頼む。それと絵を描ける者をここに来るように指示を出しておいてくれ」
私の報告を聞いたゲレオン司教は、グレゴール助祭の方を向いて、指示を飛ばした。
グレゴール助祭は、チラリと私を見てから部屋を出て行った。
部屋には、私とゲレオン司教だけになる。
気まずい雰囲気だ。
私も退室したかったが、絵を描ける者に犯人の似顔絵を描かせるつもりなので、出て行く事は出来ない。
「良い時期だ。今の内にやっておこう」
ゲレオン司教は、椅子から立ち上がると私の目の前に来た。
私も立ち上がろうとすると、手で制して、座ったままになる。
「今から魔法を使い、君が真実を語っているかどうかを調べる。これはあまり他の者に見せて良い魔法ではないので、絵描きが来る前に終わらせる。力を抜いて、楽にしておれ」
そう言うなりゲレオン司教は私の方に腕を伸ばして呪文を唱えた。
話だけは聞いた事がある。
対象者が虚言を吐いていないかを神聖魔法を使って暴くのだ。
私は一切嘘を吐いていないので、言われた通りに力を抜いて、ゲレオン司教に身を任せた。
「『真理の威光』!」
一瞬で私の体が光り輝く黄金色に染まる。
目の前がチカチカとして眩暈がするが、それもすぐに終わり、普段の姿へと戻った。
「女神様の御力で君の疑いは晴れた。報告を信じよう」
ゲレオン司教から結果を聞いて、ほっと胸を撫ぜ下ろした。
沈黙の中、しばらくゲレオン司教と部屋で待機していると扉をノックする音がした。
「入れ」とゲレオン司教が答えると、従僕の青年が恐る恐るといった体で部屋に入ってくる。
彼は、日々聖典に描かれている絵画を模写しているそうだ。
何も知らされない彼に私は宝物庫で会った男の風貌を伝えて、似顔絵を描いてもらう。
ゲレオン司教と副助祭に挟まれた彼は、肩幅を縮こまらせながら、三枚の似顔絵を描き上げた。その内の一枚は、私の記憶と一致する出来である。
青年は、最後まで一切の説明を聞かされる事もなく部屋を退室していった。
「我々が管理していた宝物庫での出来事だ。この件は、我々が率先して調査をする。内部の犯行の可能性もあるので、君は口を閉ざし、普段通りにしているように」
誰にも言うな、と釘を刺された私は、追い出されるように部屋を後にした。
自分たちの区域に戻った私は、すぐさまマルティン大司教の元へ向かい、全てを報告する。
「そんな所に宝物庫があったとは……私自身、知りませんでした。私の方でも調べる必要がありますね」
私の報告を聞くなりマルティン大司教は、ニヤリと笑った。
聖女降臨の儀式以降、意気消沈していたマルティン大司教に、気力が戻りつつあると感じた。
数日が経った朝の事、日々のお勤めをしていた私の元に従僕の一人が私を呼びにきた。
何でも衛兵が呼んでいるとの事。
私はすぐに宝物庫の件だと悟った。
衛兵が直接私に用事があるなんて、あの件以外に思い当たらない。
あの日以来、犯人が捕まったという話を聞いていないので、もしかしたら容疑者を捕らえ、直接、犯人を見た私に判断してもらうつもりなのだろう。
私は従僕と共に衛兵が待っている教会堂へ向かうと、案の定、私が予想していた通りになった。
これから衛兵詰所に行き、犯人の顔を見て欲しいとお願いされた。
急ぎの用事のない私は、断わる事はせず、全面的に協力を受ける。
私を呼ぶ為に馬車で来たらしく、衛兵と共に馬車に乗り込み、衛兵詰所へ向かう。
石造りの簡素な衛兵詰所に入ると、険しい顔をしたグレゴール助祭が椅子に座り、鉄扉を睨んでいた。
グレゴール助祭と目が合うが言葉を交わす事はせず、衛兵の後を追うように鉄扉の前に行く。
先に入った衛兵が「お願いします」と部屋の中へ入るように促す。
鉄格子付きの小さな明かり窓があるだけの殺風景の部屋。その中央に机を挟んで、衛兵と男が座っている。
衛兵が席を立つと、「我々が捕らえたのは彼です。見覚えはありますか?」と男を見やすくする為に横へ移動した。
大人しく座っている男と目が合う
禿頭で無精髭を生やした、体付きの良い厳つい男。
「はい、私が見たのは、この男性で間違いありません」
私が宣言すると男は顔色を変えた。
衛兵の怒鳴り声が響く。
「本当に間違いないか?」と、再度問われたので、改めて男を観察する。
似顔絵を描く為に、何度も思い返したので見間違う筈がない。
間違いなく、宝物庫であった男だ。
……んっ!?
宝物庫の時はパツパツのローブを羽織っていたので、顔だけは鮮明に記憶している。だが、今は一般服を着ている。
一般服を着た男を観察していると、ある光景が蘇った。
薄暗い地下の祭壇。
金色の塗料を使った魔法陣。
マルティン大司教と数人の神官による多重神聖魔法。
煙と共に現れた聖女とは似ても似つかない男。
私の体から嫌な汗が流れる。
目の前の男は、聖女降臨の儀式で呼び出した男に似ていた。
見れば見る程、私の記憶が重なっていく。
もし本当に聖女降臨の儀式で強制転移された男だっとしたら、今の状況は非常に不味い。
この男とグレゴール助祭が顔を合わせてはいけない。もし男の口から聖女降臨の儀式が行われた事がグレゴール助祭に聞かれたら、必然的にゲレオン司教にも知られる。そうなれば、責任者であるマルティン大司教が地に落される事だろう。
私は彼の身柄を衛兵に頼んでから急いで教会に戻った。
急いで戻った私は、息を切らしながらマルティン大司教の執務室まで辿り着く。
今の時間なら執務前のワインを楽しんでいる事だろう。
扉前を守っている守門に取り次ぎを頼むと、すぐに入室の許可が下りた。
「コニー、宝物庫の犯人の確認は終わったのかね?」
従僕から話が流れたのだろうか、私が衛兵詰所に行っていた事は既に知っていた。
「その件で至急お知らせしたい事が出来たので、戻ってきました」
「至急か……少しだけ待っていてくれ」
マルティン大司教は執務机で一枚の手紙を読んでおり、私の方を一切見ない。
いち早く報告をしたいのだが、最高責任者であるマルティン大司教に「待て」と指示が出たので、若輩の私は素直に従わなければいけない。
「恐ろしく早い対応だな。……読んでみろ」
先程まで読んでいた手紙を私に向けて差し出す。
「宜しいのですか?」
「ああ、この件はお前も関わっているからな。構わん」
私はマルティン大司教の手から手紙を受け取ると内容を読み始めた。
さる男の事が書かれており、人となりを保証する内容だった。そして、多大なる慈悲を与えて欲しいと嘆願している。
「ゲルハルト・ビューロウ子爵とパウル・クロージク男爵の連名で、つい今しがた届いた。罪状も知らずに送りつけてきたのだ。余程、重要な人物なのだろう。私に借りを作るかもしれないのにな」
封蝋の跡を指でなぞりながらマルティン大司教はニヤリと笑い、「さて、どうするかな」と嬉しそうに呟く。
男爵程度ならまだしも子爵の連名まで記されているので、無下にする訳にはいかない。ただ、聖女降臨が失敗した今、ゲレオン司教一派の意向に反る行為は避けたい。
たが宝物庫の犯人と聖女降臨の儀式の男と同一人物の可能性が高いのが分かった今、マルティン大司教はどう判断するだろうか?
「マルティン大司教、報告をしても宜しいですか?」
「そうだったな」とマルティン大司教は貴族の手紙を仕舞うと私に向き直った。
私は、先程会った男について報告し、聖女降臨の時の男だと伝えた。
「……それは間違いないかね」
「確証はありませんが……私はそう思っております」
場所によっては、良く居る顔ではある。
聖女降臨の際、しっかりと男の顔を見ていないので自信を持って頷ける事は出来ないが、私個人の直感では、同一人物だと確信している。
その事も含めて伝えると、マルティン大司教は「うーん……」と考え込んでしまった。
しばらく待つとマルティン大司教は椅子から立ち上がる。
「衛兵詰所に行こう」
「えっ、マルティン大司教自ら向かわれるのですか?」
「そのつもりだが……私では不服かね?」
「いえ、そういうつもりでは……とても有り難い事です」
まさかマルティン大司教が足を運ばれるとは思ってもいなかった。
私はグレゴール助祭を押さえ込めるネーベル司祭を派遣してくれたら上々と思っていた。
それがマルティン大司教自ら出向くとは……本当に素晴らしい方です。
私たちはマルティン大司教専用の馬車に乗ると、再度、衛兵詰所へ戻ってきた。
この後の展開は、私が予想していた展開とは違い、想定外ばかりであった。
まず犯人と思っていた男はただの不法侵入で、宝を盗んだ犯人ではなかった。これはマルティン大司教の神聖魔法で真意を確認したので間違いない。
その後、短気のグレゴール助祭を煽り、自ら退室させた。さすがマルティン大司教である。
そして、貴族の嘆願書を使い、男と関係を持つ為に軽度な罰で教会に向かわせようと思われていたのだが、本人自ら炭鉱送りを希望した事で果たせなかった。
寄りにも依って、炭鉱に行くとは……正気とは思えない。
「不思議な男だったな」
「ええ、まさか炭鉱を希望するとは思いませんでした」
衛兵詰所からの帰り道、馬車の中でマルティン大司教と会話をしている。
対面に座っているマルティン大司教は、私の言葉を聞いて太い首を横に振った。
「いや、私が言いたいのはその事ではない。何というか……その……」
言葉が濁るマルティン大司教を見て、首を傾げる。
不思議な男……確かに見た目に反して、物腰が柔らかく、女性的な雰囲気を醸し出していた。普段なら違和感がある態度であるのだが、彼に至ってはまったく不自然な感じに思えなかった。
私は、そのぐらいしか不思議な部分を感じなかったが、マルティン大司教は違ったみたいで、「貴族が恩赦を与えた意味が少なからず分かった気がする」と付け加えた。
「どういう意味ですか?」
「コニーはゲレオンに『真理の威光』で真偽を確かめられたのだろう?」
私の疑問には答えず、マルティン大司教は別の話題を振られた。
「はい、それで私の疑いは晴れました」
「真偽はすぐに分かったのかね?」
「え、ええ……体が金色に輝くとすぐに終わりました。それが?」
「私があの男に行った時……少し違和感があったのでな」
そう言うなり、マルティン大司教は自分の右手を見詰める。
「違和感……もしかして神聖魔法は失敗だったのですか?」
「私を誰だと思っている。『真理の威光』は成功だ。あの男は真実を語っていた」
ここでマルティン大司教は口を閉ざしてしまった。
ゴトゴトと貴族街の横を通る坂道を登っていく。
窓から貴族が住む立派な館が見える。
そんな家並に視線を向けたマルティン大司教は……
「もしかしたら……我々は大変な思い違いをしているのかもしれん」
……と呟いた。




