227 幕間 コニーの追想 その1
準備に三年、魔力蓄積で一年、計四年を費やした召喚魔法。
隣国に対抗する為、ダムルブール大聖堂の地位を上げる為、そして、我が師マルティン大司教が中央区への道を築く為に、財力と時間と魔力を消費した。
私は若輩の為、雑務全般を任されていたので真偽は定かではないが、召喚魔法を成功する為に言葉では言えない背徳的な行為もしていたと聞く。
貴族よりも強欲で、魔物よりも残忍。教会に関わるな。敵対するな。神の裁きよりも悲惨な結末になる。ほとんど教会から外へ出ない私の耳にも聞こえるのだ。私の知らぬ所で、それだけの事をしたのだろう。
教会の評判は地に落ちたが、その代償に聖女が呼ばれる。
聖女がこのダムルブール大聖堂に降臨すれば、評判も元に戻る事だろう。
だからこそ、今回の儀式は必ず成功しなければいけない。
この世に聖女様を降臨させなければいけないのだ。
だが、結果は失敗に終わった。
召喚自体は成功した。だけど、現れたのは聖女様ではなかった。
金色に輝く魔法陣から煙と共に現れたのは男だった。
どこかの街や村にいる武器屋か鍛冶屋にいそうな男。
筋骨逞しく、視線が合うと逸らしてしまいそうになる厳つい男。
聖女を呼び出す筈が、女性すらない男性が現れたのだ。
間違いなく召喚魔術は失敗であった。
「あれは間違いなく聖女様ではないな」
「どう見てもただの一般人だ。下手をすれば囚人かもしれんぞ」
「何で男なんだ……女性だったら、何とか成ったというのに……」
「入念な準備をして、魔力も十二分に用意した。古い文献も調べ尽くして、手順も間違いない。それなのに、なぜ失敗したのでしょうか?」
「分からん」
落胆の色に包まれる中、私たちは壁際に移動し、マルティン大司教を中心に小声で話し合う。
蝋燭の光しかない薄暗い地下の祭壇にも関わらず、私たちの顔色は、血の気が失せているのが見て分かる。
誰もが成功すると信じていた。準備に四年以上を掛けた。同時に、聖女降臨後の未来図も念入りに作成していた。それが全てが水の泡と化してしまったのだ。
「儀式は失敗した。これについては紛れもない事実だ。悔しいが認めるしかない」
「原因究明は後回しだ。それで大司教、彼の対応はどうしますか?」
マルティン大司教の右腕であるネーベル司祭は、召喚した男に視線を向ける。
男は状況が掴めず、キョロキョロと落ち着きなく辺りを見回していた。
「後々の事を考えれば、存在自体を消した方が賢明です。……私が直接やりますか?」
低く重たい口調のネーベル司教から存在を消すと聞いて、背筋がゾワリとした。
つまり、それって……。
「いや、止めておこう」
ネーベル司教の提案をマルティン大司教は首を振って断った。
「これまで儀式を大成する為に手を汚してきた。だが、結果は失敗に終わった。教会の評判が地に落ちている今、これ以上、手を汚す必要はないだろう」
深みのある落ち着いた口調で語るマルティン大司教。いつも通りの態度であるが、顔色は非常に悪い。
この場にいる誰よりも、今回の儀式の成功と今後の展望を見据えていたのだ。それが失敗に終わった事で、失望は誰よりも深い筈である。
その心境を知っているので、みんなは反論する事なく、コクリと頷くだけだった。
私たちを見回したマルティン大司教は、腰に下げている革袋を取り出し、中身を手の平に乗せた。
数枚の金貨と銀貨が厚みのある手の上に転がる。
それを見たマルティン大司教は、再度、革袋に入れると私たちの前に袋口を広げた。
「皆の者、今持っているお金をこの中に入れなさい」
私以外の神官は、沢山の銀貨や銅貨をジャラジャラと入れた。
私は若輩の為、銅貨ぐらいしか手持ちになく、少し恥ずかしくなる。
私たちが言われた通りにお金を革袋に入れると、マルティン大司教は袋口を縛り、私に渡した。
「コニー、これを彼に渡して下さい。我々が勝手に呼び出したお詫びです。そして、裏門から彼を帰してあげて下さい」
ズシリと重くなった革袋を受け取った私は、「分かりました」と丁寧に頷く。
「さて、気を取り直して、後片付けをしますよ。ゲレオン司教が戻ってくる前に終わらせなければいけません」
空元気に指示を出すマルティン大司教の声を聞きながら、私は強制転移させられた男の元まで向かった。
彼は魔法陣の中央に座り、色々と聞きたそうに私を見詰める
だが、説明する事は出来ない。
今回の件は、教会内にもっとも人が居なくなる機会を狙って行われた秘密裡の儀式である。
知っている者は極少数であり、これ以上、知られるのは不味い。特にマルティン大司教の座を狙っているゲレオン司教の一派には知られてはいけないのだ。
細かく事情を教えてしまったら、本当に口を封じられてしまう。殺されないだけでも有り難いと思ってほしい。
何も知らされず不安そうにする彼を、私は直視する事が出来なかった。
決して、顔が怖いからではない。たぶん、そういった事情により、罪悪感に苛まれたからだろう。
私は彼から視線を逸らしながら、後に付いてくるようにお願いした。
地下の祭壇から地上に繋がる階段を上がっていく。たまに後ろを振り返って、彼が付いて来ているか確認した。
彼は息を切らしながら薄暗い階段を上がっている。体格が良いのに、この程度の階段で息を切らすとは……もしかしたら、転移魔法の影響かもしれない。原理は分からないが、無理矢理、別の場所に飛ばされたのだ。体に影響があってもおかしくなかった。
だが、ここで足を止めて休憩をしている暇はない。
留守にしているゲレオン司教たちがいつ戻ってくるか分からない今、儀式の失敗の象徴である彼と鉢合わせするのは不味いのだ。
地上に出た私は、早足で教会内を進み、裏門へと向かう。
有り難い事に彼は黙って私の後に付いて来てくれる。今も息は上がっているが……。
そして、外に出て、裏門に辿り着いた私は、彼にお金の入った皮袋を渡すと……
「あなたが無事に故郷へ帰る事を心から女神様にお願い申し上げます」
……と別れの挨拶を済ませる。
こうして、呆気に取られている彼を教会の外へと送り届けたのであった。
一応、今日の出来事は他言無用とお願いしたし、これで大丈夫だろう。
そう自分に言い聞かせながら、私は後片付けを手伝う為に地下の祭壇へ戻って行った。
物心付いた時、私の両親は亡くなった。死因は流行り病と聞いている。
街外れの小さな村は、死体と共に焼かれた。
親を亡くした私は、孤児院に入れられる予定であったのだが、なぜか孤児院でなく教会に拾われた。
その日以来、私は教会の人間として生活をしている。
従僕から始まった私は、拾って頂いた教会と女神様の為に、日々のお勤めを真面目に行う事で、皆から信頼を得る事が出来た。そのおかげがどうか分からないが、私はマルティン大司教の目に留まり、寵愛を受ける事が出来た。
そして、従僕から副助祭へとなったのだ。
副助祭になった私は、主にマルティン大司教の身の回りの世話をしたり、書類仕事をして、マルティン大司教の信頼を得てきた。
そのおかげで下っ端で若輩の副助祭にも関わらず、秘密裡に行われる聖女降臨の儀式に参加する事が出来たのだ。私は、この幸運を誇りに思う。
だが、そんな大事な儀式も失敗に終わった。
参加した神官たちは、原因究明に勤しんでいるが、未だに理由は分かっていない。
マルティン大司教は、あの日以来、気力が低下し、食欲を失っている。一見、変化のないように見えるのだが、身の回りの世話をする私には分かる。お腹周りが少しだけ小さくなっているのだ。とても心配である。
もう一つ、心配事がある。
それはゲレオン司教の一派だ。
彼は、何かある度にマルティン大司教のやり方に異議を唱えていた。無論、聖女降臨の儀式も反対をしていたし、儀式の準備段階から横槍を入れてきた。
そんなゲレオン司教とその一派が一同に留守にする日を狙って行われた聖女降臨の儀式であったが、結果は失敗に終わっている。
聖女降臨が成功していれば、立場は強固され、ゲレオン司教派閥は勿論、周辺諸国の教会よりも権力が高まり、マルティン大司教に口出しする者はいなくなる筈だった。
だが逆に失敗した事により、マルティン大司教の立場は砂上と化し、いつゲレオン司教に立場を奪われるか分かったものではない。
そんな状況の為、儀式に関係した者には、漏らさぬように、と口を酸っぱいして言われており、今後は今まで以上にゲレオン司教派閥と関わる時は、細心の注意を払う必要があった。
それにも関わらず、私はゲレオン司教の一派の中で、非常に面倒臭い者と接する事になってしまった。
その日は、書類を届ける為に別の区域に足を運んだ。
無事に書類を届けた私は、なぜか普段通らないゲレオン司教の一派が使われている区域を通って戻ってしまった。
私が若輩者という事もあり、ゲレオン司教の一派に会うと嫌味の一つや二つ言われる事がある。その為、早く通り過ぎようと早足に廊下を進んでいた。
すると……
「……ん?」
僅かにだが、女性のような声が聞こえた気がした。
この教会には、従僕以外に女性は居らず、従僕がこの区域に入る事はなかった。
もし間違って入った場合、見つけた神官によっては折檻が行われる事だろう。
そうなる前に、私は声の出所を探した。そして、ある場所に辿り着いたのである。
廊下の突き当たりに不自然な入口が開いており、地下へと続く階段を見つけたのだ。
殆ど立ち入らない区域とはいえ、教会内部の構造は把握している。ここに地下に続く階段があるのは存じていなかった。
一体、この下は何があるのか?
階下から声らしき音が聞こえる。
私は好奇心に駆られ、ゆっくりと階段を降りると、一目見て高価だと分かる物が綺麗に整理されていた。
宝物庫だと瞬時に理解する。
その宝物庫の入口近くに、怪しい人物がいた。
今にも破けそうなローブを着た男である。
教会にいる従僕に、こんな男はいない。
「そこで何をしている!」
私はつい声を出してしまい、失敗したと後悔した。
私の声で振り返った男は、禿頭の筋骨たくましい厳つい顔をした男だった。もし教会に対して悪意ある人物だったら、私では太刀打ち出来ないだろう。
私の声で振り返った男は、目を見開き、厳つい顔をさらに凶暴にする。
間違いない。
目の前の男は、極悪の犯罪者だ。
そして、ここは宝物庫である。
つまり……。
「あっ、宝箱が!?」
男の背後に、蓋の開いた宝箱が目に入った。
「やはり、盗人か!?」
やはり、犯罪者だった。
それも下種な盗人。
女神様を崇める神聖な教会に盗みに入るなんて!
今すぐこの場を退いて、応援を呼ぶべきだったのだが、男の諸行を知り、怒りが湧いてきた。
だが、その怒りもすぐに霧散する。
急に力が抜け、膝から倒れると、私の意識は途切れてしまった。




