218 トカゲを屠れ その4
「人間め! いい加減、しつこいですよ!」
避ける事に専念しているディルクに罵声を飛ばすリズボンは、半円を描くように炎剣で地面を抉ると、爆発と共に燃える石が飛び散る。
大小様々な無数の石がディルクの体にぶつかり、後方へと飛ばされ、動かなくなった。
「終わりです」
冷たく言い放ったリズボンは、左手を突き出すと巨大な火の塊を放つ。
皮膚も筋肉も骨も全てを焼き尽くす火球は、気絶しているディルクに向けて一直線に飛んで行く。
「『風砲』!」
ディルクの目と鼻の先にまで迫った火球は、突如現れた風の塊により押し出され、明後日の方向へと飛んで行ってしまった。
「エルフか!?」
グルンッと体の向きを変えたリズボンの前に、リディーは無い胸を反らしながら仁王立ちする。
「トカゲの魔法よりも僕の魔法が上回っているようだな」
「一発、逸らしただけで威張るなよ」
「一発やれば分かるさ。僕の方が精霊に愛されているってね。気味の悪い姿をしているから愛想を尽かされているじゃないの?」
「戯言を抜かすな! 偉大なる精霊王の血筋を持つ私が、エルフのガキに押される訳がないだろ! 塵のように漂っている精霊など燃やし尽くしてやるわ!」
「それなら僕は、全て吹き飛ばしてやる!」
距離を空けて睨み合う二人の口撃が始まる。
「森から出ない引き籠りめ。表に出てくるな!」とか、「トカゲなど串焼きになって屋台で売られているのがお似合いだ!」とか、ちょっと場違いな悪口が飛び交う。
同じ精霊魔法を使う二人であるが、使役する精霊が違うだけで相性が悪くなるのだろうか?
しばらく聞くに堪えない言葉の応酬が続くと、リディーは弓矢を番えた。
「何度やっても同じ事! 芸が無さ過ぎです!」
リディーはリズボンに向けて矢を放つ。
冷静さを取り戻したリズボンは、矢を燃やすように小ぶりの火球を放った。
リディーの矢とリズボンの火球がぶつかる瞬間、「ヒヒヒィ」とリズボンから笑いが漏れる。だが、すぐに「なっ!?」と驚愕の声へと変わった。
矢は火球を突き抜け、リズボンの胸へと刺さる。さらに硬い鱗に刺さった矢は、青く光り出すと、そのまま加速するようにリズボンの胸の中に入り込み、そして、背中から突き抜けた。
「今度は僕が遊んでやるから覚悟しろ、トカゲのおっさん!」
穴の開いた胸を押さえるリズボンに向けて、リディーは矢筒から二本の矢を抜くと同時に放った。
「調子に乗るな!」
リズボンは鞭のように炎剣を振ると、蛇のように伸びた炎の刃が二本の矢を薙ぎ払う。
だが、炎の刃が矢に当たる瞬間、クンッと意識を持ったように軌道を変え、炎の刃を避けるとそのままリズボンの胸を貫いた。
「このまま穴だらけにしてやるよ……って、矢が残り二本しかなかった。……命拾いしたな」
魔力が満たされたリディーは、本調子になった事で調子に乗り始めている。
余裕を見せていると足元をすくわれそう、と心配をしながら私はコソコソと地面を這う。そして、フリーデの剣を拾うと元の場所に戻った。
ズシリと重いショートソード。鉄の塊。魔力が残り僅かな私では、満足に扱えない代物だが、必要になるかもと思い、回収しておいた。
「ギギギィ」と歯ぎしりするリズボンは、八つ当たりするように炎剣を地面に付き刺した。炎を纏った刃先で地面が燃えると、土がドロドロと溶け始める。そして、真っ赤に溶けた土を手で掴むと、矢で貫かれた胸の傷に塗り込んでいく。
「傷薬のつもりか……無茶苦茶だな」とリディーの呟きに私も頷く。
「キェーッ!」
奇声を上げたリズボンは炎剣を振り回し、リディーに向けて炎の刃を伸ばす。
「風の精霊よ、力を見せつけろ!……『空刃』!」
リディーは右手に青い靄を纏わせると、風の刃を飛ばして炎の刃を切断した。
途中で切れた炎の刃は、チリチリと火の粉を散らして消えていく。
「まだまだですよ!」
リズボンが、片足を地面に叩き付けると足の底が爆発した。そして、吹き飛ばされるようにリディーの元まで来たリズボンは、勢いのまま炎剣を振り落とす。
リディーはギリギリで炎剣を避けるが、地面を叩いた衝撃で発生した石の破片が追撃するように襲う。
「『旋風』!」
リディーが下から上へ扇ぐように腕を振ると、地面から風の塊が吹き上がる。
つむじ風のよう回転する風の塊は、石礫を弾き飛ばし、さらにリズボンの体も浮かせ、後方へと飛ばした。
「クエェェーー!」
リズボンは、空中で拳大の炎をボンボンボンッと放つ。
決して速くない三つの火弾をリディーは、右手に纏わせた風で蠅を払うよう火弾を弾き飛ばした。
「『風槍』!」
右手に纏った風を細長い槍に作り直したリディーは、リズボンの着地点に向けて、駆け出す。
「キエェェーー!」
ドサッと着地したリズボンの口から火が吹き出す。
右手に風の槍を持ったまま走るリディーは、左手を突き出すと『風壁』と呟き、前方に風の壁を作り出した。
下から上へと流れる風の壁により、リズボンの火はリディーに当たる前に上空へと逸れる。
リディーは火を逸らしたまま突き進み、右手に持っている風の槍をリズボンの胸に向けて突く。
火を止めたリズボンは、風の槍を炎剣で受け流すと、リディーに袈裟切りのように炎剣を振った。
リディーは後方に飛んで炎剣を避けると、空中で腕を持ち上げるとリズボンに向けて風の槍を投げつける。
リディーの手から離れた風の槍は、急加速してリズボンの左肩へと突き刺さった。
「キィィーー……クソエルフ……」
「ギギギィ……」と歯ぎしりをするリズボンは、消えた風の槍の傷口にドロドロに溶けた土を塗り込む。
そんなリズボンに、「だから、僕の方が愛されていると言っただろ」とリディーは勝ち誇った顔をした。
す、凄い!
自信満々に言うだけあり、リディーの精霊魔法はリズボンを翻弄していた。
アナの精霊魔法を目にした事があるので分かる。リディーの精霊魔法は、アナと比べ、速度も威力も桁違いであった。
さらに身体能力も高いので、魔法を混ぜた接近戦も出来る。
これならリズボンを倒す事は出来そうだ。
絶望しかなかった現状が明るく照らしてきた。
そう思っていた矢先、異変が起きる。
「ギィィーーッ!? 主さま、主さまぁぁーーっ!」
突然、リズボンから悲痛の叫びが上がると、炎剣を地面に落し、長い頭を手で押さえて苦しみだした。
「な、何!?」
隙だらけの絶好の攻撃チャンスなのに、リズボンの異変にリディーは後退り始める。
「わ、私はまだ出来ます! あ、遊んでいません。手を抜いていません。指示通り、すぐに殺します」
今にも地面に倒れそうなリズボンの赤い鱗がさらに赤く光り出す。
「主さまの手を煩わせるなど、半人前のする事! わ、私一人で出来ます! だから……だから……」
リズボンの体に火が纏わり付くと、リズボンの苦痛の呟きが止まる。
体中を覆う鱗の一部が剥がれ、そこから真っ赤な火が吹き出し始めた。
腕も足も胸も頭も炎に包まれる。それでもリズボンは地面に倒れる事はなく、立ち尽くしていた.。
「何て火力だ。熱さで風の精霊が逃げて行ってしまった」
顔を覆うリディーの言う通り、私の場所からもリズボンを覆う炎の熱が伝わってくる。
それもその筈、立ち尽くしているリズボンの足元は、高熱で地面が溶岩のように溶け始めていた。
近づいただけで、燃やされるだろう。
「魔力が暴走している。おっさん、フリーデを守れ!」
炎の化身と化したリズボンから距離を取るリディーから指示が出る。
私は言われた通り、フリーデを守るように背中で隠し、ショートショードを強く握り締めた。
大きく後ろに飛んだリディーは、矢筒から矢を取り出すと、棒立ちしているリズボンに向けて放つ。
魔力で加速した矢は、一直線にリズボンの頭に飛んで行く。
リズボンは動かない。視線も移動しない。これなら当たる。
だが、高速に飛んだ矢は、炎を貫く事が出来ず、リズボンの手前で燃えつきてしまった。
「ギエェェーーーッ!」
リズボンが奇声を上げると、鎧のように纏う炎から無数の炎の塊が四方八方へと噴き出した。
火山の噴石のように飛び出した炎の塊は、地面や壁に当たるとさらに細かく飛び散り、一瞬で火の海へと変える。
「はっ!」
リディーは風の刃を飛ばすが、リズボンの体に届く前に炎によって消滅してしまう。
その後、風で作った塊や槍も放つが、どれも同じ結果に終わった。
「魔力攻撃では、トカゲの炎を突き破れない」
精霊魔法が使えなくなり、自分の魔力を使った魔術では力不足のようで、リディーは悔しそうに後退していく。
「ギェッ!」
リズボンが両腕を前方に突き出すと、炎の塊を飛ばす。
両方の手から放たれる炎は、私たちの周りの地面や壁に当たっていく。
狙いなどなく、かむしゃらに撃ち出される炎。
もしかしたら、今のリズボンは理性が欠如しているのかもしれない。
ただ、それでも一発一発の威力が高く、私たちのいる坑口浴場は炎と溶岩に覆われ、真っ赤に染まってしまった。
「きゃっ!?」
休みなく放たれる炎の一発がリディーに当たる。風の壁を展開したようで、致命傷には至らなかったが、大きく吹き飛ばされたリディーは私の近くまで転がってきた。
リディーの悲鳴を聞いたリズボンは、グルンッと顔を向けると攻撃を止める。そして、小さな口を大きく開けた。
「リディー、こっちに来て! 急いで!」
フリーデを隠すように片膝立ちをすると、私はショートショードを構えた。
痛みで顔を歪めるリディーが、素早く私の横に並ぶ。
重たいショートソードに魔力を流し、重量を軽くする。ズキリと頭と目の奥に痛みが走り、吐き気がこみ上げてくる。
リズボンの口から炎が吹き出した。
迫りくる炎に合わせて魔力の壁を作る。
一瞬、視界が歪み倒れそうになるのを歯を食いしばって堪える。
ドコンッと衝撃が起き、ズズズッと膝を擦り剥くが、カーテンのような光の壁でリズボンの炎を遮る事が出来た。
ただ、炎の熱まで遮る事が出来ず体が焼かれていく。
腕毛や指毛がチリチリと縮み、皮膚が熱を帯びて痛い。そして、何より炎の勢いが強く、今にもショートショードが弾けそうになる。
「リ、リディー……て、手を貸して……持ち堪えれない」
余裕のない私は、リディーに弱々しくお願いする。
リディーは「分かった!」と素早く両手を前に突き出し、光の壁を覆うように風の壁を作り出した。
横に並んで魔力の壁を展開する私とリディーを中心にゴウゴウと真っ赤な炎が包み込んでいく。
リディーのおかげで大分楽になったが、魔力がまったくない私は今も余裕はない。
このまま魔力の壁を張り続けていれば、すぐにでも魔力がゼロになるだろう。
そうなれば、リディー一人ではリズボンの炎を防ぎ続ける事は不可能だ。
「リディー、前を見ないで」
「えっ、どういう事?」
必死の形相で風の壁を作っているリディーは、私の顔を見る事なく聞き返してくる。
「強い光をリズボンにぶつける。あんなデカい目だ。視力を奪えるかもしれない」
「そんな事、出来るの?」
「効くかどうか分からないけど、やってみる」
そう言うなり、私はショートショードから右手を離す。
左手だけになったショートショードが、ガクガクと震えるのを力を込めて抑え込む。
魔力の壁を作りながら、閃光魔力弾を作る事は出来るだろうか? それも魔力切れの状況で……。
不安は尽きないが、やるしかない。
私は、ショートショードに流している魔力の一部を右手に集めさせる。
目の前が真っ白になり、ガクンと体が傾く。
まずい!?
想像以上に魔力の消耗が激しく、痛みを通り越して、意識が飛ぶ。
地面に倒れそうになった私の体がグイと引き戻された。
リディーの腕が私の腰に回っている。
リディーに体を預けながら、私は右手に魔力を集めた。
ドロリと鼻から生暖かい液体が流れる。
流れる鼻血を気にする余裕もない私は、魔力の壁を継続させつつ、右手に閃光魔力弾を作り出した。
「リディー、目を瞑って!」
私は、吐き出される炎に向けて、閃光魔力弾を放つ。
光り輝く魔力弾は、炎の熱で消滅される事もなく、掻き分けるように突き進んだ。
そして、真っ赤に染まっていた坑口浴場を黄色い光が覆う。
リズボンの口から吐き出されていた炎が止む。
鎧のように纏っていた炎の一部が消え、リズボンの鱗が見えた。
良し、効果あった!
喜ぶのも束の間、すぐにまた炎が吹き出し、リズボンを覆い尽くす。
「ちっ、駄目か……」
炎の攻撃は止んだが、リズボンの視力を奪う事は出来なかった。
リズボンは、何事も無かったかのようにノシノシと地面を焼きながら歩き始める。
ゆっくりと近づいてくるリズボンから視線を逸らすと、水が溜まっている桶を見た。
リディーの魔術で水を巻き上げ、燃え続けているリズボンにぶつけるか?
いや、土や石を溶かすほどの熱量だ。すぐに蒸発してしまうだろう。
それなら川辺に誘導して、濁流のような川に突き落とすのはどうか? そうすれば、火は消えるし、リズボン自体、川下まで流してくれるかもしれない。
ただ、理性を失っているとはいえ、計画通りに誘導出来るかは分からない。下手をすると、気絶しているフリーデやディルクに止めを刺しにくる可能性がある。
万策尽きた。
もう、何も思いつかない。
本当に駄目そうだ。
諦めが心を埋め尽くし始めていた時、横から「うぅ……チカチカする……」と場違いな声が聞こえた。
横を見ると、顔を覆って、目をゴシゴシしているリディーがいる。
「もしかして、リディー……目が見えないの?」
「こんな状況で、仲間まで被害がでる魔術を放つ!? 状況、分かってる!?」
グッと目を瞑って、端に涙を浮かべているリディーが私の方を向いて、逆ギレしてきた。
「あれほど見るなと忠告したのに、何で見るの!? バカなの!? アホなの!? 間抜けなの!?」
「仕方が無いだろ! 見るなと言われたら、逆に見たくなるだろ! だから、こっそりと見たんだ!」
やるなと言ったら、ついやってしまうタイプらしい。このエルフは……。
これで、絶望一色になってしまった。
フリーデとディルクは気絶中。私は魔力切れ。リディーは盲目中。
どう足掻こうが、リズボンに勝てる算段がない。
私が肩を落として、「はぁー……」と盛大に溜め息を吐く傍ら、リディーは肩に掛けていた弓を構えだした。
「目を負傷したけど、おかげで良い案が浮かんだ」
そう言うなり、リディーは背負っている矢筒から最後の矢を取り出し、弓に番えた。
「もしかして、矢を放つつもり?」
「ああ、一瞬だけどおっさんの魔術でトカゲの炎が消えただろ。その隙間をついて、脳天を貫いてやる」
今のリズボンに矢を撃っても炎で燃やされ、リズボンの体には届かない。だが、私の閃光魔力弾で炎の一部を取り払えば、燃え尽きる前に矢は当たる。リディーの腕なら僅かに出来た炎の隙間から矢を当てる事は出来るだろう。
ただ、それを行うには重大な問題があった。
「今のトカゲは、躱す事も弾き返す事もしない。当て放題だ。それに魔力を最大まで注いだ矢を射ってやるんだ。頭ぐらい貫いてやるさ」
「いやいや、そんな事よりも、今のリディーは目が見えないんだよね。どうやって、矢を当てるの?」
相手が見えなければ、どんなに腕が良くても矢を当てる事は出来ない。
そんな重大な問題が解決しなければ、リディーの案は実現しない。
その事を伝えると、リディーは目を瞑りながら「はぁー……」と残念そうに溜め息を吐いた。
「おっさん、僕を誰だと思っているんだ?」
そう言うなり、リディーは長い耳をピコピコと上下に動かして強調した。
「目が見えなくても耳はある。矢を当てる事ぐらい楽勝さ。問題があるとすれば、僕とおっさんの息が合うかどうかだが……まぁ、それは問題ないだろ」
私とのタイミングが重要と言うリディーの顔は自信に満ちていた。
失敗する事を考えていない顔をしている。
私との共闘に不安を抱いていない顔をしている。
私を信じている顔をしている。
そんな雰囲気のリディーを見て、私は「やろう!」と力強く答えた。
「最後の一矢だ。僕は失敗しない。おっさんも失敗しない。もう勝ったも同然だ。絶対に決めるぞ!」
覚悟を決めた私とリディーは、お互いに頷くと、迫り来る炎の化身と対峙した。




