214 トカゲを屠れ その1
私を殺す気満々のリズボンが湾曲した剣を構える。
リズボンの力量がどのくらいかは分からないが、火蜥蜴人の亜人であるリズボンが、人間の兵士の班長を務めているのだ。強いのは明らかだろう。
目を真っ赤に染めたリズボンの前にリディー、フリーデ、ディルクが身を屈めた。
リディーは、矢筒から矢を三本取り出し、弓矢を構える。
フリーデは、少し迷ってから腰に下げている鞘からショートソードを引き抜いた。
「アケミ・クズノハ、お前は下がっていろ」
私の前に移動したディルクがリズボンから視線を外さずに指示を出す。
リズボンの狙いが私だという事は、先刻リズボンの口から宣言されているので、攻撃手段のない私は、素直にみんなから数歩後ろに下がった。
ちなみに私に指示を出したディルクも武器を持っていない。さらに私と違って、束縛魔術で魔力も封じられている。
「ディルクはどうするの? 素手で戦うつもり?」
「俺の事は心配するな。自分の身だけ案じていろ」
彼は元冒険者だ。経験や技量、体力や腕力、その他諸々も私より上である。ディルクの事は心配しないでおこう。
「おしゃべりは終わりだ。動くぞ!」
リディーの忠告の通り、リズボンは握っている剣をユラユラと揺らし始めた。そして、手首を軸に右から左へ円を描くように回転させると、刃先が通った所からリズボンの体が透けていった。赤茶色の鱗が消えていき、後ろの地面が映り込む。剣が一周する頃には、リズボンの体は完全に消えていた。
「ま、魔術!?」
ティアが得意とする幻影魔術の類で、錯覚を見せられているのだろうか?
そう思っていると、「種族固有の技だ!」とディルクから訂正が入った。
「蜥蜴人族の中には、景色に合わせて擬態出来る能力があると聞いた事がある。たぶん、それだ。ここまで完璧に消えるとは想像以上だ」
景色に擬態って、カメレオンか!? いや、カメレオンの皮膚変化は、求婚の為と聞いた事があるので意味合いが違うな。
いやいや、それ以前に何で服装や武器まで透明出来るの!?
やはり、魔力に関係している気がする。
「静かに!」
リディーの鋭い声が飛び、私たちは口を閉じた。
私とディルクとフリーデは、物音を立てずに周りをキョロキョロと見回す。
少し下を向いているリディーは、長い耳をピクピクとさせながら聞き耳を立てている。
沢から水の流れる音以外、何も聞こえない。
足音が聞こえない事から透明化したリズボンは、その場に一歩も動かず、私たちが驚いている姿をニヤニヤしながら見ているだけかもしれない。
そう思い、先程までリズボンがいた場所に目を凝らしていると……。
「……そこ!」
……と大きく耳を動かしたリディーが、私の方へ弓を向けて、矢を放った。
シュンっと私の顔すれすれを矢が通り過ぎと、すぐ後ろでキンッと音が鳴った。
「おっと!」
後ろを振り返ると、剣で矢を弾いたリズボンが立っていた。
足音を立てずに、ここまで移動していたの!?
「まさか、気づかれるとは思いませんでした……ねっ!」
「ね」と言う言葉と同時にリズボンの剣が私の首筋に一閃する。
「ぐぇっ!?」
一直線に伸びた剣先が首先に届く瞬間、服の襟を引っ張られ、後ろへ倒された。そして、そのままズルズルと地面を引き摺られながらリズボンから遠ざかる。
「く、苦じぃ……ディルク……離して……」
リズボンの剣から助けてくれたディルクに襟から手を離すようにお願いする。
ドサッと無造作に地面に落された私はゲホッゲホッと咳き込む。助けてくれたのは有り難いけど、扱いが雑。
リズボンから距離を空けた私とディルクの元にリディーとフリーデも集まり、またリズボンとの睨み合いになった。
「流石、エルフですね。やっかいな耳をお持ちです。もっと慎重に移動しなければいけませんね」
殺し合いをしている最中でもリズボンは、落ち着いた調子で口を開く。
それだけ余裕があるのだろう。
「次は防げますかな」
そう言うなりリズボンは、剣を回転させ、また透明化した。
「固まれ!」
叫んだディルクは、私を壁に押し付け、右側に陣取る。同じようにフリーデが左側に、リディーが前方に移動して、私を囲むようにリズボンの動向を探る。
透明になったリズボンが何処から来るか分からない。
みんな、物音を立てずに周りをキョロキョロと見回し、リズボンの気配を探る。
完全に姿を隠し、足音もしないリズボン。
先程はリディーの聴覚でギリギリ躱せたが、今回も上手くとは限らない。
いつ襲われるか分からない緊張感で頭がクラクラしてくる。
どこから来る? 右か? 左か? それとも前方か?
リディーの背後で落ち着きなく周りを見回していると、コツンと右側の坑口浴場から音がした。
「ひっ!?」
急に音が鳴って、つい悲鳴のような声が漏れてしまった。
リディー、ディルク、フリーデが坑口浴場に視線を向け、武器を構える。
音に驚いた私は、視線を向ける余裕がなく、前方を見たままだった。そのおかげで、不自然な現象が目に入った。
リディーの数メートル先の空間が僅かに人の形をして歪んでいる。
戦闘民族宇宙人の光学迷彩を思い出した私は、すぐにリズボンだと気が付いた。
「リディー、前! 避けて!」
私の叫びと同時にリディーは、振り向きざま弓を前方に向けて、矢を放った。
一瞬で姿を現したリズボンは、身を低くして矢を躱すと、大きく一歩を踏み込み、リディーに向けて剣を横へ振る。
「ちっ!」
リディーが膝を折って屈み、剣先を躱す。
リディーの首を狙った剣先は、背後にいた私の胸元を掠めていった。
「おらっ!」
剣を振り終えた無防備のリズボンにディルクは腕を振って殴りつける。
「おっと……」と落ち着いた様子でリズボンは、トントンと軽快に後方へ飛び、ディルクの拳を回避した。
「失敗、失敗。わざと別の場所に音を出して、注意を逸らしたのですが、今回も駄目でした。やりますね、ヒヒヒィ……」
このトカゲ兵士、楽しんでいる。
兵士と言うだけあり、戦闘が好きなのかもしれない。
いや、単純に私たちをいたぶって面白がっているのだろう。
真正なサディストだ。
「では、次はどうでしょうか」
そう言うなり、またリズボンは透明になった。
これまでの事からリズボンの透明化は、ちょっとした衝撃で解除されるようだ。矢を弾いたり、本人が大きく動くと姿を現す。
その事が分かれば、解決策はある。
走って逃げれば良い。
リズボンが追い駆けてきたら透明化は解除されるし、解除する気がなければ逃げ切れる。
ただ、逃げた先にリズボンが待ち構えていたら一貫の終わりだ。やるなら透明化した直後だったので、すでに遅い。
ただ、一か八かやってみる価値はあるかもしれない。
「これでは、いつかやられるぞ!」
焦りの交じった声でリディーが叫ぶ。
「みんな、逃げ……」
「お前たち、浴場まで移動しろ!」
私が「逃げよう」と言い終わる前に、ディルクに遮られた。
ディルクは身を低くしながら頭のない兵士の死体の元まで駆け付けると、死体から剣を引き抜いた。
「早く、行け!」とディルクが剣を構えながら私たちの元まで戻ってくる。
ただ逃げるだけの私の案と違い、ディルクにも別の案があるようなので、素直に従う事にする。
急いで坑口浴場に移動すると、ディルクは水の張った樽を剣で叩き割り始めた。
「エルフ、手を貸せ!」
「僕の名前はリディーだ!」
「リディー、樽を壊せ! 水浸しにしろ!」
「分かった」
リディーは手刀を切るように腕を振って風の刃を放ち、遠くにある樽を壊していく。
ディルクは剣で、リディーは魔術で、次々と樽を壊す。そして、辺り一面水浸しになると、私を囲むように戻ってきた。
先程と同じ、前方をリディー、右側をディルク、左側をフリーデが各々武器を持って構える。
リディーとディルクは、水浸しになった地面を注意深く見つめる。
ただフリーデだけは、何だが様子がおかしい。
呼吸が荒く、顔色が悪い。
命懸けの状況なので緊張するのは仕方がない事だが、これでは何もせずに倒れてしまいそうだ。
「フリーデ、大丈……」
私がフリーデに声を掛けようとした時、「見えた!」とリディーが叫んだ。
水で泥濘んだ地面が、ポツポツと窪んでいた。
すかさず、リディーが矢を放つ。
だが、矢が届く瞬間、地面が大きく潰れると、上空に跳躍したリズボンが姿を現した。
「キェェーーッ!」
リディーの矢を躱したリズボンは、空中で剣を構え、私たちの元まで落ちてくる。
「散れ!」
ディルクは右へ、リディーは前方に回転するように避ける。
私はディルクのいる右側へ、ベチャと倒れるように回避した。
ただフリーデだけは反応が遅れ、空から落ちてきたリズボンの攻撃を剣で受け止める。
「きゃっ!?」
落下の衝撃も加わったリズボンの攻撃を受けきれなかったフリーデは、膝を折って倒れた。
スタッと綺麗に着地したリズボンは、何事もないかのように腕を持ち上げると、倒れているフリーデに剣を振り下ろす。
「やらせるか!」
泥濘に倒れている私を踏み付けたディルクは、剣を伸ばしてリズボンの剣を弾き返した。
「惜しい、惜しい。ヒヒヒィ……」
フリーデをやり損ねたリズボンは、トントンと後方へ下がり、笑いながら姿を消した。
「フリーデ、無事か!?」
リディーが心配そうに声を掛けるが、フリーデは地面に座ったまま返事はなかった。
「馬鹿野郎、死にたいのか!? もっと集中しろ! それでも兵士か!?」
ディルクが怒鳴ると、弱々しい顔をしたフリーデが顔を上げた。
「……わ、私は兵士だ。だからこそ、上官に剣を向ける事は出来ない。反抗すれば、抗命罪になる。私は、どうすれば良いんだ……」
フリーデは、自分の職務と現実に思い悩んでいたようだ。
私なら自分の命が第一なので、さっさと職務放棄をするのだが、真面目なフリーデはそれが出来ないでいる。
いや、真面目以前に、そのように教育され指導されたのだろう。
上官の命令は絶対で、決して歯向かわない。
それが本来の兵士の姿である。
「知らん。自分で考えろ」
冷たく言い放ったディルクは、フリーデから視線を外し、周りを警戒し始めた。
リディーはフリーデに向けて言葉を探すが、結局、何も思い浮かばず「フリーデ……」と呟くだけだった。
私もリディーと同じで、掛ける言葉が思いつかない。
だから……
「私の事は良いから今は自分の命を守って」
……と告げた。
私の気持ちが通じたのかは分からないが、フリーデはノロノロと剣を掴んで立ち上がる。そして、今まで通りの陣形で警戒に当たった。
水の濡れている範囲は小さい。
前回の反省を活かしたリズボンは、泥濘んだ場所を通らずに迂回をしているようだ。
「ねぇ、リディー。風の魔法で土埃を巻き上げられない?」
私は思いついた案をリディーに言うと、「無理だ」と返ってきた。
「今の僕は、小規模な魔術しか使えない」
「今って事は、前は使えたの?」
「詳しい話は後だ。生き残ったら教える」
リズボンの体に乾いた土埃が付着すれば場所が分かると思ったが、巻き上げる方法が無いので、私の案はボツになった。
「新人、お前は光を発する魔術が使えると報告を受けている。それでどうにか出来ないか?」
顔色の悪いフリーデが前方を気にしながら口を開いた。
フリーデに問われて、我に返る気持ちになった。
守られるのに慣れてしまった私は、自分から何かをしようという考えが抜けてしまっていたようだ。
「ああ、使える、使える! 試してみる価値はありそうだ」
詳しくは分からないし理屈もさっぱりなのだが、光学迷彩は光の屈折を利用したりして見えなくしているらしい。
それなら上から降り注ぐ太陽の光とは別の光を無理矢理当てれば、リズボンの姿を現す事が出来るかもしれない。
「リディー、構えて」
すぐに攻撃出来るようにリディーに指示を出すと、私は右手に魔力を集めた。
強い閃光を発する魔力弾は、私たちの視力まで被害が起きるので使えない。
それなら……。
「はっ!」
私は濡れた地面の外側に向けて、粘着魔力弾を三発ほど放つ。
右側、前方、左側と乾いた地面にベチャと落ちた魔力弾は、薄暗い浴場を明るく照らした。
「何!?」
兵士の死体が転がっている近くに、ノイズが走ったようのな歪な空間が現れた。
「見えた!」
すかさずリディーが矢を連続で二本放つ。
一直線に飛んだ矢は、姿を現したリズボンの剣で易々と弾かれる。だが、すぐ後ろを飛んできた二本目の矢が、反応の遅れたリズボンの左肩に当たった。
「ぬっ!」
リズボンは大きく後ろへ跳躍し距離を取る。そして、肩に刺さった矢を引き抜くと、軽く肩を回して、調子を確認する。
「肩に刺さったが、傷は浅そうだ。ただの矢では駄目だな」
リディーの言う通り、リズボンの皮膚は赤茶色の鱗に覆われているので、弓矢では致命傷を与える事は難しそうだ。
「いやー、お見事、お見事!」
湾曲した剣を握ったままリズボンは、パチパチと手を叩く。
「それにしても、不思議な光ですね。ただの光の魔力なら私の能力は解除されないのですが……不思議ですね」
リズボンは私の作った粘着魔力弾を眺めながら、ヒヒヒィと楽しそうに笑う。
何が楽しいのかまったく分からない。
「班長、いい加減にして下さい! 今も広場では魔物に襲われているんですよ! 遊んでいる暇はない筈です!」
叫ぶようにフリーデが訴えかけると、リズボンはコクコクと長い頭を動かして頷いた。
「ええ、そうでしたね。遊んでいる暇はなかったですね」
そう言うなり、リズボンは剣を構えながら、ゆっくりと私たちに向かう。
その目は真っ赤で殺気も消えていない事からフリーデの訴えは、まったく届いていなかった。
「透明になる事も出来なくなりましたし、これからは兵士らしく正面から教育してあげましょう」
大きな目をギョロギョロとさせながら、リズボンはヒヒヒィと笑った。




