213 トカゲ兵士 リズボン
兵士の土魔術で封鎖された坑口前。
そこにトカゲ兵士であるリズボンと漆黒のローブを羽織った二人の人物がいる。
私たちと一緒に広場に向かった兵士が「班長!」と声を掛けるが、リズボンは封鎖された坑口を眺めているだけで反応が一切なかった。
トカゲは変温動物だ。もしかしたら、朝の寒さで眠っているのかもしれない。
代わりに、謎の人物だけが私たちの声に反応し、ゆっくりと体の向きを変える。
フードを目深に被っているので顔は見えない。ただ体付きからして女性のような気がする。
謎の人物の一人が、呆然と壁を見ているリズボンの頭に顔を近づけると何かを囁いた。そこでようやくリズボンは、ゆっくりと私たちの方に体を向けた。
もう一人の謎の人物が私たちの方に指差すと、ギョロギョロと辺りを見回すリズボンの大きな目が私たちに固定した。
自意識過剰かもしれないが、謎の人物の指先は私だけに向いている気がする。
「リ、リズボン班長……ここで使節団の方と何をしているのですか?」
使節団?
そう言われてみれば、ルウェンの町で買い物に行った時、男爵の横に真っ黒なローブを纏った人物がいたのを思い出した。
ただ使節団の連中は、忽然と消えて居なくなったと聞いている。
リズボンと一緒にいるという事は、無事に見つけ出せたようだ。
それにしても、この雰囲気は何?
何とも言えない、気味の悪い空気が流れている。ピンと張りつめたような緊張感が漂っていて、ドキドキと胸が高鳴り、口の中が乾いていく。
こんな気味の悪い連中を無視して、さっさと広場に向かいたいのだが、フリーデや兵士が移動しないので、足止めのままであった。
まぁ、広場に行った所で、虫退治が待っているんだけどね。
今の状況を知りたいフリーデと兵士が何度も尋ねるが、リズボンの口から返事は得られなかった。
まるで意識のない人形のようで、ただそこに立っている置き物のようである。
距離を空けて声を掛けていたフリーデと兵士がリズボンに近づこうとした時、使節団の二人が後ろへ一歩下がる。そして、闇に紛れるように消えていなくなった。
「き、消えた!? 何処に行ったの!?」
リディーから驚きの声が発せられる。
私たちも驚きで目を見開く。
まだ薄暗いとはいえ、数メートル先にいた人物を見失う程、暗くはなかった。それなのに忽然と姿を消した。
残されたのは、何を考えているのか分からないトカゲ兵士のリズボンだけである。
「……どうして、あなたがそこにいるのですか?」
今までフリーデと兵士が呼びかけても反応すらしなかったリズボンが口を開いた。
リズボンの言うあなたとは、誰の事を言っているのだろうか?
もしかして、私の事ではないよね?
「あなたは、坑道内でキルガーアントに殺されている筈ですよ」
私の事だった!
「それがどうして、ここにいるのですか?」とリズボンは重ねて尋ねてきたので、私たちと一緒に移動してきた兵士が代表で答える。
「ほ、報告します。彼は……」
リズボンの近くまで移動した兵士は、坑道内に閉じ込められた囚人たちの状況を説明した。
私たち囚人は、第一炭鉱から逃げ延びた事、一時的に懲罰房へ入れた事、魔物の虫が襲ってきた事、魔物退治という体で懲罰房から出した事を簡潔に報告していく。
一通り聞いたリズボンは、半透明の目の膜をパチリとさせると、腰に下げていた鞘から湾曲した剣を引き抜いた。そして、「分かりました」と一言呟くと、剣先を横へ振った。
「えっ!?」
兵士が地面に倒れ、頭がゴロゴロと転がる。
リズボンの動きが余りにも自然だった為、一瞬、何が起きたのか理解出来なかった。
頭が無くなった体から血が流れ、地面を赤く染めているのを見て、ようやく理解する。
部下である兵士をいきなり斬り殺した。
殺す理由なんか無かった筈だ。
「は、班長! 何て事をしたんですか!?」
血の気を失せたフリーデが、上官であるリズボンに向けて叫ぶように尋ねる。
「何って、ただの教育ですよ。ヒヒヒィ……」
「教育って……ただの殺しですよ! 意味が分かりません!」
「上官の意志を汲み取れない無能の部下に教育を施しただけの事ですが?」
「何も殺さなくても……」
フリーデの言葉は全面的に同意である。
ここにいる者は、まったくリズボンの言っている事が理解出来ないでいた。
「理解出来ませんか? ……そうですか……仕方ありませんね。少し、過去の話をしましょうか」
やれやれと細長の頭を横に振ったリズボンは、大きな目をギョロギョロとさせながら話し始めた。
「私の生まれた村は、山奥にある名前すらない小さな村でした」
目の前に部下の死体が転がっているにも関わらず、ゆっくりとした口調でリズボンは語り続ける。
「そこには決して入ってはいけない洞窟がありました。親や目上の者から絶対に入るな近づくなと言われている洞窟です。理由を尋ねましたが教えてくれません。ただ入るなと言うだけです」
このトカゲは、何の話をしているのだ?
この場で話し始める内容とは思えず、リディーたちも怪訝な顔をしながらリズボンの様子を伺っている。
「ある日の事です。村の少年たちは、入るなと言われている洞窟に入りました。理由は単純。気になったからです。大人たちが何を隠しているのか、ただ、それが知りたくて入りました」
「…………」
淡々と語るリズボンの話を無言で聞いていく。
無視して広場に逃げても良かったのだが、兵士の死体が目に入り、下手に動いたら攻撃されそうで動けないでいた。
「狭く暗い洞窟内を仲間数人で奥へ向かうと、大きな竜がいました。真っ赤な鱗が光り輝いている赤竜が天井から差し込む光の下で寝ていたのです。それはもう、言葉に言い表わせない幻想的な光景でした」
そこでリズボンは口を閉じた。
大きな目を半透明の舜膜が覆う。人間でいう目を瞑っている状態なのだろう。
「ここで引き返していれば良かったのですが、余りにも偉大な存在に魅了されていた私たちは、もっと近くで見る為に近づいてしまったのです。そして、私たちの存在に気が付いた赤竜は目を覚ましました。赤竜は私たちを一瞥すると、天井に空いている穴から飛び立ちました」
そこで半透明の舜膜が開くと、リズボンは遠くを見るようにギョロリと空を見る。
「洞窟から出ると、村を中心に焼け野原が広がっていました。村人も森に棲む生き物も全て焼けて、煤すら残っていません。この光景を見た私たちは、ようやく大人たちの言葉の意味と重要性を理解したのです」
「それなら先に理由を教えておけば良かっただろ」
ぼそりと呟いたリディーの言葉をリズボンは聞き逃さなかった。
「確かにそうですね。ただ、当時の私は好奇心旺盛の悪ガキです。赤竜がいるから近づくなと言われたら余計に見に行っていたでしょう。結果は変わりません」
リズボンは溜め息を吐くと、真っ黒な目が徐々に赤く染まっていった。
「私は、この件で重要な事を悟ったのです。目上の者が言う事にはしっかりと理由があり、絶対に守らなければいけないと。個人の感情だけで行動してはいけないのです」
「…………」
「住む場所が無くなった私は、人間どもの街に辿り着き、生き延びました。人間の命令に従い、文句も言わずに黙々と働きました。辛い仕事もしました。汚い仕事もしました。そして、従順に目の上の者の言葉を信じ、生き続けた結果、今の私がいるのです。貴族の繋がりができ、沢山の部下に指示を出せる兵士の長になったのです。亜人の私がですよ! 分かりますか? これも偏に「やれ」と言われた事をやり、「やるな」と言われた事をやらなかったからです!」
口調が荒くなってきたリズボンの目が、完全に赤く染まる。
魔物が興奮したり怒り出すと目が真っ赤になるのは何度も見たけれど、火蜥蜴人の亜人であるリズボンも同じようである。
「それが何であなたが目の前にいるのですか!?」
目を真っ赤に染めたリズボンは、私の方に湾曲した剣を向けた。
「あなたは坑道内で死ななければいけなかったのです! 坑道内に閉じ込めて殺すように命令があったのです! 生きていては駄目なのです! やるべき事をやらない者は、愚か者だけです!」
「どんな理由で新人を殺すのですか?」
怪訝な顔をするフリーデが尋ねると、興奮していたリズボンが少し落ち着いた様子で答えた。
「理由など知りません。ただ命令があったから殺すのです」
「理由が分からないのに、殺すのですか?」
「私は兵士ですよ。命令があれば、従うのは道理でしょう。それを一々納得するまで上官に質問をしますか? あなたも兵士の一人なのですから、納得できないからと上官の命令を無視するなど兵士に向いてませんね」
困った部下を見るようにリズボンは頭を横に振る。
「兵士だからって……」
リズボンの言葉に、フリーデは黙ってしまった。
「俺からも一つ聞きたい。アケミ・クズノハを殺せと命令したのは誰だ?」
今まで成り行きを見守っていたディルクが口を開いた。
「決まっているでしょう。尊いお方ですよ。私の主です」
「主? テオドール・ロシュマン男爵か?」
「あんな醜い肉団子ではありません。私の主は……あるじ?」
そこでリズボンは言葉を詰まらせる。
そして、「主……主……」と呟きながら半透明の舜膜で目を閉じると、徐々に真っ赤だった目が普段の黒色へと変わっていった。
「言っている事が無茶苦茶だな。頭も行動も正常じゃない」
ディルクの言葉に全員が頷く。
リズボンの人生観については人それぞれなので、とやかく言うつもりはないが、誰かに命令されたからと言って、私を殺す為に坑道内に閉じ込めるなど迷惑な人生観だ。
「まぁ、いいでしょう……不甲斐ない部下の後始末は、上官が補うのが務めです。坑道内でキルガーアントに殺されなかったのなら、ここで私が殺しましょう。早いか遅いかの違いですからね」
そう言うなり、リズボンの舜膜が開かれ、再度、目が赤く染まっていく。
その目に睨まれた私は、蛇に睨まれた蛙のように筋肉が固まり、動けなくなった。
殺気。
私を殺す気だ。
どうして、そこまでして私を殺したいのだろうか?
リズボンに恨まれる事など思い当たる節がない。
いや、リズボンは誰かに命令されたから実行しようとしているだけだ。
そうなると、誰が私に死んでほしいと願っているのだろうか?
怪しいのは、先程までリズボンと一緒にいた二人だ。
使節団の二人。
フードで顔を隠していたので素顔は分からないが、私を殺したいほど恨んでいるのだろう。
一体、あの二人は何者なのか?
理由も分からずに殺されそうになるのは、非常に嫌な気分である。
「兵士長の私が直々に精根を注入してあげます。ついでに私の意志を汲み取れない部下や彼を取り巻く者も一緒にしてあげます。感謝はいりません。仕事の一環ですからね」
目を真っ赤に染めたリズボンは、私たちに剣を向けると「教育の時間です」と宣言した。




