21 リンゴ狩りを手伝おう
草木が疎らに生えた長閑な平原。
前方に小さな柵で囲まれた村に向かって、私はエーリカと手を繋いで歩いている。
おぼつかなかった足元もすでに治っており、ゆっくりと砂利道を進む。
見張りのいないリーゲン村の入り口に入る。
年季の入った木製の家が数十軒ほど疎らに建てられており、羊や豚が放し飼いでうろうろと自由に闊歩していた。
静かで平和な村である。
「冒険者の方ですね」
私たちの姿を見て若い青年が駆け寄ってきた。
「はい、冒険者ギルドの依頼で来ました」
私が挨拶をすると青年はリンゴ園にいる村長の元まで案内してくれる。
村の中を進むと、外で遊んでいた子供たちが近寄ってきた。
「お人形さんみたい」「綺麗」「可愛い」と子供たちが目を輝かせながら近づいてくる。もちろん、おっさんの姿の私ではなく、ゴシックドレスを着たエーリカの事だろう。
「お前たち、あっちで遊んでいなさい」
案内の青年が子供たちを追い払うが、子供たちは言う事を聞かない。
「構いません」
エーリカが子供たちに手を前に出すと、子供たちは嬉しそうにエーリカの手を握る。
そして、私たちは子供たちを引き連れて、村長のいるリンゴ園に向かった。
横へと枝を伸ばしたリンゴの木が均等に植えられている。
リンゴの香りが辺り一面に広がり気持ちが良い。
「お前たち、村長を探して来てくれ。一番に見つけた子が優勝だよ」
案内の青年が子供たちに村長探しをお願いした。
子供たちは蜘蛛の子が散るようにリンゴ園の中へ散っていく。
「村長が来るまでリンゴの取り方を教えます」
すでに刈り取られた葉と枝だけのリンゴの木を通り過ぎ、実の生えたリンゴの木まで青年の後に付いていく。
リーゲン村のリンゴは、日本のリンゴに比べて小ぶりであり、一つの枝に沢山の実が付いていた。
赤く染まっていない青みの強いリンゴである。完熟していないのか、またはそういった品種なのかは分からない。
「リンゴの実を持って上へと捻ると簡単に取れます」
青年は、左手で枝の端を掴んで固定し、右手でリンゴを掴んで上へと動かす。パキッと枝の折れる音と共にリンゴが枝から外れた。
お店で売っているような三センチほどの枝を付けた美味しそうなリンゴだ。
「リンゴを左右に捻ったり、下へ引っ張ったりはしないでください。上に動かせば簡単に外れます」
私とエーリカも試しにリンゴを取ってみる。
言われた通り、上へと動かせば、簡単に枝から外れた。
「良かったら食べてみてください。美味しいですよ」
言われた通り、一口かじる。
瑞々しさのあるリンゴだ。でも、甘みが少なく、酸っぱい。
「赤くなってから取らないんですか?」
「熟した方が甘みがでますが、保存を考えるとこのぐらいがちょうど良いんです」
青年にリンゴについて色々と聞いていると、子供たちの声が聞こえてきた。
子供たちに囲まれた初老の男性が村長だろう。
「リーゲン村へようこそ、冒険者さん。わしが村長のゲオルグです」
村長の挨拶に続き、私たちも軽く挨拶を済ませる。
「綺麗なお嬢ちゃんですね。娘さんですか?」
村長のゲオルグがエーリカを見て尋ねる。
当のエーリカは、一番に村長を見つけた少女に褒美として頭を撫ぜている。他の子供たちが「自分も」と集まり、もみくちゃにされていた。
「いえ、私の相方で、彼女も冒険者です。ちなみにあの服装は作業に向きませんか?」
私はエーリカが着ているヒラヒラ多めのゴシックドレスを指差す。
ちなみに私はいつも通りの恰好で、麻のシャツの上に皮鎧を着用している。
「いえ、大丈夫です。リンゴを取るだけですからお嬢ちゃんに問題がなければ良いです」
「それは良かった」
エーリカは同じ服しか持っていない。
「では、早速リンゴの収穫をお願いしてもいいですか?」
「もちろんです。その為に来ました」
案内してくれた青年と子供たちに別れを告げ、村長と共にリンゴ園の奥へ進む。
老若男女十人ほどの村人が各々リンゴを枝から取っては木の箱へ入れていた。
「まずはこの木をお願いします。傷んだ実や虫食いの実は別の箱へ分けてください」
村長は木箱を二つと木製の脚立を用意してくれた。
「さーて、やりますか」
服の裾を捲って、私たちはリンゴ狩りを始めた。
私は脚立を使って高い場所のリンゴを狩っていく。エーリカは低い場所のリンゴを狩っていく。
果実を育てる時は、摘果作業をすると聞いた事がある。
果実を美味しく、大きく、品質を良くする為に近くの実を間引きして、一つの実に栄養を行き渡らせるのだ。
ここのリンゴは、一つの枝に三、四つの実が密集して実っている。その為だろうか、小ぶりのリンゴばかりで、本当に取ってよいのか判断に困る。
エーリカは気にせず、ブチブチと取っている。
様子を見に来てくれた若い奥さんに聞くと、気にせず全部狩ってくれとの事。
それならと、黙々とリンゴを狩り続けた。
リンゴの木を丸裸にしたら、別の木に移動して、また狩る。そして、その木を丸裸にすれば、別の木へ移動する。
四本目の木に差し掛かった時には、サンサンと輝く太陽は真上まで来ていた。
喉が渇いたらリンゴを食べていいと言われているが、酸味が強いのであまり食べたいと思わない。逆にエーリカは、作業中にリンゴを六個ほど食べていた。
私は皮袋から水を飲む。そして、麻布で流れる汗を拭いているとエーリカの声が飛んだ。
「ご主人さま、汗を拭かないでください」
「えっ、どうして?」
「ご主人さまの頭に毛が生えています」
「どういうこと?」
私は無意識に頭を触ろうとして、はたっと気が付き、手を止める。
ツルツルの頭の天辺に小さな物が動いている。
「も、もしかして……」
冷や汗がでる。
毛穴が広がり、鳥肌が立つ。
「はい、毛の付いた虫です。これでご主人さまもハゲと呼ばれません」
毛が生えているではなく、毛虫が這っているの間違いじゃないの!?
「ちょ、ちょ、ちょっと、早く取って! 気持ち悪い、気持ち悪い!」
私はエーリカの方に頭を向ける。
「毒があるかもしれません。少し待ってください」
「はっはっはっ、冒険者さんは虫が苦手ですか。大丈夫です、この毛虫に毒はありません」
タイミング良く様子を見に来てくれた村長が、私の頭でウォーキングしていた毛虫を素手で取ってくれた。
「葉や実を食べ尽してしまうので、害虫の駆除も一緒にやってくれると助かります。毒を持つ毛虫も沢山いますので、見つけたら枝とかで落として、踏み潰してください」
そう言って、村長は隣のリンゴの木で収穫し始めた。
それ以来、リンゴの収穫の速度は極端に遅くなった。
今まで気がついていなかったが、葉っぱや枝に毛虫や枝に擬態した芋虫が目に付いてしまう。その都度、毛が逆立ち、思考が停止してしまう。
リンゴを取って、虫を発見し、動きが止まり、頑張って小さな枝で虫を地面に落とし、エーリカに踏んでもらう。この繰り返しである。
ある枝に沢山の毛虫が枝全部を占拠しているのを見つけた時は、仕事をほっぽりだして逃げ出したくなった。
はぁー、農家さんは凄いなー、とつくづく思う今日この頃である。
「冒険者さん、その木が終わったら休憩にしましょう。村の方へ来てください」
村長のゲオルグは、リンゴで一杯になった木箱を担いで行ってしまった。
リンゴを収穫する作業自体は大して疲れはしないが、虫と太陽によって私の精神と体力はゼロに近い。
村長の休憩宣言は非常に助かった。私は休憩欲しさにリンゴを狩る手が早くなる。
現金なものである。
村長が村に戻ってから五分後、丸裸にしたリンゴの木に別れを告げてから村へと戻った。
「ご主人さま、止まってください」
エーリカに言われ動きを止めると、小さい枝を持ったエーリカが私の背中やズボンを叩く。
「もしかして、毛虫が付いていた?」
「はい、三匹ほどいました」
「まだ居るかもしれない! もっと見て!」
「もう居ません。代わりにわたしも見てください」
万歳のように両手を広げるエーリカを至近距離で観察する。
傍から見ると、美少女をジロジロと見る変態おじさんだ。
エーリカの服は黒色な上、ヒダヒダが沢山あるので分かりにくい。それでも、二匹の毛虫を発見し、小枝で落としていく。
再度、村へ向かうが、まだ毛虫が服に付いているんじゃないかと思い、自分の服をまじまじと観察してしまう。
私ほどではないが、エーリカも気になるようで、歩きながら服をバサバサと動かしていた。
「どうも変なんだ」
私たちが村へ到着すると、村長を中心とした男性連中が話し合っていた。
「どうしました?」
気になって尋ねてみる。
「聞いてくださいよ、冒険者さん。動物たちが変なんですよ」
「変とは?」
私が催促すると、男性連中が話してくれる。
「村で飼っている羊や豚が落ち着かないんです。いつもはのんびりと日向ぼっこしたり、草を食べたりしてるけど、今日はあっちへうろうろ、こっちへうろうろと歩き回っているんだよ」
「鶏なんか外にすら出てこない。小屋に引きこもって、身を寄せ合うようにくっ付いてます」
「俺のところの犬なんか、地面を見て、吠えてたぞ」
うーむ、この村の動物が、普段どのような行動しているか知らない私には、変と言われても判断がつかない。
「もしかして、地震でも起きるんですかね?」
大地震が起きる前、動物が異常行動を起こすと聞いた事がある。
深海生物が浅瀬へ浮上したり、カラスが一斉に鳴きだしたり、ネズミが急にいなくなったりとか、色々と事例があるそうだ。
「地震? 何だね、それは?」
「地面が揺れる現象の事ですが、この辺では起きませんか?」
「知らんな。魔法か何かかな? それとも魔物の仕業か?」
この辺では地震は起きないみたいだ。
「エーリカは何か分かる?」
「それだけでは判断つきません。情報が不足しています」
私たち大人たちは、顎に手を当てて「うーむ」と唸っていると、村長が解散を告げた。
「お嬢ちゃんの言う通り、ここで変だ変だと言っていても分からないものは分からない。様子を見るしかないじゃろう。ほれ、解散じゃ、解散」
皆、煮え切らない顔をしながら渋々と散って行った。
私たちは、村長の家に招待された。
村長の家は、庭に朽ち果てた木製のブランコのあるだけで、他の家と大して変わらない。
玄関の外壁に沿って庇が突き出ており、ポーチの下に机と椅子が置かれている。そこに優しそうな細身の女性がいた。
村長の奥さんだろう。
「いらっしゃい、冒険者さん。軽食を持ってくるから椅子に座っててね」
「手伝います」
私はそう言って、家の中へお邪魔する。
家の中はワンルームの部屋のように、竈も台所もベッドも物書き机も一つの部屋にまとまっている。火を起こす竈には煙突が無い為、部屋全体が煤で汚れていた。
私は、奥さんから料理の乗った皿を受け取る。
茶色く煮込んだリンゴをパンの上に乗せた料理だ。
これって、アップルパイ!?
それだったら嬉しい。
この異世界に来て初めてのお菓子である。
飲み物はリンゴ酒だったので、丁重にお断りし、お湯を借りてミント茶を作った。そして、その中に角切りにしたリンゴの実を入れて、アップルミントティーを作ってみた。
まぁ、本当のアップルミントティーって、リンゴの実ではなく、アップルミントというハーブを使うんだけどね。
私たちはポーチの下の机に料理を並べ、休憩に入る。
さっそく気になっていたアップルパイもどきを食べてみた。
「……ッ!? 甘い!?」
この異世界に来て初めての甘み。
日本で食べていたお菓子に比べて甘みは少ないが、リンゴの味が全面に出ていて非常に美味しい。
パイ生地の代わりに硬いパンであるが、これはまさしくアップルパイだった。
シナモンが入っていないのが悔やまれるが……。
「凄く美味しいです。村長の家には砂糖があるんですか?」
私が住んでいる街では、砂糖を見た記憶がない。
もし砂糖があれば、買い取りたい。
お金は無いけど……。
「まさか、砂糖なんて高くて手が出ないよ」
奥さんが笑いながら手を振る。
「えっ、でも、この料理は甘味料が使われてますよね」
「甘味料? よく分からないけど、カブに似た野菜から作った粉を使っているんだよ」
話を聞くと、家畜用に育てているカブに似た野菜から砂糖もどきが取れるらしい。
葉っぱの部分は家畜のエサにし、使わない根は粉になるまで煮詰めると作れるとの事。
それって砂糖大根かな? 日本でも作られている砂糖大根の根から甜菜糖が取れて、体に良いとテレビで見た事がある。
まぁ、ここは異世界だから砂糖大根とは別の植物かもしれない。
借金を返済し、お金に余裕が出来たらお願いして売ってもらおう。
「おかわり!」
黙々とアップルパイもどきを食べていたエーリカが空の皿を掲げる。
「エーリカ、行儀の悪い事をしない」
私がエーリカを叱ると、奥さんが「良いんですよ」とほほ笑んで、エーリカの皿に新しいアップルパイもどきを乗せる。
「まだありますから、遠慮なくお代わりをしてください」
奥さんの言葉に甘えて、私もお代わりをお願いしたかったが、その土台であるパンが硬くて、一切れだけで我慢した。
体力や筋力よりも、先に顎を鍛えるべきだろう。
私はアップルミント茶を飲みながら、村長夫妻の話を聞いていると、村の子供たちがエーリカの元へ集まってきた。
みんなエーリカよりも(見た目)年下なので、「お姉ちゃん」「お姉ちゃん」と慕っている。
エーリカも満更じゃない様子で、子供たちの相手をしている。
そういえば、エーリカは六番目の末っ子と言っていた。もしかして、「お姉ちゃん」と言われるのが嬉しいのだろうか?
そんな状況なので、自然とエーリカについて村長夫妻が聞いてくるが、正直に「彼女は人形です」と答えると、余計に質問攻めにあいそうなので、話を逸らす事にした。
「リンゴの収穫をしている時、枯れたリンゴの木を幾つか見かけましたが、あれは病気でなったんですか?」
均等に並んでいるリンゴの木には、実も葉もない枝だけの枯れたリンゴの木を見かけた。
「あれか……」
村長が顎をさすり、目を細める。
「病気だけでは、あそこまで枯れない。原因は分からんのだ」
「じゃあ、虫ですかね? 根切り虫とかコガネムシとか、根を食べる虫はいますよね」
「成長したリンゴの木の根を食べて枯らせるほどの虫はいません。もしいるとしたら、とても大きな虫でしょうね」
巨大な芋虫を想像して、鳥肌が立つ。
「それで、あの枯れた木はどうなるんです? 処分ですか?」
「あそこまで枯れてしまっては駄目だな。薪の代わりだろう」
「それなら、少し譲ってくれませんか?」
私はある事を思いついて、図々しく欲しいアピールする。
「あんなのが欲しいのか? 別に構わないが、何に使うんだい?」
「料理に使おうかと」
料理と聞いて、エーリカが子供たちの輪から離れ、私の元へ戻ってきた。
「ご主人さま、何を作るつもりですか? 手伝いますよ」
「リンゴの木を使って、燻製でも作ろうかと思って」
一度、アパートのベランダで燻製を作った事がある。
ネットショップで使い捨て燻製セットを購入し、ベーコンとチーズとゆで卵を桜チップで燻製にした事がある。ただ、市販で売っているベーコンやスモークチーズに比べ、たいして美味しくなかった。
だが、ここは異世界だ。
異世界のベーコンも燻製にしてはいるのだが、ただ乾燥させただけの香りのない豚肉である。
ボソボソのソーセージやチーズも燻製にすれば、種類の少ない異世界料理を楽しめると思った。
「はぁー、リンゴの木で燻製ね。変わった事を考える冒険者だね」
村長は枯れたリンゴの木を好きなだけ持っていって良いと許可を出してくれた。
ただ、幹に関しては、根本から掘り出して、切り分けないといけないので、後日になるそうだ。
早速、私たちは枯れたリンゴの木に向かう。
冬の落葉樹は、葉が落ちて枝だけになっていても、生きている木だと感覚で分かる。だが、この枯れたリンゴの木は、素人が見ても死んでいると分かる程の枯れ模様だ。
何となく地面に落ちている枝を使って燻製にするのは嫌だったので、本体に生えている枝を折って貰っていくつもり。
リンゴの木の枝は、水分が抜けているのか、体重をかけて二、三回捻ると簡単に折れた。
折れた枝をエーリカに収納してもらい、もう一本折る。
「はい、エーリカ」
私がリンゴの木の枝をエーリカのいる方向に伸ばすが受け取ってもらえない。
どうしたのだろう? と振り向くと、エーリカの姿が消えていた。
「あれ? エーリカ、どこ行った?」
私が声を掛けると地面の方から「ここです」と声がした。
地面を見ると、幼い手が生えている。
「ここです。地面の中です。穴に落ちました」
地面に生えている手が左右に揺れる。
私は手を握って、引き上げる。
ちょっと土で汚れたエーリカが現れた。
「酷い目に遭いました」
「どうして、こんな大きな穴が?」
「地面の中で大きな横穴が続いています。地中の穴と地面が薄かった場所にわたしが乗って、崩れたのでしょう」
「えっ、地中に穴が? お嬢ちゃん、ちょっと退いてくれ」
村長はエーリカが落ちた穴に近づき、穴の周りの土を足で崩していく。
そして、広がった穴に上半身を入れ、地中の中を観察した。
「……これはいかん」
土で汚れた村長が呟く。
「どうしました?」
私が聞くと、村長は青褪めた顔で言った。
「大ミミズだ」
リンゴ狩りです。
虫に負けず、頑張っています。
初の甘味も頂きました。
そして……