209 脱出 その1
坑道内に閉じ込められた。
確かに坑道を封鎖する事は理解できる。
ドワーフの国を滅ぼした事例がある魔物だ。もしキルガーアントが地上に出れば、砂漠と山に囲まれたこのルウェンの町は、蟻の大群に滅んでしまう可能性がある。
だからと言って、私たちを坑道内に残す理由はない。
まだ私たちの元までキルガーアントは来ていない。外に逃げる時間はあったのだ。
それなのに、わざわざ魔術攻撃までして閉じ込めてしまう理由が分からない。
今この場にいるのは、私を含め十人だけ。
こんな人数であの数のキルガーアントを足止め出来る筈がない。
その事は、逃げ延びた囚人からの報告とキルガーアントの危険性を知っている兵士ならそのぐらい分かる事だろう。
本当に足止め目的だったとしたら、とんだ節穴である。
それとも別の目的があるのだろうか?
「おい、どうするんだ!? このままじゃ蟻どもの餌にされるぞ!」
「足止めすれば生き残れるか?」
「数匹潰した所で、すぐに囲まれて噛み殺されて終わりだ!」
「どこかに隠れよう」
「どこに隠れるんだ!? 水の入っている樽にすら体は入らねーよ!」
「ドワーフ、お前、穴掘りが得意だろ! 兵士が塞いだ入口を掘れ! 人一人が通れる程度の穴ならすぐだろ!?」
「無理、言うな! 道具も無いんだぞ。それに塞いだのは魔力を帯びた土だ。その辺の土と違って、簡単に掘れる土じゃねー!」
余裕のない囚人たちが、あーでもないこーでもないと言い合う。
空気の通りが無くなった薄暗い坑道内。それもすぐにキルガーアントが襲ってくる状況だ。みんな、イライラが募って、怒鳴り合いが始まる。
「そうだ! お前、魔力が使えただろ! 壁を何とか出来ないか?」
「ど、どうだろう……?」
囚人の一人が期待に満ちた顔で私の顔を見てきた。
たぶんだが、レジスト能力を使えば、魔力を帯びた土をただの土に変える事は出来るだろう。そうすれば、普通に穴が掘れると思われるのだが……その後はどうするつもりだ?
「おいおい、もし壁に穴を開けて外に出れたとして、兵士はどうするんだ? 間違いなく、見張りを立てているぞ。穴から顔を覗かした瞬間、殺されてお終いだ」
囚人の一人が、私と同じ考えを述べた。
「穴を空けるのも駄目、隠れるのも駄目、戦うのも駄目ときた。どうするんだ!?」
本当にどうすれば良いのだろうか?
―――― 第一炭鉱 ――――
「えっ、第一……炭鉱?」
突然、『啓示』の言葉が頭に流れたので、つい同じ言葉を呟いてしまった。
そうしたら……
「それだ!」
……と、私の言葉を聞いたハンスが、私を指差した。
「第一炭鉱だ! 町の住人が掘っている坑道!」
ハンスが、みんなの顔を見ながら説明し始める。
「蟻どもが現れたのは、ついさっきの事だ。ここから離れた第一炭鉱ならまだ入口を封鎖されていないと思う。第一炭鉱まで行けば、外に出られる筈だ」
「だが、どうやって、そこまで向かうんだ?」
「少し戻った所に第一炭鉱と第二炭鉱が繋がっている分かれ道があるだろ。そこから坑道内を通り抜けるんだ」
「兵士が見張っているぞ」
「ここまで来た時、通り過ぎただろ。あいつらは居なかった」
ハンスの言う通り、第一炭鉱に繋がる分かれ道を通り過ぎた時には、誰も居なかった。キルガーアントの報告を聞いた兵士らは、仕事を放棄して逃げたのだろう。
「俺はハンスの案に賭けるぞ」
ブラッカスが言うと、ハンスが感動したように「親分……」とニヤニヤしていた。
「まぁ、それ以外にないわな。蟻どももすぐそこまで来ているし、穴なんか掘っている時間はない」
何事も無いように横坑の奥を指差すドワーフの言う通り、奥からカサカサ、ギギギィとキルガーアントが迫る音が近づいて来ている。
「クソ、もう追い付いて来たのか!」
「あの数を見ろ! 分かれ道までどうやって行くんだよ!?」
泣き言を言う囚人が指差すと、横坑の奥から地面を塗り潰す量のキルガーアントが迫って来ていた。
あの中を突き抜けるのは、自ら食われに行くのと同義である。
「おで、任せろ。突破、する」
話し合いを遠くから見ていたオルガは、胸に拳を当てると、線路の途中で放置されているトロッコまで向かった。そして、「付いて来い」と私たちに言うとトロッコを押し始めた。
荷台が空とはいえ、トロッコは鉄の塊だ。それを一人で押しているのだからオルガの筋力は並ではない。
「ウガァーッ!」
雪を掻き分けるラッセル車のように地面を覆い尽くすキルガーアントを轢き潰しながら突き進んでいく。
私たちはオルガに置いて行かれないよう、線路上のキルガーアントの残骸を踏み潰しながら後を追う。
キルガーアントの残骸に足が滑りそうになったり、枕木で足を取られそうになるが、オルガが先導してくれるので、何とか横坑を走る事が出来た。
ただ、辺り一面キルガーアントに覆われた坑道である。トロッコで轢き潰した跡を走っても、次から次へと埋め尽くしてくる。
「……痛ッ!?」
数匹のキルガーアントが足から這ってきて、衣服越しに噛み付いてきた。
立ち止まっている余裕はないので、走りながら手で叩いてキルガーアントを潰していく。
私と同じように、前方を走る囚人たちの体にもキルガーアントが這っていた。
それでも足を止める者はいない。
みんな、生き残る為に必死だった。
第一横坑は、岩盤を迂回しながら掘り進めているので、右へ左へと蛇行している。
何度目かのカーブを回ると、ようやくお目当ての分かれ道に辿り着いた。
「ウガァァーー!」
雄叫びを上げたオルガは、押していたトロッコを離す。
二股に別れている片方の道をトロッコだけが進み、キルガーアントの塊にぶつかって止まった。
私たちの目的地は、トロッコが進んだ道とは別のもう一つの道。
普段は兵士が立ち、囚人を入れないよう監視しているが、今は木板の柵で道を塞いでいるだけだった。
この奥を進めば、一般炭鉱夫が働いている第一炭鉱へ辿り着ける筈である。
「早く、入る。蟻、噛まれると痛い。すぐ、入る」
先頭を走っていたオルガが、木柵を退かして、私たちを横坑へ入れる。
キルガーアントも私たちと共に入ってくるが、数匹ぐらい気にしない。
全員が入ったのを確認したオルガは、キルガーアントに体に噛み付かれながら横坑に入り、木柵を元に戻す。
そして、私たちは第一炭鉱の坑口に向けて、またもや走り続けた。
第一炭鉱と第二炭鉱を繋ぐ横坑であるが、一本道ではなかった。
ここも炭層を探す為に無作為に掘り進めたようで、分かれ道が多数存在している。
ただ、現在は使われていない横坑の為、行き止まりなどは木板で封鎖されているので、迷う事はなかった。
私たちは、後ろを気にしつつ、狭く、薄暗い横坑を走り続ける。
空気の通りが悪く、ゼイゼイ、ハァハァと息苦しく走る事しばらく、第一炭鉱と思われる場所に辿り着いた。
しかし、そこは……。
「これ、どうするんだよ」
私たちは足を止めて、棒立ちしている。
目の前には、木板と木柱で通路を封鎖している格子状の扉があった。
格子の隙間を覗くと、向こう側で閂のように横木で固定されている。
格子の間から手を入れて、横木を外そうとするが、位置が悪過ぎて持ち上げる事が出来なかった。
「ブラッカス、オルガ、手を貸せ。体当たりをするぞ」
ルドガーは、体格の良い二人に声を掛ける。
ちなみに、体格だけなら私も良い体付きをしている。だが、声を掛けられなかった事から、ルドガーには偽筋肉であると判断されれているのだろう。
そんな三人は、扉に向けて肩をぶつけるが、ビクともしなかった。
「ふざけんな! ここまで来て、足止めかよ!」
悪態を付いたルドガーは、扉に向けて蹴り飛ばすが、やはりビクともしない。
「おい、フランツ! このクソ扉を壊せる道具が落ちてないか探して来い!」
ブラッカスが命令すると、子分の一人であるフランツが「分かった」と来た道を戻る。
だが、悲痛の叫びを上げながら、すぐに引き返してきた。
「た、助けてくれ! 蟻どもを剥がしてくれ!」
凄い勢いで戻ってきたフランツの体には、無数のキルガーアントが群がっている。そのフランツは、すぐにキルガーアントの顎の痛みで、その場に倒れてしまった。
「今、助ける!」
私は右手に魔力を集め、光の魔力弾を放つ。だが、魔力弾が破裂する前に、フランツは地面に爪を立てながら通路の奥へと引っ張られてしまった。
薄暗い横坑を強い閃光が迸る頃には、フランツの姿はない。代わりに、通路の奥から悲鳴が聞こえた。
「ぐぬぬぅぅーー……」
フランツに命令を出したブラッカスは、顔を真っ赤にしながら歯を食いしばっている。そして、フランツを助けに向かう事はせず、扉に向けて、拳を叩き付けた。ゴツン、ゴツンと鈍い音を出しながら、何度も何度も殴り続ける。ブラッカスの拳の皮は破れ、扉を赤く染めていく。
それでも扉は壊れる様子はなかった。
「蟻どもが戻って来たぞ!」
「私が魔力で食い止める。こっちを見ないで、扉を何とかして!」
みんなに伝えると、近づいてくるキルガーアントの群れに魔力弾を放つ。
弾かれるようにキルガーアントが倒れ、動きを止めるが、後から来たキルガーアントが倒れたキルガーアントを乗り越えて、向かってきた。
「はっ、はっ、はっ!」
何度も何度も光の魔力弾を撃ち、キルガーアントの山を作り上げていく。
次から次へと来る。
まったく切がない。
これではジリ貧だ。
囚人たちが自分たちの体を使って、扉を壊そうと必死になっているのを背中越しで感じる。
このまま扉が開かなければ、私たちは終わりだ。
「扉はどう!? 何とかなりそう?」
「無理だ!」
魔力弾の閃光から顔を逸らしながら私が聞くと、ドワーフがすげなく答えた。
その言葉を聞いた私たちは、動きを止める。
死刑宣告を言い渡された気分で、頭が真っ白になってしまった。
逃げ場のない場所。抗えない数の暴力。待っているのは餌として死ぬ運命。
誰もが諦めかけた時、救いの声が聞こえた。
「おーい、そこに誰か居るのか?」
扉越しの右側の通路から小さな明かりが近づいてくる。
「い、居るぞ! 閉じ込められている! 閂を外してくれ」
囚人たちが格子状の隙間から声を掛けると、ランタンを持った青年が駆け足で寄ってきた。腰には色々な道具がぶら下がっているのを見るに一般炭鉱夫だろう。
「何をしているんだ、お前たち? 緊急の退去命令が出ているのを知らないのか? 俺が見回りをしていなかったら、このまま閉じ込められていたぞ。それで、どうして立ち入り禁止の通路に入っ……えっ、囚人!?」
扉越しに私たちの姿を見た青年は、ギョッとした顔をする。
ルドガーは、格子の隙間から腕を伸ばして、後退る青年の襟を掴んで引き寄せた。
「逃げる前に扉の閂を外せ! このまま首の骨をへし折るぞ!」
青白い顔をする青年は、無言でコクコクと頷くと襟を掴まれたまま横木を外す。
ギギギィと音を出しながら錆び付いた扉が開くと、我先にと囚人たちが扉を越えて、第一炭鉱の通路に出て行った。
一番後ろにいた私は、「もう一発、撃つ!」と叫び、迫りくるキルガーアントに向けて光の魔力弾を放った。
薄暗い坑道内に閃光が走ると、「目がぁーっ!?」と青年の叫び声が聞こえた。
囚人たちは私の魔力弾の威力を知っているので、顔を逸らしたり、目を隠したりして閃光を防ぐが、何も知らない青年はまともに閃光を見てしまったようだ。
そんな青年を無視して、私は急いで扉を越える。
私が出るとすぐに囚人たちが扉を閉めて、閂に横木をはめて固定した。格子状の隙間が空いているが、やらないよりかは良いだろう。
「た、頼む……命だけは取らないでくれ!」
両目を押さえて命乞いをする青年。何か勘違いをしているようだ。
「俺たちは脱走している訳じゃない。蟻どもから逃げてるんだ!」
「あれを見ろ!」とルドガーは、青年の首根っこを引っ掴むと扉越しにキルガーアントの姿を見せた。
目をショボショボとしている青年は、薄暗い坑道内を凝視すると、「ヒィ!?」と乾いた悲鳴を上げた。
「な、何だ、あれは!?」
「キルガーアント、蟻の魔物だ! 俺たちが掘っている第二炭鉱はあいつらに埋め尽くされた。ここもすぐにそうなるぞ。蟻のクソになりたくなかったら、出口まで案内しろ!」
扉の隙間からワラワラと進入してくるキルガーアントを私たちは踏み潰していく。そんな姿を見た青年は、フラフラと立ち上がると、地面に落したランタンを拾った。
「わ、分かった……付いて来てくれ」
力無く頷いた青年は、左側の通路へと行こうとする。それを見たルドガーは、青年を引き留めた。
「ちょっと、待て。お前は反対から来ただろ? そっちで間違いないのか?」
今立ち止まっているのは、T字路の分岐点である。
青年は左右に伸びる横坑の右側から来たのは私も見ていた。
「そっちは炭鉱の奥へ続いていて、ガス溜まりや粉塵塗れの古洞ばかりだ。俺は緊急退避を聞き逃した炭鉱夫がいないか、見回りしていたからそっちから来たんだ」
「本当か? こんな状況で迷子はご免だぞ」
「間違いない。ここで働いているんだ……って、うわっ、蟻が足に!?」
青年は足をバタバタと動かして、キルガーアントを振り払う。そして、逃げるように左側の通路へと行ってしまった。
「俺たちを置いていくな!」と囚人たちも青年の後を追い駆ける。
私も逃げ遅れないように、後を追い駆けようと足を動かすと……
―――― 駄目 ――――
……と『啓示』から待ったが掛かった。
何が駄目なのだろうか?
私は『啓示』の考えが分からず、その場で立ち止まると……
―――― 反対の道に行こうねー ――――
……と、『啓示』から指示が出た。
…………。
……マジか!?




