208 黒い絨毯 その2
ブラッカス、ルドガー、ハンス、そして私が折り重なるように地面に倒れる。
何とか無事に隙間から脱出して、第二横坑へ戻る事が出来た。
だが、危機はまだ去っていない。
私たちが出た事により隙間の入口から赤茶色した親指サイズのキルガーアントが溢れ出てきた。
体に落ちてくるキルガーアントを手で払うと、私は急いで立ち上がり、スコップを突き出して、魔力の壁を作り出す。
隙間の入口を覆うように光の壁が広がると、栓をするように溢れ出るキルガーアントを押し込んだ。
魔力の壁越しに目を真っ赤に染めたキルガーアントが埋め尽くす。
「お前たち、無事だったようだな」
先に脱出していたドワーフと囚人たちは、隙間の入口から溢れ出たキルガーアントを潰しながら感心している。
「ああ、肩幅が少し小さくなったがな」
両肩から血を流しているブラッカスも四つん這いになりながら、手でバンバンと潰して回っている。
「呑気に話してないで、こっちを何とかして! これ以上、押さえ切れない!」
スコップを握っている手が震え出した私は、後ろにいる囚人たちに向けて叫ぶ。
魔力はまだ大丈夫。だけど、集中力が切れそうだ。
何度も死に掛けて精神的にボロボロのうえ、大量のキルガーアントから押し返されないように踏ん張り続けている。そんな状態でスコップに魔力を送り続けているのだ。いつ集中力が切れてもおかしくない。同じ魔術を継続的に出し続けるのが、これほど大変とは思わなかった。
「安心しろ。対策はある」
後ろを振り向くと、ドヤ顔のドワーフが木材を持って仁王立ちしていた。その横には、支保から取り外した木材が積み重なっている。
「なに、それで蟻をチマチマと潰す気? あっという間に取り囲まれて、ミンチ肉になるわよ!」
「ミンチっていうのは分からんが、そんな馬鹿な事は考えてない。洞窟の入口を塞ぐだけだ」
このまま逃げても大量のキルガーアントは私たちの後を追って地上まで来てしまうだろう。そうなれば、囚人や兵士、さらに町人まで被害が出る可能性がある。そんな先の事まで見越して、入り口を塞ぐとドワーフは言った。
「お前ら、準備をしろ!」
この場に残っている囚人たちに指示を出したドワーフは、私の後ろに移動する。
「私は、魔力の壁を消したら後ろに下がって良いの?」
「その前に蟻どもの数を減らしてくれ。今のままでは木材を入れる事もできん」
隙間の中はキルガーアントで寿司詰め状態だ。ほんの僅かの隙間すらない。そんな状況なのにキルガーアントたちはお互いに押し潰されないのか不思議でならない。
「数を減らせって、どうやって?」
「何とかしろとしか言えん。魔力の壁を張った状態で木材を入れる事もできん」
「ああ、もう! やってやるわよ!」
私の近くに木材を持った囚人たちが、いつでも入口を塞ぐ事が出来るように待機する。その姿を確認した私は、大きく息を吐くと、スコップに魔力を流すのを止めた。
カーテンのような光の壁が煙のように霧散し消える。
光の壁が無くなった事で寿司詰め状態だったキルガーアントは、壁が崩れるのように私の方へ雪崩れ落ちてきた。
スコップを前に掲げていた腕にキルガーアントがボタボタとぶつかり、股下を這っていく。
後ろに控えている囚人たちが急いでキルガーアントを潰して回る。
私の足元から何匹か這い上がってきた。
鳥肌が立ち、今すぐにでも逃げ出したい気持ちになるが、スコップの柄を強く握り締めて我慢する。
こうなる事ぐらい予想が付いていたので、何とか自制が保てていた。
ワラワラと坑道内に進入してくるキルガーアントに意識を逸らして、スコップに魔力を流す。
「……『光刃』!」
キルガーアントに埋め尽くされている隙間に向けて、スコップを振り下ろす。
刃先から飛び出した光の刃は、バリバリバリッと大量のキルガーアントを切り裂きながら隙間の奥へと消えた。キルガーアントの残骸が水と共に流れてくる。
私は急いで後ろに下がり、体に付いたキルガーアントを手で叩いて潰した。
「良くやった! お前ら、いくぞ!」
ドワーフと囚人たちが、隙間の入口を埋めるように木材を突っ込んでいく。
長さも形もバラバラの木材の為、縦に入れたり、斜めに入れたり、地面に置いたりと、無造作に入口を塞いでいった。
「くそっ、もう蟻どもが戻ってきやがった!」
カサカサとキルガーアントが積み重なっている木材を乗り越えてくる。
そんな中、一人の囚人から叫び声が上がった。
キルガーアントが群がる隙間に、無理矢理、木材を突っ込んだ所為で、囚人の片腕にキルガーアントが群がり、奥へと引き摺られていく。
「テオ!?」
ルドガーが腕を伸ばして、テオと呼ばれる囚人の片腕を掴んだ。だが、キルガーアントたちの力の方が強く、引き留める事が出来ない。徐々に腕から体へ、そして顔をキルガーアントに覆われていった。
「兄貴、助け……うごぅ!?」
ルドガーに助けを乞うテオの口にキルガーアントが潜り込む。
テオの体がビクンと跳ねると、ルドガーは手を離してしまった。
次から次へとキルガーアントが口の中に入っていくと、テオの眼球がグルンと上を向いた。そして、体中にキルガーアントに覆われ、隙間の奥へと消えていった。
「テオーッ!?」
キルガーアントが犇めく隙間にルドガーが腕を伸ばし中に入ろうとするのをブラッカスが肩を掴んで引き留める。
「もう無理だ! お前まで食われるぞ!」
「離せ、馬鹿! あいつは俺の相棒だ! 今なら助け出せる!」
テオを助ける為に隙間の奥へ入ろうとするルドガーをブラッカスが羽交い絞めにして動きを封じる。
「退いて!」
私は、二人に叫ぶと隙間の前に移動した。
右手に魔力を集め、木材の隙間に光の魔力弾を放つ。
隙間の奥に魔力弾が弾けると壁や天井を埋め尽くしていたキルガーアントがボタボタと地面に落ちた。
強い閃光で明るくなった隙間の中にテオの姿はない。
すでに洞窟内まで運ばれたのだろう。
その光景を確認したルドガーは力が抜けたかのように地面に座り込んでしまった。
「今の内に入口を埋めるぞ!」
ドワーフと他の囚人たちが動き出した。
………………
…………
……
「これで終わりだ」とドワーフが、木材の合間に大きな岩を埋め込んだ。
みんな疲れ切って、地面に腰を落としている。
相棒を失ったルドガーは虚ろな目で地面に散らばっているキルガーアントの残骸を見ていた。
テオは、私が描いたラースの絵を買ってくれた囚人である。そんな顔見知りの囚人が目の前で酷い死に方をした事で、私も嫌な気分に陥っていた。
「おらおら、さっさと立ち上がれ。地上に戻って、飯を食うぞ。俺は腹減った」
ブラッカスは自分の腹筋を擦りながら、地面に座っている囚人たちを立たせていく。
「お前もだ。辛気臭い雰囲気を出しても、似合わねーんだよ」
ブラッカスは、落ち込んでいるルドガーにも声を掛ける。そんなブラッカスにルドガーは「うるせー」と吐き捨てるとフラフラしながら立ち上がった。
それを合図にみんな腰を上げて、地上へと歩き始めた。
急いで掘り進めた第二横坑の最奥。
今頃になって気が付いたが、第二横坑で作業をしているはずの囚人や兵士の姿が一切見えない。
無造作に道具が地面に落ちているのを見るに、キルガーアントの報告を聞いて、急いで地上へ避難したようだ。
今この第二横坑には、キルガーアントから生き残った私たち以外、誰もいない。
時たま聞こえる水滴の音しかしない。とても静かだ。
……いや、別の音が聞こえる。
ガリガリ、バリバリと何かを削っている音だ。
歩みを止めた私たちは、不安そうに周りを見回すと、ある場所に目がいった。
狭い横坑の壁である。
そこから音が聞こえる。
「おいおい、まさか……」
誰かの呟きを聞きながら、壁を凝視していると土くれの壁が膨らんでいく。
そして、ボロボロと壁が崩れると赤茶色した物体が顔を出した。
「こいつら、穴を掘って来やがった! それも大きい!」
大きいと言っても、拳サイズぐらいのキルガーアントだ。
巨大キルガーアントは門番、親指サイズのキルガーアントは歩兵と言っていたので、さながら拳サイズのキルガーアントは、穴掘り担当かもしれない。
「次から次へと、クソ蟻ども!」とルドガーが壁ごと拳サイズのキルガーアントを殴り、粉々にする。
それを合図に壁の至る所が膨れ上がり、キルガーアントの頭が現れた。
モグラ叩きのように穴から現れたキルガーアントを潰して回っていると、後方でゴロンと何かが地面に落ちる音がした。
隙間の入口を埋めていた岩が落ちている。そして、適当に積み重ねていた木材や岩が次々と崩れ、入り口が開放されてしまった。
「おいおい、簡単に壊れたぞ! 意味無かったじゃないか!?」
「文句言ってないで、逃げるぞ! 蟻どもが来やがった!」
隙間の入口や壁の穴から大量のキルガーアントがワラワラと飛び出してくる。
またもや私たちは、キルガーアントに追い駆けられるように逃げ出した。
光源の少ない狭い横坑を駆け出す。
炭層を探す為、手当たり次第掘り進めた横坑は迷路のようで、分かれ道が沢山ある。
帰り道を覚えていない私は、前方を走る囚人を見失わないように追い駆けた。
途中でスコップを落としてしまったが、取りに戻る余裕はない。
後方から叫び声が聞こえた。
振り向くと一人の囚人が地面に倒れている。
手を伸ばして助けを求めているが、すぐにキルガーアントに埋め尽くされてしまった。
「振り向くな! 走れ!」
後ろを走る囚人に怒鳴られ、足を動かす。
二股に別れる場所で、前方を走る囚人が左へ行った。
私も倣って左へ行こうとすると……。
―――― 右へ ――――
……と『啓示』の声が聞こえた。
私は、迷う事なく右の道へ進む。
「そっちで良いのか?」と後方を走る囚人から心配の声が聞こえるが、私は『啓示』の声を信じる。
すぐに左へ行った囚人の叫び声が壁越しから聞こえた。
その後、何度か『啓示』の注意を聞きながら狭い横坑を走ると、広い場所に出た。
ここは第一横坑と繋がっている梯子がある場所だ。
先を走っていた囚人たちが、すでに梯子を登っている。
息が切れているうえ、緊張と不安と怪我の状態であの梯子は登りたくないな。
そんな事を考えて息を整えていると、ある事を思い出した。
そう言えば、今日は湧水作業で濡れると言う事で、他の囚人と一緒に荷物を壁際に置いたんだった。
「おい、荷物なんか取っている暇はないぞ!」
私の近くにきたブラッカスから忠告が飛ぶ。
ブラッカスの言う通り、取りに行っていたらキルガーアントに追い付かれてしまう。それに、中には着替えと体を拭く布とブラッカスの絵が描かれた木札が入っているだけだ。
着替えがなくなるのは困るが、布と木札は無くなっても問題ない。
精神を削って描き上げた木札だが、命を掛けてまで取りに戻りたいほどの価値はまったくなかった。
「お前だち、箱、乗れ! おで、引き上げる!」
縦坑の上を見ると、兵士やトロッコを乗せる昇降機の近くでオルガが見下ろしていた。
速攻で荷物を諦めた私は昇降機の方へ体を向けると、「ちょっと、待て」とブラッカスに引き留められてしまった。
「もしかして、お前の革袋の中に俺の絵が入っているのか?」
「あ、ああ……そうだけど……」
「それを早く言え! 俺が取ってくる!」
そう言うなり、ブラッカスは壁際へ走って行った。
そこまで欲しいか、自分の絵!?
私は気せず、鉄格子のような昇降機に乗った。
私に続くようにルドガー、ドワーフ、ハンスが乗り込む。
ハンスは、「親分、早くしてくれ」と心配する声を出すが、手を貸すつもりはなさそうだ。
当のブラッカスは、壁際に置かれている荷物を片っ端から手で触って、中身を確認している。木札に描かれているので、外側から触れば分かるのだろう。
「あったぞ!」
私の荷物を見つけたブラッカスは、私たちに見せるように荷物を掲げた。
「親分、蟻どもが来やがった!」
昇降機内からハンスが叫ぶ。
地面を這う大量のキルガーアントが、片腕を上げているブラッカスの元へ群がり、足元から這い上がっていく。
「ぐおぉー!」と唸ったブラッカスは、一瞬でキルガーアントに覆い尽くされてしまった。
「お、親分! 今、助けに行くぞ!」
「駄目だ。俺たちまで食われる。オルガ、俺たちを上げろ!」
助けに向かおうとするハンスをルドガーが引き留めると、上にいるオルガに向けて叫んだ。
「待って、私がやる!」
ハンスとルドガーを脇に退かした私は、昇降機内から腕を出して、光の魔力弾を放った。
ブラッカスを中心に小山のように群がるキルガーアントに魔力弾がぶつかり、閃光が迸る。
ポップコーンが跳ねるようにキルガーアントの群れが弾かれ、ブラッカスの姿が露わになった。
「うおおぉぉーー!」
体を丸めてキルガーアントの攻撃に耐えていたブラッカスは、ゴロゴロと横向きに転がりだした。そして、整地ローラーのようにブチブチと地面を這うキルガーアントを潰しながら私たちのいる方へ戻ってきた。
「ウガ、ウガ、ウガ……」
頭上からオルガが声を出しながら、昇降機のハンドルを回し始める。
ガコンッと昇降機が上昇していく。
無事に戻ってきたブラッカスは、「おらっ」とジャンプして昇降機にへばり付く。その体は、キルガーアントの体液と殻で汚れきっていた。無論、私の革袋も……。
「何て数だ……」
昇降機から第二横坑の広場を見下ろしていたルドガーが呟く。
広場はすでにキルガーアントに覆われ、黒く染めている。そして、真っ赤な目だけが光り、鉱石のように輝いていた。
「イース、ロイ! 早く、梯子を登れ! 蟻どもに追い付かれるぞ!」
昇降機にへばり付いているブラッカスが、縦坑の梯子を登っている二人の囚人に向けて叫ぶ。
イースとロイは、ブラッカスの子分だ。そんな二人の下から壁を這ってくるキルガーアントが見えた。
今すぐにでも助けに向かいたいブラッカスとハンスだが、上昇する昇降機の中では声を出す事しか出来ない。
キルガーアントはすぐに下にいたロイの所まで辿り着き、体中に群がった。あっと言う間に体中をキルガーアントに覆われてしまったロイは、梯子から手を離してしまい、第二横坑の広場まで落ちていった。
残ったイースもキルガーアントに体中を覆われていく。
イースは手を離さずに堪えていると、梯子の留め金がブチブチと壊れていき、梯子と共に落ちていった。
ブラッカスとハンスから歯ぎしりのような音が聞こえる。
私たちに出来るのは見ているだけだった。
凄い勢いでハンドルを回すオルガだが、昇降機の上昇は早くない。
ゆっくりと上昇する昇降機にキルガーアントが狙いを定めてきた。
「俺たちの方にも来やがったぞ!」
昇降機の中にキルガーアントが入り込む。
私、ルドガー、ハンス、ドワーフが片っ端から潰していく。
ブラッカスも昇降機から落ちない様にしがみ付きながらキルガーアントをバシバシと殺していく。
ガコンッと昇降機が止まった。
ようやく第一横坑へ戻ってこられた。
私たちは急いで、昇降機から下りる。
息を切らしたオルガがハンドルから手を離すと、凄い勢いで昇降機が落ちていき、ドゴンッと音を出しながら止まった。どうやらストッパーを掛けないといけなかったみたいだ。
「あう……おで、壊してしまった……罰、下る」
「昇降機で下にいるクソ蟻を潰したんだ。良い判断だったぜ」
「お前のおかげで助かったぞ」
「全部、蟻の所為にすれば良いさ」
「ありがとう」
落ち込むオルガに私たちは感謝の言葉を掛ける。
そして、すぐに地上へ向けて走り出した。
後少しで外に出られる。
希望が出てきた私たちの足は軽やかだった。
線路に沿って、走り続ける。
一般炭鉱夫が働く第一炭鉱と繋がる二股を通り過ぎ、ウネウネと曲がり続ける横坑を進むと、明かりが見え始めた。
ようやく、出口に到着!
助かった……のか?
喜びも束の間、出口である坑口周辺が変だった。
先に逃げた囚人たちが坑口手前で立ち止まっているのだ。
さらに坑口から洩れる明かりが薄暗い。
嫌な雰囲気である。
「お前たち、何で外に出ないんだ!?」
ルドガーが怒鳴ると、囚人の一人が「兵士どもだ! あいつら、俺たちを犠牲にする気だ!」と怒鳴り返してきた。
「お前たちはキルガーアントが地上に出ないように足止めしろ。これは命令だ。……繰り返す。お前たちはキルガーアントを足止めしろ」
坑口の外には、兵士たちが道を塞ぐように並んでいた。
その内の一人が、私たちに向けて命令を発している。
私たちであの数のキルガーアントを足止めしろと?
どうやって?
命令の意味が分からずにいると、兵士たちの前の地面が徐々に盛り上がっていった。
「あいつら、土魔術で入口を塞ぐ気だ!」
「ふざけんな!」
数人の囚人が坑口へ駆け出すと、兵士たちが魔術を飛ばしてきた。
炎や氷、土や風の魔術が私たちに飛んでくる。
坑口に駆け出した囚人は、炎の塊に当たり、体中を燃えながら倒れてしまった。
私は、放置されているトロッコの影に隠れて、身を丸くする。
折角、ここまで来たのに外に出る事が出来ない。
出口である坑口には兵士たちが、坑道の奥にはキルガーアントが迫っている。
逃げる事も戦う事も出来ない。
為す術もない私たちは、徐々に閉ざされる坑口を歯噛みしながら見ていた。
そして、生き残った私たちは、炭鉱に閉じ込められたのである。




