207 黒い絨毯 その1
私の魔力で明るく照らされる洞窟内に、沢山の囚人と兵士の死体が転がっている。
体を真っ二つにされた死体。
壁の突起に突き刺さった死体。
キルガーアントに潰された死体。
彼らの血が湧水と混じり合いながら通路を流れている。
そんな目を覆いたくなる光景にも関わらず、私たち囚人たちは生き残った喜びで歓声を上げていた。
「こいつの素材は高く売れそうだな」
「魔石も大きいだろう」
「どれも兵士たちに取られるがな」
「違いねー……クソが!」
腹部を破壊され、四本の脚を失った巨大なキルガーアントを見ながら囚人たちは笑い合う。
そんな中、緊張と不安から解放された私はストンと地面に倒れた。
カランとスコップが落ちる。
今頃になって腰が抜けてしまったようだ。
「さすが俺を倒した男だ」
「さすが俺が惚れた男だ」
落したスコップを拾ったブラッカスは、私を見てニヤリと笑う。
座っている私に手を差す出したルドガーが、ニヤニヤと笑う。
この二人、似た者同士だな。
私はルドガーの手を取らずに、ゆっくりと立ち上がった。
全身の力が抜けている感じでゆらゆらと揺れる。
「お前、どうやって魔力を使えるようになったんだ?」
空になった手を寂しそうにニギニギしているルドガーが、私の顔色を窺いながら尋ねた。
「えーと……分からない。なぜか手枷が壊れた」
理由は分かっているが、何となく曖昧にしておいた方がいいと思い、適当に答える。
「俺と戦った時、俺の魔力を打ち消していた。それと同じ魔力操作をしたんだろう」
スコップを素振りしていたブラッカスが、思い出したように言った。
そう言えば、ブラッカスと戦った時に初めてレジストを使ったんだった。
この筋肉ダルマ、見た目と違って洞察力が鋭い。
「俺と拳闘した時も変な現象が起きていた。お前は、変わった魔力を使うみたいだな」
ルドガーも鋭い。
本当、この二人は似た者同士である。
「もしかしたら、俺たちの手枷も壊せるんじゃないのか?」
「さ、さぁ……さすがにそれは無理だと思う」
試していないので何とも言えないが、多分ブラッカスたちの手枷も壊せると思う。
ただ、もし本当に壊せる事が出来たら、地上に戻った際、兵士たちに危険人物認定されてしまうので、無理だと言っておいた。
「くそー、手枷が無かったら、もっと簡単にクソ蟻を殴り殺せたのに!」
ブラッカスは、瀕死のキルガーアントの殻を悔しそうに殴る。
その姿を見て、私の胸が潰れそうになった。
ここには荒れくれ者が集まっている。
私以上に戦い慣れた者たちが沢山いる。
ブラッカスの言う通り、囚人たちの手枷を壊して回っていれば、もっと上手くキルガーアントを倒せたかもしれない。
そうなれば、死なずに済んだ者もいただろう。
ただ、あの時は囚人たちの手枷を破壊する事まで頭が回らなかった。
後悔先に立たず。
今思えば、ああすれば良かった、こうすれば良かったと後悔の念が押し寄せてくる。
「まぁ、何はともあれ、お前には助かったぜ。辛い作業に当たったら俺が代わってやる」
「生き残れたのはおっさんのおかげだ。俺は酒を持ってきてやるぞ」
「じゃあ、俺は……」
落ち込んでいく私に囚人たちが集まり、感謝の言葉が述べられていく。
そんな姿を見て、重かった私の心は軽くなっていった。
本当、私って単純な人間だな。
「あー、お前たち。喜んでいる所、悪いが……早く、逃げた方がいいぞ」
私たちを遠目で見ていたドワーフが、言い難そうに言葉を発した。
「キルガーアントは、こいつ一匹じゃない」
「ど、どう言う事だ?」
「蟻は大きな群れを作る生物だ。この洞窟内がキルガーアントの巣だとすると、通路の奥には大量のキルガーアントがまだまだいるぞ」
そう言えば、オルガもそんな事を言っていた。
「不思議な事に、蟻の魔物は一匹が危険に遭うと他の蟻にも伝わるようだ。このデカいキルガーアントは門番だ。門番が死んだと知ると、今度は巣を守る歩兵のキルガーアントが攻めてくるぞ」
「……本当かよ?」
「ドワーフが治めていた国が、それで蟻の魔物に滅ぼされた事がある」
そう言うなり、ドワーフはそそくさと第二横坑に繋がる隙間へ歩いていった。
私たち囚人は、お互いの顔を見合うとドワーフの後を追う。
キルガーアントの素材や死体の処理をしたかったのだが、まだ危険が去っていないので地上へ帰る事にした。
血で染まった水をバシャバシャと踏みながら隙間へ向かう。
囚人や兵士たちの死体が目に入るが、回収している暇はない。
まずは自分たちの命が大事だ。そう言い聞かせながら進んでいると洞窟内が突如暗くなった。
私が作り出した光の粘着弾のおかげで晴天ように明るかったのに、急に曇り空みたいになった。
魔力が切れたのだろうか?
そう思い後ろを振る返ると、光の粘着弾に暗幕が掛かったように何かで覆われていた。
「えっ、何が起きているの?」
異変に気付いた囚人たちも動きを止めて後方を見る。
時々、暗幕のようなものが動き、隙間から粘着弾の光が光線のように漏れる。
「おい、蟻の動きが変だぞ!」
放置されているキルガーアントの体がズルズルと引き摺られるように通路の奥へと動いていた。
「早速、来やがった! 歩兵の蟻だ!」
ドワーフが叫ぶと、通路に引っ掛かっていたキルガーアントの体が完全に通路の奥へと消えた。
そして、すぐに黒い物体がカサカサと音を出しながら現れた。
ヒィッと息が漏れる。
親指サイズの蟻の大群が地面を黒く染めながら迫ってきた。
「やつらは水に浮いて動けなくなる。今の内に逃げるぞ」
ドワーフの言う通り、地面を流れる大量の水の前で蟻の大群は動きを止めた。
ただ、それは一瞬の事で、水が流れていない壁や天井を這ってきた。
「逃げろ、逃げろー!」
囚人たちが走り出す。
私も置いていかれないように後を追う。
兵士が作った光の玉が蟻の大群に覆われていき、奥の方から徐々に光が消えていく。
つまり、闇に追い付かれたら蟻に襲われるという事だ。
私たちは、迫りくる闇から逃げるように足場の悪い地面を駆け出した。
「痛ぁーっ!」
隙間に向けて夢中で走っていると、突如、太ももに痛みが走り、バランスを崩して転倒してしまった。
太ももを見ると、親指サイズのキルガーアントが布越しに噛み付いている。噛まれた個所から血が滲んでいるので、肉まで切られたようだ。
キルガーアントを手で払うとブチュと潰れた。巨大キルガーアントに比べて、親指サイズのキルガーアントは非常に脆かった。
「いて、いて、いて……」
頭や肩にボコボコと何かが当たる。
天井を見上げると既に十数匹のキルガーアントが追い付いており、私たち目掛けて落ちてきた。
「……痛ッ!?」
首筋に肉を切られた痛みが走る。
手で押さえたらブチュと潰れた。
手の平にはキルガーアントの残骸が付着している。
一匹、二匹なら簡単に殺せる。
ただ、現実はそんな可愛い数ではない。
カサカサとキルガーアントが動く音が洞窟内に響き渡り、通路を覆い尽くし始めていく。
雨のように天井からはボトボトと落ちてくるし、地面からも流れる水に乗って、私たちに向かってきていた。
「うわぁー!」
水に乗ってきたキルガーアントが、私の体に這い上がってくる。
バンバンと手で体を叩き、ブチブチと潰していく。
だが、いくら潰しても次から次へと体を這ってきた。
腕や体を動かして振り払うが、数の多いキルガーアントから逃れる事が出来ない。
耳の近くでキルガーアントの鳴き声が響き、頭が混乱する。
脚や腕に痛みが走り、顔を顰める。
蟻酸を掛けられ、焼けるような痛みが襲う。
痛みで体が動かなくなる。
そして、視界が徐々に黒く覆われていった。
「息を止めろ!」
ブラッカスの声が聞こえたと思ったら、凄い力で体が引っ張られ、空を飛んだ。そして、水の張った窪地にドボンと落ちた。
何が起きたか分からず、つい水を飲んでしまい溺れ始めるが、すぐに服を引っ張られ地面に上げられた。
ゲハゲハッと水を吐いていると、「蟻どもがもがいてやがる」とブラッカスが窪地を見て笑っている。
私に張り付いていたキルガーアントは、水の上でバシャバシャと脚を動かして溺れていた。
どうやらブラッカスに助けられたみたいだ。
「おめーら、遊んでないで、さっさと逃げるぞ!」
少し先にルドガーが武器のスコップを振って、キルガーアントを潰していた。
「そうだった、そうだった」と思い出したようにブラッカスが隙間へ駆け出す。
私も立ち上がり、再度駆け出した。
体中、キルガーアントに噛まれて痛いが、体が動かない程ではない。
後ろからルドガーが「行け、行け、行け!」と急かす。
隙間に辿り着くと、なぜかブラッカスの子分であるハンスが隙間から出てきた。
「何で戻って来ているんだ!? さっさと逃げろ!」
ルドガーが怒鳴ると情けない顔をしたハンスが振り返った。
「隙間に入った親分が、途中で挟まって詰まっちまった。岩を削る道具を探してくれ!」
「お前は蟻と同じか、馬鹿野郎!」
隙間の奥に向かってルドガーが怒鳴ると、「うるせー、馬鹿!」とブラッカスの声が返ってきた。
「道具を探している時間はない! お前、時間を稼げ。俺が馬鹿のケツを押して、糞詰まりを直してくる」
そう言うなり、ルドガーは私に武器のスコップを渡すと隙間の中へと入っていった。
時間を稼げって……私、そんなのばっかじゃない!
大きく溜め息を吐いた私は、右手に魔力を溜める。
まずは洞窟全体を見る為に光の粘着弾を通路の奥へ飛ばした。
「うひぃ……」
粘着弾で洞窟内を明るく照らすと、変な声が漏れてしまった。
絨毯を敷いたように天井も壁もキルガーアントで黒く塗りつぶされている。
その数、何万、何十万……いや、数なんて分からない。それだけのキルガーアントが覆い尽くし、カサカサ、ギギギィと音を出しながら洞窟内を黒く染めていた。
魔力に引き寄せられたのか、私の作った粘着弾にキルガーアントが集まりだし、また洞窟内が薄暗くなる。
「……『光刃』!」
スコップに魔力を流し、キルガーアントの山に光の刃を飛ばした。
山盛りのキルガーアントの群れが破片をまき散らしながらバラバラと砕ける。
「えい、えい、えい!」と連続で光の刃を飛ばし、私たちに近づいてきた集団を蹴散らす。
簡単に殺せるが、一回の刃で数匹しか倒せないので効率が悪い。
それならと右手に魔力を集めた。
「目を瞑って!」
キルガーアントをブチブチと踏み潰しながら道具を探しているハンスに注意してから光の魔力弾を放った。
壁にぶつかった魔力弾は、強い閃光を広げ、広範囲にキルガーアントを吹き飛ばした。
殺傷能力はゼロだが視力を奪うので、行動制限ができるだろう。
「えい、えい、えい!」とこちらも連続で光の魔力弾を撃つ。
壁や天井を覆っている大量のキルガーアントをボトボトと地面に落としていく。
泥だらけの壁を高圧洗浄機で綺麗にしているようで、ちょっと楽しい。
「それ、止めろ! 蟻共が流れてくる!」
ハンスが通路の奥を指差しながら叫んだ。
地面に落ちたキルガーアントの集団が、水と共に私たちの元へ流れてきている。
それはまるで黒い波のようであった。
「あんなのに飲み込まれたら終わりだ!」
「私の後ろへ回って!」
ハンスに指示を出した私は、スコップを前に掲げて、光の壁を作り出す。
隙間を覆うように光のカーテンが広がり、迫りくるキルガーアントの波を正面から受けた。
ズシンッと重みがスコップから伝わり、後ろに倒れそうになる。
光の壁が壊れないように、「硬く、硬く」と念じながらスコップに魔力を流し続ける。
天井からもキルガーアントが落ちてくるので、あっという間にキルガーアントに覆われてしまった。
ギギギィと鳴くキルガーアントたちは、光のカーテンを食い破ろうと顎をガシガシしたり、蟻酸を掛けたりしてくる。どいつもこいつも目を真っ赤に染まらせているので、凄く怖い。
「隙間に入って! このままじゃ耐え切れない!」
後ろにいるハンスに怒鳴る。
大量のキルガーアントに押し潰され、今すぐにでも光の壁が壊れそうだ。
ハンスが隙間へ入るのを確認した私は、スコップを前に掲げたまま、ゆっくりと後退しながら隙間へと入った。
狭く暗い隙間。大人一人がギリギリ通れる場所。
私は光の壁を張りながら大量のキルガーアントに押し込まれるように奥へと進む。
一瞬でも気が緩むと後ろに倒れそうだ。
それだけキルガーアントの押し寄せる力が強すぎた。
「少し肩の方を鍛え過ぎたみたいだな。もう少し、全体的に鍛えた方が良さそうだ。そう思うだろ?」
「知るか、馬鹿! 何でてめーは、正面から入っていったんだよ!? 横向きで入れ、馬鹿!」
「親分、早くしてくれ! 凄い数の蟻が……うぐぅ!」
隙間に挟まっているブラッカスの元まで辿り着くと、勢いのまま背中でハンスを押し潰してしまった。
暴れるハンスを背中越しに感じるが、キルガーアントの押し付ける力が強く、どんどん後ろへと押し込まれていく。
「く、苦じぃ……」
「うがぁ……」
ハンスとルドガーから声が聞こえる。
挟まっているブラッカスから順にルドガー、ハンス、私、光の壁と並んでいる。そこをプレス器のように大量のキルガーアントがぐいぐいと押し込んでくるのだ。
身動きが一切できない。
圧迫され過ぎて呼吸ができない。
意識が朦朧として、光の壁を維持できない。
このままでは押し潰されて死んでしまう。
私とブラッカスに挟まれたルドガーとハンスからか細い呼吸音が聞こえる。彼らもヤバそうだ。
「お、押すな! 肩が擦れて血が出てきた!」
ブラッカスの悲鳴が隙間内に響き渡る。
「い、一気にブラッカスを押して!」
「止めろ!」とブラッカスの言葉を無視して、私は「いけ!」とルドガーとハンスに合図をした。
私とルドガーとハンスの三人が力の限りブラッカスを押す。
キルガーアントの力も加わり、ズルズルと前へと進んだ。
「痛てぇー!?」とブラッカスの悲鳴を聞きながら押し続ける。
「いけぇぇーー!」
ブラッカスは勿論、ルドガーとハンスの事など気にせず、押して押して押しまくった。
そして、三日ぶりの便秘から開放されるように、ズボッと第二横坑へと出る事が出来たのだった。




