202 休日
兵士の間に何かが起きた。
理由を知らされない囚人たちは、折角の休日だというのにお祭り騒ぎを中断されてしまった。
無論、私もフリーデに押し込まれる形でリディーの小屋に帰ってきた。
時刻は昼前後。
そんな私を出迎えてくれたのはリディーだ。
「濡れて戻ってきたな。どうだった、囚人連中は?」
ずぶ濡れの私を見たリディーは、タオル代わりの分厚い布を渡した。
「ありがとう。みんな、リディーが狩ってきた熊を美味しく食べていたよ」
みんなの中には、私は含まれていない事は黙っておく。
熊肉がどのように調理され、どんな感じで食べたのかを話すとリディーは嬉しそうに聞いていた。そして、熊の脳みそをレクター博士みたいに食べていたと言うと、「誰?」と返ってきた。
「ま、まぁ、それだけみんな喜んでいた。それにしても、よくあんな大きい熊を倒せたね」
「キルガーベアと言う魔物だけど、普通の熊と対して変わらない大きいだけの魔物だからな。魔術を使えば、倒すのは難しくない。木の上で迎えて、首を落とせば終わりさ」
簡単そうに言うが、普通の熊でも倒すのは難しいのだが……それだけリディーの腕は良いのだろう。
「その後が大変だったけどな。厨房の連中を呼んで、急いで解体して運んだ。結局、厨房では使わなかったがな」
そのおかげで囚人たちに回ったので良い結果だった。
その事を伝えるとリディーは、「それは良かった」と長い耳をピンッと立てて嬉しそうな顔をした。
「それで、リディーの方はどうだったの? 小屋に戻ってきたという事は、厨房の準備はもうないのかな」
「会食は中止になった」
「えっ、中止?」
現在、この町にはどこかの国の使節団が来ている。
その使節団は、『女神の日』という事で会食を行う予定だった。
それが中止になるなど、一体、何があったのあろうか?
「会食に向けて準備をしていたら、兵士の一人が突然来て、会食は中止と言われたんだ」
「理由は?」
「分からない。すぐに兵士は行っちゃったからね。副料理長が再確認する為に男爵の使用人に尋ねたら、やはり兵士と同じで中止とだけ言われたらしい」
私とリディーは、窓の外を見る。
雨が降りしきる中、数人の兵士の姿が見えた。
兵士たちは、兵舎の周りを見回したり、資材小屋を確認している。
休日を返上してまで兵士たちを動かすなど、本当に何があったんだろうか?
リディー自身、何も分からないようなので、話題を変える事にした。
「じゃあ、今のリディーは暇なんだね」
「ああ、厨房の料理人たちは兵士の夕食を作らなければいけないから、いつも通りの作業をしているけど、僕は何もやる事がなくて帰ってきた」
「そう……だから家の中で熊の毛皮が広がっているんだね」
小屋に帰ってからずっと気になっていた事がある。
床に散らばっていたリディーの私物は乱雑に壁際に移動され、その空いたスペースに熊の毛皮が広がっていた。それも血や肉や脂が付着したままの毛皮。何とも言えない匂いが部屋の中を充満している。
「さっきまで外でなめし作業していたけど、雨が降ってきたからな。やる事がないので、そのまま室内で続きをする予定」
「するのは構わないけど……ダニとか大丈夫? 大きすぎて毛皮の端が私のベッドの上にも掛かっているんだけど……」
野生の熊だ。
毛の中には、大量のダニやノミがいるだろう。
「大丈夫、大丈夫。一晩、塩と一緒に井戸水に浸けといたから……たぶん、大丈夫」
最後の間はなに? 滅茶苦茶、心配なんですけど。
そんな私の心情を汲み取る事なく、リディーは「完成したら絨毯にする」と意気込みながら床に座って、熊の毛皮をなめし始めた。
しばらくリディーのなめし作業を眺めていた私は、新しく買った服に着替え直すと作業机に向かい、絵を描き始めた。
リディーの鼻歌となめす音を聞きながら羽ペンを走らせるが、まったく進まない。
羽ペンも進まなければ、心も進まない。
理由は単純。
絵のモデルがブラッカスだからだ。
誰が好き好んで、筋肉ダルマの絵を描かなければいけないんだ。
それも五枚も……五人の人間がブラッカスの絵を欲しがっているという事実に眩暈がしてくる。
それでも依頼を受けたからには描き上げるつもりだ。
時間もあるしね。
何度も描いては削って、描いては削って、溜め息を吐いてを繰り返し、ようやく一枚を完成させた。
悪い意味で魂を削った作品である。ブラッカス一味だけなら満足するだろう。
「……おっさん、おっさん」
心身共に疲れ切った私にリディーが声を掛けてきた。
「毎日、大変な労働をしているからな。疲れが溜まっているようだ」
私と木札を交互に見ているリディーの顔は、軽蔑を通り越して、優しい顔をしていた。
何か勘違いをしていないだろうか?
「今日の夕飯は僕が作るから、おっさんはゆっくりと休むといい」
「あ、ああ……」
「だから、正気だけは保ってくれよ」
そう言うなり、なめしていた熊の毛皮を丸めると外へと出て行った。
私、正気ですけど?
好きでこんな絵を描いた訳じゃないよ。
依頼だから描いているんだよ。
信じて!
と戻ってきたリディーに伝えたが、「今日は早く眠るといい」と私の体調を気遣ってくれた。
そんな事もあり、リディーの作った夕飯を間に挟みつつ、地獄の二枚目を描き続け、寝る前に完成させたのであった。
残り、三枚。
きついお小遣い稼ぎである。
翌日、雨は上がり、冷たい風が吹き下ろす晴天である。
朝食を食べ、洗濯して、強制労働の時間までのんびりとお茶を啜っていると不思議な事が起きていた。
そろそろ労働時間なのだが、窓の外には囚人の姿が一人も見えない。
私の体内時計ではすでに出勤時間なのに、静まり帰った囚人宿舎が見えるだけだった。
リディーも「変だな」と同意しているので、体内時計が狂っている訳ではなさそうだ。
不思議に思い、外に出で様子を見ようとした時、玄関の扉がノックされた。
「アケミ・クズノハ、今日の作業は中止だ」
部屋に入ってきたフリーデが、私の顔を見るなり口を開いた。
「中止? 休みって事?」
「それ以外にないだろ」
「理由を尋ねても?」
「囚人のお前が知る必要はない」
私の疑問をバッサリと切り捨てられた。
まぁ、昨日の事が長引いているのだろう。理由は知らないが……。
「僕も休みなのかな?」
ベッドの上で弓矢の手入れをしていたリディーが首を傾げながら尋ねる。
「リディーは知らん。お前は一般人だから普通に仕事しても良いんじゃないか? 上司に尋ねてみろ」
「ああ、料理長に尋ねてみる。フリーデ、途中まで一緒に行こう」
フリーデの返事を聞く事もなく、リディーは急いで荷物をまとめ始めた。
「そう言う事だ。私たちの許可があるまで小屋から出るなよ」
「えーと……トイ……便所には行っても良いのかな」
もし、ここでおまるでしろと命令されたらどうしよう。
小屋の中に汚物を入れたおまるを置いときたくない。それを家主のリディーに処理してもらうのはもっと嫌だ。
「便所と井戸までなら外に出てもいい」
フリーデの言葉を聞いて安堵する。
「ただし、それ以外の場所に行ったら、小屋でなく懲罰房で寝起きしてもらうからな」
胸を撫で下ろしていると、最後に念を押されてしまった。
「……ん? これは……」
革袋に荷物を放り込んでいるリディーを見ていたフリーデは、チラリと作業机に視線を向ける。
机の上に置いてある木札を眺めたフリーデは、ゆっくりと私の方を向いた。
「滅多にない休日だ。……ゆっくりと休めよ」
フリーデは、兵士の仮面を剥がすと残念そうな顔に変わった。昨日のリディーと同じ顔である。
心配顔のフリーデにブラッカスの絵を説明しようとするが、「準備完了」とリディーに遮られ、言い訳する前に出て行ってしまった。
「おっさん、疲れが溜まっているようだ」「寄りにも依ってブラッカスとは……末期だな」と二人の言葉が遠くで聞こえる。兵士の間で変な噂が流れなければいいのだが……。
突如、発生した休日。それも二連休である。
肉体労働はしたくないので休日は嬉しいのだが、急すぎて何をすればいいのか分からない。
二度寝でもしようかと思ったが、昨日はリディーの勧めで早く眠ってしまった。おかげで、八時間以上は寝ているので、睡眠は十分だ。
うーむ、やる事がない。
いや、あるにはある。
お小遣い稼ぎの木札をあと三枚は描き上げなければいけないのだが、朝からブラッカスの絵を描くのはストレスが溜まり、本当にリディーやフリーデに心配される状態になってしまう。
そこで思いついたのが掃除である。
テスト勉強前の掃除と同じで、環境を整える事で、嫌な作業を迎える準備をするのだ。
良い機会なので徹底的にやってみよう。
まずベッドのシーツを剥がして、外に持っていく。
昨日が雨だったとは思えないカラッとした晴天である。少し風が出ているが、シーツを干す分には問題なさそうだ。
井戸の近くの大木の枝にシーツを掛けて、風に飛ばされないように紐で縛っておく。ついでに、リディーのシーツも干した。これで今日の夜は、太陽の香りを嗅ぎながら眠れるだろう。
ちなみに熊の毛皮にダニやノミが付いているかもと心配したのだが、昨晩の睡眠時では問題なさそうだった。だけど、気になるので執拗にバタバタと埃を叩いておいた。
小屋に戻った私は、床に散らばっているリディーの私物を仕分けしながら空のベッドの上に乗せていく。
一番多いのは衣服である。面白味のない一般服が、グチャグチャな状態で山積みになっているので、一枚一枚広げては畳んでベッドの上に積んでいった。
おっ、これは!?
地味な服の中に若葉色をしたヒラヒラな服が混じっていた。葉っぱをイメージしたような、いかにもエルフが着ていそうな服だ。たまには、この服を着て、私を眼福させて欲しいな。
ちなみに下着類は見当たらない。たぶん、木箱や革袋に仕舞ってあるのだろう。
衣服を片付けたら雑貨を拾いだす。
雑貨の中にはナイフとかもあり、私が囚人だと思っていないのではと疑いたくなる物まで転がっている。
そして、適当に積まれた木札を整理していると、ある木札を見て、私は動きを止めた。
木札のほとんどは文字が書かれており、異世界文字が理解できない私には読めなかった。そんな木札の一枚に絵が描かれた木札を発見したのだ。
その絵は、幼稚園児が描いたような歪な輪郭の人物が描かれていた。背丈がバラバラの五人の人物が楽しそうに笑っている。何となくだが、リディーらしき人物もいる。もしかしたら、リディーが故郷にいた時に描かれた絵かもしれない。
リディーの故郷……エルフの国か!?
五人の周りにはティアのような妖精が数匹飛んでいるし、色鮮やかな花も描かれているので、エルフの国は想像通りの自然豊かな場所のようだ。
異世界に住んでいるので、一度は訪ねてみたいね。まぁ、排他的なエルフの事だ。私が訪ねたら悪人と勘違いして狩ってきそうだけど……。
ただ、それにしても……。
私は大きく首を振ると、丁寧に木札を集め、ベッドの上に置いた。
床に置かれていたとはいえ、リディーにとって大事な物に違いない。この絵について色々と聞きたくなったが、大事な物を勝手に覗き見してしまった気分もあり、私は見なかった事に決めた。
床の上に荷物が無くなったので、箒を持って、埃と土を掃いていく。
整理整頓をしないリディーであるが、掃除は定期的にしているので、掃き掃除は簡単に終わった。
その後、窓を拭いたり、壁や机を水拭きしたり、竈の灰を捨てたりと時間を忘れて掃除に没頭したのである。
時刻は昼。
一日三食が当たり前だった私であるが、囚人になってから一日二食が身についてしまい、特にお腹が減る事はない。
この時間になってもリディーが帰って来ない事を考えるに、一般職員は普通に仕事をしているみたいだ。
さて、小屋の中も綺麗になり、私の心も落ち着いたので、小遣い稼ぎという苦行を始めよう。
私は作業机に座り、木札に羽ペンを走らせる。
昨日、ブラッカスの絵を二枚描き上げた事で抵抗力がついたのか、羽ペンの進みはスムーズである。
無表情のまま、黙々と羽ペンを動かす。
何も考えない。
無我の境地。
今なら大悟できそうだ。
………………
…………
……
ようやく、三枚の木札に筋肉の塊を描き上げた。
首を揉みながら、外に出ると太陽が沈み始めていた。長い時間、絵を描いていたようだ。
突然の休日で何をすればよいか分からなかったが、気づけば一日が終わろうとしている。
だが、まだ私の休日は終わらない。
最後は、美味しい食事で締め括ろう。
大木の枝で干していたシーツを取り込んだ私は、厨房に向かった。
残っていた鹿肉をミンチにして鹿ハンバーグを作る。
野菜スープにトマトを入れてミネストローネを作る。
ジャガイモをすり潰してマッシュポテトを作る。
どれも時間が掛かる料理だが、休日の料理なので気にならない。
狩りから帰ってきたリディーにも手伝ってもらい料理を完成させる。
私の作った料理をリディーが「美味い、美味い」と食べてくれた。
それだけで、作ったかいがあるというものだ。
「そうそう、昨日の件、フリーデや使用人から聞いてきた」
マッシュポテトの山を山体崩壊させたリディーが、囚人の私に教えてくれた。
「どうも来賓の使節団が行方不明らしい」
「はぁ? 行方不明?」
「それだけでなく、男爵が管理していた大事な物が紛失したらしく、それを探していたみたい。男爵は遅い朝食を食べながら兵士に、見つけるまで戻ってくるな! と怒鳴っていたらしい」
消えた使節団と紛失物。
それって……。
「タイミングからして、その使節団に紛失物を盗まれたって事かな?」
「たいみんぐ? 良く分からないけど、その可能性も考えて捜査しているらしいぞ」
「どんな物が盗まれたの?」
「そこまでは分からない。フリーデも知らないと言っている。彼女は下っ端だからね」
下っ端とはいえ、兵士全員に教えていないと言う事は、箝口令が出されているのかもしれない。それだけ、大事な物なのだろう。
ただ、そんな情報を兵士のフリーデがリディーに教えてしまって良いのだろうか? ばれたら罰が下りそうで心配になってしまう。
まったく、友達とはいえ、兵士なんだから口が軽いのはどうかと思う。そのリディーも囚人の私に教えている。ほうほうと興味深そうに聞いている私も私だが……。
もしかしたら、「ここだけの話」で教えたのかな。あれは広がるものである。
まぁ、おかげで溜飲が下がった。
使節団の行方や紛失物の内容と言った本質は分からないが、突然の休日と兵士たちの動向の理由が分かった。
この件については、私にはまったく関係ない事なので、今後は気にしなくていい。
それだけ分かれば十分だ。
「そうそう、フリーデから伝言。明日の朝、広場に集合。普通に炭鉱作業があるってさ」
その情報は聞きたくなかった。




