197 小遣い稼ぎ その2
翌日、私は朝からディルクがいる班に入り、支保作業を手伝った。
地盤が緩い第三横坑と違い、第二横坑は硬い岩盤に覆われているので、作業は順調に進んでいる。ただ、前回の崩落事故の件もあり、支保と支保の間の天井に一本の木板を挟んで補強する事になったので、少しだけ手間が掛かっていた。
一回目の休憩の時、昨日、絵の依頼をしてきた三人の囚人が私の元まで来た。彼らは、大銅貨一枚と引き換えに木札を渡すと嬉しそうに立ち去っていった。
「何か商売でも始めたのか?」
私と囚人のやり取りを見ていたディルクの班の青年が尋ねてきた。
私はディルクたちに向けて、これまでの経緯を説明する。そして、「大銅貨一枚で描くよ」と営業すると、三人とも「いらない」と笑いながら断ってきた。まともな人たちで安心する。
「おい、おっさん」
私たちが笑い合っていると、見知った男が近づいてきた。
その男に気が付いたディルクは、腰を浮かして私の前に移動する。
「何の用だ!」
「そう睨むな、ディルク。ズボンを脱がして、匂いを嗅ぎに来た訳じゃねーんだ」
目の前に立っている男は、以前、私と拳闘したルドガーだった。
そのルドガーは、一人の取り巻きと一緒に私の近くに腰を下ろす。
「未だにブラッカスの馬鹿に殴られた腹が治らず、飯も満足に食えねー有様だ。ちょっかいはかけねーよ」
お腹を擦るルドガーは、服を捲し上げて、私に腹筋を見せてくる。
何で私に見せるのよー!?
「それで何しに来た?」
私の前に座っているディルクが、私の代わりに尋ねた。
どうもディルクとルドガーの間に何かあったみたいだ。そんなディルクとルドガーは、無言のまま睨み合っている。
「ふん、ディルク、お前に用はない。俺の用は、そこのおっさんだ」
睨み合いを終わらせたルドガーは、ディルク越しに私を見る。
「ハゲのおっさんが絵を描いているとブラッカスから聞いてな。絵の依頼に来ただけだ」
今日のルドガーは、ただのお客でした。
「お前、女性の枕絵を描いているらしいが、男の絵は描けるか?」
あっ、やっぱり、そっち方面の人なのね。
「まぁ、この程度の絵なら……」
そう言って、私は地面に男性の絵を描いていく。
勿論、モデルはラース。
簡単にラースの絵を描き上げると、ルドガーの取り巻きから「おおー!」と歓声が上がった。
だが、当のルドガーは首を振って、「駄目だ」と私の絵を拒否する。
「俺が欲しいのは、髪の毛が無く、無精髭が生えていて、筋肉質で、強面で、物腰の柔らかい中年の男だ」
私の体をジロジロと見ながら、ルドガーが細かく注文してくる。
勘弁してくれ……絶対に私自身をモデルにしないぞ。
「これが限界だ。この絵が嫌なら帰ってくれ」
そう言うと、私はギルマスをモデルにした男を描く。
その絵を見たルドガーは、地面の絵と私を見比べてから「……分かった」と同意した。
良かったね、ギルマス。売れましたよ。
ルドガーはギルマスの絵を、取り巻きはラースの絵を注文し終えると立ち去っていった。
そんなやり取りを見ていたディルクたちは、「お前も大変だな」と同情めいた視線で苦笑いしている。
ちなみにディルクからルドガーと何かあったのかを聞いてみた。
どうも新人歓迎会の時、ディルクとルドガーが拳闘し、ディルクが圧勝したそうだ。さらにその夜、ルドガーはディルクが寝ている所を襲い、返り討ちに遭ったそうだ。
一応補足しておくが、ルドガーの襲うは、負けた腹いせに暴行をする事でなく、性的な意味である。
ルドガー、お前は私だけでなくディルクも好みなのか!?
強面好きらしい。……聞きたくなかった。
余談だが、労働時間が終わり、第一横坑に繋がる梯子の順番待ちをしていたら、別の囚人二人が絵の依頼を頼みにきた。
ただ、その二人の囚人の依頼は断らせてもらった。
理由は、二足歩行の馬と狼だったからだ。
ケモ耳が生えている人間なら喜んで描いたのだが、さすがに全身毛むくじゃらの獣人は描けない。雄と雌の描き分けが出来ないからだ。
その事を理由に断わると、「ヒヒィーン……」「ガウゥ……」と一鳴きしながら寂しそうに去っていった。
色んな囚人がいるものだ。
本日も無事に炭鉱労働は終わった。
リディーの作った夕食を食べ終えると、すぐに作業机に座る。
ハンカチの時もそうだが、私程度の絵でお金を貰うのに抵抗がある。ただ囚人として自由のない生活を送っていく中、目的が出来たのは嬉しい。それが男どもにエロ絵を提供する内容であってもだ。
私は今日も楽しく絵を描き始める。
三日目ともなれば、羽ペンが滑るように動いてくれる。特に今日は、男性の絵を描いているので気分が良い。
気持ち良くラースの絵を描き上げ、少し休憩をしているとお風呂に行っていたリディーが戻ってきた。
「な、な、何だこれ!? 何で男の絵を描いているんだ!」
昨日同様、リディーが私の作業を覗き見すると、描き上げた木札を掴み、叫び始めた。
リディーは、長い耳を真っ赤に染まらせ、プルプルと手を震わせながら木札を見入っている。
「破廉恥だ」「卑猥だ」「不埒だ」と言うリディーであるが、その視線は木札から逸らさない。
ちなみに木札は、上半身裸のラースぽい男が、上から目線でドヤ顔をしている絵である。
この反応……もしかしたらリディーは、女性の絵よりもこっち方面の絵に興味があるのかな?
私はリディーの反応が面白くて、「リディーの為にもっと過激な絵を描こうか?」とつい零してしまう。
私の言葉を聞いたリディーは、「い、い、いるかぁーっ!」と私に木札を投げて、ベッドの中に潜ってしまった。
うーむ……本心なのか、照れ隠しなのか、良く分からん。
二枚の絵を描き上げた私は、椅子から立ち上がり、肩を回す。
今日のノルマは終わり。
ちなみに木札の在庫も終わり。
新しく依頼が来たらどうしよう。
リディーに新しい木札が欲しいと頼んだら、引き受けてくれるだろうか?
「なぁ、おっさん」
どうしようかと私が悩んでいると、シーツから顔を出したリディーが私を見る。
「もしかして、絵が欲しくなった?」
「ち、違う! その話はもういい!」
この様子だと、リディーに新しい木札を頼むのは無理そうだ。
「そう……じゃあ、なに?」
「明日、何か予定はあるか?」
予定?
囚人に予定などない。あるとすれば、強制労働ぐらいだ。
あとはルドガーに枕絵を渡さなければいけないが……まぁ、そんなくだらない事は後回しで良いだろう。
「特に無いけど……どうしたの?」
「明日、僕は町に行く事になっている。良かったら付いて来てほしい」
なぜか一緒に町に行こうとリディーに誘われた。
私、囚人だけど町に行っても良いのかな?
私たち囚人は、町の方に行く事は出来ない。もし、こっそりと町に行けば、逃亡の罪で懲罰房送りだろう。
もしかしてリディーは、私が囚人という事を忘れているのではないだろうか?
いつも一緒に食事をして、他愛ない会話を交わし、同じ屋根の下で寝ているのだ。
労働場所が違うので、つい忘れている可能性がある。
「ねぇ、リディー。私が囚人だという事、忘れてないよね」
「はぁー? 何を言っているんだ? おっさんの顔は、犯罪を犯してなくても囚人面しているぞ。忘れる方が難しい」
アホの子を見るような目で私を見るリディー。私が囚人だという事を覚えていてくれて嬉しい限りだ。でも、なぜか涙が出てきそう。
「労働の一環で町に行くという話。嫌なら断ってもいい」
明日も明後日も炭鉱労働だ。暑くて、ジメジメして、薄暗い過酷な現場での肉体労働。そこから抜け出せるなら、断わる理由はない。
「町に行けるなら、ぜひ連れて行って欲しい」
「服が欲しいと言っていたな」
「あと、木札も……」
「木札」と聞いて、リディーの目が冷たくなる。
「まぁ、服も木札も買うぐらいの時間はある」
「それは助かるよ……って、そもそもリディーは、何のために町に行くの?」
大事な事を聞いていなかった事を思い出す。
「『女神の日』の買い出しだ。厨房の連中は明後日の為に準備をしているので、食材調達の担当である僕が買い出しに行くんだ」
『女神の日』には、男爵とどこぞの国の使者だけでなく、町の有権者も集まって食事をするとの事。ちょっとした食事会になるので、料理人たちは忙しいらしい。
「沢山買い込むから荷物持ちが必要なんだ。そこで……」
「私という事ね。理解した。でも、リディーって囚人を管理する立場じゃないよね。私を連れて行く事は出来るの?」
「出来ないよ。僕は兵士たちに雇われた一般労働者みたいな立ち場だからね。僕一人では、おっさんを連れ出す事は出来ない」
「じゃあ、どうするの?」
「お目付け役の兵士も一緒に行くに決まっている」
やはりリディーと二人でお買い物をする訳じゃなかったか。少し、残念。
「ちょうどフリーデが非番で休みだから、暇潰しに付き合ってくれる事になった」
女性兵士であるフリーデは、頻繁にリディーの小屋を訪れる。
囚人宿舎に泊まっていない私の為に様子を見に来ては、一緒に夕食を食べていくのだ。
夕食時の彼女は、ただのリディーの友達として過ごすので、私に対しても兵士と囚人の垣根を取り払い、気軽に話し掛けてくれる。
そんな彼女ならお目付け役でも気分は楽だ。
「フリーデが今日の内に上官に話を通しておくと言っていたので、おっさんは気兼ねなく町に行けるぞ」
「荷物運びだけどね」
「岩や土を運ぶよりかは良いだろ」
「確かに」
「時間は半日だけ。午後からは、いつも通り炭鉱労働だって」
「そ、そうですか……」
一時とはいえ、過酷な環境での肉体労働から解放されるのだ。さらに欲しい物が手に入るし、気分転換も出来る。
明日が楽しみだ。




