194 これまでの事 その2
夕食を終えた私は、作業机に座ると木札に絵を描いていく。
リディーの冷たい視線が刺さるが気にしない。
これは私にとって囚人たちとのコミュニケーションであり、お小遣い稼ぎなのだ。
絵の内容は卑猥な女性の絵……と言っても、胸が出ていたり、性的な行為を行っている絵ではない。スカートを少したくし上げたり、色っぽい表情をした程度のソフトなものだ。
そもそも、どうしてこのような事になったかは、懲罰房からブラッカスが戻ってきた事から始まった。
私とルドガーとの拳闘を邪魔した事により、筋肉ダルマであるブラッカスは四日間の懲罰房に入れられていた。
懲罰房の場所は分からないが、とても狭く、一歩も歩く事の出来ないずっと立ちっぱなしの小屋らしい。また空気穴が空いているだけの一日中真っ暗な場所の為、時間間隔がなくなるそうだ。さらに夜になると非常に冷えて、凍死する囚人も出るらしい。食事は水だけなので、空腹にも襲われる。
そんな過酷な部屋でブラッカスは、一日中、筋肉トレーニングをしていたとディルクが教えてくれた。
ディルクは、ブラッカスが入った次の日に懲罰房に入っている。日数は二日。理由は、トカゲ兵士のリズボンに対して口応えをしたからである。
隣同士になったディルクとブラッカスは、壁越しにずっと話をしていたそうだ。その為、二人はそれなりに仲が良くなったりする。
そんな暇潰しの会話中、ブラッカスは「一回、二回……」とか、「ふっ、はっ……」と筋肉トレーニングをしていたとディルクは語っていた。
一歩も歩けない懲罰房でどうやって筋トレをするのかとディルクに尋ねたら……。
「壁を両手で力一杯押し付けたり、踵を上げ下げしたり、全身の筋肉に力を入れて維持し続けたりしていたらしい。俺はやらなかったがな」
……と笑いながら教えてくれた。
後から懲罰房に入り、先に出て行ったディルクの次の日にブラッカスは出てきた。
そして、以前にも増して筋肉の張りが良くなったブラッカスは、元気一杯に炭鉱作業に戻ってきたのである。
懲罰房を満喫しているじゃないか。
一方、私はハンスに声を掛けられる事が多くなった。
相変わらず口の利き方は悪いが、以前に比べ、嫌悪している節が薄れていた。たぶん、一緒に崩落事故に巻き込まれ、さらに囚人たちを見捨てて坑道を封鎖した事で、心に傷を負った者同士と認識しているのかもしれない。
そんなハンスはブラッカスが戻って来た日以来、休憩毎にブラッカスとその他仲間を引き連れて、私の元で休む事が多くなった。
特に共通する話題もない間柄な為、私から話す事はなく、ほどんどがブラッカスの武勇伝を聞くだけの休憩になっている。……勘弁して欲しい。
そんなある休憩時間、いつも通りに私の元まで来たブラッカス一味は、絵の話を持ち出してきた。
「お前、俺が大事にしていた枕絵を見たよな?」
「枕絵?」
枕絵って確か……男女が交わる卑猥な絵の事だよね。
何で急にそんな話になるの? もしかしてセクハラを受けているのかな?
「覚えていないか? 俺とお前が洞窟内でくんずほぐれず激しく体をぶつけあった時の事だ」
お巡りさん! 今、筋肉の塊のような男にセクハラを受けています! 捕まえてください!
……と訴えようとしたが、ブラッカスの言いたい事を思い出し、訴訟を取り下げる事にした。
ベアボア探しでブラッカスと戦った際、羊皮紙に描かれた落書きのようなエロ絵を見た記憶がある。
それがどうしたのだろうか?
「その枕絵がどこにいったか知っているか?」
「あれって、私が捨てたらブラッカスが急いで拾わなかった?」
あの時は必死だったのであまり覚えていないが、確かそんな感じのやり取りをした記憶がある。
「ああ、拾ってズボンに入れたが、お前に負けて目を覚ました時には無くなっていた。戦っていた時に落ちたかもしれんのだが……その様子だと見ていないようだな」
私が枕絵の行方を知らないと知り、ブラッカスから深い溜息が漏れた。
「今もあそこの洞窟に落ちてるんじゃないの? 壁や木箱の残骸だらけだから、埋もれている可能性が高いと思う」
私たちが立ち去った後、白銀等級のラースとナターリエが洞窟の中に入って行ったのは知っている。あの二人が、落書きのようなエロ絵を持ち帰るとは思えない。その後の事は知らないけど……。
「おお、そうだよな! まだ、あそこにあるよな! これは一日でも早く囚人から解放されて取りに戻らなければいけないな!」
目標の出来たブラッカスの表情が生き生きとし始めた。
ただ、この世界の刑期は曖昧で、囚人は一生囚人のままに終わる事も珍しくないらしい。
ちなみに恩赦のある私の場合はどうなるのだろうか?
特別扱いしてくれるよね。そうだよね。ね。
「俺も親分の秘蔵の枕絵をもう一度見たいぜー」
「あれは良かった。寝る前に見たら良い夢が見れるよなー」
「バカ、逆に眠れなくなっちまうわ」
子分たちもブラッカスの枕絵を思い出し、馬鹿笑いを始めた。
そんな中、ハンスだけが悔しそうな顔をしている。
「何でお前たちも見てるんだ! 俺は見た事がないぞ! ふざけんなよ!」
一人だけ枕絵を見ていないだけでハンスは泣きそうな顔をしている。そして、「親分、どんな絵なのか教えてくれ! 頼む!」とブラッカスに頼み込んでいた。
そこまで気になるものかねー?
男の体になっている私だが、未だに男たちの考える事は分からない。
「おうおう、教えてやる、教えてやる」
大好きな枕絵の話になったブラッカスは、嬉しそうに絵に描かれていた女性の説明を始めた。
「体付きはこんな感じで」とすでに大きい胸板を両手で寄せたり、「恰好はこんな感じで」とくびれの無い腰をクネクネさせたり、「表情はこんな感じで」とむさ苦しい顔をさらに暑苦しくしたりしていた。
それを見ている子分たちは、「そうそう」「もっと色っぽく」「くそー、本物が見てー」と楽しんでいる。
労働で疲れている体を休ませる時間帯なのに、私の周りだけ賑やかであった。
はぁー……私、何でこんな連中と一緒にいるのかな?
見るに堪えない情景の所為で、早く休憩時間が終わらないかと願ってしまう。
「なにそっぽを向いているんだ。お前も見ただろ。似てるよな、な!」
地べたに寝そべってストレッチをしているとしか思えないブラッカスが、私に同意を求めてきた。
私は「全然違う」と返し、指で地面をなぞりだす。
「えーと……こんな感じだったと思う」
うろ覚えの枕絵を思い出し、砂で絵を描くとブラッカスと子分たちが顔を寄せるように近づいてきた。
「お前、絵を描けるのか?」
「このぐらいなら」
ブラッカスの持っていた枕絵は落書きのような物だったので、私の画力でもそれっぽいのが描けた。
「全然、似ていない……が、これはこれでありだな」
「えっ、似てない!? いやいや、似てるって。たぶん、記憶が美化されているだけだよ」
「俺は何度も何度も見ているんだ。忘れねーよ。ここはこうで、これがこうで……」
私の描いた絵の上からブラッカスの太い指がなぞり、グチャグチャになってしまった。
「ああぁー……」と子分たちの悲痛の叫びが坑道内に響き渡る。
「なぁ、違う絵を描きてくれねーか。もう少し、年上の綺麗な女の絵を……」
私を嫌っているハンスが頼んできたので、驚いた拍子に「ああ」と答えてしまった。
馬鹿話から逃れたかった私だが、つい受けてしまったので、砂で別の絵を描いていく。
すると、「何で目がでかいんだ」とか、「ガキじゃねーか」とか、「変な服だな」と突っ込まれてしまう。
どうも現代日本で見慣れている絵は、異世界では受け入れられないようだ。
それならと、身近にいる色っぽい女性を思い出して描いてみたら、「おおーっ!」と歓声があがった。
ちなみにモデルにしたのは、白銀等級冒険者のナターリエだ。姉弟揃って、私のモデルになる運命である。
「な、なぁ……その……」
良い手応えを貰って気分が良くなった私にブラッカスが言い難そうにもじもじと声を掛けてきた。
「な、なに?」
「えーと……お前、俺に枕絵を描いてくれないか?」
「嫌!」
即答で断った。
何で私がブラッカスにエロ絵を提供しなければいけないんだ。もし描いたら私の絵で、あれやこれやをするのだろう。直接ではないにしろ、間接的に私がアレのネタにされているようで嫌だ。
そう思っていると、ブラッカスから「金を払う」と言ってきた。
「お金?」
断固たる意志が揺らぐ。
「木札に描いてきたら、大銅貨一枚をやる。どうだ?」
「親分、ずりー!」
「俺のも頼む!」
「大銅貨一枚なら俺も払う!」
ブラッカス一味から絵の依頼が舞い込んできた。
「ちょっと、待て。そもそもお金なんか貰ってもこんな場所じゃ使い道がない」
私たちは囚人だ。
お金を貰ったとしても私たちの周囲で物を買う場所はないし、商人の出張販売もない。
使い道のないお金を貰っても嬉しくない。お金よりもお休みがほしいぐらいだ。
「何だ、知らんのか? 町で売っている物なら買えるぞ」
「えっ、町に行けるの?」
「俺たちじゃないがな。買い出し担当に金を払えば、欲しい物を買ってきてくれる」
炭鉱に来て一週間ぐらい経ったのに、そんな重要な事、初めて聞いた。まぁ、寝起きしている場所が違うので、囚人同士の会話が少ないのが原因だ。
もう少し詳しく聞くと、買い出し担当の兵士がいて、事前に欲しい物をまとめた木札を渡せば、町に行った際のついでに買ってきてくれるそうだ。
若干の手数料は取られるが、自分では買いに行けないので、殆どの者が利用しているとの事。
「他には囚人同士の持ち物を売り買いしたり、一部の兵士にお金で便宜を図ったりもする。だから、こんな場所でも金は有効だ」
「みんなは何を買っているの?」
「食い物が殆どだ。まともな飯が出ないからな。あとは酒を買う奴も多い」
離れて生活をしているから分からないが、結構、囚人宿舎は自由みたいである。
「疑問に思ったんだけど、どうして囚人の中でお金が回っているの? 畑から生えてくるわけじゃないんだから、元となったお金はどこから現れたの?」
この町に来た時は、衣服だけでお金や持ち物は持ってきていない。労働賃金は勿論、面会や差し入れも禁止されている環境で、外部からお金が入ってくるのは不可解だ。それなのに、囚人連中にお金が回っているのはおかしい。
「そんなの兵士からに決まっているだろ」
ハンスが馬鹿を見る目で教えてくれた。
坑道を掘っている時に見つけた魔石や宝石をくすねて一部の兵士に売ったり、畑で作った野菜や密造酒を売ったりして、兵士から囚人にお金が入ってくるとの事。
「得意な能力を持っている連中……ドワーフたちなんかは、兵士連中から壊れた武器や道具を直したりしているから結構金を持っているぞ」
「名前は忘れたが、綺麗な顔立ちの囚人がいてな。そいつは女性兵士に体を売っていると言う噂もある。羨ましいぜ」
「そいつ、男の兵士にしか相手にされないと聞いたぞ」と子分の一人が言うと、馬鹿笑いが起こった。
これだから、男は……。
「そ、それで、ブラッカスたちは、どうやってお金を稼いでいるの?」
「俺たちもここに来たばかりだからな。兵士の伝手はない。だから、囚人同士でやり取りしている」
「例えば、どんな事?」
「人助けだ」
「はぁ?」
人様の物を盗んだり、いきなり殴り殺そうとした連中とは思えない答えが返ってきた。
「体調の悪い囚人の元に行って、そいつの分の労働をする代わりに、こっそりと休憩させてやるんだ。休ませた代わりにお金を貰う」
「他には、嫌な担当に回された囚人と金で労働内容を交換したりもする」
話を聞く限り、凄くまともである。
良い印象のないブラッカス一味であるが、実は良い連中なんじゃないかと思えてきた。
「そう言う事で、金は必要だし、稼ぐ手段を見つけるべきだ」
リディーのおかげで、食事は満足しているし、寝る場所も文句はない。
だが、物が買えるのなら色々と欲しい物がある。
今、私が欲しいのは綺麗な服だ。
一週間前までは真っ白の作業服だったのに、今では黒く汚れている。そして、何度洗っても汚れが落ちない。匂いも残ったままなので、リディーから距離を空けられている。
だから、部屋着用に新しい服が欲しい。
「そういう訳だ。枕絵の件、頼むぞ」
「……ああ」
意志の弱い私は、こうしてエロ絵を描く事になったのである。




