193 これまでの事 その1
崩落事故から七日が経過した。
助かる事が出来たかもしれない人たちを見捨てて坑道を封鎖した私は、数日間、最悪の気分であった。当日の夕食は、後悔と罪悪感で一切食事を摂る事が出来なかった程だ。さらに突如叫び出したくなったり、急に泣きたくなったりと満足に眠る事も出来なかった。
理由を知っているリディーは、何も言わず、夕食と朝食を用意してくれていた。ただ、それを食べるだけの余裕は当時の私にはなく、一切、手を付ける事が出来なかった。
ただ、どんなに気分が塞ぎ込んでいても次の朝になれば、炭鉱作業に向かわなければいけない。私は罪人で強制労働者なのだ。気分が優れないからといって休める程、優しい環境ではない。
ただ、どんなに塞ぎ込んでいても、体を動かせばお腹は減り、栄養を摂らなければ体が動かない。気分は滅入っていても空腹は襲ってくるので、翌日の夕食は無心で食べ続け、満腹で椅子から立ち上がる事が出来ず、リディーに呆れられてしまった。
そして、数日も経てばムカムカとしていた胸の内も治まり、思い出さない限り嫌な気分にはならなくなった。
時間というものは、残酷のようでいて優しいのだ。
崩壊事故を起こした第三横坑は、現在、通行禁止になっている。
炭層がまったく見つける事が出来なかっただけでなく、元々地盤が緩すぎていたので、第三横坑は完全封鎖になった。
その為、現在は炭層が見つかっている第二横坑を拡張している。全ての炭鉱内労働者は、第二横坑に集められ、縦坑、横坑、斜坑と色々な場所を掘り進めていた。
変化と言えば、三日前から朝礼が無くなった。
「壇上に近い」「覇気がない」「靴が汚れている」と適当な理由で殴られていた朝礼が無くなり、新人の私たちは時間になると各々各現場に直行するようになった。
ただ、私の場合は、担当現場が決められていないので、その都度、近くにいる兵士に尋ねて作業現場に向かうのであった。
私は、今まで通り、色々な現場を点々として、色々な作業をしている。
毎日毎日、薄暗く、ジメジメとした暑い山の中で汗水流しながら無心で体を虐めている。
ただ一度だけ坑道に入らず、一日中、外の現場を回された事があった。
その日の午前は、選炭場作業を行った。
選炭方法は、トロッコで運ばれてきた原炭を作業台に移し、手作業で不純物を取り除いた後、水の中に入れ浮遊させて選炭する。
私の担当は、トロッコから運ばれてきた原炭を作業台に乗せて、石や土といった不純物を取り除く作業である。
ハンマーやノミを使って、周りのいらない不純物を削り取るのだが、どこまでが不純物でどこまでが石炭なのか分からず、何度も何度も怒鳴られた。
原炭の中には、たまに魔石が交じっていたりするので注意深く観察するように、と口を酸っぱく言われた。だが、全てが土塗れでまったく判断が出来ないので、魔石については気にしない事にした。そうしたら、私が捨てた廃石の中にそこそこの大きさの魔石が混じっていたようで、怒鳴られるだけでなく殴られた。
クビなのかどうか分からないが、昼の小休憩の時、兵士から坑口へ行くように言われた。
一人寂しく坑口へ向かい、入り口を管理している兵士に報告すると、坑口浴場の水を張れと指示された。
坑口浴場の水は、渓谷の沢まで降りて、雪解け水の川から汲んでくるそうだ。道具は、棒の両端に二つの桶が付けられた物を使用する。
すでに水の張った二つの桶を担いで、坑口浴場まで往復している囚人が見える。そのほとんどが、値引きシールを張られた魚の目をしていた。
兵士に桶を持たされた私は、沢まで向かう。
坑口近くに沢の入口があり、固めた土と木材で作った階段と呼んでいいのか怪しい段差が続いていた。
転けないように沢まで降りると、水で削られた丸い石が絨毯のように転がっている川辺に辿り着く。
流れの速い澄み切った川。空気が澄んでいて、小鳥の鳴き声が聞こえる。観光として訪れたら気持ちの良い場所であった。
私は、足が濡れないように川に近づき、石の上から水を汲む。そして、二つの桶が水で一杯になったら、両肩で棒を支えて持ち上げた。
す、凄く、重い。
だが、持ち上がらない程でもない。
左右の桶のバランスを取って、ゆっくりと坂道を登っていく。
土や木が剥き出しのなんちゃって階段の所為で何度も足が滑りそうになり、その都度、桶の水が零れ、どんどん中身が少なくなっていく。
何とか階段を登り切り、少し休憩。
息を整えたら、ふらふらしながら坑口浴場まで辿り着いた。
そして、兵士に怒鳴られた。
理由は、「水が少ない。手を抜いているな!」との事。
いつの間にか、水が半分以下になっていた。これは怒られても仕方が無い。
坑口浴槽の樽に少ない水を入れて、再度、沢に戻る。
今度は、水を零さないように慎重に運んでいたら、「遅い!」と怒鳴られた。
次は、速く零さずを意識して運んでいたら、すぐに息が上がってしまった。地面に桶を置いて、膝に手をついて息を整えていたら、「勝手に休むな!」とまた怒鳴られた。
何度も何度も怒鳴られながら、何度も何度も沢と坑口浴槽を往復する。
沢山の囚人が一斉に体を洗う浴槽だ。沢山の樽に水を一杯にしなければいけない。
炭鉱労働を終えて、当たり前のように使っていた水が、まさか囚人の努力と苦労の水だとは思いもしなかった。
はぁー、何たる苦行。
木人拳に挑む訳じゃないんだから、もっと効率良く出来ないかと考えてしまう。
例えば、坂道の間に囚人を並ばせバケツリレーみたいに運ぶとか、荷車に樽を乗せて、水で一杯になったら浴場まで運んで下ろすとか、いっその事、炭鉱労働者は全員沢まで降りて、直接川の水で体を洗えば良いんじゃないかな。滅茶苦茶、冷たいけど……。
まぁ、囚人である私が提案した所で、兵士は聞く耳すら持ってくれないだろう。
そんな事を考えながら、死んだ魚の目の私は、ふらふらになりながら黙々と水を運び続けた。
そして、最後の最後で兵士に殴られた。
気力と体力の限界を迎えていた私は、足がもつれて、兵士の前で転んでしまった。そして、桶に入っていた水が兵士の足に掛かり、激怒した兵士に思いっきり殴られたのだ。
その所為か分からないが、私は別の兵士に「兵舎へ行け」と命じられた。
時刻は、夕方前。
そろそろ強制労働が終わり、囚人たちが帰ってくる時間。
私は、疲れた体を動かして兵舎へ向かう。
兵舎のすぐ近くにリディーの小屋があり、帰りたい気持ちが湧き上がるが、歯を食いしばり我慢する。
兵舎は一昔前の学校のようで、玄関を入った正面に二階へ上がる階段があり、その左右に板張りの廊下が続いている。
そこに数人の囚人が、廊下や窓を掃除していた。
監視している兵士に事情を説明し、私も掃除に参加する。
今回は楽だ、と思っていたら、なぜかトイレ担当にされてしまった。
トイレは、階段の左右に男性用と女性用が二つある。
不健康そうな細身の囚人と二人でトイレの中を掃除していく。
地面の埃を取り、壁や木製の便座を濡らした布で拭き、お尻を拭く布を補充しておく。
トイレの中を綺麗にしたら、外に出て、建物の裏側に周った。
トイレの裏には、小さな扉があり、そこを開けると木製の樽が置いてある。この中に汚物が溜まっているのだ。
私と細身の囚人で樽を引き摺り出し、新しい樽を設置する。そして、二人で汚物の入った樽を専用の建物まで運んだ。
樽は蓋をしていても匂いが漏れており、さらに隙間から嫌な液体が染み出している。さらに中身が半分ぐらいしか入っていないのにとても重い。排泄物は重いのだ。それは冒険者の依頼で馬糞回収をした時に知った。
そんな樽を二人で、息を切らしながら運ぶのであった。
場所は、兵舎の横に建てられた資材置き場。
いらなくなった木材や道具が乱雑に置かれている。その入り口近くに汚物の入った樽がすでに四つ置かれていた。まるで酒樽置き場のようで、知らない人が間違って飲まないか心配になる。
ちなみに、この樽は一定数溜まったらルウェンの町まで運び、農家に買い取ってもらうそうだ。
樽を運んだ私たちは、再度トイレの裏側に戻り、もう一樽運ぶ。
今回の樽は、最初に運んだ樽よりも軽くて助かった。男性兵士よりも女性兵士の方が人数が少ないので、たぶん女性用トイレの樽だと思われる。
そんな事を考えながら運んでいたら、一緒に運んでいる囚人の行動が変な事に気が付いた。
やたら鼻をヒクヒクさせながら目がトロンとしている。さらに運んでいる速度がとても遅い。始めの樽よりも軽いのにだ。
私は、汚物の入った樽の匂いを嗅いで幸せそうな顔をしている囚人の顔を見て、青褪めてしまった。
こいつ、ヤバイ奴だ!
そう確信した私は、ヒョコヒョコと運ぶ囚人に視線を合わせず、無言のまま資材置き場まで運んだ。そして、逃げるように資材置き場から遠ざかり、トイレ掃除を終わらせた。
井戸で手を洗ってから兵舎の中に戻ると他の囚人たちが、浴室の浴槽にお湯を入れるている最中であった。
兵舎の浴室は、男女で二つあり、それぞれ浴槽が二つ用意されている。
浴槽は、カボチャの馬車亭やアナの家の樽のような浴槽でなく、陶器製で猫足が付いていた。こんな辺鄙で大変な職場の兵士たちであるが、生活面は充実しているようだ。
昼に水を運び、先程も汚物の樽を運んだので、もう水運びはしたくないのだが、ここで眺めていると兵士に殴られそうなので、私もお湯を運ぶ事にする。
それなのに監視をしている兵士に殴られた。
理由は、「クソを触った手で俺たちが入る風呂を入れるな!」との事。
言いたい事は分かるが、何も殴る事はないのに……。
そんな私は外に追い出され、時間まで再度トイレ掃除をさせられた。
場所は、リディーの小屋と兵舎の間にある外の簡易トイレ。私専用となっているトイレだ。
なんだかなー……。
この日の労働はこんな感じで終わった。
坑道内労働は、暗く暑く土塗れ汗塗れになる、居るだけでも大変な環境だ。だが、囚人の数が多い分、兵士に目を付けられる事は少ない。
一方、外の労働は、明るく涼しい環境であるが、囚人の数が少なく、常に兵士に見られていた。
どちらも作業内容は大変なので、坑道作業が良いか、外の作業が良いのかは、判断に苦しむ所である。
この街に来て、十日以上が経過した。
色々な現場に回され、色々な作業をした。その都度、沢山怒鳴られ、何度も殴られた。
労働自体、大変なのに、おまけで兵士に怒鳴られ殴られるので精神的にも辛い。
ただ、人間というのは環境に慣れるようで、十日も経てば心に余裕が出来てくる。
初めの頃は、労働作業が終われば、夕食を食べたら、すぐに眠ってしまった。
ただ、ここ最近、寝る、食べる、労働するの繰り返しであった私の生活スタイルに変化が起きた。
慣れからくる余裕の所為だろうか、今は夕食後にちょっとした作業をするようになった。
些細な切っ掛けで行う事になった作業だが、それでも大きな進歩だろう。
ちなみにその作業というのは、卑猥な絵を描く事であった。




