192 幕間 ギルドマスターを倒せ その後
狂人化したギルマスが倒れた事で、私たちの周りに静寂が戻りました。
ティアさんたちは、「終わったー」「疲れたー」「あたしたち、頑張ったー」とお互いに喜んでいます。
表情や態度には出ていませんが、エーリカ先輩も安堵している雰囲気を漂わしていました。
私はというと、戦々恐々しています。ギルマスの生死を確認しなければいけないからです。
私は、恐る恐る地面に倒れているギルマスに近づきます。
エーリカ先輩の魔術具をまともに頭に受けたのです。もしかしたら、頭が無いかもしれません。
半裸に近いギルマスの体は、スライムとジャイアント・グリズリーの血肉で汚れています。綺麗な部分はまったくありません。そして、頭部は……ありました。
「後輩の言う通り、死なせないように威力を弱めて撃ちました。安心して下さい。生きています」
私がほっと胸を撫ぜ下ろしていると、左手の魔術具を外し、元の手に戻しているエーリカ先輩がコクリと私に向けて頷きます。
ただ頭は無事にありましたが、顔の半分が赤黒く腫れあがり、別人のようになっていました。
「うー、臭くて堪らなーい。クマちゃんの血、臭ぁーい」
「あたしもカタツムリちゃんの粘液でガビガビよー」
「さっさと一人に戻ろー」
六人のティアさんが輪になって一人に戻ろうとしていると、エーリカ先輩から「待った」が掛かりました。
「後片付けがあります。それが済んでから元に戻って下さい」
エーリカ先輩が周りを見回しながら、小さく溜め息を吐きます。
確かに酷い有様です。
辺り一面、大量のスライムとジャイアント・グリズリーの血と肉と贓物が巻き散らかっています。その中に草刈マンティス、石切マンティス、化け蝸牛、マタンゴの死骸も転がっています。当初の目的であったホーンラビットの死骸は、どこかに行ってしまい見当たりません。
ギルマスの言っていた通り、しっかりと後始末が出来てこそ冒険者なのです。
回復薬で体の痛みは和らいでいますが、魔力切れの頭痛はまだ残っています。それに血や贓物の匂いが充満して吐き気も起きます。
何もせず休みたかったのですが、やらなければいけないので頑張ります。
まず私たちが始めたのは、気絶しているギルマスの動きを封じる事でした。
目を覚ましてまた暴れても困るので、今の内に動けなくしておきます。
穴に入っているギルマスの足を引き抜き、うつ伏せにした後、両手両足を森蜘蛛の糸でグルグル巻きにしました。
役目を終えた森蜘蛛は、幻影を解いてから森に帰します。
その後、私たちは死骸を漁りました。
魔物の魔石を回収したり、素材になりそうな部位を切り取ったり、食材になるジャイアント・グリズリーの上半身と下半身をティアさんの収納魔術に仕舞っていきます。
その間、エーリカ先輩はギルマスとの闘いで失った魔術具を見つけました。魔術具は、スライムの体液でドロドロに汚れています。
その魔術具を見たエーリカ先輩は、チラリと気絶しているギルマスに視線を向けます。いつもの眠たそうな表情ですが、どことなく殺気を感じます。
エーリカ先輩、ギルマスの息の根を止めないでくださいね。
死骸漁りを終えた私たちは、エーリカ先輩が掘った穴に不要な残骸を入れていきます。
ある程度片付いたら、エーリカ先輩の炎の魔術で軽く焼いてから土を被せました。
後は、地面の処理です。
ジャイアント・グリズリーの血を吸い込んだ地面を何とかしなければいけません。血の匂いで魔物や獣が集まってきて、その流れで街道に出てしまう恐れがあるのです。
ただ、処理しようにも広範囲に染み込んでいるので、どう処理すれば良いのか分かりません。
そこでティアさんたちは、「スライムを連れてくるー」と言って、森から土色のサンドスライムを六匹ほど連れてきてくれました。完全に魔物使いですね。
土を食べるサンドスライムは、ジャイアント・グリズリーの血を吸い込んだ地面を熱心に食べ始めます。
汚れた土を体内に取り込んでは綺麗になった土を吐き捨てているのを見ると、土の中の養分を食べているのでしょう。ミミズと同じです。
そんなサンドスライムのおかげで、血で汚れていた地面は見る見る内に綺麗になりました。
これで魔物討伐の後始末は終わりです。
役目を終えたサンドスライムを森に帰した後、六人に分裂していたティアさんが、一人に戻ります。
騒がしかった周囲が静かになると、気絶しているギルマスの口から鼾が聞こえてきました。気絶でなく、ただ眠っているようです。
正気を失って私たちを殺そうとしただけでなく、後片付けもせずに眠りこけているなんて……この事もレナさんに報告しなければいけませんね。
まったく起きる気配のないギルマスを三人で馬の背に乗せました。
戦闘中、一度も手離さなかったギルマスの大剣も回収します。ただ、鉄塊のような大剣は、魔力を流しても持ち上げる事が出来なかったので、ティアさんの収納魔術に放り込んおきました。
これでやる事は全て終わりました。
後はダムルブールの街に帰って、レナさんに報告して終りです。
………………
…………
……
私たちは、クロとシロに揺られながら帰路についています。
行きとは逆で私はクロに、エーリカ先輩はシロの背に乗っています。ティアさんは、クロの鬣の中に埋もれて眠っています。
ギルマスを乗せている馬は、クロとシロの後ろを静かに歩いています。特に手綱で引き連れていなくても付いて来てくれるあたり、ギルマスの愛馬は賢いようです。
そんな私たちは、特に会話をする事もなく、のんびりとダムルブールの街に戻っています。
本当は速度を上げて早く家に帰りたかったのですが、今も魔力切れからくる頭痛が治らないので、ゆっくりと行く事になりました。
「はぁー……」
私の口から小さな溜め息が漏れます。
会話もなくゆっくりとクロの背に揺られているせいか、色々と考えてしまうのです。
特に考えてしまうのが先程の戦い。
私はギルマスとの闘いを思い出し、落ち込み始めます。
ティアさんに危険が起きたら助けるのが、今回の私の依頼でした。
ギルマスがマタンゴの胞子で正気を失ったのは予想外でしたが、ギルマス戦での私は何も役に立っていません。逆に魔力切れでお荷物になり、全てエーリカ先輩とティアさんに任せっきりでした。
もっと魔力があれば、もっと魔法の種類があれば、もっと強い魔法を撃てればと後悔が積み重なっていきます。
今回の依頼でティアさんは正式な冒険者になり、エーリカ先輩と一緒の鉄等級冒険者になります。
元銀等級冒険者のギルマスと互角に戦えるエーリカ先輩は、まだ鉄等級というだけで実力は相当上です。ティアさんも直接な攻撃は無いにしろ、強力な幻影魔術で相手を翻弄できるので、鉄等級以上の実力です。
それに引き替え私は、鋼鉄等級相当の力しかなく、ホーンラビットやゴブリンなどの下級の魔物を相手にするので精一杯です。
ブラック・クーガーの時もそうですが、冒険者をやっていれば、いずれ強敵の魔物にも遭遇するでしょう。もし、その時に私が足手まといでしたら皆が危険に晒されてしまいます。それだけは絶対に駄目です。
これから料理屋を開店し、冒険者稼業は少なくなりますが、危険なのは変わりありません。
今後の事も考え、私は強くならなければいけないと思います。
魔物と戦って経験を積めば、レベルが上がります。レベルが上がれば、魔力量や魔法力も上がりやすくなります。ただ、知識の方はどうすれば良いのでしょうか?
私は今まで誰にも師事した事がなく、独学で魔法を使っていました。その所為で、大した魔法は使えません。
誰か風魔法が得意な人はいないでしょうか?
今度、レナさんに相談してみましょう。もしかしたら、風魔法の得意な冒険者を紹介してくれるかもしれません。
ふふふっ……。
それにしても人見知りの私が誰かに師事を願おうとするなんて、自分でも驚きです。
「後輩、何か面白い物でもありましたか?」
自分の変化に気付き、つい微笑みを浮かべていると、シロの背中に乗っているエーリカ先輩が不思議そうに見つめていました。
「い、いえ、ちょっと、考え事をしていましたので……」
「そうですか……ほら、これを食べなさい」
私が照れ隠しに手を振っていると、エーリカ先輩は服の裾からリンゴを取り出し、渡してきました。
「魔力を回復するには、栄養を摂って休む事です。今日は色々と助かりました。ゆっくりと戻るので、休んでください」
本心なのか気遣いなのか分かりませんが、私が溜息ばかりをしているので励ましてくれたのでしょう。
エーリカ先輩は、おじ様と料理以外に興味が無さそうに見えますが、結構、周りを見ているのです。
そんなエーリカ先輩の言葉に甘え、リンゴを齧ります。酸っぱくて美味しいです。
エーリカ先輩も自分用のリンゴを取り出して食べ始めます。
それにしても、エーリカ先輩の裾の中には、どれだけのリンゴを隠し持っているのでしょうか? 暇があれば、リンゴを食べている姿をよく見かけます。
「うおっ、何処だ、ここは!? 体が動かん!? どうなってやがる!」
リンゴを食べ終え、残った芯をクロに食べさせていた時、後方から声が聞こえました。
眠っていたギルマスが目を覚まし、状況が理解できず、混乱しているみたいです。
私たちは地面に降り立ち、ギルマスを馬から下ろします。そして、手足を縛っている蜘蛛の糸をエーリカ先輩の炎の魔術で焼き切りました。少しだけ火傷しましたが、大した問題ではありません。
「うげっ、服がボロボロだし、体中血生臭い。それに体中が痛いし寒気がする。特に顔が痛すぎる。どうなってやがるんだ?」
体が自由になったギルマスは、自分の状態を見回し、さらに混乱しています。
「ギルマス、説明は街に戻りながらします。馬に乗ってください」
再度、クロに乗り、ゆっくりと揺られながら帰路につきます。
その間、ギルマスに何があったかを説明しました。
私の説明を聞くにつれ、巨漢のギルマスの体が小さくなっていきます。
「そんな事が……全く覚えていないが、この姿を見れば、相当酷い状況だったんだな。お前たちには悪い事をした。すまなかった」
私たちに向けて、素直に謝ったギルマスは、盛大に溜め息を吐きます。
道中、私も溜め息ばかりを吐いていましたが、ギルマスの落ち込み様は絵に描いたように酷いです。
無理もありません。
私たちの不正が無いか監視をする為に付いて来たギルマスです。
森の調査も兼用していたので、もし私たちに危険があれば、助ける為に来たのでしょう。それが元上級冒険者であり、ギルドの代表であるギルマス自身が危険な存在になったのです。
それもマタンゴの胞子を受けて正気を失ったのです。マタンゴの脅威など新人冒険者でも知っています。ギルマスの落ち込み様は私の比ではない筈です。
「正気を失っていたとはいえ、まさか若手のお前たちに負けるなんて……意識があれば、絶対に負けなかった」
そっち!?
自分の職務云々でなく、低等級で若い私たちに負けたのが悔しいみたいです。
この人、本当にギルドマスターにしておいて大丈夫なのですか?
「書類ばかりしていては駄目だな。もっと現場に出なければ」などと溜め息を吐きながらブツブツと呟くギルマスの反省を聞き流しながら道を進む事しばらく、ようやくダムルブールの北門が視界に入りました。
すぐ近くに私の家があるので、そのまま帰ってベッドに潜りたかったのですが、冒険者ギルドで今日あった出来事を事細かに報告をしなければいけません。
チラチラと家の方を見ながら、北門に入ります。
酷い姿のギルマスは、北門の門兵に驚かれ呼び留められますが、私たちは無関係を装ったので、無事にダムルブールの街に入る事が出来ました。そして、足止めをしていたギルマスと合流し、冒険者ギルドに辿り着きました。
「ギルマス、その姿、どうしたんですか!?」
閑散としている冒険者ギルドに入るなり、ボロボロのギルマスの姿を見た職員の一人が叫びます。
その声に釣られて、他の職員たちが集まってきました。
「いやー、色々とあってな。俺は覚えてないのだが、大変だったみたいだ」
わっはっはっとギルマスの笑いがギルド内に響きます。
笑い事ではないのですが……と思いつつ、担当のレナさんに事の顛末を話します。
私が大まかに話し、エーリカ先輩が説明不足を補足します。そして、ティアさんは自分が活躍した所を盛大に語りました。
私たちの報告を聞いたレナさんは頭を抱かえています。他の職員は、冷たい目でギルマスを見ていました。
「……と言う事で、一応、依頼は達成しました。ティアさんの昇級は問題ありませんか?」
「おう、問題ない。ホーンラビットだけでなく、俺を倒したんだ。お前たち三人、銅等級まで上げても良いぐらいだ」
レナさんの代わりにギルマスが、依頼達成の完了を宣言しました。
そんなギルマスの周りに職員たちが集まります。
「ギルマス、色々と聞きたい事がありますし、色々と言いたい事もあります。時間が掛かるので、奥の部屋に行きましょう」
冷たい目をした職員たちに囲まれたギルマスが後ろに下がります。
「いや、俺、帰りたいんだけど……」
「報告が先です」
帰ろうとするギルマスの退路を塞ぐように、職員たちの囲みは狭まっていきます。
「体中、血塗れで臭いし……」
それ、ジャイアントグリズリーを倒したギルマスの本人の所為です。
「ほら、服がボロボロで着替えなければ……」
それ、私の風魔法の所為です。
「体や顔が凄く痛いし……」
それ、エーリカ先輩の所為です。
「寒気がして、調子も悪いし……」
それ、汚物スライムとポイズンスライムの所為です。
「足元がネバネバして歩き難いし……」
それ、ティアさんと森蜘蛛の所為です。
「右手の義手が傷だらけで調子が悪いし……」
それもエーリカ先輩ですね。
色々と理由を付けて帰りたそうにするギルマスに、「どれも些細な事です」と切り捨てると、数人の職員がギルマスを引きずるように奥の部屋へと連れて行きました。
その様子を見ていたレナさんから大きく溜め息が漏れます。
「私たちのマスターが多大な迷惑を掛けたようで、大変申し訳ありませんでした」
職員の代表としてレナさんが謝罪します。今日のレナさんは謝ってばかりです。
「い、いえ……一応、無事でしたので……レナさんたちも大変ですね」
私が同情の言葉を口にすると、レナさんから乾いた微笑みが返ってきました。
その後、正式に依頼完了の手続きをして、ジャイアントグリズリーと魔物の素材を買い取って貰いました。
全ての手続きを終えた私たちは、ギルマスの大剣をレナさんに預けてから冒険者ギルドを出ます。
時刻は、昼と夕方の間ぐらい。
今日は疲れたので、何もせずにそのまま家に帰るつもりです。
そのつもりでしたが……。
「ああ、本来の目的だったウサギ肉がなーい!?」
……と、ティアさんの叫びを聞いて、家に帰る前に近くの森でホーンラビット狩りをする羽目になったのです。
エーリカ先輩の魔物寄せで二匹のホーンラビットを狩った私たちは、ようやく家に着きました。
そして、魔力切れの私は、家に着くなりベッドに倒れ、眠りについてしまいました。
………………
…………
……
夕方を少し回った頃に目が覚めます。
頭痛は治りましたが、体がだるいです。
「美味しい食事を摂れば治ります」とエーリカ先輩の遠回しの圧力に屈し、体に鞭を打って、夕食を作ります。
本日は、ティアさんが食べたがっていたホーンラビット料理です。
三人で手分けをして、ホーンラビットの香草焼きとスープを作りました。
そして、楽しく食事をしている時、ホーンラビットの香草焼きを手土産におじ様の様子を見に行った別のティアさんが戻ってきました。
「おっちゃん、居なかったよー。兵士の様子を見るに、朝一で炭鉱に送られたみたい」
ティアさんの報告を聞いて食事の手が止まります。
遅かれ早かれ、おじ様が炭鉱に送られるのは分かっていました。
それでも、実際に送られたと聞くと落ち込みます。
いつ戻ってくるか分からないおじ様です。
私たちも朝一番に兵士詰所の前を通り過ぎたのです。
もし時間が合えば、一目おじ様の姿を見れたかもしれません。
私たちの中で一番、おじ様を慕っているエーリカ先輩の心情は秤しれません。
ティアさんの報告を聞いたエーリカ先輩は黙々と料理を食べていました。
そして、全てを食べ終えたエーリカ先輩は……。
「疲れたので眠ります」
……と、お風呂にも入らずに部屋に行ってしまいました。
その後ろ姿はとても寂しそうで、エーリカ先輩の姿がますます小さく見えました。
「こらー、折角、お湯を張ったんだから風呂ぐらい入りなさーい! 土塗れで汚いんだからー!」
何も言えない私の代わりに、数人のティアさんが部屋に飛び込み、嫌そうな顔をするエーリカ先輩を連れて戻ってきます。
その後、色々とあって、私とエーリカ先輩とティアさんの三人でお風呂に入り、そのまま同じベッドで眠りました。
狭くて窮屈でしたが、その代わり、暖かくて気持ちが良いです。
終始、嫌そうにしていたエーリカ先輩ですが、シーツに包まると、すぐに眠ってしまいました。
すぐ横にはエーリカ先輩が、机の上にはティアさんが寝息を立てています。
私は、二人の寝息を子守歌代わりにして瞳を閉じました。
これから大変な思いをするアケミおじ様には悪いと思いますが、今日は良い夢が見れそうです。
これにて、幕間は終わります。
10話ほどで終わらせる予定が、あれもこれもと書いていたら長くなってしまいました。
いつもの事ですが、なかなか思い通りにはなりません。
そういう事で、次話から本編に戻ります。
宜しく、お願いします。




