191 幕間 ギルドマスターを倒せ その4
蜘蛛の糸で動きを封じられたギルマスは、ジャイアント・グリズリーの突進で吹き飛ばされました。
地面を抉り、両足に土の塊を付けたギルマスは、地面に叩き付けられ、土埃を巻き上げながら転がります。今までで一番の攻撃です。それでも大剣を離さないのは、流石としか言いようがありません。
ジャイアント・グリズリーの突進を受けたギルマスは、何事もなかったように上半身を持ち上げました。
「まだ生きているわー。クマちゃん、行けー!」
ティアさんの指示を聞いたジャイアント・グリズリーは、力強く駆け出すと、勢いのまま右腕を薙ぎ払います。
鋭い爪の生えた大きな手をギルマスは大剣を盾にして防ぎます。だが、大木をも倒しそうなジャイアント・グリズリーの薙ぎ払いを完全に防ぐ事が出来ず、横へと吹き飛ばされました。
その後、ジャイアント・グリズリーは左、右と連続で腕を振り、大剣で防ぐギルマスを揺さぶります。
「魔物でないただの獣が、わたしよりも怪我を与えているとは……」
ギルマスとジャイアント・グリズリーの戦いを傍観しているエーリカ先輩が、「むむむっ」と唸っています。エーリカ先輩って、見た目と違って、負けず嫌いな所があるんですよね。
「ま、まぁ……一応、熊ですから……」
獣の中で一、二を争う強さの生き物です。そこら辺に生息している魔物に比べても、その強さは段違いです。
そんな生き物を正面から防いでいるギルマスも相当凄いですが……。
「グオォォーー!」
防ぎ続けるギルマスに怒ったのか、ジャイアント・グリズリーは後ろ脚で立ち上がると、ギルマスに向けて吠えました。
二本脚で立ち上がったジャイアント・グリズリーは、余裕でギルマスの身長を越えます。人間の大人と子供ぐらいの差がありました。
「ガァァーー!」
ギルマスも吠えました。
そして、大きく踏み込むと、隙だらけのジャイアント・グリズリーの体に大剣を叩き付けます。
ギルマスの大剣は、ジャイアント・グリズリーの首元に当たりますが、少し体に減り込んだだけで終わりました。両足に土の塊が付いたままなので、体勢が悪く、踏み込みと角度が浅かったようです。
大剣を引き抜くと、ジャイアント・グリズリーが牙を剥き出しにして、ギルマスの顔を襲います。
覆いかぶさるように迫るジャイアント・グリズリーの牙を、ギルマスは義手である右手で防ぎます。
エーリカ先輩の魔術具でも壊れない義手なので、ジャイアント・グリズリーに噛まれたぐらいでは何ともなさそうです。ただ義手から口を離さないジャイアント・グリズリーが左右へと頭を振るたびに、巨漢であるギルマスが面白いように振り回されます。
ギルマスの立場は逆転し、一方的な展開になっています。
ジャイアント・グリズリーが大きく頭を振った事で口から義手が外れ、ギルマスが大きく吹き飛ばされました。
スライムで汚れた地面をゴロゴロと転がったギルマスはすぐに立ち上がり、大剣に靄を纏わせます。
そして、追撃をしてきたジャイアント・グリズリーの爪が頭に届く直前に、大剣を地面に突き刺しました。
「うぎゃー!?」
大剣の衝撃波でジャイアント・グリズリーの頭に乗っていた二人のティアさんが飛ばされます。
衝撃波をまともに受けたジャイアント・グリズリーは、体を仰け反ると、両手で顔をゴシゴシと掃除するみたいに掻き始めました。
「どうしたんでしょうか? 様子がおかしいです」
「ティアねえさんの魔術が切れたのでしょう」
エーリカ先輩の言う通り、ジャイアント・グリズリーはのろのろと周りを歩き始めると、先程まで戦っていたギルマスに目もくれずに森の方へ歩いて行きました。
「ちょっと、どこ行くのよー!?」
「連れ戻してくるから時間を稼いでおいてー」
二人のティアさんが、ジャイアント・グリズリーの後を追い駆けます。
「ようやく、あたしたちの出番ねー」
「妖精の力を見せてやるわー」
「いくぞ、お前たちー!」
残されたティアさんたちは腕を上げて、「おー!」と叫びながらギルマスに向かいます。
少し前にギルマスと戦って、何も出来ずに逃げ帰ってきたティアさんたちです。何か策でもあるのでしょうか?
「わ、私たちも加勢した方が良いですか?」
私が加勢した所でギルマスに怪我を与える事は出来ませんが、エーリカ先輩ならと思い、横を振り向きます。そのエーリカ先輩は、「水を差すだけです。他っておきましょう」と傍観するつもりです。
そんな私たちに目を付けたギルマスが、大剣を構えながら向かってきます。
いえ、私たちでなく、エーリカ先輩だけを見ています。この中で一番脅威に感じているのは、やはりエーリカ先輩なのでしょう。
「行かせないわよー!」
一人のティアさんがギルマスの前に立ち塞がりました。そして、口元から一筋の炎をギルマスに吹き出します。
幻の炎だと知っているギルマスは、足を止める事もせず大剣を下段から振り上げて、幻の炎を掻き消しました。
炎を出していたティアさんは、大剣の風圧で吹き飛ばされ、「うわー!」と叫びながら私たちの方に飛んできます。
「まだまだー!」
ギルマスの横から飛び出した別のティアさんは、地面に手を付くと「『幻空』!」と叫びます。
突如、ギルマスの目の前の地面が盛り上がり、先の尖った石の塊が生えました。
尖った石にギルマスの足が止まります。しかし、今までの経験上、その石も幻影だと察したギルマスは、尖った石をすり抜けると地面に手を付いているティアさんに向けて、大剣を振り落としました。
「あぶねー!?」と急いで避けたティアさんの横に大剣がぶつかります。そして、地面の土と共に私たちの方に吹き飛んできました。
ギルマスが近づいてきます。
頭も体も痛いので正直魔法は使いたくありません。だけど、使わないとギルマスに殺される未来しかないのです。
覚悟を決めた私は、迫りくるギルマスに腕を伸ばすと、エーリカ先輩が私の前に移動して、行動を制止ました。
「もう目の前ですよ、先輩!? 迎え撃たなければ!」
ギルマスとの距離があと僅かというのに、エーリカ先輩は魔術具を構える事もしません。それなのに「問題ありません」といつもの平坦な声で告げるのです。
エーリカ先輩の考えている事がまったく分かりません。
真っ赤な目で、荒い息を吐き、鉄塊のような大剣を構えながら近づくギルマス。
私が血の気の失せた表情でギルマスを見ていると……。
「えっ!?」
突然、ギルマスの体が地面に沈みました。
そして、今まで平坦だった地面から穴が浮き上がります。その穴に、ギルマスの右足がすっぽりと入っています。
「わっはっはっ、落とし穴に落してやったわー! さすが、あたし!」
「ティアさん!?」
いつの間にか、私の横に土塗れのティアさんが飛んでいました。
「このティアねえさんは、ギルマスと熊が戦っている間に、コソコソと穴を掘っていたのです。周りを気にしながらマンティスの鎌で穴を掘る姿は滑稽でした」
「滑稽でも何でも言うが良いわー。裏方に回ったあたしの貢献度は高いんだからー」
「穴を掘っていた? ……まったく、気づきませんでした」
「そりゃそうよー。幻影で偽の景色を映し出して、姿を見せないようにしていたんだからー。気づくのは、細かい事でグチグチと言うエーちゃんぐらいよー」
私が「何で分かったんですか?」とエーリカ先輩に尋ねると、「高性能ですから」と意味の分からない答えが返ってきました。
「でも、あんな小さな穴だとすぐに出てきますよ」
「大丈夫、抜かりはないわー。穴の底にはクモちゃんの糸をたっぷりと敷き詰めてあるから簡単には抜け出せないわよー」
穴から片足を必死に抜こうと頑張っているギルマスの姿が見えます。
ちなみに、糸を用意した森蜘蛛は、私のすぐ近くに待機していたので、とても驚きました。
「最後の仕上げよー。クマちゃん、やっちゃえー!」
土塗れのティアさんが叫ぶと、森の中からジャイアント・グリズリーが飛び出してきました。
頭の上には二人のティアさんが乗っている事から、先程、魔術が切れたジャイアント・グリズリーでしょう。
そのジャイアント・グリズリーは、穴から右足を抜け出せない不格好な姿のギルマス目掛けて、一直線に駆けます。そして、ギルマスの手前まで来ると、両手を上げて、ギルマスの体に覆い被さりました。
ギルマスの両肩にジャイアント・グリズリーの太く鋭い爪が食い込み、体重を掛けて地面に押し倒します。
「そのまま噛み付いてしまえー!」
私の肩の上で両腕をブンブンと振り回すティアさんの声援の通り、ジャイアント・グリズリーは地面に倒したギルマスの顔目掛けて牙を剥けました。
だが、ジャイアント・グリズリーの牙はギルマスの顔に届く事はなく、動きを止めてしまいます。
ジャイアント・グリズリーの背中には、大剣が生えていました。
「うっそー!?」
ティアさんたちから悲痛の声が発せられます。
ギルマスはジャイアント・グリズリーが覆い被さる瞬間、大剣でお腹を刺したのでしょう。そして、ジャイアント・グリズリーの勢いと体重により、大剣がお腹から背中に掛けて貫いたのです。
ギルマスの大剣に透明の靄が纏わり付きます。そして、ジャイアント・グリズリーを貫いた所を中心に爆発が起きました。
ジャイアント・グリズリーの背中から血や肉や内臓が飛び出し、巨大な体が二つに別れました。
覆い被さられていたギルマスの体に血肉の雨が降り注ぎます。
ジャイアント・グリズリーの頭にいた二人のティアさんも血塗れになって、「うげー」と言いながら私たちの元まで逃げてきました。
この場で唯一ギルマスを倒せるジャイアント・グリズリーが倒れました。
もうギルマスを止める者はいません。
どうすれば良いのでしょう?
私とティアさんたちが呆然としていると、横にいたエーリカ先輩が動きました。
「動きを封じられている絶好の機会です。夕食に間に合わないと困りますので、さっさと終わらせます」
そう言いながらエーリカ先輩は、ジャイアント・グリズリーの肉や臓物を踏み潰しながらギルマスの元に向かいます。
エーリカ先輩、水を差さないと言っていたのに、思いっきり差しに行くんですね。
「もう疲れたからエーちゃんに任せるわー」
「あたしたちだけでも何とかなるけど、可愛い妹の為に譲ってあげるわー」
「思いっきし、やっちゃえー」
ティアさんたちの声援を受けながらエーリカ先輩は、ギルマスの大剣が届かない場所で止まると、左腕に装着している魔術具を構えます。
エーリカ先輩の姿を見たギルマスは、攻撃を防ぐ為に大剣を持ち上げようとしますが、腕が上がりませんでした。
「ざんねーん。すでに腕は封じてあるわよー」
私の肩に乗っているティアさんが、素敵な笑顔で森蜘蛛に視線を向けます。
森蜘蛛のお尻から糸が伸びて、ギルマスの腕に絡まっていました。
エーリカ先輩は、魔術具に魔力を流すと、ゆっくりと頭を狙います。
ちょっと、先輩!
その魔術具で顔を撃ったら、ギルマスの頭が無くなってしまいますよ!
この場が助かるならギルマスを犠牲にしても良いと思い始めていましたが、さすがに頭を吹き飛ばすのは胸が痛みます。
「先輩、待っ――」
私が言い切る前にエーリカ先輩の魔術具が火を噴きます。
爆発音と同時にギルマスの体が地面に倒れました。
重々しい緊迫感が無くない、森の中に静寂が訪れます。
煙が上がっている魔術具を下ろしたエーリカ先輩は私の方を向くと、「終わりました」といつもの平坦な声で呟きました。




