183 幕間 料理屋の準備とあれやこれや その1
今日から料理屋の準備を始めます。
簡単な朝食を摂った私たちは、早速、作業に取り掛かりました。……とはいえ、私は直接、料理屋の準備はしません。
今まで家事やクロたちの世話をしていたティアさんが、料理屋の準備の方に回ってしまったので、私が代わりにする事にします。
ティアさんは、朝一番に最大数である十四人の分身体を作りました。
十四人の内、冒険者の依頼に三人、おじ様の様子を見に兵士詰所に忍び込んでいるのが二人です。残りの九人は、エーリカ先輩の手伝いと薬草菜園の移動で家の近くにいます。
新しい薬草菜園の場所は、厩舎の横に決まりました。今後、料理屋で使う野菜も沢山育てる予定なので、結構、広い範囲を設けています。
ただ、乾燥した地面は踏み固められ、小さな雑草が絨毯のように生い茂っているので、すぐに薬草菜園を移動する事は出来ません。
ティアさんは、まず土を耕す事から始めました。
五人のティアさんがわいわいと楽しそうに雑草を引っこ抜いています。スライムも連れて来て、草を食べさせたりもしています。
ある程度、綺麗になるとエーリカ先輩を連れてきて、回転する魔術具を使い硬い土を掘り起こそうとしました。
「先輩、待って下さい!」
ティアさんたちの様子を見ながらクロとシロの蹄を綺麗にしていた私は、今にも土を掘り起こそうとするエーリカ先輩を止めます。
エーリカ先輩は私の方を向き、キュイーンキュイーンと回転する魔術具で返事をしました。
それ、怖いから私に向けないでください。
「先輩は、その恰好のままで土を掘るつもりですか?」
「そのつもりです」
勘弁してください。
そのヒラヒラとした豪華な服、洗うの大変ですよ。
「大事な服が土塗れになってしまいます。着替えましょう」
「何着か持っていますので、汚れても替えはあります。大ミミズの体液塗れになった服は、洗っても臭くて使えなくなりましたが、土ぐらいなら問題ありません」
こう言うと怒られるかもしれませんが、一応、エーリカ先輩も女の子なんです。身だしなみぐらい気を使って欲しいです。まぁ、いつもボロのローブを羽織っている私が言うのもなんですが……。
「汚れてもいい服に着替えましょう。大ミミズの卵を探した時、おじ様も服が汚れるのを嫌っていたでしょう」
「……そうでした!」
さすが、おじ様。
エーリカ先輩は、すぐに考えを変えました。
おじ様の名を聞いたエーリカ先輩は、すぱっすぱっと服を脱いで下着姿になります。
「では、始めます」
「ちょっと、待って!」
純白の下着姿のまま魔術具をキュイーンキュイーンと回転させるエーリカ先輩を止めます。
誰も居ないとはいえ、青空の下で女の子が下着姿になるなんて、エーリカ先輩には羞恥心がないのでしょうか?
「別の服に着替えるという考えはないのですか?」
「同じ服しか持っていません。それにこれが効率的です」
「効率とかカッコいい事を言っているけどー、エーちゃんはただ面倒臭いだけなんだよー。昔っからズボラなんだからー」
私たちのやり取りを見ていたティアさんが、やれやれと両手をあげて首を振ります。
「私はズボラでも面倒臭がりでもありません」とエーリカ先輩とティアさんが、楽しそうに言い合いを始めます。
私は家の中に戻り、昔着ていた私のお古を持ってきますが、寸法が合わず使えませんでした。
結局、エーリカ先輩が持っている白色の雨具を着て作業する事に落ち着きました。
雨具を着たエーリカ先輩は、キュイーンキュイーンと回転する魔術具を地面に突っ込み、ガガガッと豪快に土を掘っていきます。
辺り一面、土埃が立ち、近くにいるティアさんがケホケホと咳込み、綺麗な服が土塗れになってしまいました。
サハギンを肉片にした魔術具です。あっという間に硬い土が粉々になっていきます。
「エーちゃん、あまり細かくしなくて良いからねー。土が細かすぎると水を吸い込み過ぎちゃうんだってー。程よくねー、程よく」
どこかで聞きかじった知識を伝えるティアさん。そのティアさんの助言を聞いているのかいないのか分からないエーリカ先輩は、黙々と地面の土を耕していきます。
しばらくすると広く設けた薬草菜園予定の地面が柔かい土へと変わりました。
普通なら手に豆を作りながら鍬で土を耕す作業です。本職の農家の人がこれを見たら、悲しむでしょう。
一仕事を終えたエーリカ先輩は、雨具を着たまま満足そうに街道側の林の方へと戻っていきます。その姿のまま、道作りをするつもりのようです。
エーリカ先輩がいなくなると五人のティアさんは、耕した土からゴミや石を取り除く作業をします。その後、腐った葉や栄養のある土を林の中から持ってきて、土に混ぜ、再度耕すそうです。
結構、時間が掛かりそうですね。
ティアさんたちが楽しそうにおしゃべりをしながら作業をしている姿を眺めながら、私はクロの毛繕いをしています。
これが結構大変な作業なのです。
クロとシロは、魔物のスレイプニルです。年齢的にまだ子供ですが、通常の馬の大きさまで成長していますので、毛繕いは体力仕事になります。
まず湿らした布で体全体を綺麗に洗います。
そして、専用の毛ブラシを使い、毛の中に入り込んだ土や泥などの汚れを取っていきます。上から下へと体を動かしながら、力を入れて梳いでいくので大変です。
毛繕いされているクロは気持ち良いのか、私にされるがままに大人しくしています。
息を上げながら黙々と作業をしていると、後回しにされたシロが「私もー」と言うように、私の体を鼻先でグイグイと押してきました。
「シロ、ちょっと待っていて。順番、順番」
シロの首筋を撫ぜながら落ち着かせていると、薬草菜園のゴミ拾いに飽きた二人のティアさんが、飛んで来ました。
「よっしゃー、シロちゃんの相手はあたしたちに任せなさーい!」
ティアさんたちが、濡れた布でシロの体を拭いていきます。その様子は手慣れたもので、シロは大人しく、身を任せています。
クロの毛繕いを済ますと、ティアさんと交代して、シロの毛繕いに取り掛かりました。
クロの仕上げを任せたティアさんは、別の毛ブラシを持って、鬣と尻毛を丁寧に梳いでいきます。
「アナちゃん、林の奥から馬車が来るよー」
シロの毛繕いが終わりに差し掛かった時、尻尾を担当していたティアさんが林に続く道を指差しました。
ティアさんの言う通り、轍になっている細い道を馬車が向かってきます。
馬車は、馬一頭の二人乗りの小さな馬車でした。
クロたちの餌を運んでくれる業者の方ではありません。
たぶん、昨日、頼んだ街役所の人でしょう。
彼らは亡き父の遺産を調べ、私が相続する為の税金を支払わせにきたのです。
それにしても、何で家族の遺産を引き継ぐのに、街にお金を払うのでしょうか? まったく納得がいきませんが、文句を言うと目を付けられるので、素直に従うしかありません。
私はティアさんにシロを任せ、役人の対応に向かいました。
家の前に止まった小さな馬車から二人の役人が降り立ちます。一人は初老の男性で、もう一人は若い男性です。
簡単に挨拶を済ませると、早速、査定が始まりました。
まずは家を一周し、住んでいる建物の状態を見ます。
次に家の中を案内し、家財を見て回りました。
役所の二人は、無駄口を叩かず、黙々と木札にメモをしていきます。
そして、最後に生前の父の事を聞かれました。職種や収入について聞かれたので、私は素直に答えていきます。
「ざっと見た限りですと、支払う税金は銀貨一枚程度でしょう」
外に出ると初老の役人が金額を教えてくれました。
この査定金額が、高いのか安いのか私には判断できません。ただ、ボロボロの家と使い古された家具を見る限り、安いのだと思います。
安く済んでほっとする反面、亡き父が残した財産に価値がない事を知り、落胆もします。
「ただ……」
私がお金の出費が抑えられたと喜んでいると、役所の人たちは、馬場の方に顔を向けます。
馬場内には、綺麗にしたばかりのクロとシロが楽しそうに走り回っていました。
「あれは普通の馬でなく、スレイプニルですか?」
「え、ええ……」
嫌な予感がヒシヒシと感じますが、素直に答えます。
「スレイプニルは、とても希少な生き物です。貴族は勿論、王室や軍でも好んで所有しますので、財産の価値が跳ね上がります」
「えーと……クロたちは、私の家族です」
畜産している業者にとって家畜は財産です。家畜の数が多ければ多いほど、富者と判断されます。
ただ、私の場合、クロたちは家畜でなく生まれた時から一緒に成長した家族なのです。その事を訴えましたが、役所の人たちには関係ないとの事で聞き入れてくれませんでした。
残念ながらクロたちは、父の残した財産の一部と認識されました。
「他に飼われている生き物はいますか? 豚や鳥なんかいませんか?」
「いいえ、いません」
「あそこにスライムがいますが、あれは飼われているのですか?」
初老の役人は、耕したばかりの地面でぷるぷると震えているスライムを指差します。ちなみにティアさんたちは、面倒事にならないように隠れており、姿は見えません。
「あ、あれは、違います。適当に入ってきたのでしょう。害はないので、放っています」
あのスライムも飼っていると伝えると、相続税に小銅貨一枚が追加されそうなので、嘘をつきました……が、ティアさんが勝手に連れてきただけなので、嘘をつかなくても良かったかもしれません。
「スレイプニルの価値については、役所に戻って調べなければいけません。正式な支払い金額は後日、お伝えします。役所に来てください」
「今、大まかな金額は分かりませんか? 手持ちがあれば、その時、支払いたいのですが……」
「たぶん、一頭につき銀貨数十枚でしょう。二頭なら……金貨一枚、いくかいかないか……」
役人の言葉を聞いて、声無き悲鳴をあげます。
予想外の出費です。大出血です。料理屋に使うお金が無くなりそうです。
それだけクロたちの価値は高いんですね。喜んでいいのか悲しんでいいのか、分かりません。
「あっ、そう言えば……」
事前に尋ねなければいけない事を思い出した私は、このまま帰ろうとする役人を引き留めました。
「街道と家までの道を作ろうと思いまして、少し林を切り開いても良いですか?」
建物自体は私の所有物ですが、土地に関しては街からの借り物です。それを勝手に整備しても良いのか調べていませんでした。もし勝手な事をして、後日、怒られたり、変な出費が起きると困ります。
私は簡単に説明をした後、二人の役人に現場を案内しました。
現場に到着すると、道作りをしている筈のエーリカ先輩とティアさんの姿はありません。
どこかに隠れたのでしょう。
隠れずに、人見知りの私を助けてほしいです。
「このぐらいの道なら自由にして構いません。ただ、我々の方では関与もしません」
つまり、勝手に道を作ってもいいが、街からの協力もないという事です。
少しぐらい補助金を出してほしかったのですがね。
こうして、亡き父の財産を相続する為の査定は終わりました。
役所の人たちを見送った私から溜め息が零れます。
予想以上にお金を支払わなければいけなくなりました。
もし貴族の依頼を成功させていなければ、支払えなかったでしょう。
そう思えば、金貨一枚以上ある今で良かったと判断するべきですね。
ただ、料理屋の準備にかけるお金が無くなりそうです。
どうしましょう?




