174 事故 その2
ハンスを助ける為に潜り込んだ横穴が崩落した。
あともう少しで出口という所で、私は土砂に埋もれて身動きが出来ないでいる。
非常に強い力で体全体を押し潰され、苦しくて顔が歪む。
それだけでなく、水分を含んだ土砂は熱を帯びており、体全体をジリジリと低温で焼かれていく。
潰され焼かれるなんて料理の材料にされている気分だ。
ハンスは大丈夫だろうか?
私は、まだハンスの足を掴んだままである。
その足がピクリとも動かないので、気絶でもしているかもしれない。または、私同様、土砂の重みで、動けないでいるだけかもしれない。
どちらにしろ、私とハンスは、自力ではどうする事も出来ないでいた。
両腕の隙間に顔を埋めているおかげで呼吸が出来るが、それもすぐに酸欠になってしまうだろう。
何とかしなければ、すぐにでも死んでしまう。
だからと言って、今の私に出来る事はない。
『啓示』さん、助かる良いアイデアはないかな?
―――― ………… ――――
返事はなし。
『啓示』もお手上げのようだ。
本当、どうしよう……と落ち込みかけていたら、ズルズルと体を擦る感触がした。
土砂と石に押し潰されている体の下を何かが動いている。
生き物で無い事は分かる。もし生き物なら潰れた状態で動けるはずがないからだ。
うーん……何だろう? と薄れる意識で考えていると……。
「……縄を掴め!」
……と、微かに後方から言葉らしきものが聞こえた。
ああ、ソリを繋いでいた縄だったか……。
よくよく考えれば容易に思い出せる事であったが、酸欠と重度なストレスで思うように頭が回らないでいた。
無意識に近い感覚で、ズルズルと体の下を動いている縄を掴む。
腕を崩した所為で隙間から土砂が入り込み、口や鼻の中に入り、咽そうになった。
顔が地面に押し付けられ、呼吸が出来ない。
だが、縄を掴んだおかげで、体が後方へと引っ張られていく。
ズル……ズル……と遅い引きである。二人分の体重が乗っているので仕方がない。
低温の土砂に体中を擦られ痛い。呼吸も出来ず苦しい。
それでも確実に出口へと向かっている。
ああ、苦しいっ!
土の中というのに、深呼吸したくなるのを薄れる理性で思い止まっていると、突如、足元が軽くなった。
出口に出たみたいだ。
ほっとする私の足首を何人もの手が掴み、力任せに体ごと引きずりだされた。
ズリズリと地面に顔を擦られ、痛みが走る。
そして、無理矢理、体を上向きにされ、土だらけの顔に水を掛けられた。
「無事か!? 意識はあるか?」
一人の囚人が水の入っている革袋を私の前に持っていき、土だらけの口に水を流し込んだ。
「げはっ、げはっ!」
何の断りもなく水を飲まされた私は、盛大にむせて、土と共に水を吐き出す。
「立てるか? すぐに避難するぞ」
「ま、まだ……」
涙目になっている私は、崩落した穴に視線を向けた。
「ハ、ハンスが……まだ……あ、穴の中……」
上手く話せない私の言葉を理解した囚人たちは、急いで横穴を掘り返していく。
囚人の数は四人。彼らが私を助けてくれた。
今はハンスを救助している。
私も助けに向かいたかったが、思うように体が動かない。
「良し、間に合った。息はあるぞ」
ハンスも無事に崩落した穴から出られ、私同様、水を掛けられている。
「た、助かった……」
息も絶え絶えのハンスが、弱々しく声を出しているのを見て、ほっとする。
周りを見ると、天井からは雪が降るように小石の交じった砂がパラパラと降り注いでおり、地面も揺れていた。
壁の一部がすでに壊れ、横穴を塞いでいる個所も見える。
この切羽も崩落寸前であった。
兵士の姿はなく、残った囚人たちが、今も横穴に入っている囚人たちを助けていた。
私たちのように土に埋もれた囚人を掘り起こしたり、ちょうど今、横穴が崩落して、土煙を上げている場所もあった。
「お前たち、早く、ここから離れろ!」
「すぐに崩れるぞ!」
「急げ、急げ!」
支保作業をしていたディルクと二人の囚人が、切羽の入口まで来て、声を掛けてきた。
「まだ、穴の中に何人か、取り残されている」
「もう無理だ。通路も壊れかけている。このままいたら、閉じ込められるぞ!」
ディルクたちの言葉で、何人かの囚人が切羽から逃げていく。
私は立ち上がり、周りを見回す。
今すぐ逃げ出さないと死ぬかもしれない。でも、まだ取り残されている者もいる。
避難するか、救助に向かうか、と迷っているとハンスが私の手を掴み、通路に向けて引っ張った。
「新人、早く逃げるぞ!」
「だ、だが……」
判断に迷っていると、すぐ横に大きな岩が天井から落ちてきた。
それだけでなく、別の場所の天井が崩れ、滝のように土砂が流れ出している。
「もう無理だ! 迷っている暇はない!」
「しかし、まだ人が……」
どんどん崩れていく切羽を見ても、私は未だに決断できないでいた。
そんな私だが……。
―――― 逃げようねー ――――
『啓示』の助言が頭に流れると、急いで通路まで走り出した。
土煙が充満している切羽を出て、支保が並んでいる通路を走る。
後ろからドドドッという崩れる音がした。
私たちは、後ろを振り返る事もせず、必死に足を動かす。
所々、支保が壊れていたり、横の壁が崩れていたりと足が取られそうになる。
それだけでなく、薄暗い通路の壁際には、木箱が置かれていたり、道具が転がっていたりと、いつ転んでもおかしない。
「うわっ!?」と後方から声が聞こえた。
誰かが転んだかもしれない。だが、振り返る事は出来ない。
後ろから天井が崩れる音が迫ってくる。
頭に小石が当たるが気にしない。
「走れ、走れ!」と私のすぐ後ろを走っているハンスから声が飛ぶ。
ゼイゼイと呼吸を荒げる私は、必死に前だけを向いて走り続けた。
………………
…………
……
無事に休憩した場所まで辿り着く。
広場には、先に退避していた囚人が集まっており、みんな不安そうに通路の奥を見ていた。
私は、膝に手を当てて、はぁはぁと呼吸を整える。
私の後ろを走っていたハンスたちも辿り着く。通路の奥から土煙が吹き出すと、最後の囚人が煙を纏わりながら辿りついた。
今いる広場は、岩盤が硬く、支保もしっかりと組まれているので、簡単には崩落しないだろう。それに、地鳴りの音も聞こえなくなったし、揺れも感じない。
助かったと判断して良いだろう。
「お前たち、集まれ!」
兵士の一人が声を掛けた。
「これから地上まで戻る。順番に移動しろ」
「ちょっと、待ってくれ。まだ、坑道の奥に取り残された者がいる。救助しましょう」
一人の囚人が、土煙を上げている通路の奥を見た。
兵士も通路の奥に顔を向けるが、難しい顔をして首を横に振った。
「また、いつ崩落するか分からん。ここも安全とはいえん。許可しない」
「見殺しにするのですか!?」
「なら、助けたい者だけここに残れ。他は地上まで向かうぞ」
そう言うなり、兵士は第二横坑に繋がっている縦坑まで囚人たちを移動させた。
「新人、お前はどうする?」
体中土塗れになっているハンスが、私の顔を覗き込みながら聞いてきた。
地鳴りも止んだけど、ここも安全とは言えない。
危険を回避する為には、急いで地上まで戻った方が良いだろう。
だが、私も土砂に埋もれた時、助けられた身。
他の囚人が私と同じ状況なら助け出したい。
すでに死んでいる可能性も高いのだが、今なら助けられる可能性もある。
私は、近くに投げ捨てられていたスコップを手に持ち、崩落した通路へと向かった。
地鳴りは収まっているが、すでにボロボロの坑道内だ。いつ崩れてもおかしくない通路である。
そんな場所にスコップやつるはしといった道具を持った囚人が八人も残った。その八人の中には、ハンスとディルクの姿もあった。
通路は途中で天井が崩れ、支保の残骸が埋もれている。まず、通路を塞いでいる土砂を取り除かなければ奥へ行けない。
囚人たちは、土砂を掻き出し、ソリに乗せていく。
私とハンスは、満タンになったソリを邪魔にならない場所まで捨てていった。
何度も何度も捨てていく。
水分を含んだ土砂で、非常に重い。
それでも弱音を吐かずに、私の出来る範囲で作業を繰り返した。
私だけでなく、誰も無駄口を叩かず、黙々と体を動かしていく。
みんな崩落事故に巻き込まれた囚人を助けたい一心で……。
だが、そんな思いも空しく、まったくといっていいほどに作業は進まない。
何度も何度も崩れた土砂を取り除いていくが、地盤が緩んでいる為、掘り返す度に新しく崩れていき、まったく先に進まない。
「これじゃあ、いくらやっても埒が明かないぞ」
「土魔法が使える囚人を呼んでくるか?」
「囚人の中にドワーフが何人かいたな。そいつらなら何とか出来るかもしれない」
「アホか! 連れてきたからって、魔法や魔術が使える訳ないだろ! 俺たちは囚人だぞ!」
「兵士たちが、囚人を助ける為に束縛の魔術を解除してくれるはずがない」
「なら、どうするんだ!?」
足踏み状態になった囚人たちが、苛立ち始める。
私たちの両手足に掛けられている束縛魔術は、魔力自体を制御するものでなく、体外に放出するのを制御しているものである。拳闘の時、私が体内に魔力を循環できたので間違いない。
その為、体の中に魔力を動かす事は出来ても、体の外に向けて、崩れた壁や天井を魔法や魔術で補強する事は出来ないでいた。
だが、私なら何とかなるかもしれない。
私に掛けられている束縛魔術をレジストで壊し、その後、土魔法や土魔術が使える囚人の束縛魔術を私がレジストして壊せば、崩壊し続ける穴を魔法や魔術で補強できるのではなかろうか?
ここには武器がないので、上手くレジスト出来るか分からないが、もし上手く束縛魔術を壊す事が出来れば、人力で作業するよりも効率的だろう。
ただ、そんな事をすれば、その後の私自身の待遇が変わる事だろう。
囚人の力を縛っている束縛魔術を壊せる私は、兵士にとって非常に危険な存在になる。
私の今後の扱いは変わるのは間違いない。
崩落事故に巻き込まれた囚人の命が掛かっているのだが、どうしても尻ごみしてしまう。
「支保を組んで補強しながら掘り進もう」
「そんな悠長な時間はない!」
「分かっている! だが、やらないと奥まで行けないだろ!」
「誰か、支保に使えそうな木材を探してきてくれ」
二人の囚人が、スコップを放り投げ、木材を探しに向かおうとする。
決断した私は、助けられる命があるのなら、とその囚人を呼び留めようとした時……。
「その必要はありません」
……と後方から声を掛けられた。
後ろを振り返ると三人の兵士を連れたトカゲ兵士のリズボンが、綺麗な姿勢で私たちを見ていた。
「報告を聞き、現場を見に来ました」
そう言うと、リズボンはスススッと崩落している場所まで移動する。
私たちは壁際に並び、その様子を見守る。
大きな目をギョロギョロと動かすリズボンは、ドロドロの土砂を触ったり、壊れた支保を退かしたりしている。
「この奥の作業場に囚人が取り残されているのですか?」
「あ、ああ……逃げ遅れた者がいる」
リズボンの近くにいたディルクが、代表で答えた。
「何人ですか?」
「数までは分からないが、数人はいるはずだ」
「数人ですか……」
数秒間だけ思考したリズボンは、「それなら、封鎖しましょう」と何の躊躇いもなく決定を下した。
「封鎖」と聞いて、私たち囚人はギョッとする。
「ちょっと、待て! 見殺しにするつもりか!?」
リズボンの決定にディルクが食ってかかる。
「見殺し? 可笑しな事を言いますね」
「何が可笑しい!?」
「既に死んでいるかもしれないのですよ。もし、仮に現在も生きているとして、彼らの元まで辿り着く頃には、間に合わずに死亡するでしょう」
「間に合うかどうか、囚人たちの元に辿り着かなければ分からないだろ!」
「確かに分かりません。ただ、そんな無駄な行為は許可しません」
「無駄だと!?」
険しい表情のディルクに睨まれているのに、当のリスボンは動じる風もなく飄々としている。
「生きているのか、死んでいるのかも分からない者に、時間も手間も掛けられません。どれも貴重ですからね」
「貴様!」
「それに、ここの地盤は非常に緩いです。二次被害が起きる可能性があります。助けに向かったあなたたちが、逆に生き埋めになる可能性もあります。助けに向かった者が逆に死んでは、それこそ無駄使いでしょう」
ディルクは、歯を食いしばりながらリスボンを睨みつけている。リスボンを殴りかかりそうでハラハラする。
そんなディルクの様子を何事もないように見ていたリスボンは、クルリと向きを変えて、兵士のいる場所に戻った。
「封鎖は決定です。あなたとあなた、壊れた支保の材料で坑道を塞ぎなさい。他の囚人は退避です」
寄りにも依って、私とハンスが選ばれてしまった。
「それと私に口応えしたあなた。その態度は問題ですね。懲罰房、二日です」
リスボンの決定を聞いた一人の兵士は、すぐに呪文を唱え、ディルクの両手足に掛けられている束縛魔術を起動させた。
動きを封じられたディルクは、二人の兵士に担がれ、リスボンと共に元来た道を戻っていく。
残りの囚人たちも悔しそうな顔をしながら、兵士の後を追う。
封鎖作業を命じられた私とハンスだけが、この場に取り残された。
しばらく、沈黙が流れる。
何とも嫌な結末だ。
私自身、他にも何か出来たんじゃないかと色々と考えてしまう。
私もディルクのように抗議をすれば、リスボンは意見を変えただろうか? ……いや、私ごときが意見を言っただけでは何も変わらない。ディルクと二人で懲罰房送りで終わっていただろう。
それなら、私が思い悩んでいないで、さっさと束縛魔術を壊していたら、流れが変わっていたかもしれない……いや、時間的に無理だろう。そして、私が危険視され、懲罰房に入れられていただろ。
こうすれば良かった、ああすれば良かったと、細かい事を思い出しては後悔している。
ただ、どんなに後悔をしたとしても、この結末は変わらない。
今から兵士に内緒で、ハンスと二人で囚人たちを助け出すか? ……うん、どう足掻いても二人だけでは無理だな。
出来る事と出来ない事は、はっきりしている。
色々な感情が胸の中を渦巻いていく。
「ふぅー、やるか……」
私同様、複雑な表情をしているハンスが、土砂に埋もれている木材を取り出し始めた。
私もハンスに倣い、使えそうな木材を掘り起こしていく。
私たちは、何も語らず、壊れた木材を使って崩れた通路を塞いだ。
今も囚人が奥で生きているかもしれない通路を誰も通れないようにした。
私たち囚人は、とても無力なのだと理解した一日であった。
これにて、第三部の前半は終わります。
汗臭い話ばかりなので、後半に入る前にエーリカたちの話を数話入れようと思います。
宜しく、お願いします。




