170 お疲れ様とただいま 二日目 その2
リディーの小屋に辿り着いた。
小屋の手すりには、なめしたばかりのウサギの皮が干してある。その数、三つ。
確か昨日は二匹の山賊ウサギを狩って、なめし液に漬ける前まで作業は終わっていたはず。数が合わないので、また狩ってきたようだ。
まだ作業をしているかもと思い井戸の方に移動すると、予想通りリディーが昨日同様、ウサギの皮を丁寧に肉や汚れを削り落としていた。
デジャブを見た気分である。
「精が出るね」
「ん? ああ、戻って……うげっ!?」
熱心になめし作業をしているリディーに声を掛けると、リディーは私の顔を見て顔を顰めてしまった。
このエルフっ子は、何度、私の顔を見ては驚いたり、顔を顰めたりするのかな?
女子高生のおじさん、泣いちゃうぞ。
「酷い顔をしているな? 今日は何があった?」
一応、心配してくれるリディーに、今日あった出来事を簡単に説明した。
「はぁー、囚人同士の賭け試合に参加したと……自業自得だね」
「いやいや、別に参加したくてした訳じゃないよ。流れで無理矢理殴り合いをさせられたんだから」
「それで、なぜか途中から入ってきた筋肉の塊に殴られて、気絶させられたと……囚人も大変だな」
まるで他人事のような感想を零すリディー。まぁ、リディーにとっては他人事だけどね。
「そう言う事だから後で傷薬をくれる? 打撲でも効くよね?」
「ああ、打ち身、火傷、裂傷、腹痛、頭痛と何でも効くぞ。机に置いてあるから勝手に塗ってくれ」
何でも効く便利な薬だけど、腹痛や頭痛に効くって何? 塗り薬だよね? 魔法の薬じゃないよね?
「それでリディーの方は、またウサギを狩ってきたの?」
「ああ、十匹ほど狩ってきた。ちょっと、訳があってな」
「訳?」
「後で話すよ」
そう言うなり、リディーは私から視線を逸らし、ウサギ皮のなめし作業を再開する。
私は、リディーの邪魔をしないように小屋の裏に干してある洗濯物を取り込んでから中へと入った。
ベッドの横に荷物を置くと書き物机に向かう。
机の上には、弓矢やナイフを手入れする小道具が散乱している。その中から傷薬の容器を見つけた。
痛くならないように慎重に腫れた所に傷薬を塗っていく。
何とも言えない青臭い匂いが鼻につき、顔を顰める。時たま腫れた所を強く触り、顔を顰める。
無事に傷薬を塗り終えると、私は台所に向かい、竈に火を点けた。
そして、食卓用の椅子に座り、薪に広がる炎の揺らめきを眺める。
部屋の中が徐々に暖かくなるにつれ、瞼が重くなる。
ユラユラと揺れる炎と共に私の頭も揺れる。
そして……。
………………
…………
……
「おーい、おっさん、起きろ」
「んーん……」
「もうすぐ夕飯だ。そこで寝てると邪魔だ」
夕飯と聞いて、私は目を覚ました。
どうやら机の上で寝てしまったようだ。
「ごめん。手伝うつもりだったけど……」
「いや、構わん。大したものは作っていない」
まだ頭の中が霧に包まれている私は、呆けた顔をしながら調理をしているリディーの後ろ姿を眺める。
「何を作っているの?」
「昨日と同じ。山賊ウサギが沢山あるから腐る前に処分をしなければいけない」
「そう言えば、ウサギしか狩ってこなかったと言ったね」
「ああ、不思議な事にいつも行く狩場に普通の獣が見からなかったんだ。鹿も猪もアナグマもいない。こんな事は初めてだ」
「見つけられなかっただけじゃない?」
「糞すら落ちてないんだ」
糞って……食事前にする話ではないのだが、そう言うのを観察するのが狩人なのかもしれない。
「じゃあ、捕りつくしたとか?」
「確かにここ最近、数が減っている気がするが、まったく見当たらないのはおかしい。魔物しか見かけなかった」
「それで魔物のウサギを狩ってきたと?」
「さすがに手ぶらで帰る訳にもいかないからな。食べやすかった山賊ウサギを狩ってきた。魔物肉嫌いの料理長が嫌な顔をしていた」
くっくっくっと思い出し笑いをしたリディーは、調理を終えた料理を皿に乗せていく。
私は席を立ち、出来立ての料理を食卓に運んでいく。
「だから、大量にウサギ皮をなめしていたんだね」
「食堂で働いている連中は、料理しか出来ないからな。安い値で売られるよりも、僕が利用した方が良いだろう。あれだけあれば長い枕が作れそうだ」
リディーは、ウサギの毛皮で抱き枕を作るつもりらしい。
いいなー、私も欲しいなー。
「ウサギの件は分かったけど……これは何かな?」
私は食卓に並べた料理皿を見ながら、ずっと気になっていた事をリディーに尋ねた。
「ん? ウサギ肉を焼いたもの。ウサギ肉の入ったスープ。おっさんが好きな温野菜。そして、乾燥させた果物だ。昨日と対して変わらないだろ?」
「献立は変わらないけど……量が多くない?」
料理皿は、こんもりと山盛りになっていて、二人で食べるには多すぎである。
山賊ウサギを沢山狩ってきたとはいえ、食べ残してしまえば、逆に勿体ない事になるだろう。
私は見た目に反して、大食いではないのだ。
「三人で食べるんだから、このぐらい必要だろう」
「三人?」
「あれ、言ってなかった?」
私とリディーは、顔を見合わせながら首を傾げる。
その時、小屋の扉を叩く音がした。
「噂をすればと言うやつだな」
リディーは、私に説明をする前に扉に向かい、客人を迎え入れた。
「邪魔するぞ」
小屋に入ってきたのは、茶色の髪に太い眉毛が凛々しい女性兵士だった。
私をリディーの小屋まで案内した兵士で、確か名前はフリーデだったはず。
「パンとワインを持ってきた」
「ちょうど料理が完成した所だ。すぐに食べられる」
「それは良い。リディーの料理は美味いからな。それで新人とは上手くやっていけてるか?」
「まぁ、今の所、問題なく」
リディーとフリーデが会話をしながら食卓の方に入ってくる。
「おう、新人。お前は……」
私と顔を合わせたフリーデの言葉が途切れた。
何事? と思ったが、すぐにその原因が頭に浮かんだ。
「ブラッカスが囚人二人を殴って、懲罰房に入ったと聞いたが、殴られたのはお前だったのか」
私の腫れた部分を見ながら、フリーデが納得した顔をする。
囚人を鉄拳教育でボコボコと殴っている兵士でもドン引きするぐらい、今の私は酷い顔をしているようだ。
「ええ、休憩時間にちょっと……」
「一応、お前の担当は私になっている。何があったか詳しく聞かせてくれ」
あれ、私に担当者がいたの? 作業現場をたらい回しにされているので知らなかった。
作業現場でフリーデを見かけないので、もしかしたら労働時間外の担当なのかもしれない。
「僕も詳しく聞きたいが、その前に食事にしよう。腹が減った」
リディーとフリーデが席に着くとワインを開けてグラスに注いでいく。
私は、どうしてよいか迷い、食卓の近くに立ったままだった。
リディーだけなら私も席に着いて食事を始める所なのだが、今ここには兵士のフリーデがいる。
囚人の私が兵士のフリーデと共に席に着き、食事をしても良いのだろうか?
「どうした? 料理が冷めるぞ」
私の心情を察しないリディーは、グラスに注がれたワインを飲みながら首を傾げている。
「一緒に食事をしてもいいのか迷っている」
私はチラリとフリーデの方を向くと、「なるほど」とフリーデが察してくれた。
「先にも言ったが、お前の状況を聞かなければいけない。飯を食いながら、聞いた方が効率が良いから一緒でいい」
そう言いながら、フリーデもワインを飲んでからリディーの手料理を食べ始めた。
許可も下りたし、私も席に着き、食事を始める。ちなみにワインは少しだけにしてもらった。未成年だからね。
「これ少しだけ癖があるが美味いな。豚や鳥じゃないけど何だ?」
「ウサギだ。山賊ウサギ」
「山賊ウサギ!?」
「ああ、結構いけるだろ」
リディーは、先程話したように今日の狩りの様子をフリーデに語り始めた。
二度目の話なので、私はリディーの話を右から左に流しながら食事を楽しむ。
塩胡椒で味付けしたウサギ肉をレモンに似た柑橘系の汁をかけて食べる。
表面はカリカリ、中はふっくらのウサギステーキ。若干、甘みのある柑橘系の汁が面白い風味に変化して美味しい。
スープは、野菜少なめ、ウサギ肉多めのボリューム満点スープ。味は塩のみであるが、若干、ウサギの旨味が出ていて、これも美味しい。
温野菜は、相変わらず、ただ茹でただけなのに凄く美味しい。リディーの料理で一番のお気に入りである。その事を伝えると、ただ茹でただけなんだが、と不思議そうにしていた。
そして、こちらも相変わらずで、フリーデが持ってきたパンは岩盤のようなカチカチパンである。スープに漬けなければ、顔が腫れている私には食べられない代物だ。
「普通の獣が見かけないか……雪が降る時期でもないし変だな」
「たまたまかもしれないから、明日は少し範囲を広めて狩りに行くつもり」
「もしかしたら、強い魔物が住み着いたかもしれん。私も上に報告をしておこう」
「ああ、そうしてくれ」
強い魔物って……ブラック・クーガーの件を思い出し、体がブルリと震えた。
また、変な事に巻き込まれなければいいのだが……。
「それで新人は、どうしてブラッカスに殴られたんだ?」
リディーとの話に一段落したフリーデが、堅いパンをスープに漬けながら尋ねてきた。
私は、二人に聞かせるように休憩時間に起きた出来事を詳しく伝える。
特に私は悪くなく、巻き込まれたんだとしっかりと伝えておいた。
「そいつは災難だったな」
話を聞き終えたフリーデは、「ふふふっ」と笑っている。
笑い事じゃないんだけど……
「さっきも話を聞いたけど、休憩時間に殴り合いって……馬鹿なの?」
ワインで耳を赤くしているリディーは、呆れた顔をしていた。
うん、私もそう思う。参加した自分が言うのも何だが……。
「そもそも、囚人にそんな自由が許されているのか?」
不思議に思ったリディーは、フリーデに尋ねた。
「基本、休憩時間は自由にさせている。ただ、現場を監督している兵士の一存が大きいから、場所によって休憩の仕方は様々だ」
ああ、確かに現場を監督していた兵士は、囚人と一緒に賭けをしていた疑惑があったな。
残念ながら私とルドガーの試合は、無効になっちゃたけど。
「それにしても、ブラッカスが懲罰房送りか……笑かしてくれる」
楽しそうに笑うフリーデに、「どんな人物なの?」とリディーが尋ねた。
「新人が説明した通り、筋肉の塊みたいな男だ。炭鉱現場は自分の筋肉を鍛えるのに適した場所だと言い張る頭の中身まで筋肉で出来ているバカだ。ここに来た当初は、一人でトロッコを動かそうと躍起になっていたな。流石に岩盤を乗せたトロッコを一人で動かせず、もっと体を鍛えなければ、と素手で坑道を広げていた」
「そいつ馬鹿だね」
リディーの感想に私はコクコクと頷く。
「そんな奴が、懲罰房四日か……戻って来た時が楽しみだ」
「四日って短くない?」
私の懲罰房のイメージは、薄暗い狭い部屋で一日中座って過ごす独房である。
何もやる事がない大変な罰なのだが、四日ぐらいなら普通のように思える。
部屋の大きさは違うが、私が兵士詰所に監禁されていた時のような生活だろう。その時も三日だったはず。
「いや、長い方だ。普通なら二日で終わる。私なら半日で発狂するだろう」
フリーデの話によると、ここの懲罰房は私の思い描いている懲罰房とは少し違った。
外の簡易トイレぐらいの身動きが一切取れない部屋。
そんな立つか座る事しか出来ない狭い場所に、トイレ用のおまるだけが置かれている。
明かり窓はなく、完全な暗闇。
食事は水で、朝昼晩の三回だけだそうだ。
さらに外に設置されているので、夜は恐ろしく寒いそうだ。
「一歩も歩く事が出来ない真っ暗な場所だ。体力と精神は削られ、時間の感覚も無くなり、空腹でもがき苦しむ。それが懲罰房だ」
山盛りのウサギステーキをバクバクと食べながらフリーデの説明は続く。
「昼間はまだ大丈夫だが、夜になるととても冷える。下手をしたら、気温だけで死ぬ恐れがあるだろう。実際にそれで一人死んでいる。朝、様子を見たら凍死していたらしい」
フリーデの話を聞いたリディーは、「うげー」と嫌な顔に変わる。
「最悪なのが、空気穴からネズミや虫が入り込んでくる事だ。何も見えない足元にネズミや虫が動き回り、おまるの中を食べたり、裸足を齧られるんだ。それで病気になって足を切断した奴もいた」
うわー、食事中に聞く話じゃないんだけど……。
「一度、六日間の懲罰房送りを受けた奴がいたな。理由は、男爵に失礼な事をしたとか何とか。そいつ、あまりの空腹に耐えきれず、足で潰したネズミや虫、自分のアレを食べて六日間を凌いだぞ。まぁ、人間じゃなく別の種族だがな」
フリーデが言葉を濁したので分からないが、自分のアレとは……自分の体の一部でも食べたのかな? トカゲ兵士みたいな種族なら自分の尻尾を食べても生えてきそうなので、痛みさえ我慢すれば、自給自足できそうだ。
いや、体の一部でなく、もしかして排泄物……やめやめ、考えるのは止めよう。
「その為、最大三日が限界だ。それ以上やると体だけでなく頭もおかしくなる。使った懲罰房は使った本人に掃除をさせるのだが、動けない囚人の代わりに私たち兵士が汚物まみれの場所を掃除しなければいけなくなるので、三日以上は基本しない事にしている」
完全に視界のきかない場所でトイレをするのは至難の業らしく、ほとんどが糞尿まみれの状態で懲罰房から出てくる。懲罰房から出た囚人の最初の作業は、自分が汚した懲罰房の掃除だそうだ。
嫌過ぎる。
「そんな場所で四日を過ごすんだ。ブラッカスのような筋肉バカなら、まともになって戻ってくるかもしれないな。だから、お前も懲罰房送りになるような問題は起こすなよ」
真剣な表情に切り替わったフリーデは、私の顔を見て釘を刺した。
言われなくてもやりませんよ。
「懲罰房で死人が出ているんだろ。罰とはいえ、やりすぎじゃないのか?」
乾燥させた果物をモグモグさせながら、リディーが真剣な顔で言う。
「私もそう思う。他の兵士もそういう意見が出ている。ただ、ロシュマン男爵とリズボン班長が必要と言い張るので今も使われている」
兵士の間でも意見が分かれているようだが、上の判断で廃止にならないようだ。
ちなみにリズボン班長とは、トカゲ兵士の事らしい。
「ああ、もう止め止め。辛気臭い話を聞きながら食事はしたくない。もっと楽しい話をしよう」
無理矢理、話を終わらせたリディーは、「何か面白い事を話せ」と私に無茶ぶりをした。
ボッチ生活の長い私に面白い話など出来る筈もなく、仕方なく私が好きなホラー映画の内容を怪談ぽく話をしたら、「つまらん!」と強制終了させられた。リディーはすでに酔っているようだ。
その後は、フリーデを中心に話をしながら食事が進む。
そして、リディーが真っ赤な顔をして船をこぎ始めた頃、フリーデがお腹を擦りながら満足顔で帰っていった。
どうもフリーデは、私の様子を見に来たという口実に、リディーと食事がしたかっただけのように感じた。この二人、仲が良いようだ。
当のリディーは、兵舎までお風呂に入りに行く事もなく、そのままベッドに倒れて眠ってしまった。
グラス二杯分のワインを飲んだだけでこの様である。私ほどではないが、リディーもお酒は強くないようだ。
そんなリディーを眺めながら、私は汚れた皿を洗い、歯を磨いてからベッドに倒れた。
私も少しだけお酒が入っているので、頭が霞み掛かっている。
しばらくリディーの寝息を聞きながら瞳を閉じていると、徐々に意識が遠のいていった。
明日も無事に帰ってこれますように。
お休みなさい。




