169 お疲れ様とただいま 二日目 その1
「お前ら、ルドガーと新人を介抱しろ。他は作業場へ戻れ。休憩時間は終わりだ」
薄れる意識の中、鉄を叩く音が聞こえた。
「ブラッカス、貴様は作業場でなく懲罰房だ」
「はぁ、何でだよ!? 何で俺が懲罰房に行かなければいけないんだ?」
「休憩中とはいえ騒ぎを起こしたんだ。それも囚人二人を意味もなく暴力を振るった。これ以上、理由はあるか?」
「意味はある。俺がルドガーよりも強い事を示した」
「それはお前だけの理由だ。俺には関係ない。懲罰房三日だ」
「ふざけんなー! 懲罰房なんか入ったら、俺の筋肉が萎んでしまうじゃねーか! 絶対に入らねーからな!」
「口応えするな! 一日追加だ! おい、そこの囚人、この筋肉バカをトロッコに乗せて、外の懲罰房まで運べ!」
遠くの方が騒がしい。
気持ち良く眠れそうなのに騒がないでほしい。
何も考えずに眠りにつこうとすると、バシャッと顔に液体を掛けられ、薄れる意識が強制的に覚醒させられた。
「な、何……痛っ!?」
驚きのあまり上体を起こすと、顔に激痛が走った。
「おい、大丈夫か? 気分が悪かったりしないか?」
空の桶を持っているディルクが目の前に立ち、見下ろしている。彼が私に水を掛けたようだ。
「離せー、止めろー!」と騒がしい通路の奥には、両手足の束縛魔術を起動しているブラッカスが囚人三人によってトロッコに乗せられているのが見えた。
そんなブラッカスの様子を見て、私は殴られて気絶していた事を思い出す。
「酷い目にあったな。どうだ、動けるか?」
「な、何……とか……」
ディルクが私に向けて手を差し伸ばしてきたので、私は素直に手を取り、地面から立ち上がった。
ブラッカスの茶番とちょっとした気絶時間のおかげで、両腕の痛みは薄れている。だが、代わりにブラッカスに殴られた顔が焼けるように痛い。。
言葉を出すだけで、皮膚が裂けそうな痛みがする。腫れ跡が頭に近い所為か、表情を変えるだけで、ズキズキと頭痛が走る。
「か、顔……どんな……感じ?」
「骨にヒビでも入っているかもしれんな。酷く腫れている。鏡は見ない方がいい」
「や、やはり……これから……作業を……するの?」
「体が動けるのだから作業は継続だ。やらないと今度は兵士に殴られるぞ」
何というブラック企業!? いや、囚人だから仕方がないのか……。
ボロボロのヘロヘロにされただけでなく、こんな状態で肉体作業をしなければいけないとは……。
これもルドガーとブラッカスの所為だ!
「お前、支保作業に回されたんだろ。俺もその作業だ。ついてきな」
そう言うなりディルクは、坑道の奥へと進む。
私は、フラフラとした足取りでディルクの後を追い始めた。
薄暗い坑道内をフラつく足で歩くので、何度か足がもつれて転びそうになる。
本当にこんな状況で作業が出来るのだろうか?
山の中を掘り進めた坑道が崩落しないように、天井や壁を木材で補強をする事を坑内支保という。
この坑道内では、壁際に二本の脚と天井に一本の梁を設置する簡単な木材支保が採用されている。
坑道の奥に進むほど気温が上がり、天井から水滴が滴っていた。それに合わせて、支保の間隔が短くなり、稲荷神社の鳥居みたいになっている。
一つ上の第二坑道と比べ支保の数は多く組まれている事から今掘り進めている第三坑道が非常にもろい岩盤だと分かった。
薄暗く、空気の重い坑道を黙々と進むと、二人の囚人が地面に置かれた木材の上に座っていた。
「待たせたな」
「こんな酷い場所だ。休めるならいくらでも待ってやるさ……おっ、さっきの新人じゃねーか」
「酷い顔してやがるな。大丈夫か?」
「な、何とか……ッ!?」
口を動かすとズキリと痛みが走る。まったく、大丈夫じゃなかった。
「骨がいってるかもしれん。顔を動かすと痛むらしい。こいつに話し掛けないでくれ。お前も無理に話さなくていい」
ディルクが私の状況を二人の囚人に説明してくれる。
私は言葉に甘えて、口を閉ざし、コクリと頷く事で返答した。
「それは仕方ねーわな。筋肉の塊であるブラッカスの拳をまともに受けたんだ。こうして、すぐに動けるだけでも大したものだ」
「ルドガーは腹に受けただろ。当分、飯が食えねーだろうな、あいつ」
二人の囚人は、顔を合わせて笑い合っている。
一人は背の高いひょろ長い青年。もう一人は中肉中背で無精髭の中年。どちらも囚人とは思えない、ごくごく有り触れた一般人みたいである。だが、服の汚れからして坑道作業は長そうだ。
そんな二人にディルクは、「そろそろ作業をしよう。兵士に殴られるのは嫌だろう」と提案する。
私と同じ新人であるディルクであるが、昨日の内にこの囚人たちと馴染んでいるようだ。
傷だらけの怖い顔をしているが、意外とコミュ力は高いのかもしれない。
支保作業が始まる。
この坑道は、素人が掘っている為、高さや幅が均一でない。
そこでまず、梁となる木材を中肉中背の囚人が鋸で長さを調整した。
切られた梁用の木材を背の高いディルクとひょろ長の青年が簡易の脚立に乗って天井まで持ち上げる。
すぐに中肉中背の囚人が脚用の柱を持ち上げ、梁の先端に合わせるように壁際に立たせた。
ここで私の出番である。
脚用の柱の高さが足りないので、その辺に転がっている石や木材の破片を柱と地面の間に埋め込んでいくのだ。
今回は、梁用に調整した木材の破片が丁度良いサイズだったので、ズボッと嵌め込んで終わった。
反対の壁側にも柱を立てて、高さを調整したら、梁を持ち上げていたディルクとひょろ長の囚人は手を離して脚立から下りた。
そして、梁と脚を固定する為にコの字型の金物で接合部に打ち込んで補強する。
以上。うん、簡単だね。
疲労と怪我でフラフラの私でも手伝える。
それにしても、こんな簡単に支保を組んで、本当に落盤を防げるのか不安になる。
だが、この世界のこの坑道では、これが普通との事なので、その通りにする。まぁ、不安に思っても、私に支保工の知識がないので助言など出来ないのだけどね。
ただ、支保と支保の間に屋根のような板を張った方が強度が上がるだろうと思い、痛い顔を我慢して聞いてみた。
「確かに強度に関しては上がる。だが、許可が下りない」
「許可? どういう事だ?」
私の問いに答えた中肉中背の囚人の返答にディルクが聞き返す。
「木材は無限じゃない。天井を覆う程の木材を確保すれば、あっという間にハゲ山ができちまう」
「いや、ここを管理している貴族がハゲ山ぐらいじゃ何とも思わないさ。単純に木材を切って、加工する人間が足りないだけだ」
一般の炭鉱夫が働く第一坑道と違い、この第二坑道は囚人だけで掘り進めている。
作業員が足りないからと、求人募集をかければ囚人が集まる訳ではない。
囚人作業員は、何らかの罪を犯し、炭鉱送りが決まらないと、この場所には来ないのだ。
以前、トカゲ兵士が囚人を使い潰さないと話をしていた。
いつ補充用の囚人が入ってくるか分からない状況で、無茶な使い方をして囚人作業員を潰していったら、炭鉱事業が止まってしまう事を言っていたのだろう。
そういう事で囚人は、生かさず殺さずに管理されている。
「それ以前に、今いる第三坑道は炭層探しの真っただ中だからな。あるかどうか分からない現場に大量の木材なんか使わねーさ」
「この先の切羽で炭層が見つかれば、しっかりとした道を作り直すだろう。今は簡易な支保で十分なのさ」
「本当に十分か?」
ディルクは、剥き出しの壁を触れる。
壁の表面は水滴で濡れており、流れた水で地面がビチャビチャになっていた。
「一つ上の横坑に比べ、地下水が染み込んでいるな。いつ落盤してもおかしくない」
「今の所、落盤事故は起きてないが、地下水が流れ出ている場所は至る所で起きてるぞ。あまりに酷い場所は、廃坑にしてほったらかしだ」
「お前らもその内、湧水を外に排水する作業をするだろう」
坑道事故には、天井が崩れる落盤事故だけでなく、地下水が流れだして水没する事故も起きる。それだけではなく、有毒ガスも発生するし、粉塵爆発も起きる。とても危険な現場である事を改めて思い知らされた。
「俺たちがここで危険性を話していても、決めるのはあの貴族だ。現場の兵士の報告すら聞かないらしいからな。俺たち囚人の助言や提案なんか、貴族に届く前に捨てられる」
「囚人に選択肢はない。黙って、作業をするしかないのさ」
二人の囚人の話を聞く限り、町を管理している何とかと言う男爵と炭鉱作業の危険性を知っている兵士の間にも隔たりがありそうだ。
そんな夢や希望もない、いつ事故が起きるか分からない坑道内で私たちは支保を設置していく。
天井や壁が脆い場所に支保を組むので、沢山の木材が使われた。
そして、木材が無くなれば、地上に戻り、トロッコに木材を乗せて、また戻って来る。
ちなみに、坑道内を照らす光の魔石を設置するのも私たちの作業の一つである。
一定の間隔で梁に埋め込み、兵士が魔力を流す事で、光の魔石は光り出す。魔石は魔力が無くなるまで光りっぱなしで、兵士は魔力切れの魔石がないか、坑道内を歩いては見て回っていた。
こうして私たちは、炭層探しをしている奥の切羽近くまで支保を設置した所で作業終了の合図が鳴った。
暑くジメジメとした空気の重い坑道作業であったが、休憩時間の拳闘以外、特に問題らしい問題はなく本日の作業は終わった。
この頃になると、殴られた顔の痛みも和らぎ(慣れた?)、普通に話せるぐらいには落ち着いた。ただ、腫れている所を触ると、悲鳴が上がるほど痛い。
囚人同士、お互いを労い、地上へと帰還する。
薄暗い坑道を抜け、明るくなった坑外に出ると、何人かの囚人が私の顔を見てギョッとする。腫れあがった顔の原因を聞きたがっているが、わざわざ直接、私に聞いてくる者はいない。
私の見た目が怖いから聞きたくても聞けないのだろう。
坑口浴槽に移動し、昨日同様、隅の方で恥ずかしそうに服を脱ぐ。
冷たい水を顔に掛けると熱くなっている腫れ痕が冷えて、気持ちがいい。
私は手早く体を洗う。
昨日は、ルドガーが私の裸体を舐め回す為に来たが、流石に今日は来なかった。
私同様、ブラッカスに気絶させられたのだ。あの後、ルドガーがどうなったのかは分からない。
水滴を拭いて、新しい服を着た私は、囚人たちに交じり帰途につく。
殴られた所は痛いが、昨日に比べ、体力的に余裕がある。
昨日今日で暑さや労働に慣れた訳ではないので、気分的な問題なのかもしれない。
美味しい食事と暖かい部屋が待っている。
そんな休まる場所が私にはある。
囚人にとって、それは非常に有り難いものだ。
普通の囚人が寝起きしている宿舎はどうなのだろうか?
ペーターによれば、厳しい環境だと言っていた。
不味く、量の少ない食事。隙間風が吹く寒い小屋。硬い床と木材の枕で雑魚寝。そして、四六時中、兵士の監視が付きまとう。
折角、大変な労働作業が終わったというのに、息の詰まる宿舎で過ごさなければいけないのだ。一般の囚人は大変だ。
恩赦に感謝、リディーに感謝である。
他の囚人に悪いと思いつつも、私は楽しい気分でリディーの小屋に向かったのであった。




