168 拳闘 その後
筋肉ダルマとは、行方不明のベアボアを探す依頼を受けた時に戦った盗賊だ。
私と一対一で戦い、最後はエーリカのグレネードランチャーで倒した記憶がある。
貴族の荷物を盗んだ罪だったけど、死刑は免れ、炭鉱送りで済んだようだ。
それが何で私の目の前に現れて、ルドガーと対峙しているんだ?
「何の用だ、ブラッカス! お呼びじゃねーよ!」
「呼ばれてもいねーよ」
「なら来るな! 邪魔をするんじゃねー!」
「そう言う訳にはいかん。このハゲのおっさんには、借りがあるんだ。このハゲのおっさんを倒したければ、まずは俺を倒すんだな」
「お前の借りなんか知るかっ!」
筋肉ダルマと対峙しているルドガーは、顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
観客の囚人たちからも「横入りするな!」とか、「試合を中断するな!」とか、「筋肉バカは帰れ!」と罵声が飛んでいる。
うん、負けそうな私でもそう思う。
そんな筋肉ダルマことブラッカスは、周りのヤジに一切気にする事なく、ゆっくりと上着を脱ぎ、見事としか言えない立派な筋肉を見せた。
「何で服を脱ぐんだ!? お前とは試合をしないぞ!」
「そう言うなって。二言三言、話をした仲じゃないか」
訳の分からない事を言うブラッカスは、自分の体をバンバンと叩き、筋肉の調子を調べている。
ちなみにブラッカスの筋肉は、パツパツで張りがあり、ツヤツヤで生き生きとしていた。疲れ切った筋肉をしている他の囚人たちとは、まったく違っている。過酷な炭鉱作業をしているというのに、まったく意味が分からない。
「仕方がない。納得していないようだから説明してやるか。しっかりと聞け。俺とこのハゲのおっさんの素晴らしい死闘を……」
誰も聞きたいと言っていないのに、ブラッカスは囚人連中にも聞こえるように話し始めた。
間違って貴族の荷物を盗んでしまった事、遠くに逃げる為に部下に馬を盗ませた事、アジトに戻った時に私と出会った事、狭い洞窟内で私と戦った事を順番に語り出す。
その語りは、身振り手振りをしながら、ドガッとか、ガスッとか、擬音だらけの分かり難い話だった。
「俺はこの見事な体と拳で、おっさんは貴族が使う細身の剣で戦ったんだ。何度も何度も攻撃しては防いでの熾烈な攻防。最後には魔術まで織り交ぜた激しい死闘だったぜ」
「ふーん……」
面倒臭くなったのか、まったく興味のない顔をするルドガーは適当に相づちをしている。
「手を斬られた俺は、渾身の一撃を叩き付けて勝つつもりだった。だが、返り討ちにあった。最後の一撃は凄かった。痛みすら感じる暇もなく、衝撃と共に意識が飛んでいった。視界を奪われていたとはいえ、どうやれば、あんな一撃を放てるのか、未だに分からん」
あー、それ……エーリカのグレネードランチャーをまともに受けたからだね。
「目が覚めた時は、兵士詰所の檻の中だったぜ。こいつはな、死闘を繰り広げた敵である俺に回復薬を使ったんだぜ。おかげで、折れた肋骨や斬られた手は無事に治った」
「若干、ズレてるがな」と手の平をルドガーや囚人たちに見せている。
適当に切れた部位をくっ付けて、回復薬を振り掛けただけだけどね。
「じゃあ、何かブラッカス。負けたお前に回復薬を掛けて治してくれた恩があるから、新人のこいつを助ける為に割り込んだと言うのか?」
「ちげーよ。そうじゃない」
「じゃあ、何だ?」
「俺はこのハゲのおっさんに負けた。今、このおっさんがお前に負ければ、俺はお前よりも弱い事になるじゃねーか。ルドガー、俺はお前よりも弱くねーぞ」
「どうでもいいわー!」
ルドガーの言う通り、自分勝手の言い分である。
だが、この流れは私にとって好都合だ。
このままルドガーと戦っても、勝てる見込みはない。
それならブラッカスがルドガーと戦って、さらに勝ってしまえば、私との勝敗は無効になる。
勝つ事も無いが、負ける事もない。
悪いのは、勝手に割り込んできたブラッカスになるので問題無い。
「そう言う事だ! ハゲのおっさんに勝ちたければ、まずは俺を倒してみろ!」
「あー、もう、面倒臭せー!」
我慢の限界を迎えたルドガーは、ブラッカスに吠えると左拳を放った。
ブラッカスは防御すらせず、ルドガーの拳を顔面に受けた。
「ふん、こんなものか?」
「クソ野郎!」
余裕を見せるブラッカスにルドガーは、怪我をしている右の拳も使って、ブラッカスを殴り始める。
当のブラッカスは、腰に手を当てると左右に大きく広げながら筋肉を膨張させる。ボディビルのラットスプレットのようなポーズを維持しながらルドガーの拳を受け続けていた。
「もっとだ、もっとだ、もっとだ! お前ならもっと出来るだろ!」
「おらおらおらっ!」
ルドガーは、防御する事も避ける事もしないブラッカスを何度も殴る。
だが、当のブラッカスはまったく微動だにしない。
「ふん、こんなものか?」
「ふざけんなー! まだまだ!」
ルドガーに何度も何度も顔や胸や腹を殴られ続けられているが、まったくダメージが蓄積されている様子がない。肌が赤くなったり、腫れたりもせず、ただルドガーの血が塗られているだけであった。
「ふん、他愛も無い……次はこちら側だ」
そう言うなりブラッカスは、クルリと回れ右をすると、ルドガーに背中を見せる。
背を見せたブラッカスは腕を上に伸ばすと、肘を曲げて上腕二頭筋を膨らませた。
俗にいうダブルバイセップスのポーズである。
ちなみに私の方からは正面になり、ポージングしているブラッカスと目が合っている。そんなブラッカスは、私に向けてニヤリと笑って、殴られ続けていた。
「馬鹿にしやがって!」
ムキになったルドガーは、足も追加して、殴る蹴るの連続攻撃。それでも痛みする感じていないブラッカス。後頭部も殴られているのにどうなっているのだろう?
私みたいに魔力を循環させて筋肉を強化しているのだろうか?
それにしても、私たちは一体何を見せられているのだろう。
ツヤツヤの筋肉を見せびらかしている筋肉ダルマ。呼吸を荒げて殴り続けるルドガー。
ヤジを飛ばしていた囚人たちも声を潜めてドン引きしている。
こんな意味不明な状況であるが、ルドガーの攻撃の回数が減ってきた事で終わりを告げる。
滝のように汗を流すルドガーは、膝に手を付いて、荒い呼吸を吐いていた。
無理もない。
高温多湿で空気の重い坑道内で、ゴムタイヤの様な体を殴り続けたのだ。私ならブラッカスが背中を向ける前に力尽きていただろう。
「ふん、もうお終いか?」
ポージングを解除したブラッカスは、ルドガーの方を向き直り、埃を払うように自分の筋肉をバシバシと叩いた。
「う、うるせー……馬鹿野郎……」
ゼェゼェと苦しそうにするルドガー。
わざわざ返答しなくてもいいのに……。
「では、次は俺の番だな」
そう言うなり、ブラッカスは腰を落とし、左手を前に、右手を後ろに引いて、全身に力を溜める。
何となくブラッカスの体からオーラのようなものが見える気がする。
「ちょ、ちょっと、待て!?」
「俺がこの体勢になったら、誰かを殴らない限り、俺は満足しない! 諦めろ!」
だじろぐルドガーに自分勝手な言い分を放つブラッカス。
「岩盤相手に何度も鍛えた俺の拳を受けるがいい!」
ハァーと息を吐いたブラッカスは、限界まで引き絞った弓のように右拳を解放する。
ただただ真っ直ぐに突き出した拳は、吸い込まれるようにルドガーの腹にぶつかった。
もろに正拳付きを受けたルドガーは、体をくの字に曲げ、観客の囚人を巻き込みながら吹き飛んだ。
「俺の拳、敵なし!」
ピクリとも動かなくなったルドガーから視線を外したブラッカスは、右拳を頭上に持ち上げて、大声で叫ぶ。
何となくカッコいい場面であるが、いかんせん、やっているのが筋肉ダルマな為、滑稽にしか見えなかった。
「何、カッコつけてんだ! 鏡を見ろ、この馬鹿!」
「お前の所為で、賭けが台無しじゃねーか!」
「すでに疲れ切っている相手に勝っても自慢になんねーぞ!」
「一生、岩でも殴ってろ!」
今までドン引きしていた囚人たちが息を吹き返し、ブラッカスに向けて罵声をあげる。
そんな声に耳を貸さないブラッカスは、上げていた腕を戻し、ドスドスと私の元まで歩いてくる。そして、地面に座って休憩していた私に向けて、手を差し伸べた。
「立ちな、友よ」
「いや、友達じゃないけど……」
気味の悪い事を言うブラッカスの手を無視して、ゆっくりと自分だけで立ち上がる。
「俺を負かしたんだ。お前は間違いなく友である」
あれかな?
筋肉ダルマの頭の中では、強敵と書いて『とも』と呼ぶみたいな公式が出来ているのだろうか?
うん、こいつとは、一生、関わってはいけないな。
「そう言う事だ。だから、前回の再挑戦をさせてもらうぞ」
何がそう言う事なのか、まったく分からないが、私の有無も聞かずにブラッカスは戦闘体勢になった。
「ちょっと、待て! 何でそうなる!?」
私の言葉はブラッカスに届かず、腰を落としたブラッカスは、私に向けて拳を突き出した。
私は何も出来ずに、もろに正拳突きを顔に食らい、意識を失った。




