164 炭鉱作業 二日目
ああー、これ以上、眠れない!
冷え切った小屋のベッドから私は体を起こした。
まだ太陽は昇っておらず、薄暗い部屋の中で聞こえるのは、リディーの寝息ぐらいである。
昨日は夕食を食べてすぐにベッドに入ったので、いつも以上に寝てしまった。
途中で何度も起きたのだが、起きてもやる事がないので、二度寝三度寝と繰り返したが、さすがに限界がきた。
トイレに行きたい!
私は、眠っているリディーを起こさないようにベッドから抜け出し、床に転がっているリディーの荷物を踏まないように台所まで向かう。
竈の中はほんの少しだけ火が残っており、その火を使って蝋燭に火を点け、ランタンにセットした。
外に出ると完全な真っ暗でなく、若干明るさがあった。霧も出ていないので、今日は晴天になりそうだ。
私はランタンの光を頼りにトイレで用を済ませ、冷たい井戸水で手と顔を洗った。
山脈の頂上付近を見ると、淡いオレンジに成りかかっている。もうすぐ太陽が昇り、今日という日の始まりを告げていた。
本日は平穏無事に終わりますように……。
山に向けて、適当に願ってから小屋に戻る。
火の点いたランタンを机に置いて、ベッドに座った。
うーむ、やる事がない。
エーリカと一緒の部屋で眠ていた時は、ストレッチや筋トレをしながら時間を潰していたのだが、今日も炭鉱で嫌になるほど筋トレをする羽目になるので、わざわざ時間潰しにやるつもりはない。
朝食の用意をしてもよかったが、気持ち良さそうに寝ているリディーを起こしそうなので、完全に太陽が昇るまで我慢する。
だからと言う訳ではないが、ぼーっとリディーの寝顔を見ていた。
リディーは、寝間着も普段着も同じらしく、面白味のない少し大きめの服を着ている。
そんなリディーは、シーツを丸めて抱き枕のように寝ていた。
寒くないのだろうか?
それにしても、本当に男性か? と疑問に思える程の可愛い寝顔である。
男性のリディーがこんなにも可愛いのなら、女性のエルフはもっと可愛いのだろうな。
うん、機会があれば、ぜひ、お顔を拝見したいものだ。
ぐるるぅーとお腹の虫が鳴った。
ピクピクとたまに動くリディーの耳を見ていたら、お腹が空いてきた。
リディーの長い耳を見ていると、手羽先を思い出してしまう。
今度、鳥でも狩ってきてもらおうかな。
………………
…………
……
「おっさん、おっさん、起きろ。朝だぞ」
いつの間にか眠ってしまった私は、リディーに体を揺すられ、起こされた。
「凄く疲れていたんだな。朝までずっと寝ているなんて大したものだ」
「いや、途中で起きたけど……暇で寝てしまったみたい」
リディーの寝顔を見ていたら寝てしまったと正直に話すのは止めておく。
すでに朝食の用意が済んでいるらしく、いい匂いが部屋中に漂っている。
私は欠伸をしながらベッドから抜け出し、外に出て、井戸水で顔を洗ってから小屋に戻った。
「おっさん、怪我の具合はどうだ?」
食卓に料理を並べているリディーの問いに、昨日、兵士に鞭で打たれた事を思い出す。
寝て起きてから痛みが無いのですっかり忘れていた。
「自分じゃ分からないので見てくれる」
シャツをまくり、無駄に広い背中をリディーに見せると、「あれ?」と首を傾げられた。
「な、なに? その反応?」
「い、いや……傷薬の跡があるだけで、腫れは綺麗さっぱり治っている。そこまで効果のある薬じゃないんだけど……」
たぶん傷薬の効果だけでなく、私の謎回復力の所為だろう。怪我だけでなく、胸毛まで寝て起きたら治るのだ。
「まぁ、いいや。さっさと飯にしよう。腹減った」
席に着くなりリディーは、パクパクと食べ始めた。
私も服を元に戻し、席に着く。
今日の朝食は、昨日とほぼ同じ。
少し違うのは、スープの中にウサギ肉が入っている事だろう。
うん、美味い、美味い。
二人で無言で食べ進めていると朝の鐘が何処からか聞こえてきた。
まだ、時間はある。
昨日と同じく、朝食を食べた後は、歯を磨いて、井戸で服を洗って、麻袋に荷物を入れていく。
私たち新人の囚人は、当分の間、広場に集まってから作業場に向かう事になっている。その為、窓から広場の様子を確認しながら時間がくるまでのんびりと過ごす事が出来る。
私は食後のお茶を飲みながら、ゆっくりまったりと時間を潰す。
ちなみに小屋の掃除はやらなくていいとリディーに断られた。ゴミや埃はないけど、床にリディーの私物が転がり始めているので整理したいのだが……。
「リディーは今日も狩りなの?」
「ん? そうだけど……その前に町に行って、買い物をしてくる予定」
ベッドの上で謎の道具の手入れをしているリディーは、私の方を向かずに答える。
そう言えば、ウサギの皮をなめしていたな。そのなめし用の防腐剤を買ってくると言っていた。
私も炭鉱に行かずに買い物に出かけたいが、無理な願望だろう。
「あっ、囚人が集まってきた。行ってくる」
私はお茶を飲み干すと、荷物を持って、扉に向かう。
リディーから「鞭で打たれるなよー」という声を聞きながら小屋を出た。
小走りで広場に辿り着くと、すでに新人の囚人は無言で待機している。
昨日と同じ、私が最後でペーターの横に並ぶ。
兵士は来ていない。
周りを見回してみても、トカゲ兵士が隠れている事もなさそうだ。
「……んな!?」
隣に立っているペーターの顔を見て、言葉が詰まった。
ペーターの顔が大きく腫れあがり、右目の所に青あざが出来ていた。
兵士にでも殴られたのかと思い、ペーターに聞きたかったのだが、昨日の事があるので聞くのを止めた。また口を開いて、教育の名の元の暴力を受けるのは嫌だからね。
他の囚人も同じ考えらしく、兵士が来るまで黙っている。
しばらくすると、トカゲ兵士を中心に兵士たちが兵舎の方から来た。
「皆さん、おはようございます」
いつものように演壇に立ったトカゲ兵士は、良く通る声で挨拶をしてくる。
「本日も山の香りのする素晴らしい日を迎えました。最高の作業日和です」
私たち囚人は、横一列に並び、黙ってトカゲ兵士の話を聞く。
「こんな素晴らしい日ですが……ただ、残念な事があります」
あっ、この流れは……。
「皆さまの今の並び……非常に醜いです。列が乱れています」
私たち囚人は、キョロキョロと左右を見回す。特に乱れている訳ではない。
「列の乱れは、心の乱れ。心が乱れていると、事故を起こします。教育しましょう」
そう言うなり、昨日と同じ流れで私たち囚人は順番に殴られていった。
「精根注入ッ!」
バカッと顔を殴られた私は地面に倒れる。
ああ、これはあれだ。
兵士と囚人の上下関係を体に覚えさせる為に教育と言う名の暴力なのだろう。
だから、特に列が乱れていないのに殴られたのだ。
これからも適当な理由を付けて、殴られ続けるのだ。
地面に倒れた囚人がのろのろと立ち上がると、みんなで教育のお礼をする。
その様子を見たトカゲ兵士は、コクリと頷くと「では、本日も無事故で頑張りましょう」と立ち去っていく。
彼は、どうでもいい挨拶と鉄拳教育の理由付けの為に来たようだ。
広場に集まった囚人に、昨日と同じ作業場に行くようにと兵士の指示が飛ぶ。
ぞろぞろと散っていく囚人たちであるが、なぜか私とペーターだけが取り残された。
私とペーターは不安そうに顔を見合わすが、残された理由は大した事ではなかった。
「アケミ・クズノハ、今日のお前は別の作業場だ。ペーター、お前の作業場までこいつを連れていけ」
私だけ別の作業場?
もしかしたら、「こいつ、使えない」と判断され、第二横坑ではお払い箱にされたのだろうか?
大変な環境の坑道で作業をしなくていいのは有り難いが、役立たずと判断されたようで落ち込む。もう少し、長い目で見て欲しい。
いや、単純に恩赦が働いているのかもしれない。その為、兵士たちも私の扱いに困っているのかも……。
「こっちだ」
兵士たちがいなくなると、ペーターは自分の作業場まで歩き始める。
私はペーターの横に並び、聞きたかった事を聞いてみた。
「ねぇ、その顔、どうしたの?」
「新人歓迎会の痕だよ。昨日の夜、自由時間に行われた」
唇から血をにじませながら痛々しそうにペーターが教えてくれる。
「新人歓迎会って……兵士でなく、囚人に殴られたの?」
「ああ、拳闘とかいう殴り合いで、親交を深めるんだってさ。僕よりもずっと背の高い大男が相手さ。何も出来ずにボコボコだよ」
拳闘ってボクシングの事かな?
こんな異世界の、それも囚人が集まる刑務所のような場所だ。グローブも無ければ、ルールも無いような殴り合いだったのだろう。
「そ、そう……それで、作業場は何処にあるの?」
「ズリ山の近くだ」
私たちは選炭場の近くに作られた廃石を捨てるズリ山の横を通り過ぎ、山沿いを歩くと作業場に到着した。
作業場と言うが、ただの山間で、大木を伐倒している現場だった。
山の斜面に生えている大きな木を元樵の囚人が、斧や鋸を使って切り倒している。
倒した大木は、支保の材木にしたり、生活用の薪にしたりするようだ。
私たちは、現場を管理している兵士に到着の報告してから木材伐倒を手伝う事になった。
見た目からして私は大木を伐倒する担当になると思ったが、そちらはやらなくていいらしい。
何でも、経験のない者が行うのは危険との事。元樵が数人いるので、わざわざ私が作業をする必要はないそうだ。
そこで私とペーターの二人組で、倒した大木を処理する作業になった。
私の頭のようなハゲ山と化しつつある山の斜面に、切ったばかりのマツのような大木が転がっている。それが私たちが処理するのだ。
まず、私とペーターは鉈のようなもので余分な枝を刈っていく。バカバカと細い枝を切り、太い枝は手斧を使う。
これがなかなか面白い。
まだ若い木なのか、非力の私でもバカバカと枝を刈れて、徐々に丸太っぽくなっていく。
枝が無くなると、次は樹皮剥がしである。
ガサガサの踵のような樹皮を幅広のノミのような道具で削っていく。
これは大変。
バリバリと樹皮が剥がれるのだが、場所によっては木部にぴったりとくっ付いていて、ノミにハンマーで叩いて削り取っていかなければいけない。
それも高さ十メートル、幹径一メートルほどもある木を二人だけで剥がすのだ。
これは根気のいる作業である。
黙々と二人で樹皮を削る。
私は比較的柔らかい樹頭から根っ子に向けて削っていく。ペーターは根っ子から削っていく。
ガリガリガリ……。
たまにノミだけで削れない部分があり、その時は鋸や鉈を使った。
徐々に私とペーターの距離が近づき、終わりが見えてくる。
始めの内は楽しく削っていたのだが、さすがに飽きてくる。さらに疲労が蓄積され、握力が無くなってくる。
………………
…………
……
「はぁー、ようやく、終わった」
腕をモミモミしながらうなだれていると、疲れた顔をしたペーターは私の顔を見て、首を振る。
「まだ、半分残っている」
うん、知っている。
私たちが削ったのは、上半分だ。
地面側の半分はまだガビガビの樹皮が残っている。
しばらく小休憩した後、他の囚人の手伝いを借りて、大木をゴロンと半回転させた。そして、またガリガリと削り始める。
もう、何も考えない。
無心で手を動かして、マツのような大木を丸裸にしていった。
………………
…………
……
「はぁー、本当に終わった」
皺くちゃの肌荒れのような大木が、ツルリとした綺麗な丸太になった。まぁ、丸太と言うわりには、デコボコが目立つけど、これは後で処理するらしい。
「次は、等間隔に切るぞ」
幅広の大きい鋸を持ってきたペーターは、持ち手の片方を私に持たせた。もう片方の持ち手はペーターが持ち、二人で鋸を動かして、等間隔に切り分けるとの事。
ちなみに長さは適当で、荷車に積んで、運べればいいらしい。
うーむ、そんなんで良いのか?
私たちは、十メートルほどの大木を三等分にする為に、鋸を使って輪切りにしていく。
始めは二人の息が合わず、全く鋸の歯が進まなかったが、最後の方ではスムーズに切る事が出来た。
「ここまでが、僕たちの仕事だよ。あとは木材加工をする連中に渡して、炭鉱に使えるように切り揃えていくそうだ」
木材加工をする場所は、選炭場の一部で行っている。
ちなみに伐倒した木材は、普通、乾燥させたり灰汁を抜いたりしてから使う。そうする事で、丈夫で見た目が良くなるようだ。だが、ここではすぐに炭鉱に送って支保の木材にするらしい。どうせ、炭鉱内は高温多湿ですぐに駄目になるので、その都度、取り換えればいいとの考えらしい。
それにしても、疲れたが気分が良い。
昨日みたいに真っ暗で暑くてジメジメとした炭鉱内で作業するよりも、青空の下で汗水流した方が、同じ肉体作業でも気持ちが楽である。
やはり、お天道さまの下にいないと人間は駄目になるね。
今後も外作業にしてほしいものだ。
その後、数人の囚人の手を借りて、縦長の荷車に木材を乗せた。
そして、私とペーターともう一人の囚人三人で荷車を牽き、木材加工場である選炭場まで運んだ。




