162 お疲れ様とただいま その1
金属を叩く音が坑道内に響き渡る。
その音を聞いた初老の囚人とドワーフは、作業をしていた道具を片付け始めた。
「何の音?」
私の疑問を初老の囚人が「今日の作業は終わりだ」と答えてくれた。
ああ、待ちに待った終了時間。
真っ暗な坑道内だと時間の感覚が分からなくなっている。
暗くて、暑くて、じめじめして、息苦しい坑道内。居るだけで体力を消耗するそんな場所で労働作業をしているのだ。今の私は精根尽きている。
のそのそと地面から立ち上がり、私が使っていたハンマーや楔を二人の囚人に倣って、壁際に置いた。
「これから外界に戻り、体を洗ったら食事だ。頑張って戻るぞ、新人」
私の背中を叩いて笑うドワーフは、「酒を飲みながら、不味い飯を食うぞ」と言いながら狭い切羽を出て行く。
あんた、休憩中も飲んでいただろ。
トボトボと何も考えずに外の出口に向けて坑道内を歩く。
疲れて、何も考えたくない。
歩くのもつらい。
薄暗い坑道を転ばずに歩いているのが不思議でならない。
枝分れした場所から囚人たちが、私と同じようにフラフラと集まってくる。
昇降機のある広場には、第一横坑に行く梯子の前で列が出来ていた。
第二横坑で作業をしていた囚人の数だけでも多いのに、その下の第三横坑の梯子からも囚人が集まり出しているので、当分はここで足止めだろう。
「オルガ、いつも、こんな感じなの?」
近くにハーフオークっぽいオルガがいたので、声を掛けてみた。
「ん? おお、リンゴの新人。そう、いつも、こんな感じ。みな、すぐに外に出たい。でも、急ぐと危険。何人も梯子から落ちてる。死んだ奴、いる。急いだら駄目」
舌足らずで説明してくれるオルガ。
先日、地下水路でオルガに似た魔物と戦ったが、このオルガは炭鉱経験が長いらしく、色々と聞けば教えてくれるので好感を持っている。
「あんな同時に梯子に登って大丈夫なのかな? 途中で壊れたりしないか、心配になる」
「少し前、壊れた。三人の囚人、怪我した。一人、死んだ。でも、今の梯子、新しい。心配ない」
やっぱり、壊れたんだ!
新しい梯子に取り換えたからって、無茶な使い方をしたら、また事故になるよ!
囚人の数が落ち着くまで、しばらくオルガと会話をしてから私はゆっくりと梯子を登り、第一横坑へと辿り着く。そして、曲がりくねった坑道を通り、外へと出た。
トロッコを選炭場に運んで以来の外である。
太陽が沈みかけているが、暗闇に慣れた目には眩しい。
口元を覆っている布を退けて、深呼吸をする。
ああ、空気が美味しい。
火照った体に冷えた山風が当たり、筋肉に溜まった疲労が溶かされていく感じがする。
この後は、坑口浴場で体を洗ったら、明日までリディーの小屋で休める。
さっさと汚れた体を洗おうと、坑口の近くにある浴場に目を向けると……。
うわわぁぁーー……!?
非常に目のやり場に困る状況になっていた。
辺り一面、一糸纏わぬ裸の男たちで一杯だった。
水の入った樽を中心に囚人の男たちが、桶で水を掛けて、体中に石鹸を擦り、汚れを落としている。囚人の中には、体と一緒に汚れた服を洗っている者もいた。
どの囚人も裸、裸、裸。
スッポンポン祭りである。
ついこの間まで現役女子高生の私には刺激が強すぎた。
うわー、ディルク、お尻にも傷が付いているんだけどー!? 何があった!?
ええー!? あの人、お尻もムキムキなんだけど……お尻って鍛えられるの?
ほほー、尻尾ってああやって生えているのか……ふむふむ。
見ては駄目と思っていても、つい本能で見てしまう。
だからと言う訳ではないのだが、気付いてしまう事もある。
囚人のほとんどが痩せ細っている。
ずんぐりむっくりのドワーフも服を脱げば、中年のだらしない体のようになっている。
骨と皮しかない囚人もいて、いつ倒れてもおかしくない。
張りのある肉体をしているのは、私のような新人だけのようだ。
やはり、食事の量や栄養が足りない状況で、過酷な作業をしている所為だろう。
これでは肉体疲労で倒れるだけでなく、栄養不足で病気になってしまう。
だからと言って、バランスの良い食事を要求しても、受け入れてくれるはずがないのが囚人の扱いだ。
恩赦のおかげでリディーと一緒に暮らせる私だけ健康体のままだろう。
嬉しい反面、他の囚人に悪いと思えてしまう。
囚人の一人である私に出来る事は無いので、気を取り直して、私も体を洗う事にした。
なるべく人の少ない隅の方で体を洗いたいので、端っこの樽まで向かう。
囚人がバシャバシャと水を使っているので、地面は水で泥濘んで、歩くだけで汚れてしまう。
端っこまで来た私は、周りを見て、誰も私を見ていないのを確認する。
今の体は中年のおっさんだけど、それでも人前で裸になる事は非常に恥ずかしい。
なるべく樽に近づいて、前が見えないように隠しながら素っ裸になり、桶を使って水を掛ける。
くー、冷たい! 鞭で打たれた傷が染みる!
火照った体の体温が、一気に下がる。
だが、昨晩の井戸水と山風に比べれば、まだ我慢できる。
私は何度か冷たい水を体に掛けてから、石鹸を使い、丹念に体を洗っていく。
さすがに服まで一緒に洗う気はしない。
「よう、新人」
ゴシゴシと石鹸を付けた布で体を洗っていると後ろから声を掛けられた。
振り向くと、三人の男がいる。
正面にいる男は、顔に酷い傷跡があり、その傷跡の所為で左目を瞑っている。
一歩後ろに待機している残りの二人は、特に特徴のない男たちだ。
そんな三人組は、ニヤついた顔をしながら私を見ていた。
「えっと……何かな?」
「立派な体をしていると思ってな」
「は、はぁー」
「鞭で打たれたみたいだな」
「そうですね」
「そんな状態じゃ、洗い難いと思ってな。良かったら、俺たちが背中を洗ってやろうか」
「えっ!?」
何を言っているのだ?
私の背中を洗う?
銭湯みたいに洗いっこをしたいと言うのか?
そんな事、アニメの、それも年端もいかない女の子がやる行為だろう。偏見だけど……。
意味が分からずに、どう答えれば良いか悩んでいると、男たちはニヤついた顔をしながら、私の体をジロジロを見つめている。
いや、体は体だが、見つめているのは下半身の一部を中心にだ。
その事に気が付いた私は、ゾゾゾっと鳥肌が立った。
「い、いや、結構です……結構だ! すでに洗い終わっている。必要無いから何処かへ行ってくれ!」
急いで、桶で股間を隠す。
そして、なるべく男っぽい話し方に変えて、きっぱりと断る。
「ふん、そうか……気が向いたら、いつでも声を掛けてくれ。新人の面倒は、先輩の務めだ。いつでも洗ってやるからな」
そう言うなり、男たちはチラチラと私を見ながら立ち去った。
ああ、簡単に引き下がってくれて良かった。
刑務所映画でよくある場面に私が遭遇するとは思わなかった。
人様の性癖をとやかく言う気はないが、私をターゲットにしないでほしい。
私はノンケだ。……あれ? 中身が女性の私からしたら、男性を好きになっても良いのかもしれない。だが、今の体は男性だ。女性が好きだと言った方が良いのか? どっちが良いのだろうか? ……分からん。
もしかしたら、また絡まれるかもしれないので、なるべく、さっきの三人組からは近づかないでいよう。
また変な囚人に絡まれたくないので、急いで体についた石鹸を水で流し、布で水滴を拭いてから新しい服に着替えた。
体は冷え切ってしまったが、心も服装も綺麗になり、気持ちが楽になる。
先程の事もあり、さっさと坑口浴場から抜け出し、宿舎の方へと向かった。
宿舎に向かう囚人の集団に紛れて、選炭場を通り過ぎ、広場の手前で私だけ集団から抜け出す。
トコトコと棒になっている足を動かして、兵舎の横に建つログハウスのような小屋に辿り着く。
はぁー、やっと帰って来れた。
すぐにベッドに倒れ込み、一寝入りしたい。
今から寝ると、朝までぐっすりになる可能性もあるが、それも良いかもしれない。
それ程、今の私は疲れていた。
「おー、無事に帰って……ッ!?」
なぜか、小屋の横から顔を覗かしていたリディーは、私の姿を見てビクッと長い耳を震わせた。
もしかして……。
「また、私の事、忘れた?」
「い、いや、覚えている。……ただ、おっさんの顔を見慣れていないので、つい驚いてしまった」
そうですか……驚かせてゴメンめ。強面の顔つきでゴメンめ。変な姿で異世界転移してゴメンね。
「外で何かしていたの?」
「あ、ああ……綺麗な毛皮を手に入れたので、なめしているところ」
「なめし? そんな事も出来るの?」
動物の皮を加工して『革』にする事をなめしという。
体から剥いだ皮を余分な肉や脂を落とし、柔らかくしながら防腐加工する。そして、なめした革は、衣服や鞄や靴などの生活用品として幅広く使用されるのだ。
「何度かやっている。さすがに売り物に出来る程の腕はないが、自分で使う分は加工できる」
そう言うなりリディーは、覗き込んでいた顔を引っ込めた。
疲れて休みたいが、興味が引かれたので、ちょっとだけ様子を見に行く事にした。
リディーがなめし作業をしているのは、小屋と兵舎の間にある井戸の横だった。
白に近い灰色の毛皮が裏返しにされている。
所々、肉や脂肪が付いていて、リディーはそれを鉈のようなもので丁寧に削り取っていた。
「猪とか熊に比べたら、やたらと小さいね。イタチ? いや、キツネかな?」
「ウサギだよ。ほれ……」
リディーはなめしている毛皮を裏返して、私に見せる。
裏返っていて分からなかったが、表面にするとウサギの頭部分の皮が残っていて、長い耳が力無く垂れ下がっていた。
うーむ、ウサギにしては大きいのだが……。
「もう少しで削り作業は終わる。あとは綺麗に洗って、腐らないように液体に浸けて、乾燥させれば使える。最終的には枕にするつもりだ」
ウサギの枕って……それ良いかも。
「ちなみにミョウバンを使うの?」
以前、西部劇の映画を見た後、なめし加工に興味が出て、少しだけ調べた事がある。
その時、防腐作業では、ミョウバンを使った方が安くて早くて手間が掛からないと知った。
もし、ミョウバンを使うなら少し分けて欲しい。料理にミョウバンを使えば、灰汁を抜いたり、煮崩れを防止したりできるのだ。
だが、リディーは「何それ?」と首を傾げてしまった。
この世界には、ミョウバンは知られていないようだ。残念である。
「僕が使うのは、ある植物から出る液体だ。それを百日近く浸けておく」
百日って……気の長い作業だ。
ちなみに植物から出る液体というのは、タンニンの事である。
「……これで良し。明日は町に行って、防腐用の粉末を買ってこよう」
「えっ、町に行けるの?」
「ん? 当たり前だろ。僕はおっさんと違って一般人だぞ」
うわー、良いなー。私も買い物に行きたい。お金、無いけど……。
リディーは、なめしていたウサギの皮をクルクルと丸めて、小屋の横に置かれている木箱の上に置いた。
気温が低いからカビたり腐る事はないだろうが、他の動物が匂いで持っていったりはしないだろうか?
そんな心配をよそに、リディーは井戸水で手を洗ってから小屋に向かう。
「そうそう、おっさんの服、忘れずに回収しなよ」
ドアに手を掛けたリディーは、木の枝に干してある私の服に視線を向けた。
ああ、忘れていた。
今朝、洗濯をして、干したまんまだった。
「なめし作業をしているとおっさんの下着がチラチラと見えて辛かった。今度は、目の入らない所に干してくれ」
そう言い残し、リディーは小屋の中に入って行く。
私は、冷え冷えに乾いた服を取り込んでから、リディーの後を追うように小屋の中に入った。




