157 炭鉱のエルフ その2
リディーは私を置いて、お風呂と食事に行ってしまった。場所が兵舎なので、囚人の私は外の井戸で体を洗うしかない。
臭い臭いと言われた私は、しょんぼりしながら小屋から出るが、すぐに戻ってきた。
暗すぎて井戸の位置が分からん。
建物の周りには、明かりが一切無い暗闇だった。
明かりになりそうな物がないと井戸すら探せない。
何かないかと台所を物色しているとランタンと蝋燭を見つけたので使わせてもらう。
火打ち石で種火を作り、蝋燭に火を点け、ランタンにセットする。
では、気を取り直して井戸に向かおう。
真っ暗な外に出て、周りを見回す。
遠くの方で幾つかの明かりが動いているのが見えた。
たぶん、囚人の宿舎を巡回している兵士だろう。
こうも暗いと簡単に兵士の隙間をすり抜けて、脱獄できそうだ。だが、いざ脱獄が成功したとしても、その後が難しいだろう。
この町は険しい山間にある。
山の中に逃げ込んだとして、標高が高いので、逃げ続けるのは至難の業だ。また、山から遠ざかろうとしても、その先にあるのは砂漠地帯である。どちらにしても、逃げ延びるのは難しい。
まぁ、映画じゃないんだから、脱獄なんか考えないけどね。
私は、巡回している兵士たちから目を逸らし、井戸を探す。
井戸は、兵舎と小屋の間にあった。
縄の付いた桶を中に落し、滑車の力を使って桶を引き上げる。
井戸は何度も使っているので慣れたものだ。
初めて使った時は、水の入った桶が重すぎて何度も途中で落としていた。手に豆も出来るしで、私の非力さを実感させられたものだ。
私は手早く衣服を脱いで、素っ裸になる。
一メートル先も見通せない暗闇なので、恥ずかしくはない。だが、外で裸になると、やってはいけない事をしているみたいで落ち着かない。それに両手足が青白く光っているので、やはりちょっと恥ずかしい。
誰も来ないと思うが、早く終わらせよう。
そう思い、桶の水に手を入れたら、「うっ!」と息が止まった。
井戸水は、肌を刺す温度だった。
それだけでなく、冷気を纏った山風が私の体に襲い掛かる。
こ、こんな所で体を洗ったら死んでしまう!
だが、ここで体を洗わないと、リディーに小屋から追い出されてしまう。外で野宿なんかしたら、明日の朝には冷凍骨付き肉が出来上がっているだろう。
むー、と悩む事数秒、意を決して体を洗う事にした。
どうせ死ぬなら綺麗な状態で死にたい。
水の入った桶を頭から被ると、「ひぃ!」とおっさん声で可愛い悲鳴が漏れた。
心臓が縮み、頭がクラっとする。体中の皮膚が痛みだす。
分厚い胸板をドンドンと拳で叩いてから、石鹸で全身をゴシゴシと泡立てる。
何で体を洗うだけなのに、命をかけなければいけないのよー!
ブツブツと文句を垂れながら、体中に石鹸を擦りつけて、再度、井戸水を汲み上げ、石鹸を洗い流す。
「うぎゃ!」とか「ぎゃあ!」とか叫びながら、何回か冷水を浴びて、麻布で体を拭く。
そこで重要な事に気が付いた。
替えの服がない!
今まで着ていた衣服は、ダムルブールの兵士に捕まった時から洗っていない。
つまり、六日間、ずっと着続けていた服しかないのだ。
今までずっと着続けていたので感覚が麻痺していたが、体を綺麗にした事により、この汗が染み付いた衣服を再度着る事に抵抗が起きる。
このまま素っ裸で小屋に戻り、リディーの服でも借りようかな?
いや、警戒心真っ只中のリディーだ。本人の許可もなく、勝手に借りると小屋から追い出されてしまう恐れがある。
それならリディーが戻ってから借りる事にして、その間だけ汚れた服で我慢する事にする。
素早く服を着て、逃げるように小屋に戻る。
冷たい井戸水と冷気を含んだ山風の所為で、体の芯まで冷え切っている。
小屋に戻っても震えが止まらない。
リディーに怒られるかもしれないが、台所に行き、竈に火を焚く事にした。
震える手で枝や薪を竈に組んで、ランタンの蝋燭で火を点けた。
パチパチと枝が弾ける音を聞きながら、火が広がるのを待つ。
まだ部屋の温度は上がらないが、火を見ているだけで体が温まってくるのを感じる。
……ああ、生き返る。
火とは人類にとって、なくてはならない大切な存在だと改めて知った。
手の平を火にかざしながら、ほっと溜め息を吐く。
部屋も温まってきた。
人心地つくと急にお腹が空き始め、胃がチクチクと痛みだす。
朝にお椀一杯のミルク粥を食べたっきりだ。
リディーがパンを貰ってくると言っていたが、彼の言い方からすると、本当にパンしか貰ってこない可能性が高い。
レンガのようなパンだけを貰ってきても食べる事は不可能。
簡単なスープでも作ろうかと思うが、勝手に料理して怒られないか心配だ。
台所を見ると、調理器具は一通り揃っている。
リディーは自分で料理をするようだが、調理器具が乱雑に積み重なって置かれているのを見ると、やはり整理整頓が出来ない人種だと確信した。
食材を確認する為、床に置かれている木箱を覗く。
ほとんどが果物だった。
野菜は、玉ねぎ、人参、じゃがいもがある。これはカレーでも作れという事だろうか? まぁ、カレー粉がないから作れないけどね。……残念。
床下の貯蔵スペースには、ベーコンとミルクとチーズが保存されている。
他に何かないかな? とキョロキョロと家探ししていると、別の木箱にカボチャが入っているのを発見した。
人間の頭サイズのカボチャが二つ半ある。半と言うのは、半分に切った状態になっているからだ。リディーが料理で使った残りだろう。
ダムルブールの街はカボチャの産地である。だが、当のカボチャは味がいまいちで、主に家畜のエサや他の街への輸出の為に作られていると誰かから聞いた。
数の少ない食材を使うと怒られそうだけど、不味いカボチャが二つ半もあるのだ。
これを使っても問題ないよね。
空腹のあまり自分の都合の良いように考えた私は、半分だけのカボチャを作業台に乗せた。
リディーがカチカチのパンを貰ってくるので、カボチャを使ったスープを作る事にした。
まず私は玉ねぎを薄切りにして、鍋の中でバターと一緒に炒めた。
玉ねぎに火が通ったら、小麦粉を少し入れて焦げないようにさらに炒める。
そして、皮を剥いたカボチャを小さく切り、水と一緒に鍋に入れて煮込んだ。
クツクツと煮込んでいる鍋を見ながら、もう一品作る事にする。とは言え、凝ったものを作る元気はないので、簡単に作れるカボチャのバター焼きにした。
皮の付いたカボチャを薄く切り、竈の火を弱火になるように調整してから、バターと一緒にゆっくりと焼いていく。
鍋を見ると、カボチャが煮くずれするぐらいに柔らかくなっていたので竈から下ろし、フォークやスプーンでカボチャを潰す。
ゴリゴリと根気よくカボチャを潰していると、小屋のドアが開きリディーが帰ってきた。
お風呂に入って、食事もしてきたリディーは、ホクホク顔である。
「すまない。あまりにも寒かったから竈に火をつけたよ」
「別に構わないけど……何か作っているのか?」
「お腹が空き過ぎたから、スープを作っている。勝手に食材を使ったら駄目だった?」
「いや、良いけど……」
リディーは鍋の中身を見ている。
勝手に料理して、勝手に食材を使って怒るかと危惧していたが、リディーの素っ気ない返事を聞いて、安堵した。
どうやらリディーは、私が作っている料理に興味があるようだ。
調理器具を一通り揃えているあたり、他人の作る料理に興味があるのかもしれない。
「完成したら、食べてみる?」
「ん? 良いのか?」
「明日の朝食用に少し多めに作ったから問題ないよ。まぁ、味の保証はしないけど……」
あり合わせで手早く作ったので不味いかもしれない。
それに相手はエルフだ。私と違い、口に合わない可能性がある。
「ミルクを使っていい?」
「食材は適当に使って構わない」
リディーは、入浴セットの編み籠からカチカチの黒パンを二つ取り出してから、ベッドのある部屋へ行ってしまった。
やはりと言うべきか、パンしか貰ってこなかったようだ。スープを作って正解だった。
私は床下の貯蔵スペースからミルクの入った瓶を取り出す。ミルクは臭みのない牛乳でホッとする。
カボチャのスープに牛乳を入れる。これでカボチャのミルクポタージュスープになった。
しばらく煮込んでから塩胡椒で味を整えて完成である。
カボチャのバター焼きもカリカリに焼けたので、塩胡椒で味を整えて完成させた。
「リディー、料理が出来たけど、食べる前に余っている服はないかな? あったら貸してくれる?」
「服?」
ジロジロと私の服を観察したリディーは、眉を寄せながら納得した。
「ここの作業服は貰っていないのか?」
「いや、何も……ずっと着ているこれしかない。ちなみに下着も……」
「…………」
無言になったリディーは、ますます嫌そうな顔になる。
仕方ないじゃない! いきなり連行され、自由もないまま今に至るんだから!
「はぁー、ちょっと待て……」
嫌な顔をされるが、それでも私の話を聞いて応えてくれる。
囚人の私の為に動いてくれるあたり、もともとリディーは人当たりが良いのかもしれない。
「これを使え。し、下着は新品ではないが……まぁ、綺麗だ」
ベッドの下に押し込んだ荷物から普通の平民が着ていそうなシャツとズボン、それと下着を受け取った。
「そもそも、僕の服をおっさんが着れるのか?」
それ、私も不安に思っている。
ガタイの良い私と違い、リディーはスラリとした細身の体をしている。
リディーは、若干、余裕のあるだぶついた服を着ているが、筋肉ムキムキの私の体格に合うとは思えない。
「試してみよう」
竈の火から鍋とフライパンを下ろし、私は汚れている服を脱ぎ始めた。
「ば、馬鹿! ここでいきなり脱ぎだすな! 見えない所で着替えろ!」
リディーが中性的な容姿なので、つい気にせずに脱いでしまった。彼も私の毛だらけの体なんか見たくないだろう。怒るのも無理はない。
私はそそくさと小屋の入口まで行き、コソコソと着替え始めた。
………………
…………
……
結論から言おう。
リディーの服を着るのは無理でした。
下着はパツパツで屈んだだけでお尻の所が破けそう。ズボンは太ももから上が入らない。同じようにシャツも片腕を通すのが精一杯である。
それだけ、私とリディーの体格差があるのだろう。
仕方ないので、汚れた服に着替え直した。
嫌な顔をするリディーであるが、状況を理解しているので文句はこなかった。
気を取り直して、食事にする。
食事用の丸机に料理を乗せて、早速、食べ始めた。
カボチャのスープは、しっかりとカボチャを潰し切れておらず、不揃いの実が舌の上で感じる。ザルで濾せば口当たりのよいスープが出来るのだが、空腹の私にとっては、実が残っている方が美味しく感じた。
不味いで評判のダムルブールのカボチャであるが、そこまで不味くはない。カボチャの香りや味もしっかりしているし、僅かに甘みもある。
味や香りのしないカチカチのパンに浸けて食べると、カボチャの味がして、とても美味しい。
カリカリに焼いたバター焼きは、塩味が利いていて、ポテトチップスのお菓子を食べている感じだ。
簡単に手早く作ったわりには、上手くいったと自画自賛する。
「あっ、美味しい……」
対面に座っているリディーは、カボチャのスープを一口飲み、長い耳を上下にピコピコと動く。
「おっさん、冒険者とか言っていたな。その前は、料理人でもしていたのか?」
「料理は趣味で少しやっていただけ……」
「趣味のわりには、凝った料理なんだが……カボチャがこんなにも美味しく化けるとは驚きだ」
リディーは、カボチャのバター焼きをバリバリと食べてはスープで流し込み続ける。
ついさっき兵舎で料理を食べたばかりじゃないの、君は?
その勢いで食べ続けたら私の分が無くなってしまう。
「兵舎ではどんな料理が出るの?」
「いつも同じ物ばかりだ。野菜のスープとパン、卵料理だ。あとは、僕が狩ってきた獣肉が出る」
「狩ってきた肉?」
「僕の主な仕事は狩りだ。山に行って獣を狩ってくる」
いつの間にか半分に千切った私のパンをスープにつけて食べ始めたリディーは、自慢気に説明する。
狩りとは、さすがエルフである。とても似合っている仕事だ。
「この辺は、鹿や猪がよく捕れる。たまに熊もいるぞ」
「へぇー、囚人もリディーが狩ってきた肉を食べるわけだ」
「僕が狩った肉は、兵士と職員用だ。食材が余らない限りは、囚人には回らない。普段、あいつらは何を食っているんだろうか?」
囚人たちは、各々寝泊りしている宿舎ごとで、囚人自ら調理をしているそうだ。
材料さえ揃えば、それなりの料理が出来るのだが、残念ながら囚人なので、兵士たちが食べる余り物の食材で料理をしなければいけないらしい。
そう考えると、私は一般人であるリディーとの共同生活は、恵まれている事になる。
「ちなみに魔物は食べないの?」
「魔物なんか不味くて食えない。あんなのは、余程、切羽詰まった状況じゃなければ狩らないし、食べもしない」
まぁ、魔物肉は魔力の影響で苦味がある。普通の獣が捕れるなら、好き好んで魔物肉なんか食べないだろう。
「たしかに魔物肉は不味いね。ただ、ホーンラビットは美味しかったよ」
「ホーンラビット……ウサギの魔物か?」
「苦味も少ないし、食べやすかった。大きさもそこそこあるので、食材にも適しているかもしれない」
「へー、そうなのか……この辺でホーンラビットはいないが、別のウサギの魔物がいるから、今度、狩ってみてもいいな」
それは楽しみだ。
リディーがウサギを狩ってきたら、私が調理するので、お肉を少し分けてもらおう。
「それはそうとリディー、君は普通に肉を食べるの?」
「どういう事?」
私の想像しているエルフは、肉や卵などを一切食べない人種だ。その事について聞いてみると、リディーは「普通に食べるけど」と返ってきた。
「どちらかと言えば、肉よりも野菜やキノコ、果物が好きだ。だけど、まったく肉が食えない訳じゃない。美味い肉なら喜んで食べる」
「じゃあ、私の偏見だったようだね」
「んー、正直言うと、僕は普通のエルフとは少し違う。僕以外にエルフを見た事がないから、おっさんの言っている事が正解なのか、間違っているかは分からん」
普通のエルフと違うという事は、もしかしたらリディーはハーフエルフなのかな?
エルフと人間の間に生まれたハーフエルフなら、肉も食べれるかもしれない。
料理という共通の話題があり、警戒心のあったリディーとは会話が弾んでいる。
今ならリディーについて聞いてもいいだろうか?
ただ、炭鉱にエルフが住み着いている時点で色々と訳ありそうなので、嫌な顔をされるかもしれない。
聞いてよいかどうか悩みながら、スープを啜っていると小屋の扉からノックが聞こえた。
「ちょっと、扉を開けてくれる。手が塞がっているの」
声から察するに、女性兵士のフリーデが訪れたと分かった。
リディーが「お前の方が扉に近いから開けてやれ」と視線で訴えてきたので、食事を中断し、席を立つ。
小屋の扉を開けると、予想通りフリーデが大きな木箱を抱えて立っていた。
「ん? お前か……ほれ、お前の荷物だ。代わりに持て」
私に木箱を渡したフリーデは、肩を回しながら木箱の中身を教えてくれた。
内容は、シャツやズボンといった普段着兼作業着が三着分。下着類も三着分。大小様々な大きさの布。ベッドに使うシーツ。新品の石鹸。皮製の水袋。荷物を入れる小さな麻袋が入っていた。
「明日、朝の鐘が鳴ったら朝食を済ませ、部屋の掃除を終えたら、この服に着替え、広場に集まるように。明日から炭鉱に入るからそのつもりでいろ」
うひー、明日から肉体労働か……嫌だな。
そう思いつつ、木箱をベッドの横に置く。
今すぐに新しい服に着替えたかったが、女性兵士のフリーデが部屋の中にいるので我慢する。
当のフリーデは、リディーの横に移動して、食卓に並んでいる料理を見ていた。
「それはスープか?」
「そうだな」
「カボチャを使っているのか?」
「そうだな」
「美味いか?」
「そうだな」
「そうか……」
「そうだな」
フリーデは、ちまちまとスープを啜っているリディーを見ながら声を掛けている。
「え、えーと……少し、味見しますか?」
どうもスープに興味を持っている様子なので勧めてみた。
「ん? お前が作ったのか?」
「ええ、あり合わせで作ったので、口に合うか分かりませんが……」
私とリディーを交互に見ていたフリーデは、しばらく考え込んだ後、「もらおう」と言った。
お椀に注いだスープを一口啜ったフリーデは、「これはなかなか……」と呟き、すぐにお椀を空にしてしまう。
その後、もう一杯お代わりをしてからフリーデは帰っていった。
カボチャのスープとバター焼きは、リディーとフリーデにほとんど食べられてしまった。
結局、私は、お椀一杯のスープとパンが一個半、カボチャのバター焼きは一切れしか食べていない。
鍋の中身が空になってしまったので、明日の朝は、別に作らなければいけなくなってしまった。
まったくお腹が膨れていないが、再度、作るのも面倒なので、今日はこのまま眠る事にする。
使った食器を洗い、小屋の隅で新しい服に着替え、歯磨き用の粉をリディーに借りて、歯を磨く。
そして、ベッドに潜りこんだ。
ベッドは、木板まんまの堅いベッドではなく、厚めのマットが敷いてあるので、体が痛くなる事はないだろう。
「おやすみ」を言う為にリディーの方を向くと、当のリディーは怖い顔をして私を見ていた。
警戒心が薄らいだと思っていたリディーであるが、いざ同じ部屋で寝るとなると、再度、警戒心がマックスになってしまったようだ。
「僕のベッドに近づいたら、おっさんの言い分も聞かずに矢を射るからな。少しでも変な行動をしたらナイフで刺すからな」
などと釘を刺される始末である。
リディーの枕元には弓矢とナイフがしっかりと置かれている事から彼の本気度が分かる。
私は挙動不審にならないように気をつけながら、数日ぶりのまともなベッドで眠る事が出来た。




