156 炭鉱のエルフ その1
おおー、エルフだ!
エルフがいる!
ゲームや小説で有名な種族、エルフが目の前にいる。
私は感動で立ち震えた。
「ちょっと、こいつ、僕を見て鼻息を上げ始めたぞ。フリーデ、このおっさん、ヤバいぞ! 何とかしてくれ!」
ベッドに腰かけていたエルフは、ズザザっとベッドの上を滑り、壁際まで移動する。
フリーデと呼ばれた女性兵士は、私を見るなり溜め息を吐いた。
「囚人、このエルフはお前と違い一般人だ。それも相当腕が立つ。もし変な気を起こすと、殺されるぞ」
鋭い視線を向けたフリーデが忠告してくる。
エルフは弓矢の達人だ。また魔法も得意なので、低レベルの私では太刀打ちできないだろう。まぁ、感動しただけで、変な事をするつもりはないのだが……。
「リディー、この囚人が変な事をしたら殺してもいいからな」
「本当!? やった!」
長い耳をピンっと伸ばしたリディーと呼ばれるエルフは、嬉しそうに返事をする。
私の殺人許可を貰って、嬉しがらないでほしい。
「囚人、お前は別の囚人と違い、ここでリディーと住む事になる。食事もここだ。何でお前が特別扱いをされているのかは知らないが、もしお前が問題を起こした場合、特別扱いは無効になり、我々の規律に則り、処罰される事を覚えておけ」
念を押したフリーデは、踵を返してドアに向かう。
「ちょっと、こんな猛獣を家に残して帰る気なの!? 連れて帰ってよ!」
顔面蒼白のリディーが、手を伸ばしてフリーデを引き留めようとする。
「こいつの人柄は保証されているそうだから、今の所、問題はない。私は仕事がある。また様子を見に来るから、仲良くしろとは言わんが、大人しくしていろ」
そう言って、女性兵士のフリーデは出て行ってしまった。
ログハウスのような小屋にエルフのリディーと二人っきりになってしまった。
絶望に染まったリディーは、私の顔をチラリと見ると、ベッドのシーツで体を包みながら壁際に避難している。
超警戒されて居心地が悪い。
どうしようか? と悩む間、部屋の様子を見回してみた。
壁も床も木製で統一された温かみのあるお洒落な部屋だ。
広さは、ちょい大きいワンルーム程。
トイレは無し、台所付き。
暖炉のような竈があるので、簡単な料理は出来そうだ。
元々、二人用だったらしく、ベッドと書き物机が二つ用意されている。
ベッドは二つとも壁際に置かれ、その間に机が並んで置かれている間取りだ。
だが、今までリディーが一人で住んでいたようで、使用していないベッドと机には色々な荷物が乗せられていた。
「えーと、リディー……さん?」
名前を呼ばれたエルフがビクッと肩と耳を震わせる。
ちなみに疑問形になったのは、リディーと呼ばれるエルフの性別が分からないからだ。
見た目の年齢は、私の実年齢と同じぐらい。ただ、長寿のエルフだ。見た目と実年齢は乖離しているだろう。
顔は容姿端麗で見惚れてしまう。
薄緑色の髪は、全体的に短く切り、横毛のもみあげだけが長く、途中で束ねてある。髪の隙間から左右にピンッと張った長い耳が個性を感じさせた。
全体的に細身でスラリとしているが、決して弱々しくは見えず、猫のような引き締まったしなやかさがある。
絵に描いたような「これぞエルフ!」と言わせる容姿だ。
ちなみに私は巨乳エルフは認めない派である。どうでもいいけど……。
んん……話を戻そう。
エルフと言えば、男性も女性も美形で知られる。その為、今、目の前にいるリディーが男性なのか女性なのか、判断に苦しむ。
一見ボーイッシュな女性に見えるが、一人称が『僕』っと言っているので男性かもしれない。
さらにリディーが着ている服装が、その辺で安く売られている麻布のシャツとズボンの為、さらに判断が出来ないでいる。
「リ、リディーで良い。みんな、そう呼ぶ。い、一応、お、男だ!」
私の悩みを察したリディーが、私の疑問に答えてくれた。
ああ、男の娘か……いやいや、男性だったようだ。
「空いているベッドは使って良いかな? その……荷物を退かしても?」
「ほ、本当に僕と一緒に暮らすのか?」
不安の入り混じった目でジロジロと私の顔を窺ってくるリディー。
彼の立場を考えると、申し訳なく思う。
リディーは今まで一人でこの小屋で暮らしていた。それが突然、罪を犯した囚人と一緒に暮らす事になるのだ。それもハゲで中年の強面男とだ。
彼からしたら、いつ襲われるか気が気じゃないだろう。
だから、今の内に謝っておきます。
ごめんね。
「えーと……そのようだね。私自身、この部屋以外行く場所もないし、要望を言える立場じゃないから……どうしても嫌なら君自身で兵士の人に掛け合ってくれる?」
「…………」
私の言葉を吟味するようにリディーはしばらく無言になる。
しばらく私とリディーが見つめ合っていると、リディーから溜め息が漏れた。
「はぁー……僕も我が儘を言える立場じゃない。おっさん、扉の方まで下がって」
言われた通り私は扉の前まで戻ると、ベッドから降りたリディーは、空いているベッドの荷物を退け始めた。
衣服や小物だけでなく、弓矢やナイフまでベッドの上に置かれている。
同じように片方の書き物机も片付ける。
それらの荷物を一度床に置き、ベッドの下の隙間に押し込んでしまった。
どうも彼は整理整頓が苦手なのかもしれない。
「おっさん、名は?」
ベッドが綺麗になったのを誇らしくするリディーは、自分のベッドに戻ると私に尋ねた。
「アケミ・クズノハ」
「ふーん……変な名前」
「遠い国から来たからね」
「その変な話し方もおっさんの国の影響?」
あれ? 名前、教えたよね? 呼び方が変わっていないんだけど……。
「この話し方は気にしないで……私個人の話し方だから」
「あっそ……」
私について聞いてくるが、いまいち興味は無いみたいだ。だが、警戒心マックスでも、彼なりに私の事を知ろうと努力をしているのが分かる。
今まで友達ゼロの私であるが、彼の意気込みを尊重し、私もコミュニケーションを積極的に行おうと思う。
私は、空いたベッドに腰を落とし、前屈みでリディーに視線を向ける。
私が真剣な表情で彼を見ると、「ヒィッ!」と短い悲鳴を上げて、壁際まで後退してしまった。
それだけでなく、彼の右手にはナイフまで握られている。
ちょっと前屈みになっただけで、警戒心が振り切れてしまったようだ。
「ほ、本当に変な事をしたら刺し殺すからな!」
「な、何もしない。本当にしないから、そこまで怯えないでくれ!」
安心安全を主張するようにニッコリと笑ってみると、再度、悲鳴が起きた。
ただ、笑っただけなのに……。
リディーが落ち着くまで、私は視線を合わせないようにする。
なんか怯え切っている野良ネコを拾ってきた気分だ。
しばらくお互いの様子を無言で窺っていると、ちょっとだけ警戒心を解いたリディーが口を開いた。
「え、えーと……それで、おっさんは何をしてここに連れてこられたんだ?」
「私は元々冒険者でね」
「冒険者?」
「駆け出しだけどね」
「ふーん、それで魔物と思って仲間の頭を斧で叩き割ったのか? それとも狩人に魔物と勘違いされて、ムカついて狩人を殺しちまったか?」
ペーターといいリディーといい、どうして私を殺人者にしたがるのだろうか?
「そんな恐ろしい事はしていない。ただ、用事があって教会に無断侵入し、騒ぎを起こしてしまったんだよ……決して、人を害したりしていない」
「教会か……たまに聞くけど、教会は面倒臭いらしいな」
「ん? 知らないの?」
「ああ、人間の生活についてはよく知らないし、興味がない」
エルフはあまり人里に現れない希少な種族で有名である。
人間社会に溶け込むエルフなど、余程の理由があるはずだ。
人間が管理している炭鉱でリディーは住んでいる。彼にも色々と理由があるのだろう。
それについて色々と聞いてみたいのだが、警戒心を解く前に私の方からリディーについて色々と尋ねたら、また警戒心が上がってしまうかもしれない。
今はリディーの警戒心を解く為に、私について知ってもらおう。
「それはそうとおっさん……あんた、変わった魔力を持っているな」
「んっ、魔力? 分かるの?」
この台詞、前に同じ事を言われた記憶がある。
誰に言われたんだったかな?
「何となくだが分かる。懐かしい匂いがする」
匂いって……加齢臭を魔力と勘違いしているんじゃなかろうか?
リディーは、私の方へ前屈みになりながら、くんかくんかしてくる。
非常に恥ずかしい……って言うか、私、ここ最近、お風呂に入っていないのだが、大丈夫か。
そう心配していると、案の定、目を閉じて匂いを嗅いでいたリディーは、「うげぇー!」と壁際へ後退し、涙目になってしまった。
「おっさん、滅茶苦茶くせー。風呂に入ってないのかよー」
ペタンと長い耳を垂らしたリディーは、小さな鼻をつまんで私を睨んでくる。
「ま、まぁ、その……囚人だから……」
ダムルブールの街の留置所では、兵士に水桶と布を借りて、体を拭いていた。だが、ダムルブールの街を出発してから今日まで体を拭いていない。つまり、丸二日間、汗だくになっていた体を洗っていない事になる。
髪の毛がないので、あまり不快に感じていなかったので分からないが、リディーの様子を見る限り、相当臭いのだろう。
「布と石鹸を貸してやるから体を洗ってきてくれ!」
そう言うなりリディーは、ベッドから降りると、ベッドの下に押し込んだ荷物から綺麗な布と使い掛けの石鹸を投げて寄越した。
「洗うってどこで? もしかして、この部屋にお風呂があったりする?」
「そんなものはない。建物の横に井戸があるから、そこで洗ってくれ」
外の井戸って……凄く寒そうなんだけど……。
「僕も風呂に行ってくる。帰りにパンを貰ってくるから、それまでに綺麗にするように。臭いままだったら、部屋から追い出すからな!」
「ちょっと、お風呂があるの!? 井戸じゃなく、私もお風呂に入りたい!」
日本人にとってお風呂は命の糧である。
ゆっくりとお風呂に入れば、疲れた体も心も和らぐだろう。
「風呂があるのは兵舎だ。囚人のおっさんでは、中に入れない。今の時間、兵士は飯を食べているから、風呂に入るには良い時間なんだ。飯も食べてくるから遅くなる。部屋の中を物色したりするなよ」
そう言い残し、リディーは編み籠に布や石鹸などの入浴セットを詰めこんで、出て行ってしまった。
ずりー、私もお風呂に入りたい。
恨めしい気持ちを胸に私は一人取り残されてしまった。




