140 幕間 ある姫の追想 その2
「妖精さん、もうすぐ家が完成するから、もうちょっと待っていてね」
現在、わたくしは妖精さん用の家を作っています。
側使えのゲルダに教えてもらいながら、木の蔓で編んだ籠のような家を作っています。
蔓は一晩水につけて柔らかくしてありますが、わたくしの細腕では、なかなか上手く編んでいく事が出来ません。その所為で、妖精さんがお城に来てから五日も経っているのに家が完成していません。
その間、妖精さんはというと、わたくしのベッドの上でゴロゴロしています。
「別に気にしなくても良いわよー。……って言うかさー、姫ちゃん。あたしの名前、ティタニアなの。ティアなの。妖精さんって呼ばないでくれるー」
「はいはい、ティアさんね。わたくしはヴィクトリア。ヴィッキーよ。分かった、妖精さん」
「だ、か、らー!」
わたくしが毎回妖精さんと呼ぶ所為で、妖精さんもわたくしの事を名前で呼んでくれません。
素直にティタニアさんと呼べばよいと思うかもしれませんが、わたくしはどうしても妖精さんと呼びたいのです。
だって、今まで夢物語にしか登場しなかった妖精が、わたくしの目の前にいるのです。妖精さんと呼ぶたびに感動が湧きあがってくるのです。止められません。
「やった! これで完成です。見てください、妖精さん」
五日も掛かった妖精さん用の家が完成しました。
木箱ぐらいの大きさで二階建てです。
一階には藁を敷き、二階にはふかふかの羽を入れた布を敷きました。
妖精さんが喜んでくれる事を願います。
ベッドの上でゴロゴロとしていた妖精さんは、パタパタと羽を動かしてわたくしの元まで飛んで来ます。
その姿に目を奪われて、胸の鼓動が高鳴ります。
いつも厳しい目つきのゲルダも妖精さんの姿を見て、優しい顔になっています。
妖精さんが来てから、母上も二人の兄上も仕事を父上に渡して、頻繁にわたくしの部屋に来るようになりました。本当、妖精さんが来てからというもの、楽しい事ばかりです。
「なーんか、全体的に歪んでいるんですけどー」
「初めて作りましたから、少し曲がっていますね。元々、蔓が丸いので仕方がありません」
「これが少しって……あと、隙間だらけなんだけど……」
「風通しが良いと思います」
「そういう問題? まぁ、良いわ。日当たりの良い場所に置いてくれるー」
妖精さんの要望通り、わたくしは出来たばかりの部屋を窓際に移動させます。
部屋の入口を開けた妖精さんは、中に入り、藁と布を確かめてから「まあまあねー」とゴロゴロし始めました。
喜んでくれたみたいです。
頑張って作ったかいがありました。
妖精さんと一緒に暮らし始めて、数日が経ちました。
ここで少し気掛かりな事があります。
それは妖精さんの食事事情です。
妖精さんは、物を食べなくても生きていけるそうなのですが、食べる事も出来るので、折角ならとわたくしたちと一緒に食事を摂っています。
ただ、「何でも食べるわよー」と言っていた妖精さんですが、ほとんどの料理を残してしまいます。
どうやら、わたくしと同じで好き嫌いが沢山あるようです。
「妖精さんの嫌いな食べ物って何? 城の料理人に伝えておくわ」
「嫌いっていうか……魔物肉全般が駄目ねー。想像しただけで、ゲェーとなっちゃう」
魔物肉が駄目なのですか。美味しいのですが……。やはり、妖精という事で、同種族扱いで食べられないのかもしれません。
ただ、魔物肉が駄目となると、我が国の料理はほとんど駄目でしょう。せいぜい野菜とキノコ、パンぐらいしかありません。
「この国には、普通の獣肉とか、果物なんかないの?」
我がシーボルト王国では、魔物が蔓延っている所為で、普通の獣はほとんど狩れません。豚や鹿、猪などは、特別な記念日の時にしか調理されません。その時は、隣のローテンクーゼン王国から高い金額を払って買うのです。
果物になるともっと希少です。
隣国でもなかなか手に入らないので、わたくしも数えるぐらいしか食べた事がありません。
ちなみにラインハルト大森林には果物らしきものが生えているのですが、どれもお腹を壊したり、肌が荒れたりと食用に適さないそうです。
そう言った食事事情を妖精さんに伝えると、肩を落としてガッカリしてしまいました。
そんなある日、わたくしの元に良報が舞い込みます。
なんと城の近くでキラーワプスの巣が見つかりました。
城の兵士が命を掛けてキラーワプスの大群を退治し、蜂の巣を回収する事が出来たのです。ただ、その時の討伐で二人の兵士が大怪我を負って今でも治療中だそうです。
残念ながら発見するのが遅く、ほとんどの蜂の子が羽化してしまい、蜂蜜はほとんど取れなかったそうです。
その為、わたくしの元に届いた蜂の子は二個だけです。残念です。二個だけとはいえ、されど二個です。負傷した兵士の為にもわたくしは、有り難く蜂の子を頂きたいと思います。
妖精さんと同じぐらいの大きさの蜂の子を切り、半分を妖精さんの前に置きました。
しかし、妖精さんは、未だにうねうねと動いている白い幼虫を見て、顔を引きつらせて後ろの方へ下がってしまいました。
「妖精さん、美味しいですよ」
安心させるように、わたくしが先に蜂の子を食べます。
輪切りにした蜂の子を指で掴むと、切断した断面からとろりと白い体液が垂れてきます。勿体ないと思い、急いで指ですくい、口に持っていきます。
ゲルダに「姫様、はしたないです」と注意されますが、わたくしは体液の甘さに夢中になり、聞き流してしまいます。
久しぶりの甘味です。
指に付いた体液では我慢できず、輪切りにした断面部分を口に入れ、ちゅうちゅうと中身を啜ります。中身が無くなり萎んでしまった幼虫を口の中に入れ、はむはむと咀嚼します。
キラーワプスの幼虫の皮膚は弾力があり、何度も噛みしめなければ食べきれません。噛めば噛むほど、味が出てきて美味しいです。
ああ、幸せの味。
口元に手を当てて真っ青な顔をしていた妖精さんですが、わたくしがあまりにも美味しそうに食べている姿を見て、徐々に蜂の子に近づいていきます。
胴体が半分になってもうねうねと動き続けている幼虫と幸せ一杯のわたくしの顔を交互に見てから、妖精さんは意を決した様子で、切断した断面から流れる体液を指につけて、口の中に持っていきました。
「……ッ!?」
一口舐めた体液に驚いた妖精さんは、すぐに幼虫に飛びつき、齧りつきます。
その様子を見たわたくしとゲルダは笑顔を浮かべました。
この日を境に妖精さんは、魔物肉を食べるようになったのです。
始めは恐る恐る食べていたのですが、日数を重ねていくにつれ抵抗は無くなり、今ではお代わりを要請する程になりました。
そんな食欲旺盛な妖精さんですが、たまに食事を摂らない日があります。
理由を聞くと、「お腹が一杯で食べられない」と返ってきます。
最初の内は、体調不良を隠しているのかと思い心配しましたが、お腹がふっくらと膨らんで身動き出来ない様子を見ると、言葉通りに食い過ぎで動けないだけと分かりました。
妖精さんの部屋は、作った時の失敗で外からしか入口が開けれないようになっています。つまり、妖精さんは勝手に外へ出る事は出来ません。それなのに、どうやって食べ物を調達しているのでしょうか? 何度か尋ねてみたのですが、結局、教えてくれませんでした。不思議です。
季節が暖かくなったある日、わたくしは妖精さんと庭園でお茶をする事にしました。
小さな庭園は、わたくしのお気に入りの場所です。
『星の花』と呼ばれる赤色や白色のラッパのような花が咲き乱れています。
この『星の花』は、シーボルト王国を象徴する花であり、国章にも描かれている大事な花なのです。
このように、とても大切な場所をぜひ妖精さんに見てもらいたくお茶会を開いた次第です。
「本日のお茶は『星の花』を乾燥させて、お湯で抽出したものです」
ゲルダが給士するお茶を見て、妖精さんが驚きます。
「大事な花をお茶にするのー?」
「ええ、良い香りがするのですよ」
「旗の記号にも使っている花よねー?」
「はい、シーボルト王国の象徴です」
「そ、そう……」
なぜか腑に落ちない顔をする妖精さんです。どうしたのでしょうか?
「お茶請けにバッタの足を用意しました」
わたくしの人差し指ほどのバッタの足が、こんがりと焼かれて並んでいます。
本日の夕食にバッタの胴体だけを使うらしく、余った足の処分に困った料理長がお茶請けにと焼いてくれたのです。
塩を掛けてからバッタの足を掴んで食べます。
足の先端は細くて硬いので残しますが、太もも部分はプリプリと弾力があり、食べ応えがあります。
妖精さんもわたくしに倣って、バッタの足を食べてはお茶を啜っています。
しばらく『星の花』を眺めながらお茶を楽しむと、わたくしは以前から妖精さんに聞きたかった事を尋ねました。
「妖精さんが住んでいた場所の近くに、竜は住んでいましたか?」
「はぁー? 竜? いないわよー。見た事もないし」
「あれ、そうなのですか? ラインハルト大森林の奥に竜が居ると言われています。妖精さんの故郷もその辺りではないのですか?」
ラインハルト大森林の最奥に竜がいるという噂は有名です。さらに森には竜だけではなく、妖精が集まる楽園があったり、エルフの隠里があったりと言われたりもします。まぁ、それを確認した者はいないので、噂の域は出ませんが……。
「そもそも、あたしが住んでいたのは、その何とか大森林じゃないわよー。訳あって故郷から離れる事になり、色々と彷徨ったあげく狩人に捕まって、今に至る訳よー」
「そうだったのですか」
わたくしはてっきりラインハルト大森林の中にある妖精の楽園から来たのだとばかり思っていました。
「それなら妖精さんの住んでいた場所は、何処なんですか?」
わたくしが尋ねると、妖精さんは空の方を向いて、無言になってしまいました。その顔は、どことなく寂しさと懐かしさが混ざっています。
妖精さんは「遠い所よー」と一言だけ呟きました。聞いてはいけない事だったのかもしれません。
「も、もしかして、帰りたいですか?」
ドキドキしながら妖精さんに尋ねました。ここで「帰りたい」と言ったら、わたくしはどうすれば良いでしょうか?
わたくしにとって、妖精さんは大事な存在になっています。そんな彼女が願うのなら叶えてあげたい。でも、離れ離れになるのも嫌です。
聞くべきではなかったと後悔していると、妖精さんは「あたしたちの家は、すでに無くなっているの。もう帰れないわー」と諦めの交じった声が返ってきました。その表情は、いつも天真爛漫な彼女とは思えない程、大人びて綺麗でした。
深く追求するのは妖精さんに悪いと思い、話題を変える事にします。
「あたしたちという事は、やはり沢山の妖精さんたちがいる場所なんですよね。どのくらい、いるんですか?」
「妖精なんていないわよー。住んでいたのは、姉妹と博士……母のような人と七人で暮らしていたのー。全員、見た目は違うわよー」
妖精さんは、色々と話してくれますが、詳しくは教えてくれません。
先程の事あり、あまり突っ込んだ事は聞かず、妖精さんの話を聞く事に専念します。
「一番下の妹は、あたしを踏み潰しても一言も謝らないのよー。一つ下の妹は、凄くずぼらで、よくあたしが寝ている場所に荷物を置いて、潰していたわー」
妖精さんの愚痴が続きます。
それにしても、潰され過ぎです。
妖精さんが城に来て初めての夜の事、一緒のベッドで寝ていた時、わたくしの寝返りで妖精さんを潰して怒られた事がありました。その所為で、急いで妖精さん用の部屋を作ったのです。
妖精さんの愚痴が、わたくしの心に突き刺さっていきます。
「楽しそうなお話をしているわね」
母上が庭園に現れました。
「お母様、お仕事の方は大丈夫なのですか?」
母上の主な公務は、他国の国賓や国内の有権者のおもてなしです。ただ、いつもある訳ではないので、普段は父上の補佐をしたり、書類仕事をしたり、怠けないように監視をしています。
「ルイとレオが補佐見習いをしていますので、わたくしの仕事は三人に割り振ってきました。こんな良い天気です。わたくしもヴィッキーとティアちゃんとお茶を飲みたいわ」
第一王子のルイ兄上は、次期国王で今は父上の側で公務の手伝いをしながら勉強中です。
第二王子のレオ兄上は、ルイ兄上が国王になった時、補佐役に回りますので、ルイ兄上と同じ公務の手伝いをしています。
わたくしは、まだ未成年ですので公務はありませんが、王女として相応しくなる為の勉強と教養を身に着けている最中です。
「ティアちゃんはこの庭園は初めてよね。どう、素敵でしょ」
側使えがお茶とバッタの足が乗った皿を用意している間、母上は妖精さんに庭園の感想を尋ねました。
答えは勿論、「素敵」でした。その答えにわたくしと母上の顔は綻びます。
自慢の庭園ですからね。褒められると嬉しくなります。
「そうだわ、妖精さん」
わたくしは、良い事を思いつき席を立ちます。
そして、ちょうど良い大きさの真っ白な『星の花』を一輪、ブチっと千切って持ってきました。
「本当に国を象徴する大事な花なのー? 扱いが雑なんだけどー」
なぜか呆れている妖精さんに、わたくしは一輪の『星の花』を妖精さんの髪の毛に挿してあげました。
「まぁ、素敵。とても似合うわ」
母上も絶賛しています。
暖色に近い赤い髪に白い『星の花』がとても良く合っています。
妖精さんも満更でないようで、反対側にも挿してほしいとお願いされたので、もう一輪、ブチっと千切って挿してあげました。
その日以来、妖精さんの髪には『星の花』が挿してあります。ただ不思議な事に、その『星の花』は枯れる事がなく、いつまででも生花のままなのです。
理由を聞くと、魔力で枯れないようにしているそうです。魔力って凄いな、と感心しました。
………………
…………
……
早いもので、妖精さんが来てから二年が経ちました。
第一王子であるルイ兄上は、隣国のローテンクーゼン王国の末娘を嫁に娶り、本格的に次期国王としての引継ぎを始めました。
第二王子のレオ兄上にも、公爵家の娘との婚約話が進んでいます。
成人したわたくしにも、ちらほらと婚約者候補の話が来ますが、父上が耳を塞いでいるので、わたくしの結婚は当分先でしょう。
わたくしの唯一無二の友人である妖精さんは、わたくしに勉強を教えたり、わたくしの部屋を掃除したり、わたくしが失敗すると注意したりと、積極的に動いています。見た目に反して、妖精さんは、とても優秀なのです。
少しづつ、国内が変化していきます。
わたくしもいつか他の国に嫁いだり、または婿を取ったりと変化が起きるかもしれません。
それでも妖精さんがいれば、何年経っても平和で楽しい日々が送れると思っています。
ただ、それが幻想だったと思い知らされました。
日常というものは、簡単に無くなるのです。
何の前触れもなく……。




