139 幕間 ある姫の追想 その1
わたくしの名前は、ヴィクトリア・シーボルト。父上や母上、二人の兄上からはヴィッキーと呼ばれ、親しまれています。
わたくしの住まう国は、シーボルト王国というしがない国です。わたくしはそこの姫をしております。
シーボルト王国は、隣国のローテンクーゼン王国に比べ、面積、人口、資金、食料生産量など、全てにおいて十分の一ぐらいしかない悲しいほどの小国なのです。
土地は水捌けの悪い不毛の大地で植物は育ち難く、城を囲む険しい山は岩盤が硬く、鉱石を取る事も出来ません。
特産が一切ないシーボルト王国は、何代も渡り、貧困に慣れた国なのです。
そんなシーボルト王国ですが、唯一、他の国にはないものが存在します。
それは、我がシーボルト王国の背面に広がる漆黒の森林、『ラインフォルト大森林』の存在でしょう。
あまりにも広大で、太陽の光さえ差し込まない大木が生い茂るラインフォルト大森林は、わたくしたちの間では、『濡れ烏の森』とも呼ばれております。
その大森林は、色々な植物や木が存在すると同時に、多種多様の魔物の宝庫でもあります。
穀物もまともに育たない不毛の大地で生活している我が国でありますが、この大森林の恵みのおかげで、何とか生活が出来る次第なのです。
いや、この大森林が大地の養分を吸い取っている所為で、他の場所が不毛になっていると言われる事もあります。良くも悪くも、わたくしたちは、このラインフォルト大森林と共に生きているのです。
そんな広大なラインフォルト大森林は、険しい岩山に囲まれており、唯一の入口に当たる場所にわたくしの住まうお城が建っています。
そもそも、この大森林の魔物が外に出ないよう監視していた砦の責任者が、わたくしの遠い祖先と伝えられています。
それが代を重ねる事に砦が城になり、街が出来、王国へと変化したのです。
今も我が国の使命は、ラインフォルト大森林に生息している魔物を監視する事です。
とはいえ、あまりにも広大であるので、全てを把握している訳ではありません。城からほんの少し入った部分だけです。
その理由は、魔物です。
奥へ行けば行くほど、魔物が強くなるのです。
噂では、大森林の最奥には、森を守護する竜がいると言われています。
そういう噂があるせいか、時たま、腕試しの冒険者や一攫千金を狙う狩人が我が国を訪れ、大森林に挑みに来ます。
命からがら逃げ帰ってくる者はまだ良いのですが、殆どの者は、戻ってきません。
その原因は考えたくありません。
そういう事で、ラインフォルト大森林を管理していると同時に、森の恵みを貰っている訳で、本日の夕食の内容もラインフォルト大森林産ばかりなのです。
「姫様、本日の献立は、焼きカマキリの腕、蜘蛛の串焼き、乾燥キノコのスープ、葉野菜のアインシェ木の蜜和えです」
いつもと変わり映えしない献立。昆虫料理ばかりです。
たまには、獣肉も食べたいのですが、獣の魔物は森の奥まった場所に生息しているので、どうしても、城の近くで狩れる昆虫の魔物が食卓に並ぶ事が多くなります。
美味しいから良いのですが……。
「お兄様たちは、まだ来ないのですか?」
現在、食堂にはわたくし一人だけです。
普段なら父上、母上、二人の兄上と家族揃って食事をするのですが、父上と母上は来客の対応で遅れると知らされています。二人の兄上については聞いていません。
「ルイ王子とレオ王子も謁見室でグスタフ王の補佐をしています」
「そう……一体、誰が来たのかしら?」
わたしくしの給仕をしている側使えのゲルダが「存じません」と素っ気なく答えました。
折角、家族が揃う夕食時だというのに、謁見を優先するなんて余程大切なお客なのでしょうね。
わたくしは、気を取り直して、一人寂しく食事を摂る事にしました。
目の前にはわたくしの腕ほどもある草刈マンティスの腕が二本、こんがりと焼かれて置かれています。
鎌の部分を切り取られた腕から香ばしい香りが鼻に付き、お腹の虫が鳴りそうになります。うん、虫の魔物を見て腹の虫が鳴るなんて、言い得て妙です。今度、兄上に言ってみましょう。
切れ込みの入っている硬い殻を外すと、肉汁で煮込まれた草刈マンティスの身が現れます。フォークで肉の一部を刺して持ち上げると、身が裂けて、食べやすい大きさに剥がれました。
パクリと口に入れると、淡泊の面白味のない味が口に広がります。
ゲルダに塩の瓶を取ってもらい、パラパラとマンティスの肉に掛けて、もう一度、食べます。
うん、少し味が濃い方がわたくし好みです。
料理人には、毎回、味付けを濃くしてくれとお願いしているのですが、「魔物本来の味を楽しんで欲しいです」と言われ、聞き入れてくれないのです。
お口直しに蜘蛛の串焼きに手を伸ばします。
串のまま口元に持っていきたいのですが、それは庶民の食べ方で、わたくしたち王族は、串から外して食べなければいけないのです。今は一人なので、そのまま串ごと齧り付きたいのですが、ゲルダが目を光らせているので、かぶりつく事は出来ません。面倒臭いです。
蜘蛛の脚を取り外し、わたくしの拳ほどもあるお腹にナイフを差して一口大に切り、口の中に持っていきます。
トロリとした蜘蛛の内臓が舌の上で広がります。どことなく甘みを感じるので、わたくしの好物の一つです。表面部分はカリカリに焼いており、豆を燻した味がするのも好きな理由です。
ぱくりと一匹の蜘蛛を食べたわたくしは、キノコのスープで口を潤します。潤
キノコは一度、太陽の光で乾燥させて使用しているので、スープ全体にキノコの風味が味わえます。少し固めに戻した真っ赤なキノコはコリコリと歯ごたえもあり、風味だけでなく食感も楽しめる一品です。
シーボルト王国の料理人は優秀ですね。他の国にも自慢したいほどです。
そして、お口直しに葉野菜をいただきます。
正直言いますと、わたくしは野菜が苦手です。
硬くて苦いので、食べたくありません。
ただ、野菜を育てる事が難しい我が国では、野菜は非常に貴重ですので、残す事は出来ません。
一応、食べやすいように甘い液体が掛けられています。ただ、今掛けられているアインシェ木の樹液は、雑味が強く、枯れた木の味がするので、わたくしは苦手です。まぁ、何も付けずに食べるよりかはましですが……。
「蜂蜜とまでは言いませんが、せめて蜂の子と一緒に食べれば美味しく食べられるのですがね」
つい、わたくしの口から愚痴が零れてしまいました。それを聞いたゲルダは「蜂蜜も蜂の子もキラーワプスを相手にしなければいけません。我慢して下さい」と注意されてしまいました。
毎日、料理に出る魔物は、我が国の兵士がラインハルト大森林の監視と称して魔物を狩ってきた物を使っているのです。森の奥に行けば行くほど魔物が強くなるので、どうしても城の近場で狩れる魔物が食卓に並ぶ事が多くなります。
わたくしが望んでいるキラーワプスは、獣の魔物と同じ、少し奥に行かなければ現れない為、滅多に食卓に並ばないのです。残念です。
ちなみに、野菜に関して、ラインハルト大森林に生えている草を使えば良いと思うかもしれませんが、どういう訳か、ラインハルト大森林の草は食材に適さないそうです。
歴代の料理人が何度も挑戦したそうですが、その都度、お腹を壊して引退してしまっています。
ただ、大森林のキノコは食べられます。その違いが分かりません。
「おや、ヴィッキー、もう、食事は終わったのかい?」
「遅くなってしまった。すまないな、ヴィッキー」
全ての料理を食べ終えた頃、ルイ兄上とレオ兄上が食堂へ入ってきました。
「お父様とお母様は、まだ執務中ですか?」
二人の兄上が席に着き、食事の準備をしているのを見ながら尋ねてみました。
「ああ、もう少し時間が掛かりそうだよ」
「僕たちは、あまり必要そうでなかったので、席を外してきた」
「おお、今日は草刈マンティスの腕か。美味しそうだ」と嬉しそうにフォークを握る兄上たち。
「夕食時になっても来客の相手をしているのですから、余程の方がお客様なのですよね。隣国の使者でも来たのでしょうか?」
疑問に思った事を尋ねてみたら、二人の兄上は、顔を見合わせてから笑いながら首を振った。
「いや、全然。ただの狩人だ」
「二日前に濡れ烏の森に入っていった狩人が帰ってきたんだ」
「狩人?」
わたくしは首を傾げてしまいます。
食事が大好きなお父様が夕食時をずらしてまで謁見するのです。相手は隣国の関係者だとばかり思っていました。それがただの狩人とは……どういう事でしょうか?
「その狩人が、森の中で珍しい生き物を生け捕りにしたんだ」
「その生き物を買う買わないの平行線で、話がまったく進まないのさ」
「はぁー、生き物ですか?」
珍しい生き物とは何でしょう?
もしかして、竜でしょうか?
ラインフォルト大森林の奥には竜が住まうと言われています。ただ、普通の狩人が竜を捕獲できるとは思えませんので違うでしょう。
「ヴィッキー、買う買わないは別にして、面白いものが見られるから謁見の間に行ってみたらどうだい?」
「その生き物を欲しがっている母上とお金がないと渋っている父上が対立している。ヴィッキーは母上の肩を持つと良い」
二人の兄上が草刈マンティスの身をほじりながら提案してきました。
今、ここでその珍しい生き物の正体を教えてくれる気はないようなので、わたくしは兄上の言う通り、謁見の間に向かう事にしました。
側使えのゲルダを伴い謁見の間に入ると、母上が嬉しそうにわたくしの側に来るように手招きしてきました。
「ヴィッキー、あなたからもグスタフ様にお願いしてください」
「お前、ヴィッキーを使うのは卑怯だぞ」
味方が増えた事に勝機を見せた母上に父上が情けない顔をしています。
自分から言うのもなんですが、父上はわたくしのお願いを拒否した事がありません。とても溺愛されているのです、わたくしは。
ちなみに、父上の近くに各部署の大臣と数人の貴族が控えています。彼らは、シーボルト王である父上の声を最優先にしなければいけないのですが、シーボルト夫人である母上の声も無下に出来ませんので、父上と母上の狭間で困っていました。
「お母様、わたくしはまだ何も分からない状況なのです。お兄様は、珍しい生き物がいると言うだけで、その生き物が何かすら教えてくれません。一体、その生き物は何ですか?」
わたくしは、少し離れた場所に待機している狩人たちに目線を向けます。
四人の狩人は、今さっき大森林から戻って来たばかりの薄汚れた姿で頭を垂れて、成り行きを見守っていました。
「あなたたち、ヴィッキーに見せてあげてください」
母上の指示で頭を上げた狩人の一人が、黒い布に覆われた籠をわたくしの前まで持ってきます。
「ヴィクトリア姫さま、これが俺たちが大森林で見つけ、捕獲したものだ。ぜひ、見てくれ」
狩人は粗野なしゃべり方をしますが、わたくしたちはその程度で機嫌を損ねる王族ではありません。辺境に構える我がシーボルト王国は、こういう粗野で乱暴な冒険者や狩人しか立ち寄らないので慣れているのです。
そんな狩人は、黒い布を捲ると……。
「えっ、妖精!?」
籠の中に入れられた生き物を見て、わたくしは目をしばたきながら声を張り上げてしまいました。
大きさは、手の平に乗りそうなほど小さく、可愛らしいです。
オレンジに近い赤毛は、蝋燭の炎のようです。
可愛い花の刺繍がされた水色の服は非常に繊細で、わたくしが着ている服よりも品質は良いです。
そして、背中に付いている四枚の羽は、角度を変えるごとに色が変わり、暑い時期に食卓に並ぶカブトムシや蝉の羽とは全く違っていました。
幼い頃、母上や乳母から聞いた通りの妖精です。
想像通りの妖精さんは、籠の中で「くかーくかー」と鼾をかきながら眠っていました。
狩人に捕らわれて、粗末な籠に入れられているにも関わらず、図太く寝入っている妖精は、物語の通り自由奔放の性格のようです。
「ヴィッキー、凄いでしょ。本物の妖精よ。わたくしも初めて見ました。ぜひ我が国に招きたいと思います」
「ええ……本当に……」
わたくしも母上の言う通りだと思います。
この世界に本当に存在するかどうかも分からない夢物語のような存在が目の前にいるのです。
幸運を運んでくれると言われる妖精は、ぜひとも我が国で保護し、賓客として迎えるべきだと思います。
いや、国は関係ありません。
ただ単純にわたくしが、この妖精さんと仲良くしたいのです。お話をして、食事をして、笑ったり、泣いたりと一緒の時間を過ごしたいです。
「お父様……」
わたくしが父上の方を向くと、「ヴィッキー、勘弁してくれ。とても高くて、支払えるお金がないのだ」と情けない声を零します。
妖精の金額を聞くと、一攫千金を狙う狩人にしては妥当な値段でありました。優秀な軍馬のスレイプニルを一頭買うのと同じぐらいです。
ただ一般の国と違い、我が国はとても貧乏なのです。
とてもではありませんが、わたくしや母上の為だけに払える金額ではありません。
その事は重々承知なのですが、それでもわたくしは……。
「お父様、わたくし、しばらくお小遣いはいりません。食事の量も半分ぐらいで我慢します。ぜひ、妖精さんを手に入れてください」
わたくしの言葉を聞いた狩人たちが、期待に満ちた目で父上を眺めます。勿論、母上も父上の顔色を窺っています。
皆の視線を一身に受けた父上は、「うーむ……」と考え始めました。
これはいけるかもしれません。
「さらに嫌いな野菜も嫌がらず食べますし、お勉強も逃げ出さずに励みます」
「それはやって当たり前だ」
断腸の思いで告げたのに、効果はなかったみたいです。
「グスタフ様、可愛い娘が身を削って提案しているのですよ。父親としての威厳を見せる良い機会ではありませんか?」
「父親の威厳!?」
貧乏国家を運営している父上は、常日頃から貧乏に悩んでいます。その所為か、王として父親として自信を持てていない節があります。ただ、身分に関わらず平民でも自由に謁見し、困っている者に手を差し伸べる、国民全員に愛されている王でもあるのですが、それは本人は気付いていません。
「もし、ここで娘の願いを聞き入れる事が出来れば……」
そこで母上は、わたくしの方を向いてクイっと顎を上げました。続きは、わたくしがするべきとの合図です。
「お父様の事は好きです。もし妖精さんが手に入ったら、今以上に大好きになってしまいます」
わたくしの言葉を聞いた父上は、カッと目を見開き、立ち上がりました。
そして、大臣たちに振り返ると……。
「お前たち、出番だ! 何としてでも妖精を手に入れるぞ! 我に続け!」
……と大臣たちを伴い、狩人の元まで足を運びました。
その姿はまさしく一国の王。
十四年間、生きてきた中で、一番、恰好良い父上の姿を拝見しました。
狩人たちは、王と大臣と貴族に取り囲まれ、真っ青な顔になっています。
「す、すんません。す、少し、欲が出て、色々と不敬を働いちまった。そ、その……死罪だけは……」
ガクガク震える狩人たちを見つめる父上は、「何を言っているか分からん。顔を上げろ!」と威厳のある声で、顔を伏せてしまった狩人たちに一喝します。
「お前たちは、自分たちの仕事をしているのは承知。まったく不敬な事はない。だが、こちらにも都合はある。だから、話し合いをしよう」
「は、話し合い?」
「値引き交渉だ!」
父上の宣言を機に、今まで口を閉ざしていた大臣と貴族が一斉に口を開きます。
ある大臣は、現在の国の財政状態を伝え、同情を誘います。
ある大臣は、妖精の書かれた文献を持ち出し、「くかーくかー」と眠っている妖精を値踏みし、欠点を述べていきます。
ある貴族は、狩人の身だしなみ、言葉使いを例に、商品である妖精の価値を下げます。
ある大臣は、夕食時間が伸びた事による父上と母上の体調管理が狂った事を深刻そうに伝えます。
最後に父上が、わたくしの事を熱心に話し始めます。普段、わたくしがどれほど頑張っているのか、父上がわたくしの事をどれほど愛しているのかを四人の狩人に熱弁するのです。
そして、「ぜひ、娘の為に安く売ってくれ」と父親の言葉で値引き交渉を締めくくりました。
こうして、父上と大臣たちの頑張りで、妖精さんは最初の価格の十分の一の値段まで値切る事が出来たのです。
「お父様、愛しています!」
わたくしは、最愛の父上に抱きつき、感謝の言葉を告げます。
わたくしの言葉を聞いた父上と大臣と貴族は、大戦に勝利したような誇らしい顔をしました。
狩人たちは、「酷い目にあった!」と泣きながら帰っていきます。
いつの間にか目を覚ましていた妖精さんは、わたくしたちの様子を黙って見ていました。
そんな妖精さんと目が合います。
「妖精さん、はじめまして。わたくしは、ヴィクトリア・シーボルト。わたくしのお友達になってくださいね」
こうして、わたくしと妖精さんは出会ったのです。
魔力抜きの時、少しだけティアが語った姫さまの話です。




