130 地下水路の死闘 その6
薄暗い通路をレイピアを使って明るく照らす。
地面にはゴブリンの死体とゴブリンが持っていた松明が数本落ちているだけだ。
静寂が支配する通路。
その通路にオークの雄叫びが響き渡る。
ゴクリと唾を飲み込み、レイピアをオークのいる方向へ向けた。
体力と魔力が底をつきかけている。
逃げるという選択肢もあるが、オークやゴブリンから逃げつつ、出口を求めて迷路のような通路を彷徨う自信はない。
ふぅー、仕方がない。
ここでオークと対峙するしかなさそうだ。
別に倒さなくてもいい。
有り難い事に飛び道具の『光刃』があるので、遠くから足を狙って動けなくした所をゆっくりと出口を探そう。
そう心に決めていたら、暗闇の奥から何かが飛んできた。
「ンギャァァーーー……」
ちょっと!?
飛んできたのは、欠食児童のようなゴブリンである。
クルクルと回転して飛んできたゴブリンは、私から離れた地面にぶつかり、汚水まみれの水路へ落ちていった。
何て物を投げてくるんだ!
「ウンギャァーー……」
またゴブリンの肉弾丸が飛んでくる。
高く投げられたゴブリンは、通路の天井にぶつかり、私の手前にドサリと落ちた。
肉が削げ、骨が折れているゴブリンは、痛々しそうにピクピクと痙攣している。
無茶苦茶である。
通路の暗闇から二メートル近いオークが姿を現した。
赤い目に変色したオークは、左手に棍棒を右手にゴブリンを掴んで、のしのしと私を睨みながら近づいてくる。
うわー、凄く怒っている。私が何をしたっていうのよ! と思ったが、オークの上半身が痛々しそうに火傷で爛れているのを見て、怒るのも無理はないと納得してしまった。
オークは、ゴブリンの首根っこを掴んでいる右腕を大きく振りかぶり、私に投げつけてきた。
すぐにその場にしゃがむ。
「ンギャー」とゴブリンの悲鳴が頭上を通り過ぎると、ドゴンと後方の地面にぶつかった。
地面に叩き付けられたゴブリンは、首が変な方向へ曲がっている。
オークから視線を逸らしゴブリンの様子を見てしまった私は、オークの接近を許してしまう。
ドスドスと音を響かせて駆けるオークは、天井にぶつけられたゴブリンを踏み潰しながら、地面にしゃがんでいる私目掛けて棍棒を振り下ろした。
―――― レイピアを振ってー ――――
「……はっ!」
不安定な姿勢のまま、オーク目掛けてレイピアを横へ払う。
剣先から飛び出した光の刃がオークの棍棒に当たる。
狙いがずれた棍棒は、私のすぐ横の地面を叩いた。
地面の破片が体中に当たり、地味に痛い。
不格好な姿のままお尻を滑らせながら後退し、オークから距離を取る。
肝が冷えた。危ない、危ない。
オークはゆっくりと棍棒を持ち上げて、私を睨みつけてくる。
「『光刃』! 『光刃』!」
地面に座ったままレイピアを右へ左へと振って、光の刃をオークに飛ばす。
オークは棍棒を横に振り、先に飛んでいった光の刃を叩いて壊す。だが、すぐ後ろを飛んでいた光の刃がオークの顔に当たり、ちょっとした切り傷を作った。
ゴブリンと違いオークの耐久性は高い。
軽く振って作った『光刃』では、オークに致命傷を与える事は出来そうにない。
それならと、私は左手に魔力を集め、オークに向けて魔力弾を放つ。
光の塊がオークの目の前で弾け、薄暗い通路を強い光で照らしだす。
両腕で顔を覆ているオークを確認すると、私はすぐに立ち上がり、レイピアに魔力を注ぐ。
頭の中でガラス片が刺さったような痛みを感じ、顔をしかめる。
だが、すぐに痛みは消え、バチバチとスパークを放っているレイピアをオークに向けて、力一杯横へと振った。
剣先から飛び出した光の刃は、空気を切り裂きながら顔を覆ているオークの腕に当たる。
「……うそ!?」
ゴブリンなら今の攻撃で輪切りにしているはずなのに、オークの腕には少し深めの傷が出来た程度であった。
もしかして、私の『光刃』って弱いの!?
ゴブリンがあまりにも貧弱だったので勘違いしていたようだ。
それならと、私はふらつく体に力を込めて、オークの元まで駆けると一直線にレイピアを突く。
光の魔力弾で視力をやられているはずのオークは、顔を覆ている腕を下げると、顔面に迫っているレイピアを僅かな動きで避けた。
「えっ?」
オークの瞳は、しっかりとレイピアの刃先を見ている。
もしかして、目眩ましが効いていない? いや、魔力弾が弾ける前に顔を覆って、防いたんだ! 私がゴブリンたちを虐殺していた場面を暗闇から観察していたのかもしれない。
そう判断した私は、すぐにレイピアを戻すが、オークの棍棒の方が速かった。
―――― 後方へ退避 ――――
「……ッ!」
同じ事を考えていた私は、『啓示』の指示と同時に後ろへ飛び下がる。
ガリガリと棍棒の先端が、皮鎧をこすって空振りした。
あ、あぶねー。
オークの動作は、一つ一つが大振りで予測しやすい。だが、一発の攻撃が半端ない。一回でもまともに当たれば致命傷である。
今の私の体力では、カウンターを狙ったり、ヒットアンドアウェイも無理そうだ。
では、どうしようか?
技術も経験もない私の攻撃手段なんて数えるぐらいしかない。
レイピアで攻撃、『光刃』で攻撃、魔力弾で目眩まし。うん、三つしかない。
レイピアの攻撃は、どのくらい通じるか分からない。
『光刃』の攻撃は、威力が弱くて、期待が持てない。魔力が満タンなら距離を開けて『光刃』を連発すれば、動きぐらい止められるかもしれないが、残念ながら私の魔力は底をつきかけている。
それなら、やはり魔力弾か。
相手はゴブリンではなくオークだ。
先程みたいにあからさまな魔力弾では、回避されてしまう。
何とか隙をついて魔力弾で視界を奪い、レイピアで攻撃しよう。
ただ、私の魔力は少ないので、魔力弾も連発は出来ない。せいぜい二発か三発ぐらいか……。
対策を考えた私は、右手に光り輝くレイピアを握り、左手に魔力を集めながら近づいてくるオークを睨みつける。
「グアアァァ――ッ!!」
オークから雄叫びが発せられた。
目の前で怒声をもろに受け、心臓が縮みあがる。
恐怖で足が震え、左手に集めていた魔力が拡散してしまった。
オークは、上段に棍棒を持ち上げ、大きく一歩踏み込むと私目掛けて振り下ろした。
「……ッ!?」
出遅れた所為で回避する事が出来ない。
無意識にレイピアを横へ向けて、大木のような棍棒を受け止めた。
ゴツンっと棍棒の重みが体中を襲う。
左手の手甲をレイピアの刃先に当てて踏ん張るが、あまりの重さに膝が折れる。
歯を食いしばりながら中腰で耐えていると、オークの蹴りが私の胴体にめり込んだ。
「グフッ!」
皮鎧を装着していた事もあり、大したダメージは受けなかったが、後ろへと飛ばされる。
地面を擦って、ゴロゴロと転がり、ゴブリンの死骸にぶつかり止まった。
すぐ近くに火の点いた松明が落ちていたので、火傷しそうになり焦った。
痛む腹を無視して、地面に転がっているゴブリンの頭部を掴み、近づいてくるオークに向けて投げつける。
オークは棍棒を一振りして、ゴブリンの頭部を払う。
その隙に、炎の点いた松明も掴み、すぐに立ち上がった。
右手にレイピア、左手に松明を持ち、構える。
オークの足が止まった。
あっ、もしかして、松明の炎が怖いのか?
上半身を燃やしたので、トラウマになっているのだろう。
ニヤリと笑った私は、松明の炎をオークに向けて振り回すと、それに合わせてオークは大袈裟に回避しだした。
これは良いと右へ左へ松明を振り回して、オークを自在に動かす。そして、オークの体勢が崩れた所を右手に持っているレイピアで攻撃した。
棍棒を持っているオークの右腕にレイピアの刃先が僅かに刺さる。すぐに引っこ抜き、また松明で体勢を崩したところで足を刺した。今度も数センチしか刺さらなかった。
私自身の態勢が悪いとはいえ、魔力を流したレイピアでもオークの体を貫けれない。オークとゴブリンは違うのだと思い知らされた。
「ウガッ!」
ちまちまとレイピアで攻撃されるのを嫌がったオークは、軽く棍棒を振ってレイピアを弾く。
「あっ!?」
手から抜けたレイピアは、通路の奥へと飛んで行ってしまった。
「グフフ」と笑うオークであるが、笑うのは私だ。
良い位置に移動したオークに向けて、松明をオークの顔目掛けて一直線に突き出した。
炎を怖がったオークは後ろへ下がり、そして、足を滑らせて水路へ落ちた。
急いで右手に魔力を流す。
盛大に落ちたオークが水面から飛び出すのと同時に、右手に集まった魔力をオークの顔目掛けて撃つ出す。
目の前に迫る光の魔力弾を確認したオークは、顔を背けて逸らすが、すぐに魔力弾は弾けた。
薄暗い通路が一瞬で強い光に包まれると、オークの雄叫びも上がった。
目元を手で覆って苦しんでいるのを見ると、魚の魔物に襲われているだけでなく、視力も奪えたと確信できた。
私は松明を捨てて、レイピアが飛んで行った通路の奥へ走る。
体中に力が入らずフラフラとするが、無我夢中で足を進める。
レイピアは、私とティアが隠れていた部屋の入口近くに落ちていた。
無事にレイピアを拾って、後ろを振り返ると、体を噛み付いている数匹の魚を引き連れて、オークが通路に上がってくるのが見えた。
棍棒を無造作に振り回しているのを見ると、視界は回復していないみたいだ。
今すぐにオークの元まで戻ってレイピアで攻撃しようか?
いや、私の攻撃では、チクチクと刺すだけで致命傷には至らない。せいぜいニキビ痕みたいな傷を作ってお終いだろう。
それなら、オークの目が見えない内に逃げた方が良い。
オークのいる場所とは反対の通路に視線を移すと……。
「ガハッ……!」
……背中に衝撃が加わり、前方に倒れてしまった。
私の横に棍棒が転がっているのを見ると、オークが私に投げつけたのだろう。
クンクンと鼻を鳴らしながら手ぶらのオークが近づいてくる。
視線はしっかりと私を見ているので、視覚は治りつつあるみたいだ。
ドスドスと足を響かせながら駆け出すオーク。
震える足に鞭を打って、急いで立ち上がる。
オークが右手を持ち上げて、私の顔を狙って突き出した。
私は腕を交差させて、オークの拳を防ぐ。
「……くッ!?」
オークの拳は、ゴブリンを肉弾丸のように飛ばすほどの腕力である。手甲を嵌めていても腕の骨が悲鳴をあげ、後方へと吹き飛ばされてしまった。
ティアと隠れていた部屋の中まで吹き飛ばされた私は、ゴロゴロと地面を転がり、岩場にぶつかって止まった。
皮鎧を付けているとはいえ、地面に叩き付けられた衝撃で体中に痛みが走る。
息をする度、胸の筋肉に痛みが走る。
拳を受けた腕は、ジンジンと痺れ、上手くレイピアを握る事が出来ず、刀身の光が弱まっていく。
私は立ち上がる事も出来ず、地面に倒れたままオークが真っ暗な部屋へと入ってくるのを見ている事しか出来ないでいた。
だが、立ち上がる事は出来ないが、魔力を集める事は出来る。
ズキリと頭が痛くなるのを無視して、左手に魔力を集めた。
ドスドスと地面を響かせながら私の元まできたオークは、地面に倒れている私を真っ赤な目で睨みつける。
「食らえッ!」
光り輝く左手を前方に向けるが、オークは足で私の左手を蹴り、魔力弾を逸らされてしまった。
光を帯びた魔力弾は、部屋の奥へと飛んで行き、弾ける。ぱっと部屋が強い光に包まれるが、オークには利かない。
上から私を観察しているオークが、力の入らない私の体に腕を伸ばし、持ち上げてきた。
立ち上がるのを手伝ってくれているのかと思ったが、そんな優しさはオークには無く、そのまま百八十センチある私を頭上まで持ち上げてしまった。
「ちょっと、待って、待って!?」
手足をばたつかせている私をオークは、部屋に鎮座してある岩場に向けて、投げ捨てた。
「がはぁッ!?」
岩場にぶつかった背中に激痛が起きる。
ダラリと手足を投げ出し、岩場を背に力尽きる。
呼吸が上手く出来ず、息苦しい。
もう、何も考えずに諦めようかと選択肢が過る。
だが、すぐに痛む頭を振り、邪念を払う。
岩場にぶつけられても、私はレイピアを握っているのだ。
諦めるにはまだ早い。
――― 『光刃』 ――――
何も考えず『啓示』の言われた通り、残り僅かの魔力をレイピアに流す。
ズキリと頭に痛みが走り、たらりと鼻から液体が垂れてきた。
徐々にレイピアの刀身が光り出し、真っ暗な部屋が明るくなる。
そして、私の様子を注意深く見ていたオークに向けて、レイピアを一振りする。
「『光刃』!」
弱々しく振ったレイピアから光の刃が飛び出し、オークの足を少しだけ傷付けた。
―――― 笑顔 ――――
ニヤリとオークに向けて笑う。
足の傷を見てから私の顔を見たオークは、「ウガガァァーー!」と雄叫びを上げながら、倒れている私に向かって走ってきた。
『啓示』さん、滅茶苦茶、怒らせちゃったんですけど、これで良いの!?
―――― 剣を突き付けてー ――――
両腕を突き出して突進してくるオークに向けて、急いでレイピアを突き出す。
オークの体にレイピアが刺さり、突進の勢いでズブズブと剣先がめり込んでいった。
ズブリとレイピアの剣先がオークの背中を突き抜けると、オークの足が止まる。
「グウウゥ」と苦痛に歪むオークであるが、すぐに私の方を向くと……。
「グアアァァーー!」
……と怒声を上げながら、レイピアがめり込むのを気にせずに私の方へ進んでくる。
ズブズブと根本近くまで刺さると、オークは私の首を両手で掴み、持ち上げる。
地面から足が離れ、全体重が首の筋肉にのしかかった。
オークの剛腕に首を締められているが、位置が悪い為、意識は保っていられる。だが、伸びきる首とオークの首絞めで、筋肉が悲鳴をあげ、呼吸が上手くいかない。
このままではすぐ駄目になる。
力の入らない拳で、オークの顔を殴るがビクともしない。
それならと、オークの腹に刺さっているレイピアを膝で蹴り上げる。
腹の中を掻き回されるとオークの力が抜け、呼吸が少し楽になった。
だが、すぐに力が戻り、私の首を絞めあげる。
なら、これでどうだ!
私は両手でオークの顔を挟むと親指でオークの両目を押し付ける。
私自身、目を潰すのに抵抗があるせいか、瞼の上から力任せにオークの目を押し込むが、なかなか奥へ入らない。
「グガガァァーー!?」
「あがぁぁーー!」
目玉を潰されるのを嫌がり、オークの手に力がこもる。
首を絞められる私は、顔が上へに向き、口の端から涎が垂れる。
だが、痛みの衝撃で両手に力が入り、ズブズブとオークの両目に親指がめり込んでいった。
嫌な感触が親指から伝わり、滑りとした感触が纏わりつく。
「ガガァァァーーーッ!」
苦痛の叫びを上げるオークは、目の痛みで力が抜ける。
首を絞めていたオークの手が離れ、ドサリっと地面に落ちた。
私はすぐに地面を転がり距離をとる。
右目を押さえて嗚咽を漏らしているオークの左目が私を捕らえる。
真っ赤に染まった左目に怒気が含んでいるのが分かった。
両目を潰す事が出来なかったようだ。
―――― 魔力弾 ――――
魔力不足でズキズキと痛む頭に『開示』からアドバイスが流れる。
ああ、分かっているよ。
すでに右手に魔力を集めている。
ガラスの破片が頭の隅々に突き刺さるような痛みが襲い、顔が歪んでしまう。
目の前がチカチカと点滅し、薄暗い部屋が余計に見えにくい。
オークの腹に突き刺さったままのレイピアの魔力が無くなり、部屋の中が徐々に暗闇に変わっていく。
真っ暗になる前に、重たい右腕を持ち上げる。
フラフラと揺れる腕に力を入れ、荒れている呼吸を止めると、私の前に立ちふさがるオークに向けて、魔力弾を放った。
「……ッ!?」
痛みと怒りで鬼の形相だったオークが、ニヤリと笑う。
光の魔力弾は、オークの横を通り過ぎ、部屋の奥へと消え、弾けた。
真っ暗な部屋を一瞬で真っ白に染まる中、オークは私に近づく。
腕をダラリと垂らし、虚ろな目をしている私を脅威と感じていないのだろう。オークの歩行は非常にゆっくりであった。
私は疲れた。
もっと、ゆっくりで良いぞ。
目が覚めたら見知らぬ通路をゴブリンに引きずられ、沢山のゴブリンの前で拝まれながら首を縊られ、薄暗い通路の中、ゴブリンとオークと戦ったのだ。
沢山のゴブリンを殺して、オークを痛めつけた。
レベル七しかない現役女子高生の私としては上出来だろう。
言葉通り、今の私は満身創痍である。
頭は痛いし、鼻血は止まらないし、手足は痛くて動かない。
少しでも休憩が欲しい。
必要な時に体が動けるように……。
そして、最後の仕上げの為に……。




