126 地下水路の死闘 その2
途中で折れた松明を掴み、夜目の効くティアを先頭に暗い通路を駆け抜ける。
松明の長さが短くて非常に熱い。私の腕毛がチリチリと燃えそうだ。
いや、泣き言を言っている場合じゃない。後ろからオークと大量のゴブリンが迫っているのだ。
ハァハァハァと荒い息を吐きながら、視野の狭い松明の明かりを頼りにティアの背中を追いかける。
「ダメダメ、止まって! 行き止まりよー!」
急に立ち止まったティアは、落胆した声で叫び、前方の壁をペタペタと触っている。
ティアの言う通り、首を縊られた広場から一直線に進んできた通路は、ここで行き止まりになっていた。
いや、正確に言えば、横を流れている水流はこの先の奥まで伸びているのだが、残念ながら鉄格子がはまっており、人間では通り抜けられない。
「ティアだけでも先に行って」
「そんな事、出来る訳ないでしょー」
「ティアが先に進んで、助けを呼んでくれると助かる」
「その間、おっちゃんはどうするのよー。隠れる場所なんかないわよー」
ちらりと汚水が流れる水流を見る。水の中に隠れるか? と思ったが、水に入ったら魚の魔物に襲われて、助けが来る頃にはホネホネになっているだろう。
隠れる場所がなければ、逃げ続けるしかないのだが、ゴブリンたちから逃げるには別の通路に進むしかない。
別の通路は、先程、ゴブリンと戦闘した場所の少し手前にあった。そこまで戻る必要がある。
だが、そこまで戻るとなると、すでにオークやゴブリンがいる可能性が高い。
いずれにしろ、私一人だけこの場にいても生き残れる可能性は低そうだ。
「ティア、道を引き返して、途中にあった横道へ入ろう。一緒に来てくれる?」
「元からそのつもりよー」
初めから一人で逃げるつもりのないティアは、当たり前のように言い張る。
「まぁ、あたしは補助魔法しか使えないから、戦闘になったら、おっちゃんが頼みだけどねー」
「なるべく戦闘にならないよう回避したいけど、万が一、戦闘になったらティアは隠れていて」
もし、ティアが戦闘に巻き込まれて死んだとしても、分身体を作っているので、実質的には死んだ事にはならない。だが、分身体の一人である目の前のティアも、独自に考え行動ができる一人の個だ。私の為に無茶をして命を無駄にして欲しくない。
その事を馬鹿正直に伝えようかと悩んでいたら、私の顔色を見たティアは「おっちゃんもエーちゃんもアナちゃんも悲しませる事はしないわよー」と無い胸を反らして宣言した。その顔はなぜか嬉しそうだった。
「じゃあ、横道がある場所まで戻るわよー」
そう言うなりティアは、元気良く暗闇の通路を飛んで行く。
そんなティアの姿に感化され、私の足取りも軽くなっていた。
ゴブリンと戦った場所を通り過ぎ、横道のある所まで辿り着く。
ティアと一緒という事で気分が軽くなっていたのだが、横道に通じる場所にオークとゴブリンたちが集まっているのを目の当たりにして、気分は重くなった。
あいつらを何とかしないと、横道に入る事が出来ない。
私とティアの二人で何とか出来るだろうか?
不安と恐怖で呼吸が荒くなり、手足が震え出してきた。
「ギャアギャア」
一匹のゴブリンが、私たちの存在に気が付き、指差して叫ぶ。
見つかった!? と驚愕するが、まぁ、無理もない。真っ黒な通路で松明を持っているのだから、すぐにばれるのは道理である。
こっそりと横道に入る事も出来ず、戦闘は免れそうにない。
別のゴブリンが先頭にいるオークの前に出て、中腰の姿勢で弓矢を放った。
「ちょっと、危ないって!?」
すぐにその場でしゃがむと頭上を矢が通り過ぎていった。
「ウギァ、ウギァ」
矢を放ったゴブリンが後ろを振り返り、オークに向かって何かを言っている。
たぶん、「親分、あいつ、へっぴり腰の弱虫ですぜ」と得意顔で報告しているのだろう。間違っていないのだが、何か癪に障る。まぁ、言葉が分からないから違うかもしれないけど……。
そもそも、ウギャウギァと言うだけで会話が成り立っているのか疑問である。そんな事を考えていたら、オークが大木のような棍棒を頭上へ持ち上げ、そのまま目の前のゴブリンに向けて振り落とした。
「えっ!?」
ゴブリンの血肉が暗い通路を染める。
ゴブリンを粉々にしたオークは、血塗れになった棍棒を持ち上げ、後ろにいるゴブリンたちを向く。
「ウガガァァ―、ウガァー!」
怒声のようなオークの叫びを受けたゴブリンたちは、一歩二歩と後ろへ下がり、待機する。
その姿に満足したオークは、私の方へ振り返り、ゴブリンの肉片がこびり付いた棍棒を私に向けた。
うわー、このオーク……私と一対一で戦うつもりだよ。なんて漢気のあるオークなんだ。
ただ、私は似非男子なのでお断りしたい。ゴブリンだけでお腹一杯です。
そんな私の願いも空しく、オークはのしのしと私へ近づいてくる。
今の私の身長は百八十センチほど。一方、オークは二メートル近くもある。身長の段階で負けている。
さらに、引き締まった筋肉を纏う屈強な姿であった。空気しか入っていない私の偽筋肉とは違う。
髪の毛も生えているし、まともにやり合っても勝てる気がまったくしない。
何とかこの場をやり過ごして、逃げるに限るのだが……。
お腹に力を入れ恐怖で震える体を抑え、右手に持っている松明を徐々に近づいてくるオークに向ける。
そして……。
「うらぁー!」
オークに向けて、松明を投げた。
松明の炎に怯んだ隙に横穴へ逃げよう作戦は、すぐに潰れた。
オークは、炎に怯む事もなく、私の投げた松明を棍棒の一振りで弾き返し、私の浅い作戦を防いだのだ。
そのまま大きく足を踏み出したオークは、上段から棍棒を振り下ろす。
「うわっ!?」
無様に横へと転がって回避する。
ドゴンッと鈍い音を響かせながら、先程までいた地面を棍棒が叩く。
地面に窪みが出来ている。あんなのをまともに食らえば一溜りもない。
冷や汗をかいていると、すぐにオークは腕を持ち上げて、地面に倒れている私に再度、棍棒を振り下ろした。
「待って、待って!?」
私は急いでゴロリと横へ転がり、オークの攻撃を避ける。
またすぐにオークは腕を上げて、私に向けて振り下ろす。
モグラ叩きのように、地面に転がっている私を執拗に棍棒で叩こうとする。私はその都度、土に塗れながらゴロゴロと転がって避けていく。
「あっ、ヤバイ……」
何度目かのオークの攻撃を避けた私は、壁際に移動させられていた。
これでは転がって回避する事が出来ない。
息を飲んでオークを見上げると、牙の生えたオークの口角がニヤリと上がっていた。
考えなしに攻撃をしていたと思っていたオークの攻撃は、私を嬲り殺す為の作戦だと悟る。
私、知略でもオークに負けた!?
逃げ場が無くなった私は、急いで立ち上がろうとするが、オークの太い足が私のお腹を踏みつけ動きを封じられた。
皮鎧を付けているので、オークに踏まれても痛みは無いが、立ち上がる事が出来ない。
身動きが出来ない私を見ながら、オークは大木のような棍棒をゆっくりと持ち上げる。
やられる!?
絶望に染まった私はギュッと目を閉じた。
「『幻身』!」
壁の隙間に退避していたティアが姿を現し、幻影魔術を掛けると、すぐに私の体に白い靄が纏わりついた。
私の頭上で衝撃が起きる。
頭の上、数センチの壁をオークの棍棒がめり込み、破片が降り注いできた。
私の体がぶれた事でオークの攻撃を防ぐ事ができた。
私の口角が上がる。
腕力も体力も知略もオークに負けているが、私にはティアがいるのだ。
二対一である。数は私の方が上。
それだけではない。
私は人並み以上の運の持ち主でもあるらしい。
ほら、見て。私のすぐ横にお前が振り払った松明が転がっている。
一応、これも私の作戦の一部としておこう。つまり、知略は負けてないのだ。わっはっはっ……。
……などと、呑気な事を考えている余裕は無く、すぐに腕を伸ばして松明を掴むと、オークの胴体目掛けて先端の炎を押し付けた。
「グュガァァーー!?」
ジュウとオークの体を焼くと、お腹に乗せていた足を退けて、後ろへ下がった。
オークの後退に合わせて私も立ち上がり、夢中でオークの体に松明を押し付ける。
「おっちゃん、危ない!」
ティアの忠告と同時に棍棒が飛んできた。
「痛ッ!」
横薙ぎに払った棍棒が胴体に当たり、横へと吹き飛ばされた。
だが、ダメージは少ない。
皮鎧を着ていただけでなく、私の松明攻撃を嫌がって、無闇に振った棍棒が当たっただけだ。とは言え、地面に倒れた時、肌を露出している腕の皮が擦り剥けて痛いけど。
たが、怪我をしただけの事はあり、しつこく松明を炙ったおかげで、オークの着ていた毛皮に引火してくれた。
おお、良く燃える、良く燃える。
オークの脂が染み込んでいるのか、毛皮は一気に燃え広がっていった。
オークは、必死に消そうと両手でバタバタと叩いている。
それを離れた場所で見ていたゴブリンたちが、「ンギャ、ンギャ」と楽しそうに騒ぎ出した。
「さすが、料理好きのおっちゃん。オーク焼きの完成ねー。食わないけど」
ティアも嬉しそうに賛美を送ってくれる。
気分が良くなった私は、すくっと立ち上がり、腰に差してあるレイピアを引き抜いた。
ズシリと重いレイピアを、炎で慌てているオークに向けて、一突きする。
ブスリとオークの腕にレイピアが刺さる。
……ほんの数センチだけ。
あっれー……全然、刺さんねー。
グリグリとレイピアを捻って奥へ刺していると、目の前に棍棒が迫っていた。
「『幻影』!」
胸に衝撃が走り、通路の奥へと吹き飛ばされる。
ゴロゴロと地面を転がり、壁にぶつかって止まった。
息が出来ず、ゼハゼハと喘ぐ。
油断していた。
「よっしゃー、魔術が効いた! おっちゃん、無事かー?」
ティアが心配そうに声をかけてくるので、「ああ、何とか……」と空元気を返す。
上半身を炎で炙られているオークの顔に黒い影が纏わり付いている。幻覚を見せる魔術でなく、ただ視界を奪うだけの魔術がオークに掛かっている。
そのおかげで、棍棒の軌道がズレて、皮鎧をかすっただけで済んだ。ただ、かすっただけなのに、こうも吹き飛ばされるとは思わなかった。まともに当たっていたらと思うとゾッとする。
視界を奪われたオークは、炎を消す為に汚水の水路へ入っていった。
ザブンと水飛沫を上げなら水の中に入ると、毛皮に点いた火が消えてしまった。だが、視界はまだ治まっていない。
「ウガァー!」と雄叫びを上げながら、オークは無意味に棍棒を振り回している。
うわー、滅茶苦茶、怒っている。
それを遠くから見ていたゴブリンたちが、「ンギャ、ンギャ」と楽しそうに騒いでいる。
水の中で暴れ回るオークの足元へ黒い影が集まってきた。
ギョッとしたオークは、水の中に棍棒を叩き付け、魚の魔物を遠ざけようとする。
「い、今の内に逃げよう……」
ノロノロと立ち上がり、横穴へ向かおうとすると、二匹のゴブリンが私たちの方へ駆けてくる。
「あー、もう! しつこいわねー! 『幻夢』! 『幻夢』!」
私を支えるように寄り添うティアが、駆けてきたゴブリンに魔術を放つ。
幻覚を見せられたゴブリンは、元来た道へ戻り、仲間のゴブリンに斬りかかる。
なぜか、別のゴブリンたちが、視界を奪われているオークに近づき、ナイフや手斧で攻撃していた。
そんなゴブリンも、オークが振り回す棍棒でバラバラになったり、水の中で魚の魔物に襲われたりと、何がしたかったのか分からない最後を迎えていた。
そんなオークとゴブリンの乱戦を横目で見ながら、私はティアに引かれるように通路の横道へ逃げ出したのであった。
レベルも経験も低いので、泥試合みたいな戦闘ばかりですが、それでも奮闘しています。
長い目で成長を見守ってください。




