124 捕らわれの冒険者
鼻が曲がりそうな悪臭と体に伝わる鈍い振動で目が覚めた。
ここは何処だ?
辺り一面真っ暗であるが、風の通りがなく、咽る臭いが充満している所為で、外では無い事は分かる。
視線だけで周りを見回していると、私の体が移動している事に気が付き、驚愕した。
ズルズルと背中を引きずりながら地面を進んでいる。
いや、引きずられていた。
両手と両足を縄で縛られ身動きが取れない状態で、体に巻かれた縄で引きずられているのだ。
固めただけの土がむき出しの地面だ。もし皮鎧を着ていなければ、服が破れ、皮膚が剥がれ、血と肉で地面に線を引いていただろう。皮鎧を着ていて良かったと思う反面、新しく新調した皮鎧が傷だらけになってガッカリする。
落ち込んでいる場合じゃない!
何で私が真っ黒な通路を身動きが出来ない状態で引きずられているのだ?
さっきまで冒険者ギルドの職員と慰労会をしていたところだ。
それなのになぜ?
確か……アルコールを抜くために外に出て……誰かに会った気がする。
その後の事が思い出せない。
気が付いたら、この状況だ。
酔い潰れて移動されているのか? それなら場所がおかしい。もしかして、誘拐か?
さっぱり、分からない。
そもそも誰が私を荷物のように引きずっているのだ?
両手両足を縛られた状態で首だけ前方を向け、目を凝らして見つめる。
暗くて分からないが、何となく人影らしきものが見えた。
子供だろうか? 背が低く、動きが軽い。
一人ではなく数人が前を歩き、私の体に巻いた縄を引いている。
何となく、そのシルエットに見覚えがあった。
もしかして……。
「ギャアギャア」
「ウギャ、ウギャギャ」
聞き覚えのある声を聞いて、一瞬で血の気が失せた。
人間ではない……。
ゴブリンだ!
なぜか、ゴブリンが暗い通路を通って、私を引きずっているのだ。
数日前にギルマン似のサハギンに誘拐されかけたのに、今度はゴブリンである。
どんだけ魔物に好かれるんだ、私は!
勿論、人間の誘拐犯も怖いが、魔物の誘拐犯はもっと怖い。
言葉も分からなければ、思考も分からない。
何のために私を連れていくの?
魔物だからお金目的ではないだろう。たぶん、体目的でもないはず。
もしかして……食糧?
そう思った瞬間、緊張していた胃が痙攣し、胃液がこみ上がり、地面を引きずられながらゲエゲエと吐いてしまった。
そんな私の様子に気が付いたゴブリンは、足を止めて、私に近づいてくる。
薄暗い空間に欠食児童のような輪郭が見えると、ガスっと頭を蹴られた。
ゴブリンは「ギャアギャア」と言った後、またすぐに歩き始めた。
お酒と料理の交じった吐瀉物が、口の周りに残り、酸っぱい匂いがこびり付く。
だが、それ以上に通路が臭いので、また吐きそうになった。
私が引きずられる地面のすぐ横をチロチロと音を立てながら水が流れている。
その水が凄く臭い。
腐った臭いやカビの臭いではない。
人間が出す生活臭……つまり、糞尿の臭いが充満している水がすぐ横を流れているのだ。
ここはもしかして、下水道か何かか?
確かダルムブールの街の下には地下水が流れており、中央から貧民地区に流れる水流は、汚水で汚れきっていると聞いた事がある。
もしかしたら私は今、ダルムブールの地下にいるのだろうか?
つまり、すぐ近くに人間がいる。
まったくの辺境ではなく、見知った場所の近くだと思うと、少し心が落ち着いた。
だが、そんな前向きな気持ちはすぐに消える。
近くとはいえ、ここは地下だ。
誰も地下にゴブリンがいて、私が連れ去られていると思わないだろう。
一気に不安に支配された私は、体を捻らせて、必死に縄を解こうとする。
胸の前で縛られた腕の縄を力いっぱい引っ張たり、捻ったりする。
だが、緩む気配はない。
腰に付けているレイピアが私の体に合わせて、地面を擦られているのに気が付く。レイピアならと手を伸ばして掴もうとするが、ギリギリの所で届かない。
ズルズルと引きずられながら、ミミズのようにウネウネと縄を解こうとしていると、再度ゴブリンが立ち止まり、頭を蹴られた。そして、また引きずられる。
サッカーボールのようにゴブリンに頭を蹴られると、非常に腹立だしいので、ばれないようにこっそりと試し続けた。
腕の皮が擦れてヒリヒリとしてきた頃、真っ暗だった通路が明るくなり始めた。
どうやら、松明で明かりを灯している場所へと近づいているようだ。
近づくにつれて、糞尿交じりの臭いと物が腐った臭いが交じり出し、また胃液が込み上がりそうになる。
明かりの灯った場所まで引きずられた私は、広場の景色を見て、吐き気を忘れ、息を飲んだ。
広場のようになっているこの場所に、三十匹ほどのゴブリンが集まっていた。
体毛のない痩せこけた欠食児童のようなゴブリンが三十匹。
ギャアギャアと喚くゴブリンたちの地面には、食べ散らかした食糧が至る所に落ちている。もしかして、人間を食べたのか? とゾクリと鳥肌が立ったが、良く見たらデカいネズミや変な形の魚の残骸であった。
何でこんな場所に大量のゴブリンがいるの?
体が震え出す。
もしかして、ここはダムルブールの地下でなく、まったく別の場所なのかもしれない。
ここが街の地下なら、すぐに助けがくるかもと高を括っていたのだが、まったく別の場所なら助けに来てくれる可能性は低い。その事を思い知った私は、震える体を押さえるように体を縮みこませ、恐怖と不安で崩壊しそうな心を無理矢理抑え込んだ。
緑色や赤色のゴブリンたちは、地面を引きずられる私を見た瞬間、声を潜め、惨めな私を黙って見つめている。
広場の奥まで引きずられた私は、ゴブリンたちを見渡せる一段高い場所まで移動された。そして、一匹のゴブリンが私の上半身を持ち上げ、胡坐をかくように座らされる。
これから、何をさせられるのだろうか?
ガチガチと歯がなり、縛られている手足が震える。叫んだり、暴れたりする事も忘れ、ただ恐怖で震え続けた。
三十匹近いゴブリンが黙って私を見つめる。気味の悪いゴブリン。人間の子供のような魔物。間違いなく、ろくでもない未来しか待っていない。
緊張と恐怖で頭が真っ白になり倒れそうになった頃、広場の壁に開けられた穴から一匹のゴブリンが現れた。
そのゴブリンは、広場にいるゴブリンとまったく違う。
身長が二メートル近くあり、茶色い肌をした大きなゴブリンだ。髪の毛も若干ある。薄汚れた動物の皮で作った腰蓑だけのゴブリンと違い、立派な毛皮で作った腰蓑とベストのような物を羽織っている。
ゴブリンの上位種、ホブゴブリンという種族かもしれない。
ゲームの知識しかない私では判断できないが、間違いなく三十匹のゴブリンよりも危険で強そうだ。
そんなホブゴブは、広場にいるゴブリンを見渡してから私の方を見た。そして、右手に持っていた大木のようなこん棒を私に向けて「ウガウガ」と吠えた。
ホブコブの合図で何かが始まる。そう思った私は、恐怖のあまり目を閉じてしまった。
「「ガーゥ、ガーゥ、ガーゥ……」」
部屋中に響き渡るゴブリンの声。
殺気や怒気を感じさせないゴブリンの声に、あれ? と思った私はゆっくりと目を開けた。
ホブコブの合図で、三十匹近いゴブリンが武器を持って私に襲いかかるとばかり思っていたのだが、当のゴブリンたちは、私に向かって膝をつき、両手を前に伸ばし、頭と一緒に上下へと動かしていた。
それはまるで、口数の多い金色のドロイドを目のあたりにしたイウォーク族のようであった。
神々を称えるような動作をするゴブリンたちを私は呆気に取られた顔をしながら見ている。
一体、どういう事だろうか?
もしかして、同じ髪の毛のない者同士、仲間として迎えられたのかもしれない。そして、その後はゴブリンを従え、ゴブリンキングとして君臨するのだ。
そんな夢物語が頭を過ぎるが、未だに両手両足を縄で縛られている状況である。決して、良い方向で無い事は、本能で理解している。
それが間違いない事はすぐに分かった。
「えっ、ちょっと、それは不味い!」
呆気に取られていた私の首に一匹のゴブリンが縄を掛けた。
輪っかにした縄はすぐに私の首に絞まる。
も、もしかして!?
嫌な想像をした私はすぐに立ち上がろうとするが、両手両足が縛られれているのを忘れ、地面に倒れてしまう。
首を絞めている縄が上へと上がり始める。
天井の出っ張りに引っ掛けてある縄を三匹のゴブリンが「ギャア、ギャア」と言いながら、私ごと引っ張っていく。
「ガーゥ、ガーゥ、ガーゥ……」とその他のゴブリンは、相変わらず上下に体を仰いでいる。
首の縄が絞まり、体ごと持ち上がっていく。
顎から耳の裏に絡まった縄が頸動脈を押さえ、一気に意識が混濁した。
体重が首にかかり、首の筋が悲鳴を上げる。
苦しさのあまり手足を動かして抵抗するが、縄で縛られているので、思うようにいかない。
呼吸も出来ない。意識も薄らいでいく。顔全体が腫れあがる。耳の奥がキーンと鳴り響く。視界が充血して赤くなる。
本当に死ぬ!?
ギリギリまで何とかなるだろうと気楽に考えていた自分を殴りたい。
このままでは、間違いなく駄目になる。
足のつま先が地面から離れた。
全体重が首に乗りかかり、伸びきっていく。
いやだ! 死にたくない!
ビクンっと痙攣が起き、大きく体が跳ねた。
その瞬間、体中の痛みが薄らぐが、代わりに視覚の明かりが無くなっていく。
途切れ途切れの意識の中、両手を縛っていた縄が緩んで自由になっている事に気が付いた。
やたらと重く感じる腕を持ち上げ、首を絞めている縄に伸ばす。
隙間に指を入れるが、体重が掛かった縄の隙間に指を挟む事は出来ない。
爪でガリガリと掻き、皮膚が裂ける。
二度三度と試したところで、腕から力が抜けて、ダラリと垂れ下がる。
ああ……ここまでか……。
プラプラと揺れるのに合わせて、体がビクビクと痙攣が起きる。
寝ているのか覚めているのか分からない夢現の状態。
そんな状況にも関わらず、指先が動いているのが分かった。
カリカリと腰の部分を掻いている。
違う! 開けようとしているのだ!
腰に付けているウエストポーチの蓋を開けようと本能で指が動いている。
今までの経験から無意識に動いてしまったのだろう。
経験則から彼女が待機している可能性があると……。
僅かな希望が生まれた瞬間、残りの気力を指先に集中する。
私は、まだ、生きたい!
カチリと蓋が開いた。
そして、ウエストポーチの中から急いでティアが飛び出してきた。
「ちょっと、一体、何の騒ぎよー!」
いつもタイミング良く隠れ潜んでいるティア。たぶん、エーリカが私を心配するあまり、保険としてティアに隠れておくよう頼んでいるのだろう。
そんな事を薄れた意識で思っていると、ティアは私の状態や周りにいるゴブリンを見て、目を見開き、絶句していた。
そして、すぐにティアは必死の表情に代わり、私の腰に差してあるレイピアを引き抜くと、首を絞めている縄を斬った。
ドサっと地面に倒れる。
「ギャアギャア!」
喚き出すゴブリン。
「『幻夢』! 『幻夢』! 『幻夢』!」
ティアの魔術が飛ぶ。
「おっちゃん、いつまで倒れているのよ!」
無茶を言わないでほしい。首に掛かる負担は無くなったが、未だに縄が食い込んで意識と呼吸が出来ないのだ。
その様子を察したティアは、すぐに私の首を絞めている縄を緩め、外してくれた。
「がっはぁっ……はぁはぁはぁ……」
頭の中に血が巡り始め、意識が戻っていく。だが、呼吸が思うようにいかない。呼吸の仕方を忘れたかのように、吸っても肺に上手く取り込めない。
「喉を痛めたのね。ゆっくり、丁寧に吸いなさい」
沢山の酸素を取り込みたいのを耐えながら、ティアの言う通りゆっくりと呼吸をすると、上手く吸い込めるようになった。
呼吸を繰り返しながら周りを見回すと、ゴブリンたちが「ギャアギャア」と叫びながら、仲間割れを始めていた。
「私の魔術で、幻影を見せているわ。今の内に回復して」
私を縊死させようとしたゴブリンに幻を見せて、一段下で私を拝めていたゴブリンたちを襲わせたみたいだ。
三対三十のゴブリンたちは、お互い玩具のようなナイフで斬り合っている。
「幻を見ているゴブリンがやられたら、今度はあたしたちよ! おっちゃん、すぐに回復して、逃げるわよ!」
未だにゼハゼハと荒い呼吸をして、満足に体が動かせない状況だ。無茶をいう妖精である。
「ウガガガァァァーーーッ!」
広場に怒声が響いた。
私やゴブリンたちの様子を眺めていた二メートル近い大きなゴブリン……ホブゴブリンが大木のようなこん棒を持って、私たちの方へ向かってきた。
そう言えば、あんなのが居たね。
どうしようか? と青い顔をした私とティアは、顔を見合わせたのであった。
アケミおじさん、主人公補正で酷い目に遭ってます。
毎度の事ですが……。




