117 女神の日 その2
荘厳な鐘の音が街中に響き渡る。
重々しい鐘の音が連続で四回鳴ると、街中に溢れていた人々の声や物音が一瞬で止んだ。
物音一つしない街の中、街人たちは各々好きな方法で祈りを始める。
膝を地面につける者、両手を教会に向ける者、ただ立ち尽くして目を瞑る者……やり方は違えど、みんな真面目に祈りを捧げているのが分かる。小さな子供たちも大人と一緒に口を閉じて微動だにしない。
先ほどまで私と会話を交わしていたカルラたちも立ったまま胸の前に手を組んで目を瞑っている。
周りにいる人たちを見る限り、信仰の差はあるけれど、みんな真剣に祈りを捧げる程の女神信者であると分かる。
そんな中、無神論者の私だけ、ぼけーっと何もしていないと、あとで何を言われるか分からないので、カルラを真似て祈りを捧げる事にした。
スープが売れますように……。
誕生日会が成功しますように……。
借金を返済できますように……。
早く夢から覚めて『ケモ耳ファンタジアⅡ』を寝る間も惜しんでプレイできますように……。
とても個人的なお願いばかりをする俗物的な私である。
これはお願いであって祈りではない。
そもそも神や女神に何を祈ればいいのだろうか? 「世界の平和と人類に愛を」みたいに自分以外の事を祈るのかな? それとも自分はこれから頑張るから見守ってください的な意思表明みたいな事をするのだろうか?
今まで真剣にお祈りをした事がない。十七年しか生きていない女子高生の私では、自分自身の事をお願いする事しか思いつかないのだ。
お願いする事が無くなって暇をしている私はチラリと薄目を開けると、まだ街の人たちは熱心に祈りを捧げていた。
すでに五分は経っている。そんなにも女神様にお祈りをする事があるのだろうか?
もしかしたら経典みたいな物があり、心の中で唱えているのかもしれない。それとも願い事は三回唱えないと叶わないみたいな事でもあるのだろうか? 後でアナにでも聞いてみよう。
そんな事を考えながら、みんなが動き出すまでお祈りをしている風を装い、ぼーっとしている。
アナはもちろん、エーリカとティアも身動きせず黙って祈っている。
私だけチラチラと薄目を開けて落ち着かない人になっていた。
変な行動をしているのは私だけ。私から見たら、この世界は異世界であり、人々は異世界人だ。だが、この世界から見たら私の方が異世界人であり異物なのだろう。
そんな映画があったなと思い出しながら時間を潰すのであった。
それから十分が経った頃、建物の壁際で両膝をついて祈りを捧げていた男性がすくっと立ち上がり、ゆっくりと歩き去るのが見えた。
それを合図に、徐々に街人たちは祈りを止めて、動き始めるのであった。
ほっと一息ついてエーリカの方を見ると、エーリカの肩に乗っているティアが今も熱心にお祈りをしている。
「ティアねえさん、終わりました。起きないと地面に落ちて、踏み潰されて、地面が汚れてしまいます」
エーリカは姉であるティアを優しく起こすが、言っている内容が酷い……って言うか、ティア、寝ていたの!? どうりで普段の行動に反して真面目にしていると思ったら……まぁ、私も後半、寝ていたんだけどね。
「じゃあ、戻るよ。これからが本番だ」
やる気満々のカルラたちが『カボチャの馬車亭』へと戻っていくので、私たちも後を追うように向かった。
………………
…………
……
結論から言おう。
スープは売れません。
つい先程まで朝食時間であったにも関わらず、ピザ目当ての客は次から次へと現れる。
すでに十人以上の人がピザを買っていったのだが、スープは一杯も売れないでいた。
「ピザ一枚」
「スープも売っているけど、どうだい?」
「スープか……どんなスープだい?」
「ホーンラビットを使った野菜スープさ」
「ホーンラビットって、魔物の?」
「ああ、ウサギの魔物だよ」
「それならいらねー」
終始こんな感じである。
カルラが客から注文を受ける度にスープを勧めるのだが、全ての客はホーンラビットと聞くと首を横に振るのだ。
馬鹿正直にホーンラビットのスープと言わず、ウサギのスープと有耶無耶に伝えれば、一人は買ってくれるかもしれない。だが、後々の事を考えると、ちゃんと使用材料を伝えるべきだろうと私は思った。
ウサギスープと思って客が食べた後、実は魔物スープでしたでは、スープが美味しくても怒りを買う恐れがある。今は『カボチャの馬車亭』と一緒に販売をしている。私だけが怒られるならまだしも、一緒に販売した『カボチャの馬車亭』にも被害が及ぶ恐れがあるのだ。
それなら初めから魔物スープと言っておけば問題はない。食べたくなければ買わなければ良いのだ。
ただ、さすがに一杯も売れないとは思わなかったが……。
「へぇー、ホーンラビットで作ったスープか」
「あれ魔物だけど、普通にうめーよな」
「ピザ三枚にスープも三杯ください」
おお、ようやくスープを購入する客がきた! と窓口の方を見ると、見知った顔が目に入った。
スープを購入した人物は、青銅等級冒険者のヴェンデル、サシャ、マリアンネの三人組である。
「あれ? 新人のおっさんがいるじゃん。なんで?」
窓口から厨房を覗き込んだサシャがお金を払おうとしたマリアンネを押しのけて、声をかけてきた。
私は、スープを入れたお椀を持って窓口まで向かい、青銅等級冒険者の三人に説明する。その後、私の火傷を直す為に何度も回復魔術を掛けてくれたマリアンネに感謝の言葉を述べておいた。
「正直、あの時は駄目かと思っていましたが、回復して良かったです」
「俺も色々と助けたんだけど……」
マリアンネだけ感謝を述べているとサシャが抗議しだした。
私はエーリカとアナに顔を向ける。サシャが助けてくれたとは聞いていない。
「彼の言う通り、ご主人さまをベッドに運ぶ手伝いをしてくれました。その後は、慌てていただけです」
「ちょ、ちょっと、お嬢ちゃん。もっと役に立ったでしょ。ね、ね」
サシャがあわあわしながらエーリカに続きを催促するが、当のエーリカはすぐに顔を背け、スープの鍋をかき混ぜる。
当時一緒にいたアナはクスクスと笑っているだけで、サシャのフォローはしない。
「サシャ、スープとピザを受け取ったら早く退け。他のお客が並んでいるんだ。世間話は暇な時にしろ」
リーダーであるヴェンデルがお客の列からサシャを退かし、自分のピザとスープを受け取り脇へと退く。
「おっさんの作ったスープか……美味しいのか? ……えっ!?」
「な、何これ? 本当に野菜スープ? 凄く美味しい」
「ああ、凄いな……食べたら、もう一度、並ぼう」
疑心暗鬼で呟くサシャ、喜々とした声を上げるマリアンネ、驚きの声を零すヴェンデルの会話が列を作っている客の耳に入る。
だが、次の客の注文にスープを勧めるが、少しだけ思案して、結局、首を横に振るだけだった。
冒険者など、冒険中に食うに困ったら魔物肉も平気で食べる人種だ。一目で冒険者だと分かる青銅等級冒険者の三人組の言葉など信用ならないと思っているに違いない。
だが、その後に現れた白銀等級冒険者の二人組から流れが変わった。
「ちょっと、おっさん! 俺の知っているホーンラビットの味じゃないぞ!」
ピザを食べにきた白銀等級冒険者のラースとナターリエにスープを勧めたら、「ホーンラビットか、懐かしい」と気軽に買ってくれた。
「この団子がホーンラビットの肉を使っているのよね。肉団子だけでこれほどスープに深みが出るものなの?」
スープを分析するナターリエに、骨から出汁を取っている事を伝えると、興味深そうにスープを食べ始めた。
ラースはともかく、妙齢で美人のナターリエが路上でピザを食べ、スープを飲んでいる姿が滑稽に映って見える。
「おっさん、スープのお代わりだ。もう一杯、くれ!」
客の列から外れ、ピザとスープを食べていたラースが厨房に向けて声をかけてきた。
「兄ちゃん、お代わりが欲しかったら、もう一度、列に並びな。お客様は、あんた一人じゃないんだよ」
カルラが太い声で叱ると、渋々といった体で客の列に並び直すラースとナターリエであった。その少し前方に青銅等級冒険者の三人組の姿も見える。
ラースとナターリエは冒険者であるが、白銀等級まで上りつめた彼らは、その他の冒険者とは雰囲気が違う。着ている服も装備も違うし、物腰も優雅である。
そんな二人の様子を見ていた他の客もスープに興味が出たらしく、徐々にピザと一緒に購入される事になった。
そして、スープを食べた客の口から他の客へと味の感想が伝わり、次々と注文が入るようになる。
次から次へとお椀を渡され、スープと肉団子一個を入れて、ティアに渡す。
ティアは、私と窓口を何度も往復している。
エーリカとアナは、肉団子の代わりにするホーンラビットの肉を切り分けている。
百個近くあった肉団子の数とスープの量が合わず、先に肉団子が無くなりそうなのだ。だから、肉団子が無くなり次第、代わりとする肉を用意してもらっている。
たまに「肉団子をもっと入れろ」とか、「夕食用に鍋一杯くれ」とか、我が儘な客が現れる。そんな客には「お一人様一杯、肉団子一個まで。もっと欲しければ、並び直しな」とその都度、カルラが追い払ってくれていた。
こうして、ピザだけを注文する客はいなくなり、ピザとセットで購入するだけでなく、スープだけを注文する人も現れるのであった。
肉団子が無くなり、代わりにホーンラビットの胸肉を入れたスープに切り替える。本来、入っている肉団子の代わりなので、胸肉は気持ち多めに入れてあげる。
残りのスープは二十杯分。
その二十杯も速攻で売れてしまい、私たちは昼前にスープを完売する事が出来た。
「ふー、少し休憩しようかね」
カルラは肩を回しながら、異世界語で書かれた『準備中』の看板を出して、窓口を閉じた。
ピザも全て売りきれ、ピザ生地もトマトソースも在庫が無い状態だ。
「まさか、こんなにも早く完売するとは思わなかったよ」
「そうそう、あれもこれも、おじさんたちがスープを出したおかげだね」
スープが売れ出したら、客の列が一気に増え、休みなく売れ続けた。
まったく売れず、百杯近いスープを消費する日々を過ごす覚悟をしていたのだが……ほっと胸を撫で下ろす結果になって良かった良かった。
「私たちはこれから少し休んでから、夕方に向けて準備をするけど、クズノハさんたちはどうするつもりだい?」
カルラたちは休憩後、夕方に向けてピザとパン、それと夜の慰労会用の料理の準備を始めるつもりらしい。本当、元気があって羨ましい。
夕方からの販売という事は、四、五時間は暇になる。その間、街に出て、お祭りを見て回ろう。
ただ、夕方の販売にも私たちが作ったスープを売った方が良いかもしれない。午前中にスープを食べた人が再度買いに来たり、スープの噂を聞いて買いにくる客がいるかもしれない。その時に作っていないというと『カボチャの馬車亭』の印象が悪くなる恐れがある。
私は少し考えた結果、スープを作ってから街を練り歩く事に決めた。
街を歩く時間は短くなるけど……我慢しよう。
「それなら、あたしがスープを作っておくわー。最後の仕上げはおっちゃんに任せるけど、出汁を取るだけなら、あたしでも出来る」
ティアが分身体を残し、私たちの代わりにスープの出汁を作ってくれると提案してきた。
私はその案を喜んで受け入れた。
早速、スープを作り始める。
休憩するはずのカルラとカリーナが、厨房に居残り、私たちのスープ作りを見ている。
どうも作り方が知りたいらしい。
まぁ、『カボチャの馬車亭』にはお世話になっているし、野菜なども借りるつもりなので、スープ作りを無料で見せても良いだろう。今夜の慰労会兼宿泊代だと思えば良いかな。
エーリカに昨日狩ってきたホーンラビットを取り出してもらい、アナを中心に解体してもらう。
そして、ホーンラビットのガラを湯引きし、綺麗に洗ってから、空になった寸胴鍋に入れて、臭い消しの野菜と共にクツクツと弱火で煮込んでいく。
「これだけかい?」
目を丸くするカルラに、私は笑いながら頷く。
「このまま灰汁を取りながら、数時間煮込むんですよ。やり方は簡単ですが、時間は掛かります」
「数時間か……パン生地やソースを作る合間に鍋の様子を見れば、何とかなるかな……」
カルラとカリーナが腕を組んで、調理の工程を思い描いている。
販売する気満々のようだ。
ちなみにミンチ肉を作るのが大変なので、今作っているスープは肉団子ではなく胸肉を入れる事にした。
それと全てを売るつもりはなく、夜の慰労会用に残しておく事も決めた。
こうして私たちは、分身で増やした二人のティアに鍋を任せ、お祭り状態になっている街へと向かったのである。




