113 旗作りと家庭菜園 その1
重要な事を思い出した私は、ガタッと椅子から立ち上がる。だが、すぐに動きを止めた。
いや、良く考えたら特に必要性はないな……と思い直し、ストンっと再度椅子に座り直す。
皆が私の挙動を見つめる中、お茶を一口啜り、心を落ち着かせる。
うーん、非常に恥ずかしい……。
「ご主人さま、どうしましたか? 何を忘れていたのですか?」
私の呟きを耳ざとく拾っていたエーリカが、首を傾げて聞いてきた。
「い、いや、特に問題ない……うん、忘れて欲しい……」
「いやいや、何か足りない物を思い出したのだろ? 不足している物があったら教えてくれ。失敗は許されないんだ」
私の方に身を乗り出したハンネが、真剣な表情で訴えてくる。
まぁ、変な行動をした恥ずかしさはあるが、ここで隠し立てする内容でもないので、素直に教える事にした。
「えーと……理由は知らないけど、お子様ランチには旗が必要なんだ」
確か、どこぞのコックがお子様ランチに旗を付けたのが始まりだったはず。それが今でも定番の形になっている。
「自分が住んでいる国旗を模した旗を付ける習わしがあるんだ。ただ、別に必要性はないから無視をしてもらっていいよ」
「国旗か……それは駄目だね」
私の言葉を聞いたハンネは、難しい顔をして首を振った。
料理に小さな旗を作る事に反対したのでなく、国旗という言葉で駄目だしされたのが気になり、ハンネに理由を尋ねてみた。
そしたら国を象徴するマークを市民が勝手に写したり、使用したりしてはいけないそうだ。国だけでなく、街も貴族の家紋も許可なく利用すると、罪に問われ、最悪、死罪になってもおかしくないとの事である。
なにそれ、怖い……と思ったが、国や身分を象徴する印だ。国を動かく国璽と同様、軽い気持ちで使って良い代物ではなく、偽造罪や反逆罪に問われても仕方ないかもしれない。
うん、独断で進めなくて良かった。
「まぁ、別に旗に拘りがあるわけではないので無くても良いよ。死罪は嫌だからね」
私はすぐに旗を諦める。私の料理は妥協と諦めで作られているのだ。
「ご主人さま、国旗や家紋を使用するのが問題であり、旗自体は問題ないでしょうか?」
「まぁ、そうなるね」
「それでしたら、似顔絵を描きましょう」
「似顔絵? 双子の? 私が描くの?」
何を言っているのでしょうかね、この娘は? 誕生日会に私の絵が描かれた旗が置かれても嬉しくないでしょう。
「えー、おっちゃんの絵ー? いらなくなーい?」
私の絵を見た事がないティアが、心底、いらない顔をしている。
「ご主人さまの絵は素晴らしいです。これを見てください」
イラっとしたエーリカが袖口から純白のハンカチを取り出して、ティアに広げて見せている。
そのハンカチは、私が適当に描いた似顔絵をわざわざ手間暇を掛けて刺繍したオーダーメイドのハンカチであり、今までエーリカが使っている所を見てない未使用のハンカチだ。
買ったなら使ってよ……。
「えっ、これ、おっちゃんが描いたの? ちょっと可愛すぎない? 似合わねー」
私の顔とハンカチの絵柄を交互に眺めて、ティアが複雑な顔を見せている。
そうですよ! 似合わないですよ! 中身は女子高生だけど、今はおっさんですよ! 毛の生えた指で描かせてもらいましたよ!
「ティアさん、私のハンカチは三人もいるんですよ」
アナもエーリカに負けずと、純白のハンカチを取り出し、見せびらかしている。
アナのハンカチも未使用らしく、とても綺麗だ。
頼むから使ってよ……。
「へー、アナちゃんも持っているの……」
そう言うなり、ティアはエッポから未使用の木札とペンを奪い、私の所まで飛んできた。そして、「あたしの似顔絵を描いて」とせがんできた。
正直、もう似顔絵は描きたくないのだが、ティア相手に嫌だと断ると、ワーワーギャーギャーと騒ぎ始めるのは予想できるので、素直に描いて渡した。
だが、「もっと可愛いく」とか、「羽が変」とか、「小さすぎ」と文句を言われ、三回も書き直しをされてしまった。
「ふふふ……あたしのハンカチは、四人の似顔絵が付いた豪華な物になるわねー。エーちゃんのハンカチは、強面のおっちゃんと二人だけねー。寂しいねー。ふふふ……」
やたらご機嫌のティアが、私の描いた木札をエーリカに見せびらかせながら、エーリカを煽っている。
そんなエーリカはどこ吹く風で、「ご主人さまと二人だけのハンカチです。二人だけの愛の結晶です」と、逆にふふんっと勝ち誇った顔をしていた。
「それで、どうするんだい? 似顔絵のついた旗は作るかい?」
エーリカとティアのやり取りをニヤニヤしながら見ていたハンネが、私の方を振り返り、尋ねてきた。
正直、旗はどうでも良くなっているのだが、エーリカたちがやんややんやとハンカチを出して、私が描いた似顔絵の話をしているのを見ると、止めるとは言い出せなくなってしまった。
「え、ええ……作りましょう」
「それならちょっと待っていて」
そう言うなり、ハンネは厨房を出ていき、すぐに執事のトーマスを連れて戻ってきた。
どうも、ハンネは誕生日会の主役である双子の子供を見た事が無いらしく、顔を知っているトーマスを連れてきたそうだ。
突然、連れて来られたトーマスに事情を説明し、双子の顔を教えてもらう。
私はトーマスの説明を聞きながら、木札に似顔絵を何度も何度も描いていく。
双子の名前は、ノアとフィンである。
姉のノアは、白色に近いプラチナブロンドで、肩口辺りで二つに髪を結んでいる少し勝気な少女である。
弟のフィンは、同じ髪を短く刈っているが、少し癖毛の為、もっさりとしているそうだ。そして、性格は人見知りで気弱との事。
そんな情報からイメージして、何度も書き直し続ける。相手は格上の子爵様なので、執事のトーマスも妥協を許さず、なかなか合格点が貰えない。旗なんか止めておけばよかったと後悔し始めている所だ。
私があくせくと描いている間、ハンネたちはクロージク男爵用のリンゴパイとコーンスープを作っている。そして、ハンネたちの料理が出来上がるとトーマスはようやく合格を出してくれた。
キッチンカートに料理を乗せて厨房を出て行くトーマスの姿を見ると、ただの時間潰しの相手にされていた気がして、釈然としない気分になった。
双子の似顔絵も出来たし、クロージク男爵の館を出て、アナの家で旗作りをする事にするが……。
「そう思ったけど、冒険者の依頼も受けていたね。旗作りは夜にでもするかな」
「ご主人さま、提案があります」
とぼとぼと貴族街を歩きながら本日の予定を呟くと、横に並ぶエーリカが眠そうな顔を向けてきた。
何となくエーリカの提案を頭に浮かべながら、私は無言で続きを促す。
「わたしと後輩で、冒険者の依頼をこなしながら、ホーンラビットを狩ってきます。ご主人さまとティアねえさんは、先に家に帰って、旗を作ってください」
「病み上がりですから」と付け加えて、別行動を提案してきた。
別段、体調が悪い訳でもなかったし、旗なんか夜にでも出来る。ただ、ここ最近のエーリカの態度を見ていて、どうも私と別行動を取りたい節が見える。
たぶん、あれだね。
私に内緒でサプライズパーティーを企画しているんじゃなかろうか。
内容は、私とエーリカが出会って一ヶ月記念とか。
いつも何を考えているのか分からないエーリカであるが、粋な事をするではないか。いや、アナやティアの提案かもしれない。
うんうん、私は空気を呼んで、何も知らない存じない振りをし続け、当日を楽しみにしていれば良いだろう。
少し仲間外れにされている気はするが、ここは黙ってエーリカの提案に乗ろう。どうせ魔力が不安定な私では、魔物退治は足手まといである。
「ああ、それで良いよ。魔物を退治しに行くんだから、十分気をつけてね。無茶をしないように」
「はい、了解しました」
「立派なホーンラビットを狩ってきますね、おじ様」
「あたし、了解してないんですけどー。これからハンカチ屋に行くつもりなんですけどー」
ここで空気を読めない妖精が現れた。
ティアは、私が描いた木札を大事そうに抱かえながら、「こんな風に刺繍してもらうんだ」とか、「色は黄色で、ヒラヒラが付いたのが良い」とアナに話し掛けている。
「ティアねえさん、分身して一人はわたしたちと、もう一人はご主人さまに付いて来てください。わたしたちがハンカチ屋に同行します」
「うん、それが良い。エーリカ、冴えてる」
私が適当に描いた絵を刺繍して売っている店だ。マルテには悪いが、大事な用が無い限り、近づきたくない。特にマルテの姉のディアナには……。
ハンカチ屋に行く事が決まったティアは、気分良く二人に分身し、アナの家に帰る私と魔物退治に向かうエーリカの二手に分かれる事になった。
「そう言えば、今日、別のティアたちは何の依頼を受けてるの?」
石畳の道をのんびりと歩きながら、右へ左へと楽しそうに飛び回っているティアに尋ねてみた。
朝は自分たちの事で余裕がなく、見習い冒険者であるティアの依頼を聞くのを忘れていた。
「今日は、街を囲っている外壁の修繕をしているわー」
空を飛べる利点を生かし、外壁の高い部分の修理を頼まれたそうだ。
もう冒険者とは名ばかりの便利屋である。
「『女神の日』当日も空から問題が起きていないか監視する依頼も頼まれているわー。期待の新人は大変よー」
大変、大変と忙しそうにしているティアであるが、仕事を頼まれて嬉しそうにしている。
この世界の人たちは、日曜日のような休日は存在せず、毎日毎日、汗水流して働いている。
そんなブラック企業以上の労働環境であるが、二十日に一度の『女神の日』がこの世界では休日扱いとされ、街人や近隣の村人が集まり、色々な店が並び、皆で楽しくお祭り騒ぎをするのだ。
勿論、羽目を外せば、トラブルは起きる。そのトラブル対応にティアは駆り出されるそうだ。
「頑張ってね」と他人事のようにティアに告げておいた。
無事にアナの家に辿り着いた私たちは、早速お子様ランチ用の旗を作成する事にした。
ここが日本だったら爪楊枝に紙や付箋を貼って出来上がりなのだが、生憎とここは爪楊枝もない異世界である。
爪楊枝から作らなければいけないのだが、ここで懸念が生じた。
旗が倒れないように料理にブッ刺してもいいのだろうか?
元々爪楊枝は口に入れる物なので、食べ物に刺しても気分を害する事はないのだが、爪楊枝がない世界では、非常識過ぎたり、気分を害したりするかもしれない。
それも貴族が食べる料理だ。木の棒が刺さった料理を食べさせるのか! と怒られそうだ。
それともう一つ問題がある。
それは、似顔絵を描く紙である。
この世界の紙は、植物紙ではなく動物の皮を加工した羊皮紙だ。
羊皮紙は、若干茶色をして、ゴワゴワしている。動物の種類によって真っ白な物も存在しているが、それらは希少品である。
正直、見栄えは良くない。そして、お値段が高い。
正式な契約書や長期間保存する目的の書物に使われる代物で、料理のおまけで付ける旗に使う代物では決してないのだ。
私はうんうんと悩んだ結果、棒と旗がくっ付いた一つの木にした。そして、倒れないように土台も作り、料理に刺すのでなく、事前に机の前に飾っておく事に決めた。
つまり旗ではなく、ネームプレートである。
ネームプレートになってしまった時点で、お子様ランチの旗とはかけ離れてしまうが、主役の子供だけに作るので、当人は特別感があり、喜んでくれるだろうと期待する。
早速、旗作りに取り掛かる。
倉庫から工具と使えそうな材木を持ってくる。工具は、アナの父親が使っていた物で、一日で浴室を作るだけあり、色々な工具が揃っていた。ただ、どれも錆び付いていたり、刃が欠けていたりと、年季のある代物であった。
私とティアで木材を切り、ヤスリで角を削っていく。
ティアも無駄口をたたく事もなく、ギコギコ、カリカリと木材と格闘する事、一時間……。
「ああー、無理ぃぃーーっ!」
ティアから魂の雄叫びが上がる。
私もティアの叫びに合わせて、「うがぁぁーー!」と叫ぶ。
目の前にあるのは、ゴミとしか形容しがたい材木の破片である。
何とかアルファベットの『P』の形にしようとナイフで細かく削ったり、ヤスリで表面を磨いたりするが、私とティアの腕では、爪楊枝の様な一本の棒でも干からびたヒャクトリムシみたいな物しか出来上がらなかった。
こんな物に似顔絵を描いて、机に置いたところで、怒りしか湧かない。
材木屋にでも相談するか? 細工屋にでもお願いするか? とすでに自分の力で作るのを諦めていると……。
「これは、エーちゃんにお願いするしかないねー」
私と同様、自分の力で解決する事を諦めたティアから素敵なアイデアが出る。
そうだ、エーリカがいる。
土木作業担当のエーリカなら、木工細工も得意だろう。私が簡単に説明した燻製器をぱぱぱっと苦労もなく作ってしまったのだ。
こうして、旗と土台をエーリカに丸投げする事に決めたのであった。
出来ない事は、出来る人に丸投げのアケミおじさんです。




