112 お料理教室、最終日
一昨日と同じ気持ちで目が覚めた。
体が軽い。
それもその筈、いつも私の胸板で眠っているエーリカの姿が見えない。今日も私より早く起きたのだろう。何か親離れした子供みたいで悲しくなり、涙が出てきた……嘘です。欠伸です。特に何とも思っていません。本当に……。
大きく欠伸をしながら部屋を出ると、食卓で書き物をしているエーリカとそれを見ているアナとティアがいた。
「おはよう……もしかして、起きるの遅かった?」
何をしているのか、ひじょーに気になるが、エーリカは私に書き物の内容を見られたくないようなので、私も気にしない風を装う事にしている。
もし「見せて」とお願いして、「駄目です」と断られたら泣く自信がある。誰もハゲのおっさんの泣き顔なんか見たくないので我慢する。
「私たちが早いだけで、おじ様はいつも通りの起床ですよ」
そう言うなり、アナとティアは台所へ向かい朝食の用意を始めた。
私は外へ出て、井戸水で顔を洗ったり、身支度をしてからエーリカと対面するように食卓へ座る。
「明後日が『女神の日』だよね。当日、スープを作って売る事になったけど、エーリカは何のスープが良いと思う?」
書き物をしていた木札を袖口に仕舞うエーリカを眺めながら尋ねてみた。
「わたしは、ご主人さまの作ったクリームシチューが食べたいです」
「いや、エーリカが食べたいものでなくて……えーと、クリームシチューか……」
当日、クリームシチューを売る事を想像する。
クリームシチューはエーリカとアナに好評だったので、当日に売れば、それなりに売れるかもしれない。量を作る事もそれほと難しくはないので、クリームシチューは良いアイデアだろう。
ただ……。
「ピザと合うかな? クリームシチューだけでも主役になっちゃうんじゃない?」
『カボチャの馬車亭』で一緒に売るスープだ。私たちはあくまでも脇役であり、ピザの引き立て役である。大きく切った野菜を牛乳でトロトロに煮込んだクリームシチューを出すには若干の抵抗がある。
「わたしは構いません。ピザと一緒に食べれば、お腹は膨れます」
「両方ともペロリと食べられるのは、エーリカ先輩だけですよ」
朝食の準備が出来たアナが、料理皿を持ってきて食卓に並べていく。
「あたし、それ食べた事ないんですけどー。おっちゃん、あたしにそのクリーム何とかを作ってよー。食べた後にあたしが判断してあげるわー」
パンを乗せた皿を持ってきたティアが、羨ましそうな顔をしながら、ぶつぶつと文句を言い始めた。
そう言えば、クリームシチューを作った時には、まだティアは宝箱の中にいたんだったな。
「さすがに今からは無理だよ。今日の夕飯にでもご馳走するから落ち着いて」
わーわーと煩いティアを机に座らせて、食事を食べ始める。
ここ最近、私が夕飯を作っているので、朝食はアナとティアが準備してくれている。
今日の朝食は、ベーコンエッグ、野菜スープ、温野菜、パン、リンゴジャムである。
開店に合わせ冒険者ギルドに行かなければいけないので、朝は簡単に作れるシンプルなものが多い。
「クリームシチューは美味しいですが、ピザと一緒に食べるには少し重すぎる気がしますね。私はおじ様が作った、ホーンラビットのスープをもう一度食べたいです」
少量の野菜と塩胡椒で作った簡素なスープ……んん、体に優しい健康的なスープを啜りながら、アナがホーンラビットの出汁で作ったポトフについて話し始めた。
それに合わせてエーリカとティアも「あれは美味でした」「魔物スープを選ぶアナちゃん、冴えてるわ」と同意している。
アナの言葉でポトフが候補に挙がった。
以前、作ったポトフは、主食用に肉団子や大きく切った野菜を煮込んだものである。
あの時と同じポトフを出せば、ピザと主食を張り合う事になりそうだが、要はガラで出汁を取り、細かく刻んだ野菜を浮かべたスープとして作れば、問題なさそうである。
ただ、出汁を取るのが非常に時間が掛かるのだが、『女神の日』の前日である明日は、クロージク男爵の厨房でスープを作る約束をしているので、時間も人手も足りている。
「さすがにポトフは無理そうだけど、ガラで出汁を取ったスープを売る事なら問題ないと思う」
「それでしたら、今日の依頼はホーンラビットの討伐にしましょう」
「ホーンラビットなら簡単に狩れますし、午後からでも問題ありませんね」
「あいつら、そこら辺にウロウロしているからねー。簡単、簡単」
ん?
別に魔物であるホーンラビットに拘わる必要はないんじゃない?
クロージク男爵の厨房には若鶏を購入してある。その骨で鶏ガラを作れば良いんじゃない? と思ったが、エーリカもアナもティアもホーンラビットに固執してしまっている。
ホーンラビットって魔物だよ。魔物肉で作ったスープを売るとお客が逃げないかな?
その事を注意したいのだが、私以外の三人娘は、本日のホーンラビット狩りについて、ああだこうだと相談し決めていっている。
うーん、おじさんの話を聞いて……。
朝食を終え、話し合いも一段落したので、早速、冒険者ギルドへ向かう事にした。
雑多に貼り出された細かい依頼票の中にホーンラビット退治の依頼は存在しなかった。
だが、代わりに街道沿い周辺の魔物退治という大まかな依頼があったので、それを剥がし、レナの元へ向かう。
「魔物退治の依頼ですね」
「魔物の種類や数は記載されていませんが、魔物なら何でも良いんですか?」
「ええ、明後日の『女神の日』に合わせて、近場の村から人が集まってきます。その時、街道を通る際に魔物に襲われないようにする事前準備です」
要は、街周辺の魔物の数を減らせば良い訳だ。
「討伐した魔物の種類で金額が代わりますので、死骸はしっかりと持ち帰ってください。もし持ち帰る事が出来なければ、荷車を貸し出しますし、追加料金を払えばギルド職員が回収しにいきます」
回収に関しては、エーリカとティアの収納魔術があるので問題ない。
そういう事で、私たちは、ホーンラビットの肉を得るついでに、不特定多数の魔物を狩る依頼を受ける事にした。
ここ最近、日課になった料理教室の為にクロージク男爵の館に向かう。
いつも通り、執事のトーマスに案内され、厨房へと入る。
今日中に誕生日会に提供する料理を教え終えなければいけない。
主食となる料理はすでに教え終わっているので、今日の料理はスープとデザートである。
デザートについては、非常に頭を悩ませた。
さすが貴族と言うべきか、この貯蔵室には本物の砂糖が存在する。
本物の砂糖があるなら、あれもこれもと自分が食べたいデザートが頭を過るが、ケーキのような分量がしっかりと計らないと作れない物は、正直、覚えていない。
適当に作ってもいいのだが、今日中にレシピを教え終えなければいけないので、妥協する事にした。
教えるデザートは、アップルパイである。
今後の『カボチャの馬車亭』の事を考えてのチョイスである。
『カボチャの馬車亭』がリンゴパイを売り出した時、評判を聞きつけた貴族が『カボチャの馬車亭』に乗り込んで、問い合わせされないようにと考えた次第である。
平民であるカルラたちが、貴族と関わるのは非常に問題がある。
そこでハンネにリンゴパイの作り方を教えておけば、もし貴族がリンゴパイに興味を引かれたとしても、本物の砂糖を使用したリンゴパイを作れるクロージク男爵に振っておけばいいだろう。
クロージク男爵が他の貴族の矢面に立つ事になるが、食道楽貴族で名を広めている男爵だ。男爵の面目躍如にもなるし、『カボチャの馬車亭』も守れるという事だ。
早速、下準備に時間が掛かるリンゴパイから取り掛かる。
まず貯蔵室から材料を持ってきて、リンゴを甘煮にしていく。クツクツとリンゴを煮込む監視はエーリカにお願いした。
その間にパイ生地を作っていく。
男爵の専属料理人というだけあり、ハンネたちは今までの調理とは異なるパイ生地作りも易々と作っていく。いや、ハンネというよりもメモ係をしていたエッポが活躍していた。彼は普通の料理よりもお菓子作りの方が上手いとの事で、エッポが率先してリンゴパイを作り、代わりにハンネがメモ係を担当している。
無事にパイ生地が出来たので、しばらく生地を休ませる。
砂糖とシナモンの良い香りを漂わすリンゴの甘煮も火から下ろし、同じく休ませる。
生地と甘煮を休ませている間にスープ作りに取り掛かる。
スープについて、カボチャスープを考えた。
私たちが住んでいるダルムブールの特産品であるカボチャを使ったスープを作れば、この街で働いている貴族は喜ぶのではないかと思ったのだ。だが、主役である双子の子供がカボチャスープを喜ぶとは思えない。
子供が好きなスープはコーンスープ。これは異世界でも共通だろう。
そういう事で、定番のコーンスープに決めた。
前の世界ではクリーム状のトウモロコシ缶が売っていたが、そんな便利な物はここにはない。コンソメの粒もないので、全て一から作らなければいけない。
でも、大丈夫。
一度、疎遠の親から北海道旅行の土産として、大量のトウモロコシが届き、頑張ってトウモロコシ料理をした事がある。四日間、トウモロコシ地獄だったのだが、今となっては懐かしい記憶である。
貯蔵室から皮の付いたトウモロコシを持ってきて、皮を剥き、ヒゲが付いた状態で数分間、茹でていく。
ちなみにトウモロコシのヒゲはめしべであり、粒と同じ数だけヒゲが存在する。そのヒゲだけを煮込んだヒゲ茶という健康茶があるが、私は飲んだ事はない。美味しいのだろうか?
なお、この世界のトウモロコシは、あまり艶もハリもなく、そして甘くもない。これで美味しいコーンスープが出来るか不安である。
塩茹で中のトウモロコシを横目で見ながら、玉ねぎを繊維に沿って切り、バターと一緒に炒めていく。
軽く炒めたら、水と少量の塩を入れて、煮込んでいく。
トウモロコシを鍋から取り出し、熱を逃がす。
素手で触れるぐらいに冷めたら、芯が残らないように包丁で実を削る。
この世界にミキサーなんて便利な機械は無いので、この段階で細かくみじん切りにした。
そして、切り刻んだトウモロコシを鍋に入れて、タマネギと一緒にさらに煮込んでいく。
灰汁を取りながら煮込む作業をティアに任せ、私たちはリンゴパイを完成させる事にした。
エッポを中心にパイ生地を伸ばし、リンゴの甘煮を乗せて包む。そして、黄身を塗って、火を点けた窯で焼き上げる。
焼き上がりを監視していたエッポが釜の蓋を開けてリンゴパイを取り出すと、甘く香ばしい香りが漂ってきた。
クーと可愛らしい音がどこからか聞こえてくる。間違いなくエーリカだろうと後ろを振り向くと、アナが真っ赤な顔をしながらお腹を押さえていた。
リンゴパイは完成したので、コーンスープも完成させよう。
ただ、これからスープを濾さなければいけないのだが、この世界では濾し器やキッチンペーパーがないので、目の粗い布巾を使って濾す事にした。
クツクツと煮込んだ鍋の中身を布巾を敷いた別の鍋に注ぎ、ヘラのような道具でこすっていくと布巾から黄色の汁が染み出していく。
何度も何度も根気よく濾していく。
そして、濾したコーンスープの原液に牛乳を加え、再度温める。
最後に塩で味を調整し、淡い黄色をしたスープを皿に移し、パセリっぽい薬草をパラパラと振り掛けて完成させた。
皆にリンゴパイとコーンスープを行き渡らせてから試食を開始する。
まず、コーンスープを一口啜る。
うん、甘くない。
味は薄くないし、風味はあるのだが、トウモロコシの甘みが思いのほか少ない。
これはトウモロコシ本来の品種の違いだろう。品種改良を繰り返した元の世界のトウモロコシと比べるべきではないのだが、どうしても記憶と乖離して気落ちしてしまう。
まぁ、甘くはないが、さっぱりとした口当たりで飲みやすい。これはこれでありだろう。
皆も満足そうに飲んでくれている。
教えてもいないのに、エーリカとティアはパンを漬けて、パクパクと食べ進めているぐらいだ。
コーンスープを一通り堪能したら、エッポがメインに作ったリンゴパイに手を伸ばす。
初めて作ったとは思えない程、綺麗に焼かれている。キツネ色に焼かれたパイ生地と飴色に煮込まれたリンゴの甘煮が太陽の日差しに反射して、テカテカと輝いていた。
前髪で目を覆っている無口のエッポであるが、さすが貴族の専属料理人である。
フォークでパイ生地を切ると、サクリっと心地よい音がする。
駆け足でパイ生地を作ったにも関わらず、上手く出来ていた。適当に教えても完成するんだな、と感心しながら一口食べると……。
あ、甘い……。
口の中に暴力的な甘さが襲い掛かる。
何でこんなにも甘いの!? とビックリして周りを見回すと、皆、美味しそうに食べ進めていた。
「とても甘くて、たまりません」
「これが、本当の砂糖の味なんですね」
「うめー、うめー」
と、無我夢中で食べている。
そこで、本来の砂糖の甘さを思い出して、納得した。
砂糖大根の甘さに慣れ過ぎた所為で、本来の砂糖の甘さに驚いてしまったらしい。
甘さに飢えている彼女たちは、とろけそうな顔をして二個目をお代わりしている。おじさん舌を持っている私は、一皿で満足してしまった。
……美味しいんだけどね。
さっぱりとした甘みの少ないコーンスープで、口の中の甘みを流し込みハンネの方を向く。
「食後のお菓子としてリンゴパイを選んだけど、ちょっと重すぎますかね?」
全てがメインになる料理を何種類も盛り付けるお子様ランチ。その食後にリンゴパイはちょっと厳しいかもしれないと感じた。
「うーん……どうだろう……。確かにくどいかもしれないけど、凄く美味しいから出したいね」
ハンネの反応を見る限り、誕生日会にリンゴパイは出したいそうだ。珍しい上に、とても美味しいからクロージク男爵の判断を仰いでも、同じ回答になると断言した。
「それなら、料理全体を少な目にした方が良いかもしれませんね。お腹一杯の後にリンゴパイは厳しいです。まじで……」
「元からそのつもりだよ。主役は双子の子供だから、彼らに合わせて提供する予定。量が足りない人には、お代わりが出来るように準備はする」
主役の子供たちが、自分たちよりも大人たちの料理の方が量があり見栄えが良いと、ひがむかもしれない。だから、初めから大人たちも子供用の少量サイズで出す手筈らしい。
まぁ、その辺の対応は実際に運営する男爵やハンネたちに任せよう。
その後、色々と意見を交わす。
某お菓子のような一口サイズのパイに出来ないかとか、口直しにうさぎリンゴでも料理の脇に備えようかとか、飲み物を口当たりの良い薬草茶にしてみてはどうかと伝える。
ちなみに、うさぎリンゴを作ったら「どの辺がウサギ?」と首を傾げられた。
食後のお茶を飲みながら、ハンネと二人で材料の選別、準備の方法、料理の選別を思いつくまま話していく。
そして、語る事も無くなり、帰ろうとした時……。
「あっ!? 忘れていた!?」
私は、お子様ランチに無くてはならない物を思い出し、顔を青褪めたのであった。
これにて、料理教室は終了。
でも、まだまだ、やる事はあるみたいです。




