110 魚料理を提供してみた
ピザをペロリと平らげた私たち一行は、グロージク男爵の館に辿りつく。
いつもの様に執事のトーマスに案内され厨房へと足を運ぶと、すぐに調理が出来るように準備を整えたハンネとエッポが待っていた。
「へー、『女神の日』にスープを出すのか。あんたらの作るスープは興味があるね。ぜひとも食べてみたい」
「ハンネたちは当日何をするの? やっぱり誕生日会の下準備?」
「そうなるね。普段なら下町に降りて食べ歩くけど、そんな時間はなさそうだ」
挨拶がてら『女神の日』の話をしていたら、ハンネから提案がきた。
「そうだ。当日のスープ作り、ここで作らないか? 客に売る為の大きな鍋とか持っていないだろ。材料と一緒に貸してやるから味見させてくれ」
確かに沢山のお客に提供するなら寸胴鍋みたいな物が必要になる。そんな大きな鍋は、アナの家にはない。カルラさんの所にもあるのか分からない。
それならと作り方を見せる代わりに、材料と共に使わせてもらおう。
「お言葉に甘えて、そうさせてもらいます。ただ、誕生日会の依頼とは別件なので、作っている所は見ても良いですが教える事はしません」
依頼とは別件の料理だ。今の所、何のスープを作るかは考えていない。ただ、借金を背負っている身として、スープもしっかりと教えて、情報料を貰えるように交渉をしなければいけなのだが……非常に面倒臭いので、見るだけにしておいた。
そう提案したら、「それで良いよ」とさっぱりとした性格のハンネは、ごねる事もせず簡単に了解してくれた。いや、私が安売りしているだけか……。
こうして、私たちは『女神の日』の前日にグロージク男爵の厨房でスープを作って、当日に『カボチャの馬車亭』へ持って行く事を決めた。
「じゃあ、今日の料理を教えてくれるかい」
話が一段落したので、ハンネが期待した目で誕生日会に提供する料理を催促してきた。
エッポも木札を抱え、メモ係として用意する。
「昨日、一昨日とパウル様が楽しみにしているんだ。誕生会の料理に関係なく、今日も何を作ってくるかワクワクしているらしいよ。そのおかげで胃薬を常備しているらしい」
ふふっと笑うハンネがクロージク男爵の様子を教えてくれる。
毎日、お代わりを重ね、食い過ぎで苦しみながら胃薬を飲むそうだ。
これは確実に太るな。丸々と太った食堂楽男爵。よく似合う。
「料理を作る前に、確認したい事があるんだけど……」
「おや、何かな?」
「魚を使った料理を誕生日に出しても良いですかね」
「魚料理?」
出鼻をくじかれたような顔をするハンネが、興味深そうに聞き返してきた。
そんなハンネに昨日の出来事を説明し、大量の魚が手に入った事を教える。
確かグロージク男爵は魚料理を食べた事があり、今も思い出すと食べたくなると聞いた。
ただ、魚料理に縁のない街の貴族の誕生日会だ。ゲテモノ料理扱いされてしまうかもしれないので、事前の確認は必要だろう。
「海の魚ではないので、男爵が食べた魚とは味は違いますが、湖のヌシは淡泊で美味しかったですよ」
「私は魚を食べた事がないから、ぜひ食べてみたいし、パウル様も食べたいだろう。けど、他の貴族に出して良いかは判断できないな。パウロ様に判断してもらおう」
「材料と作り方は買い取るから、幾つか教えてくれ」とハンネが言うので、今日は魚料理も作る事にした。
さて、何を作ろうかな。
今日と明日中に誕生日会用のレシピを教えなければいけない。
手間のかかるデザートは明日にする。
話を聞くと、注文していた若鶏が届いたとの事なので、お子様が大好きなから揚げを作ろう。
油を使うので、ついでにコロッケも教えようかな。
魚料理だと……塩焼き、刺身、ムニエル、フィッシュフライ、カルパッチョ、煮付け、味噌汁、アクアパッツァ、照り焼き、ホイル焼き、と思いつく。
生食文化の無い街なので、刺身とカルパッチョは除外。調味料が無いので、煮付け、味噌汁、照り焼きは無理。ホイル焼きもホイルが無いので駄目。個人的にアクアパッツァは好きだけど、お子様ランチに出すものではないので、これも候補から外す。
残りは、塩焼き、ムニエル、フィッシュフライであるが、塩焼きをわざわざ教えるものではないし、昨日、エッヘン村で散々食べたのでやめておこう。
そういう事で、本日の料理教室は、若鳥のから揚げ、コロッケ、ヌシのムニエルとフィッシュフライに決めました。
まずは下ごしらえ。
当日、誕生日会の調理をするのはハンネであるが、効率を考え、下ごしらえは皆にやってもらう事にした。
まず、から揚げ用の若鶏を解体に慣れたアナとエッポにお願いする。
若鶏は、頭を落として血抜きされただけの状態である。羽毛がついているので、脱羽からしなければいけない。
そこで大きな鍋にお湯を沸かし、頭の無い鶏を漬けてから羽を毟っていくとの事。その後、火で産毛を燃やしてから、各部位に解体していくそうだ。その辺は全てアナに丸投げである。
コロッケ担当はティアとハンネにお願いした。
貯蔵室からジャガイモを持って来てもらい、皮を剥き、塩を少し入れたお湯で茹でてもらう。
茹でている間、豚肉を包丁で叩いてミンチ肉にしてもらった。本当は合い挽き肉が良いのだが、牛肉は無いので豚肉だけである。
魚料理はエーリカと私で担当した。
ただ、こっちはあまりやる事はない。
エーリカの裾から湖のヌシの肉を取り出してもらい、食べやすいように切っていく。そして、臭み取りに白ワインを振り掛けてお終いだ。
うむ、やる事が無くなってしまった。
若鶏の解体もジャガイモもまだ時間が掛かる。
そこで調理に必要な材料を用意したり、カチカチのパンを削ってパン粉を作ったり、コロッケ用の玉ねぎをみじん切りにしておく。
一通り終えると、アナとティアから準備が出来た報告がきた。
まずアナの元へ向かい、から揚げ用の下味をする。
綺麗に切り分けた若鶏のもも肉を一口大に切ってから、塩胡椒をかけ、ニンニク、生姜をすりおろして漬けておく。
本当は、料理用の日本酒と醤油を入れたいのだが、無い袖は振れないので諦める。
お酒に関して、この街ではエールと蜂蜜酒とワインと果実酒ぐらいしかない。魚料理なら白ワインを掛けておけば良いのだが、から揚げに白ワインは止めておいた。
調味料がない所為で、美味しい物を作ろうとする意志が薄らいでいく。あれも無い、これも無い、と思いながら調理をするので、どんどん気が滅入ってしまう。
この世界で作る私の料理は、妥協と諦めで出来ている。そう、妥協と諦めの料理なのだ。……ぐすん。
はぁー、と溜め息を吐きながら、ジャガイモを茹でていたティアの元へ向かった。
ティアにジャガイモを取り出して、フォークなどで潰してもらう。
その間に、フライパンで玉ねぎとミンチ肉を炒め、バター少々と塩胡椒を入れてから火からおろす。
熱が冷めたら、潰したジャガイモに入れ、捏ねてタネを作った。
平らに成型したコロッケのタネに、小麦粉をつけ、溶き卵を絡め、パン粉をつけていく。同じように、白ワインを掛けたヌシの肉の水分を取り、塩胡椒をしてから、小麦粉、溶き卵、パン粉とつける。
から揚げとムニエル用のヌシの肉は、小麦粉だけをつけた。
これで下準備は終わり。
あとは油で揚げたり、フライパンでバター焼きするだけである。
ハンネにコロッケ、から揚げ、フィッシュフライを順番に揚げてもらう。
揚げている間にバターを引いたフライパンでムニエル用のヌシの肉も焼いていく。
その様子を見ながら、私は料理にかけるタレについて考えた。
から揚げとムニエルはレモンをかければ良いが、コロッケとフィッシュフライはどうしようかな?
コロッケはトマトソースで良いかな? フィッシュフライもトマトソースにするかな?
困った時は全てトマトソース。っていうか、それしかないのだ。妥協と諦めが肝心。
心の中で、フィッシュフライ用のタルタルソースを作ろうかと思い悩んだが、ひじょょーーに面倒臭いので、止めておいた。マヨネーズを作りたくない。ただ、それだけである。
「もうすぐ、完成しそうですね」
私のすぐ横から男性の声がして、驚きの余り「ひゃー!?」と情けない声が出てしまった。
いつの間にか、執事のトーマスが調理の様子を見ていた。揚げ物をしている最中で、驚かさないでほしい。
「おや、トーマスさん。どうしました?」
コロッケを揚げているハンネが、リフラフのようなトーマスに「もしかして、パウル様が我慢できなくなった?」と笑いを耐えるように聞いた。
「ええ、朝食を抜いていますので、お腹を空かしています。料理が出来次第、持っていくつもりです」
なんと!? 食道楽男爵が朝食を抜いてまで、私が提供する料理をご所望とは! と思っていたら、昨晩、ハンバーグを食べ過ぎて、朝食が食べられなかったと教えられた。
まぁ、これはこれで嬉しいのだが……。
「一人分は出来ているから、すぐにパウル様用に用意するよ」
ハンネは、揚げ物をエッポに任せ、グロージク男爵用の料理を盛り付けていく。
一つの皿に若鶏のから揚げ二つ、コロッケ一つ、フィッシュフライ一つを盛り付け、脇にくし切りにしたレモンを添える。揚げ物三種盛りである。小皿に入れたトマトソースも忘れない。
別の皿にムニエルにした湖のヌシを乗せて、手早くレモンを加えた焦がしバターを掛けて、その上にパセリのような薬草をパラパラと掛けて完成させた。
レモンバターとパセリは、調理中に私が思いつきで呟いたのを覚えていたらしく、味見もせずに実行してくれた。
ハンネが手早く用意した料理を、毒見する事もなくトーマスはキッチンカートに乗せて出て行く。
「最初に試食するのが男爵とは……不味いっと返されたらどうしよう……」
調味料がないので、下味もタレも不完全である。
貴族であるクロージク男爵が食べる前に、自分たちが食べて、感想を聞いて、改善したものを提供したかった。
「味は大丈夫さ。まだ食べてないけど、想像はできる。間違いなく、美味しいよ。すぐにお代わりの催促がくると思うから、私たちの分をさっさと完成させよう」
そう言って、ハンネとエッポは素早く調理を済ませ、試食を開始する。
食べ始めたのだが、ハンネ以外は黙々と食べ続けるだけで会話はない。
色々と意見を聞いて、改善し、もっと美味しいものを作っていきたいのだが……。
食べるのに夢中のエーリカとアナとティアに声をかけて、感想を聞くが……。
「さすがご主人さまです」
「おじ様の料理はどれも美味しいです」
「うめー、うめー」
……と言うだけであった。
ハンネの助手であるエッポに至っては、一言も話さず、コクコクと頷くだけで終わる。君は料理人側なんだから、話し合いに加わろうね。
仕方が無いので、ハンネと二人で料理を食べながら話をしていく事になる。
「油で揚げるだけで、鶏肉がこれほど美味しくなるとはね」
「いえ、元々鶏肉は美味しいですよ。豚と同じくらい食べやすく、調理しやすい食材です」
この世界の鶏は、卵を取るために育てられている。市場に肉が出回るのは、卵を産まなくなった年老いた鶏で、肉はゴムみたいに硬く、肉の風味が薄く、味は微妙である。
食用に鶏を育てる業者が増えれば、この世界の食文化も多様化しそうであるのだが……。
そう言えば、雄鳥はどうなっているのだろう?
卵目的に育てられている鶏の大半は雌鳥である。繁殖用のタネ付けに雄鳥は必要であるが、全て残す必要はない。それなら余剰分の雄鳥は、殺処分として、その肉は市場に出回らないのだろうか?
その事をハンネに話すと……
「契約している鶏卵農家に話を聞いて、いらない雄鳥を買い取れれば、若く美味しい鶏肉が定期的に手に入りそうだな。エッポに言って、交渉させよう」
……と、黙々と食べるエッポに視線を向ける。
話を聞いていたエッポは、私たちの方を向いて、コクリと頷ずき、また黙々と食べ始めた。
今までまともに会話をしている所を見た事がないけど、こんなんで営業出来るの?
その後、色々とアレンジについて話した。
から揚げは、胸肉や手羽先などの使う部位を変えても良いとか、下味にハーブを入れても良いとか、レモン以外のものをかけても良いとか、思い付いた事をペラペラと話す。
特に、マヨネーズやポン酢が美味しいと伝えたら、「何それ? 教えて」と目をギラギラさせながら、身を乗り出してきたので怖かった。説明するのが面倒臭かったので、「知らない」と答えておいた。
コロッケについては、ジャガイモ以外にカボチャコロッケ、コーンコロッケを伝えた。
カニクリームコロッケは、作った事がないので教えていない。そもそも、この街でカニを手に入れる術がないので、教えても意味はない。まぁ、カニが無くても、ホワイトソースだけでもいいんだけどね。
フィッシュフライは……特にアレンジは無いかな。タルタルソースがあれば良いんだけど、私がマヨネーズを作りたくないので諦めている。タルタルソースがあれば、パンに挟んで食べても美味しいんだよね。
トラウマを克服する為に、今度、暇が出来たら挑戦してみようかな。
久しぶりのから揚げとコロッケで満足した私が大盤振る舞いに料理の情報を垂れ流していると、厨房のドアから執事のトーマスが姿を現した。
ハンネが言った通り、男爵のお代わりを貰いに来たようだ。
「旦那様は、魚料理が提供されて、さぞ驚いています。少し話を聞きたいとの事ですので、一緒に来てください」
「は、話ですか!?」
「ええ、その前に先ほどの料理を一式と別の魚料理を用意してください」
クロージク男爵と対面するだけでなく、新しい料理も追加注文された。
ハンネに同情めいた顔をされて、何を作るか指示待ちをされている。
ここで手間の掛かる料理をして、クロージク男爵を待たせる訳にはいかない。簡単で早く作れる料理にしよう。
私が簡単にハンネに作り方を教えると、手早く調理をしてくれた。さすが食堂楽男爵の料理人である。
ハンネは、湖のヌシの切り身に塩胡椒をしてから、エーリカが取り出したオレガノとローズマリーっぽい薬草を付けて、ニンニクと一緒にフライパンで焼いていく。
あっという間に湖のヌシの香草焼きを完成させた。
先程、試食させた揚げ物三種盛りとヌシのムニエルと一緒にキッチンカートに乗せる。
私たちは執事のトーマスと共に厨房を出て、クロージク男爵の執務室に向かった。
「よく来た。そなたの料理は、毎回、驚かされる。今日の料理も真に美味で驚いた。これなら当日は安泰である。子爵の驚く姿が待ち遠しいわ」
料理とワインの香りが立ち込める執務室の椅子に座って、クロージク男爵が気分良く笑っている。
それの姿を見た私も肩の荷が落ちた。
貴族の誕生日会に提供する料理を、たかだが趣味で料理をしていた女子高生が務まるのかと不安になっていたが、直接、貴族である男爵からお褒めの言葉をいただき気が楽になった。
「それでだ……」
高笑いしていた男爵が声を落とし、一口ワインを飲むと、私の顔色を窺うように見つめた。
「私が以前、食べた魚とは味が違うのだが、今日の料理に使われている肉は本当に魚で間違いないか?」
この街では魚は流通していないし、わざわざ捕らえて食べる習慣もない。男爵も海の街から取り寄せようと苦労をして、諦めた経歴がある。そこに魚料理が登場したのだ。男爵が疑うのも無理はない。
私は、ハンネに話した内容をもう一度、男爵に話す。
別の依頼でエッヘン村に行った事。そこで魔物に襲われ、ついでにヌシを倒した事、ヌシの肉が沢山手に入ったので今回料理に使った事を簡潔に伝えた。
「あそこの湖に魚がいるのか……うむ、そうか、そうか……」
腕を組んで何やら思案を始める男爵。もしかしたら今後、男爵が主体となって、名も無き湖が漁港場になるかもしれない。面倒臭いので私は関わらないでおこう。
「私が食べた魚は脂が乗って、独特の味がしたのだが、これは調理法の違いか?」
男爵の話を聞く限り、海のある街に行った時に食べた魚料理がずっと心に残り、それをどうしても食べたいそうだ。
だが、残念ながら海の魚と湖の魚では味も種類も違う。そもそも調理自体が違うので、味に違いが出るのは道理である。
その事を伝えると、「それもそうだな……」と顔を落とし、少し悲しそうにした。
そんなにも食べたいのなら、その街まで旅行に行けば良いのに、と思ったが、この世界の移動手段は馬車なのを思い出した。馬車で遠出するには、何か月も掛かるのだろう。旅行も簡単にはいかない。
あまりにも気落ちしている男爵を見かねて、つい私は提案してしまった。
「海の魚を直接と取り寄せる事は無理でも、調理方法やそれに使われる香辛料を取り寄せれば、まったく同じものとはいきませんが、似たようなものを再現できると思います」
私の言葉を聞いた男爵は、ガバっと丸い顔を上げて、大きく頷いた。
それを見た私は、早まった! と後悔する。
もしかしたら、言い出しっぺの私に依頼が来るかもしれない。何か月も掛かる旅などしたくない。絶対に体を壊す。ぜひ専属の商人に依頼をしてくれ。
「え、えーと……料理が冷めてしまいますので、私たちはこれにてお暇させてもらいます」
帰る態度を示すと、「そうだな、そうだな。料理を堪能しなければな」と機嫌良く、退室の許可がおりる。
私たちはそそくさと男爵の執務室を出て扉を閉めると、部屋の中から「美味い!」と男爵の声が響いたのだった。
うーむ、遠出フラグの予感……。




