107 エビを求めて、白鯨の襲撃
良い案があるという言葉を聞き、今にも倒れそうなアナが顔を上げる。希望の兆しのおかげで、顔色が良くなっていた。
「後輩、期待している所、申し訳ありませんが、案という程のものではありません」
風の壁に水の塊や槍が当たる音を聞きながら、エーリカは私たちを見回してから続きを話した。
「この小さな船の上で、水を得た魚のようなサハギンを相手にしているのが問題です。それなら、さっさと陸に上がりましょう。今ならサハギンの数が減っているので無事に向かえます」
「小島に向かうって事?」
小島までの距離は五百メートル程である。村の方へ向かうよりかは、目と鼻の先だ。
「陸でも呼吸が出来るとはいえサハギンなど、所詮、魚の魔物です。陸で迎え撃てば、皮膚も乾燥して思うように動かない筈です。そこで時間を稼げば、冒険者ギルドから応援が来るかもしれません」
「まぁ、確かに沈みかけの船の上で戦うよりかは、小島にいた方が良いけど、そんな都合良く応援が来るかな?」
「ご主人さまを助けに向かう前に、ティアねえさんに分身体を一体増やしてもらい、村に残しています。ティアねえさんでも状況を考え対策を施すでしょう」
「でもって何よー!」とティアが抗議するのをエーリカは目を合わせず無視をする。
「せ、先輩……その……」
魔力欠乏症でふらふらのアナが申し訳なさそうにエーリカに視線を向ける。
「わ、私の魔力量では、もう……船を動かせる程の風を操る事は出来ません」
すでに魔力が限界の所、小舟とはいえ船全体に風の壁を作っているのだ。アナがいつ倒れてもおかしくない。
この世界では魔力を回復する薬はあるのだが、高価な為、私たちは持ち合わせていない。アナの魔力を回復させるには、休憩して自然に回復するまで待つしかないのだが、そんな悠長に休んでいる時間はない。
「いえ、後輩は休んでいてください。船を動かすのはティアねえさんです」
「えっ、あたしー!?」とアナの胸元からティアが驚きの声を漏らす。
「帆の代わりにした皮袋を持って空を飛びながら引っ張れば小島まで運べるでしょう。今まで後輩の服の中で避難していたのです。ここにいる誰よりも元気でしょう」
「あたしだって、色々したんだからねー。おっちゃんに魔力をあげたり、サハギンに幻影魔術をぶつけたりしたんだからねー」
ぶーぶーとアナの胸元から抗議をするティアをエーリカは鼻で笑う。
「魔力と体力は別です。いつも無駄に動いているのですから、わたしたちを乗せた船ぐらい動かせるでしょう」
エーリカとティアが仲良く言い合っている。
今にもアナは倒れそうだし、船は沈みそうなのに、いつも見る日常風景が、サハギンの血溜まりの上で繰り広げている。私とアナだけでなく、サハギンたちも空気を読んで、姉妹のじゃれ合いの邪魔をしないように静かにしていた。
……ん?
……静か?
「ちょっと、二人とも待って! サハギンの攻撃が止んでる。様子が変だ」
私の言葉で口喧嘩をしていたエーリカとティアは、口を閉ざし、周りを見回した。
アナも風の魔法を解除して、大きく呼吸をしてから水面を眺める。
水面から頭を出しているサハギンが、私たちとは反対の方向を向いていた。
まだ、二十体近くいるサハギンが、さっきまで命を懸けて戦っていた相手に後ろを向いているのだ。異常事態としか思えない。
エーリカたちもその異変を感じ、無言で様子を伺い、成り行きを見守る。
死闘が繰り広げていたとは思えない程、湖は恐ろしいほど静かだ。
そんな凪いだ湖を見つめていると、遠くの方から数匹のサハギンが泳いでくるのが見えた。
私たちを襲いに来たのかと思ったが、どうもそんな感じではない。
「何かから逃げている感じですね」
アナの言う通り、サハギンたちは後ろをチラチラと見ながら泳いでいる。
一体、サハギンたちは何から逃げているのか、それが問題だ。
私たちにとって、これは好機なのか、それとも危機なのか、今の所判断が出来ないが、数に物を言わすサハギンたちの注意が逸れている今が逃げるチャンスであろう。
「ティア、この機会を逃したくない。すぐに船を引っ張って」
「仕方ないわねー」と渋々アナの胸元から飛び出したティアは、「うげー、革袋がサハギンの体液で汚れきってるじゃないー」と文句を言っている。
「ティアねえさん、文句を言ってないで、早くしてください」とエーリカが催促した時、遠くの方で水柱が上がるのが見えた。
何かから逃げていたサハギンたちの真下から、巨大な何かが飛び出している。
一瞬、白い色をした潜水艦が水面に急浮上したように見えた。
だが、良く見ると胸ひれのようなものが付いているので魚だと分かった。ただ、サイズがおかしい。見た目は、真っ白のマッコウクジラみたいであるが、大きさはシロナガスクジラ以上ある。人間なんか簡単に飲み込んでしまうだろう。
そんな白鯨のような魚は、水面を飛び出した勢いで数体のサハギンを空高く舞い上げた。そして、空を舞ったサハギンはクルクルと回転しながら水面に叩きつけられる。
水面に直立していた白鯨は、泳いでいたサハギンを押し潰しながら、ズズズズンと湖を震わせながら倒れていく。
白鯨を中心に巨大な波が発生し、遠くにいた私たちまで届き、壊れかけの船をグラグラと揺らした。
「大ミミズといい、この辺の生き物、デカく成り過ぎじゃない!?」
巨大ベアボアの頭を丸齧りにしたロックタートルも規格外のサイズであったが、白鯨も規格外過ぎて、間抜けな顔をしながら見入ってしまった。
「あ、あの大きい魚……こっちに向かってきてませんか?」
アナの言う通り、白鯨はモーゼの十戒のように湖を割る勢いで私たちの方へ突き進んできた。
「うおー、来た来たー!」
「ティアねえさん、叫んでないで早く船を動かしてください」
「ぶんしーん!」と叫び、二人になったティアは、サハギンの血で汚れた革袋を掴み、羽を懸命に動かしながらボロ船を引っ張りだす。
「良いぞ、ティア。このまま速度を出して逃げよう」
「む、無茶言うなー! 三人も乗っているから滅茶苦茶重いー!」
船の周りにいたサハギンたちが、私たちを無視して、迫りくる白鯨に向かって泳ぎだす。
サハギンは三又の槍を持って白鯨を迎え撃つが、サイズが違い過ぎて、猛スピードで泳ぐ白鯨にぶつかると四方へ吹き飛ばされていった。
中には、大口を開けた白鯨に大量の水と共に飲み込まれるものもいる。
私たちを死地に追いやったサハギンがまったく相手になっていない。つまり、このまま白鯨が私たちに迫ったら、サハギンと同じ運命を辿る事になる。
「ティア、急いで! すぐそこまで来ている!」
「ティアさん、小島まであと少しです! 頑張って!」
私とアナでティアを急かすと、「ふぎぃー!」と歯を食いしばり、船の速度を上げていく。
そのおかげで、小島まで百メートル近くまで近づいた。
だが……。
「島に辿り着く前に、魚が来ます。飛び降りる準備をしてください」
白鯨の動向を見ていたエーリカがいつもの冷静な声で私たちに告げると、グレネードランチャーを白鯨に向けて放った。
爆発音と共に飛び出した石の弾は、白鯨のツルリとした頭に命中し白い肌を削った。
「傷を負わす事は出来そうですね。もう一発、喰らわせましょう」
「エーリカ、無理だ。すぐに飛び込んで!」
怪我を負った白鯨は、速度を上げて私たちに迫る。
「退避ー、退避ー! すぐ逃げろぉー!」
ティアは革袋を手放し、空高くへ避難する。
アナもティアに合わせて、船から飛び降りた。
私は手斧をベルトに差し、すぐにエーリカの腕を掴んで船頭に移動する。
白鯨が目の前まで迫る。
大量の水を押しのける音を聞きながらエーリカと共に船から飛び降りると同時に、白鯨がボロ船へとぶつかる。
白鯨が通り過ぎた余波で、私とエーリカは船の破片と共に水面の上を転がるように吹き飛ばされた。
頭がクラクラしながら、目を開けると水の中にいた。
私の周りにボロ船の破片が漂っている。
空気を吸う余裕もなく水の中に入った為、すぐに酸欠になって苦しくなる。
急いで水面に向けて泳ぎたいが、自分が上を向いているのか、下を向いているのか分からず、がむしゃらに上下左右へと泳ぐが、水面には辿り着けない。
混乱し過ぎて、余計に苦しくなる。今日で何回目かの溺死寸前。
徐々に力が抜け、意識が薄らいでいくと、誰かが私の胸に抱きついた。
薄れる視界で確認すると、エーリカが私を抱き締めている。
体が浮上していく。
エーリカが私を抱きしめながら水面に向けて泳いでいく。私も気力を振り絞り、足を動かす。
「ぷはぁっ! はぁ、はぁ、はぁ……エーリカ……ありがとう」
息を整えてから、今も胸に抱きついて、私を支え続けるエーリカに感謝を述べた。
「いえ、当たり前の事です。魚が遠のいています。今の内に小島へ向かいましょう」
小島に視線を向けたエーリカは、私を抱きしめたまま小島に向けて泳ぎ出す。
すでに気力も体力もない私では、小島まで泳ぐ自信はない。エーリカもゴシックドレスを着たまま泳ぐのは大変だと思うが、このままエーリカに頑張ってもらおう。
エーリカに引っ張られる形で泳いでいると、少し先に小島に向けて泳いでいるアナの姿が確認できた。
アナも魔力切れでフラフラの状況の為、二人のティアがフードの端を持って、引っ張られる形で泳いでいる。
小島まで百メートルを切っていたので、特に問題なく泳ぎついた。
私とアナはフラフラする足取りで、水辺を通り過ぎ、短い草が生えている場所で倒れた。
疲れた様子を見せないエーリカは、トコトコと私の横にきて腰を落とし、湖面を静かに眺める。
二人に別れたティアは、「探検してくるー」と小島の奥へと行ってしまった。
私たちが辿り着いた小島は、全周五百メートル程度の島で、中央に数本大きな木が実っている。その大木の手前に灰色のレンガで組み上げた祠が鎮座していた。
それだけの小さな島の為、探検に行ったティアは、すぐに帰ってきた。
濡れた体を太陽に晒して乾かしていると、水面に白鯨が現れる。さらに白鯨を取り囲むようにサハギンたちも現れ、怪獣大決戦を繰り広げ始めた。
サハギンたちは、水の塊や三又の槍でチクチクと攻撃していくが、体の大きい白鯨に致命傷を与える事が出来ないでいる。
数に物を言わすサハギンであるが、逆に白鯨の攻撃に為す術が無く、サハギンたちは徐々に数を減らしていく。
広く大きな尾びれで空高く打ち上げられたり、水面をジャンプして押し潰されたり、大口を開けて水ごとサハギンを飲み込まれたりと、白鯨の一人相撲であった。
そんな景色を私とエーリカとアナは、体操座りをして眺めている。
ちなみに二人のティアは、太陽で温まった石の上で気持ち良さそうに眠っていた。
「ねー、私たち、どうやって村まで戻れば良いかな?」
遠い目をしながら、私はポツリと呟いた。
あんな怪獣のような白鯨が、我が物顔で湖を優雅に泳いでいる場所を通って村に帰れるだろうか?
泳いで帰る事も村から船を持ってきてくれる事も出来ない。
また、冒険者ギルドから応援が来たとしても何も出来ずにトンボ返りだろう。
「どうしたものかなー」と溜め息交じりに呟くと、アナも「どうしましょう?」と疲れた声で返してくれた。
「サハギンの姿が無くなりました。ある程度、片付いたようですね」
リンゴをシャクリシャクリと食べながら、湖面を眺めていたエーリカが立ち上がる。
「エーリカ?」
「魚を狩ってきます」
そう言うなり、エーリカはゴシックドレスをスパパパッと脱ぎ、キャミソールのような下着とドロワーズの姿になった。さらにそこからグレネードランチャーと円錐型のドリルを装着しので、非常にシュールな出で立ちになっている。
「ちょ、ちょっと、何を言っているの!? 無理だって!」
「いえ、可能です。あれはただの魚です」
「魚?」
私は首を傾げて、妙ちくりんな姿のエーリカを眺める。
「あれが魔物でしたら、わたしたちで倒す事は不可能でしょう。ですが、あれは魔物でなく、ただの大きな魚です。邪魔なサハギンも逃げていったので、今が狩る好機です」
「では、行って来ます」とコンビニでも行く感じで、エーリカは湖の中へ泳いで行ってしまった。
「えーと……止めなくても良いんですか? 先輩、食べられちゃいますよ」
アナが心配する通り、たぶんエーリカは食べられに行ったんだろうな。大ミミズの時のように……。ミュータントのマリナーのように……。
「他っておけば良いのよー。エーちゃんなら食べられたとしても、ただの魚程度では消化されずに出てくるわよー。どこから出て来るかは言わないけどねー」
いつの間にか、一人に戻ったティアが、私たちの近くまで来てエーリカの様子を眺めている。
当のエーリカは、両手に魔術具を付けているにも関わらず、スイスイと湖の中央まで泳ぎ、水面をバシャバシャと叩き出した。
一見、溺れているように見えるが、たぶん白鯨を呼び寄せているのだろう。
案の定、すぐにエーリカが泳いでいる湖の底から大口を開けた白鯨が顔を出し、そのままエーリカを丸呑みにして、水の中へ潜ってしまった。
「せ、先輩ッ!?」
口に手を当ててアナが立ち上がる。
「さすが、エーちゃん。綺麗に飲み込まれたわねー」
青褪めるアナと違い、ティアはエーリカの見事な食べられっぷりに感心していた。
「アナ、安心して。デカい魚が苦しさで暴れているよ」
私が湖を指差すと、水面をジャンプしながら現れた白鯨は、巨大な水柱を上げると右へ左へと体をくねらせ暴れていた。
今、エーリカ作業員がドリルを回転させながら、肉の壁にトンネルを掘っている事だろう。
白鯨がどんな痛みを感じているのか、想像したくない。
しばらくすると、クジラの潮吹きみたいに、白鯨の頭から真っ赤な血飛沫が飛んだ。
水面を叩いて暴れ回っていた白鯨の動きが弱くなる。
その後、何回か白鯨の頭から血飛沫が吹きあがると、そのまま力尽きたように水面に倒れ、動かなくなった。
そして、赤く染まった白鯨の傷跡からエーリカがひょっこりと姿を現した。
エーリカの無事な姿を見て喜びたかったアナであるが、白鯨の血と肉片で汚れきった姿を見て、ドン引きしている。
血塗れになっているエーリカは、何事もないように水面にジャンプして、私たちの元まで泳いでくる。
ゆっくりと湖面を泳ぐエーリカの後ろで、白鯨の傷跡から二匹のサハギンが出て来くるのが見えた。たぶん、白鯨に丸呑みにされたサハギンであろう。サハギンは、エーリカを追う事をせず、反対の方向へと泳いで行き、姿を消した。
「ただいま、戻りました」
エーリカは、湖を泳いだおかげで、綺麗になって戻ってきた。ただ、白色だった下着がピンク色に変色していたり、髪や下着の隙間に肉片がこびり付いていて、完璧に綺麗にはなっていない。
そんなエーリカは、私の元まで来ると、私の前に座って背中を倒してきた。
私の胸に倒れたエーリカは、「ふー」と軽く息を吐く。
いつもの眠そうな顔をしているが、エーリカもさすがに疲れたのだろう。
私は、そんなエーリカを労うように、優しく頭を撫ぜる。
「お疲れさま」
私が静かに声を掛けると、返答するように後頭部をグリグリさせて、私の胸に沈めてきた。
すごく魚臭いが、甘えるエーリカに答えるように、華奢な体を優しく抱きしめたのであった。
カエル、半魚人、巨大魚と戦闘続きでした。
次から日常に戻ります。




