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天使ノ涙  作者: ニコネコ
9/15

#9「ヒーロー」

「なんで、湖根が……!?」


 幸彦が驚愕の声を漏らす。だがそこにいるのは、見間違えようもなく湖根呼音子であった。上は制服のワイシャツをボタンも付けずに羽織り、下は体操服のハーフパンツ一つ。ずいぶん動きやすそうな格好の彼女は、光のない目でじっと衆の方を見つめている。


「いや、それより衆がやべえ……楓、頼む!」


「オッケー!」


 楓は制服のポケットから手のひら大の鈴を取り出して、衆がいる方と反対側の廊下へ向けて投げた。チリン、チリンと美しい音を発しながら、壁に跳ね返って奥へ奥へと転がっていく。


「!!」


 呼音子が目を見開いたのが一瞬見えた。だが次の瞬間には、彼女は音速のスプリントで鈴を追いかけ始め、さっきまで立っていた場所には凄まじい風圧しか残っていなかった。


「衆!」


 数十メートル離れたのを確認してから、2人は階段の下から飛び出して衆の元へ駆けた。


「運辺……お前ら、そこにいたのか」


「いちゃ悪いかよ! お前こそどこ行ってた!」


 衆を庇える位置まで近づくと、幸彦は振り返って敵を見据える。


「……んニャ」


 同時に、背中を向けて鈴を追っていた呼音子もこちらに顔を向けた。


「だ、だいじょぶ、まだ鈴が引き付けて……」


 そしてその手に握った球体から、なにやら黒いものが飛び出していた。


「あーーーー!! 毛むくじゃらになって音詰まってる!!」


「来るぞ!」


 叫ぶ楓の前に立って、幸彦は木刀を両手で構えた。


 呼音子が一瞬かがんだ後、高速で飛び出した。陸上部の足腰と彼女がまとう不可解なオーラが合わさり、抜群の瞬発力を誇った弾丸のような跳躍。普段は長く移動が面倒なこの廊下が、今だけは無限に続いてほしいと、体制を立て直す時間を取らせて欲しいと願わずにはいられなかった。


「にゃあああああっ!!」


「くそっ……ぐあっ」


 願い虚しく、距離は一瞬で詰められた。呼音子の右のパンチを木刀で受け止める。接触した手から踏ん張る足先まで、押し潰すような衝撃が全身を襲った。


「ッ……落ち着けバカ!」


「ニャッ」


 厄介な黒猫が一歩引いたところに、幸彦はすかさず反撃を叩き込む。右から左へと薙ぐ一撃は、しかし天井に頭をぶつけかけるほどの大跳躍でかわされた。


 呼音子はそのまま反転して天井に足を付け、再び屈伸する。


 直後の跳躍から、そのまま回し蹴りが迫る。真上からはまずい。受け止めれば衝撃全部が足に行って、へし折られる。一瞬でそう判断して、幸彦は木刀を斜めに構えた。


「ゆっきー!!」


「このっ……!」


 そのまま横に跳び、蹴りを受け止めず、斜めに受け流す。そして体勢を崩して転がった呼音子めがけて、上から両手で木刀を叩き込んだ。


 不思議な力の込められた木刀が、鉄塊よりも重たい力で呼音子を押しつぶす。だが彼女の脚力はそれに拮抗し、寝転がりながらでも押されずに木刀を受け止めていた。


 再びの対面で、ようやく気づく。彼女に猫のような耳と、黒い尻尾が生えていることに。だが今は「仮装か?」などと茶化している場合ではなかった。


「衆!! 今だ撮れ、早く!!」


「わ……分かってるッ」


 幸彦に叫ばれてからようやく、衆はカメラを前に構えた。だがよく狙って──()()()()()()をしたまま、シャッターのボタンを押さない。


「んニャああああぁ!!」


 衆に気を向けるあまり、木刀に込める力が一瞬弱まった。その隙に呼音子は脚力で木刀を押し返す。


「なっ……がはっ!?」


 押し返すとともにジャンプした呼音子は、空中で人間離れした力で身を翻し、幸彦の脇腹に回し蹴りをぶつけた。丸太に薙ぎ払われるような衝撃に襲われ、幸彦が廊下の横の壁に叩きつけられ、壁にヒビが入る。衝撃で揺らいだ視界には、次の一撃を叩き込まんとする呼音子の姿がぼんやりと映った。


「待って、ネコちゃん!!」


「ニャ……!?」


 ぼやけた視界の端から飛び出す、白い髪の人影。楓が呼音子めがけて突っ込み、その身を両腕で押さえ込んだ。


「駄目っ!! 落ち着いて!!」


「うぐっ……ニャああ!!」


「きゃっ……」


 叫びも虚しく、そしてただの少女では今の彼女の腕力に勝てるはずもなく、楓は暴れる呼音子に吹き飛ばされた。


「この野郎……ッ!!」


 十数メートル先まで転がされた楓の姿を見て、幸彦の怒りが急速に膨れ上がった。反面、視界は一気にクリアになり、猫耳の少女を確かに捉える。まだ楓に注意を向けている隙を逃さずに、低い姿勢のまま彼女目がけ飛び出した。


「ニャっ……!?」


 そのまま繰り出した低い斬撃に、反応が遅れた呼音子は文字通り足を掬われた。今度は空中だ、逃さない。


「捕まえ……たっ!?」


 瞬間、呼音子は体を捻って鋭く伸びた爪をこちらに向けた。正確に顔を、それも目を狙った一撃を幸彦が跳んでかわした隙に彼女は着地し、そのまま楓の横を通り抜けて階段の奥へ走り去った。


「撤退か……? 楓!」


 目的は不明だが、立て直す時間ができた。幸彦は楓に駆け寄る。


「無事か?」


「うん、ちょっと痛いけど転がっただけだから……それよりゆっきーは? 壁、すごいことになってたけど……」


「いや、ふらついたけど平気」


「えホントに言ってる? 元気の子過ぎない?」


 楓が目を丸くしてツッコむ。幸彦としては実際驚くほど軽傷で、嘘はついていないのだが。


「でも…………"化け猫"がネコちゃんだった、ってことなんだよね」


「まあ、あれ見たらな。信じらんねえけど、ほぼ確実にそうだろ」


「何で? ずっと嘘ついて、人間のフリしてた夜鬼だったの?」


「……そのへんは、よく知ってる奴がいんじゃねえの?」


 幸彦はそう言って、後ろを振り返る。視線の先にいた衆は何も言わずに俯いていた。


「お前、湖根が化け猫だったって知ってたんだろ?」


「………………はぁ。まあな」


 ため息の後、ようやく衆が声を発した。


「まあなじゃねえだろうが。いつからだよ。何で黙ってた」


「ちょ、ゆっきー落ち着いて……」


 声の荒くなる幸彦の肩を叩いて、楓がなだめた。


「1週間前。夜野暮用があって出かけてた時に、湖根さんが町外れで暴れ回ってたのを見かけたんだ」


 語りながら、カメラを握る手がかすかに震えていた。


「その時も耳と尻尾が生えてた。昨日見せた写真、ホントはオレが自分で撮ったやつなんだよ。それでどうしたら良いのか分かんなくなって、でもまずは湖根さんとちゃんと2人で話したいと思って」


「それで、離れて1人でネコちゃんを探してたんだ……」


 楓が続けた言葉に、衆は頷いた。


「今確信した。湖根さんが化け猫だ。だから正直さ、戦いたくなかったんだ。湖根さんと。だから──」


 続きを言いかけたその時、息が詰まった。


「それでカメラ、最初の一回しか使えなかったって? ふざけんな」


 幸彦が胸ぐらを掴んで、彼を無理やり引き寄せたから。


「お前が湖根のこと好きなのは構わねえよ。でもそのせいで迷って、秘密抱えて、身勝手な行動して……俺はいいよ。でもこうやって学校壊されて、楓まで怪我したんだぞ、お前のわがままで!」


「それは分かってる! でもどうすりゃいいんだよ! 戦えって!? 倒せって!? 湖根さんを!? オレには無理だ!」


 衆も怒号で返した。


「じゃあお前は出来んのか運辺! 大事な人を……例えばイラちゃんを、今井を傷つけろって言われたら、出来んのかよ!!」


「ちょっと、2人とも──」


 楓が見ていられず、割り込もうとした時。


「がっ!?」


 幸彦が、衆の頬に拳を叩き込んでいた。


「……何だよお前。反論出来ないから暴力か?」


 痛みを堪えながら幸彦を睨みんで、衆が言う。


「できる」


 その言葉に、幸彦はその一言だけを返した。


「俺が殴ってそいつの目が覚めるんなら、俺は大切な人だって殴る。じゃなきゃ、そいつを守れない」


「お前、何を──」


「いい加減腹くくれよ! お前、湖根が明らかにおかしくなってんのが分かんねえのか!」


 初めてだった。幸彦にとって、友達にここまで怒るのは。


「何が起きてんのかは分かんねえよ! でもお前が知ってる湖根は、平気でクラスメイトのこと傷つける奴か!? 違えだろ、きっと逆だ! だったら戦えねえなんて泣き言言うのが今やることか!? ぶっ倒してでもやめさせて助けてやるべきだろ、好きなら!」


「ゆっきー……」


「今のお前はな、湖根を守ろうとしてんじゃねえよ。やらなきゃいけないことから逃げてるだけだ」


 ようやく声を落ち着かせて、幸彦はそう言い切った。


「…………へっ。言うじゃん」


 手を離されて、衆も正面の幸彦を見据える。


「もしさ、もし湖根さんを傷つけて……殺しちまったりしたら、殺さなきゃいけなくなったらどうしようって怖かった。でも全部、オレのわがままだったな。湖根さんが何を望んでるかなんて、全然見えてなかった」


 湖根さんさ。衆はそう続けた。


「今度の陸上大会、みんなで見に来てくれって。優勝するからって、この前クラス中に言って回ってたよな。いつも騒いで動き回って、みんなのこと大事にしてて……そういうとこ全部、大好きなんだ」


 自分の頬をパンと叩いて、一呼吸する。


「そんな湖根さんが、こんなことするわけないよな」


 目を開く。そこに、頼もしい仲間たちがいる。


「助けたい。オレ、湖根さんのヒーローになるよ」


 ようやくか、とでも言いたげに微笑む仲間が。


 さあ、2回戦だ。


 


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