#5「化け猫」
「はよー」
後ろのドアを開けて、2年2組の教室に入る。今日は休日なので人はおらず、普段ならいくつもの他愛ない会話が交差するこの部屋も静寂に包まれていた。ただ一組の生徒たちを除いて。
「おー。来たな運辺」
「ゆっきーおはよー。あ、昨日の子も!」
教室の真ん中に4つくっつけて配置された席に着いていたのは、衆と楓、オカルト研究会の面々だ。楓が幸彦の後ろから入ってきたイラに手を振ると、彼女も小さく振り返した。
「おっ、皆さんお揃いですね。おはようございます」
今度は前のドアが開き、一同の視線は反対側へ向かう。このクラスの担任でもある安藤が幸彦たちとほぼ同時に教室に入り、窓際のカーテンを開いた。
「おはようございます!」
「おはざまーす」
衆と楓が挨拶を返すと、安藤は手帳と紙の束を教卓に置いてチョークを手に取った。
「では始めましょうか。幸彦くんとイラさんも座ってください」
「うす」
幸彦は頷くと、衆の隣の席に座った。
「この子、先生の前で普通に連れてて大丈夫かよ」
衆が小声で幸彦に尋ねる。
「ひとまず大丈夫。先生にはとりあえず、親戚を預かってるってことにしてる」
幸彦も安藤に届かないよう、耳打ちで答えた。
「そっかー、イラちゃんって言うんだ。可愛いね〜」
楓の隣の席にイラがちょこんと座ると、楓はそう言いながら彼女の頭を撫でた。
「あ! 名前わかるってことは、記憶戻ったの!?」
「ううん。なまえは幸彦が付けてくれた」
「そっかー……付けてくれたって何!? ゆっきー勝手に名前付けたの!? しかもなんで相談してくんないの!?」
「おま、声でか……しーっ」
楓ははっとして口を押さえ、ちらっと安藤の方を見る。安藤は随分時代遅れな昔のアイドルの歌を鼻歌で歌いながら、黒板にすらすらと文字を書いていた。
「っぶねえ……」
安堵しているうちに、安藤は黒板を書き終えて前を向き直していた。黒板には「オカルト研究会 第21回活動会議」の文字。
「かいぎ?」
「これからの活動方針を話し合うんです。一応部活ですからね。自称・部活に自称・部員に自称・顧問ですが」
首をかしげるイラに安藤が答えた。
「わかった。がんばる」
「お前は座ってりゃいいよ。じゃ、俺から一個」
幸彦が立ち上がると、教室の全員の視線が彼に集まる。昔はこうして注目を浴びるのは嫌いだったな──と、どうでもいいことを思い出しながら、口を開いた。
「昨日の深夜、イラといる時に夜鬼に遭遇した。夕方に倒した奴と似てて、イラが狙われて危なかったけど、とりあえず俺が倒しといたから問題は無えと思う」
「なるほど。『トラブった』と今朝言っていたのはそういうことでしたか」
幸彦の説明に、安藤は頷いた。イラも何も言わず、こくこくと幸彦に頷いている。さっき言っておいた通り、話を合わせてくれるつもりらしい。
「ほんと? イラちゃん、平気だった?」
「私は大丈夫」
そう答えるイラの頭を、そっかそっかー、と言いながら楓が撫でる。随分とお気に入りになったらしい。
「そうだ、衆これ。カメラ助かった」
幸彦は鞄から黒いカメラを取り出して、衆の手に渡した。
「はいよ。んで大変だったとこ悪いけど、また駆り出されそうだぜ」
「そうですね。皆さん、こちらを」
幸彦が座ると共に、全員が黒板を叩いた安藤の方に振り向く。彼が指差した先には、一枚の写真が貼り付けられていた。
場所は夜の住宅街。月光に照らされた人のような形の影が、一軒家の屋根の上から飛び立つようなポーズで写っていた。
「先週から、夜な夜な街を駆け回るこの人間大の影が目撃されているそうです。そして」
安藤はそう言って、写真の裏をめくる。もう一枚の写真が出てきた。
「え、なにこれ……」
ファンタジックな光景から一転して、今度はむごたらしい絵面の一枚であった。町外れのゴミ捨て場だろうか。ゴミ袋が破られ漁られ、周囲のコンクリートブロックもぐちゃぐちゃに散らかり、その上から出どころの分からない大木が覆いかぶさっている。まるで地震の後だ。
この"何らかの行為"に巻き込まれてしまったのか、小さな鳥の血を流した死体も横たわっていた。声を漏らした楓以外の三人も、息を飲んでその光景を見つめる。
「同じような事例が、4件ほど確認されています。どれもこの湊原第一高校の周辺ですね。さらに近くに居合わせた人からは、『猫のような鳴き声がした』との報告がありました」
「……化け猫、か」
幸彦が呟く。
ガラッ!!
「え、今猫の話してた!?」
「「「!?」」」
「ん?」
突然のドアの音と大声に、全員の心臓が加速させられる。驚きながら後ろを見ると、長い黒髪を四方八方に跳ねさせた制服の少女がきょとんとして立っていた。
「お、お前かよ……脅かすなよ湖根」
「ごめーん運辺くん。あれ、楓ちゃんたちも先生もいる。おはよー」
「おはようございます。湖根さん」
手を振られ、安藤は軽く一礼して返す。湖根 呼音子。猫のような変わった目で幸彦たちを見て、八重歯を覗かせ微笑む彼女は、彼らのクラスメイトだ。陸上部所属の活発な少女で、三人も安藤も暗い表情をほとんど見かけたことがない。
「あれ、その子は?」
「俺の親戚。イラ、クラスメイトの湖根な」
「うん。よろしく」
お辞儀するイラに、呼音子はよろしくー、と手を振った。
「みんな集まってどうしたの? 補習?」
「あー……うん、そんな感じ!」
慌てて楓が答える。オカ研のことは知られるわけにはいかない、という程でもないが、知られると色々面倒だ。
「それより、ネコちゃんは? 忘れ物とか?」
「んニャ。昨日水筒忘れちゃって……おっ、あった!」
クラスの女子がよく使うあだ名で聞かれた呼音子は頷くと、とある席の横にひっかかる青い水筒を見つけて飛びついた。
「衆くん、ちょっと横ごめんねー?」
「うぃっ!? はっ、はいぃ!!」
(……?)
週の座っている席であった。呼音子が断ると、急にずいぶんと静かになっていた衆は何故か慌てた声でたどたどしく返答した。
「よいしょ……じゃあニャー、みんな。お邪魔しましたー」
そうして慌てているうちに、彼女は水筒を拾ってそそくさと教室の外へ出て行くのだった。
「…………はぁーーーーー……」
「どしたの、衆」
呼音子が去った途端、肩の荷が降りたように息を漏らす衆に楓が尋ねた。
「あー。湖根のこと好きなんだっけ、お前」
「あー、なるほどー! や、にしても緊張しすぎじゃない?」
「うるせえな! 緊張するに決まってんだろ、あんな美少女近くに来たら! クソッ、またまともに喋れなかったし……」
何故か涙目になる衆。幸彦は半ば呆れ、楓はクスクスと笑いながらドンマイ、ドンマイと感情のあまりこもっていない励ましを繰り返していた。
「青いですねぇー。懐かしい……実は私も昔はモテてましてねぇ。異性二人に板挟みにされていたことも──」
「嘘乙」
「酷いっ!?」
語り明かす安藤の方を見ることすらせず、幸彦は一声で流すのだった。
「………………」
「イラちゃん? どうかした?」
「……尻尾。あった気がした」
「え、ネコちゃんに? 確かに猫っぽい子だけど……いやいや、流石に尻尾は生えてないんじゃない?」
「む……そうだね」
口では納得しながらも、イラは呼音子の帰った先をずっと見つめていた。
「では、ひとまず人災の報告はありませんから、本格的な捜索は明日の夜からで良いでしょう。今日はよく休んでください。特に幸彦くん」
「うっす。疲れてないけど」
昼前。一通りの話し合いが終わると、それではー、と安藤は前のドアを開けて去っていった。
「ふあぁ、さてと……じゃあ俺も行くわ。すぐバイトなんだよ」
「そっか。頑張れー」
「また明日ね、衆」
「おう。またなー、イラちゃん」
二人の声に答えると、衆も駆け足で次の目的地へ急ぐ。
「ばいと?」
「そ。働いてんだよ、あいつ」
言葉の意味を知らない、といった具合で尋ねたイラに幸彦が答えた。
「学校も、お仕事も……? たいへん……」
「家が、あんまりお金に余裕無いんだって。そうだ、ゆっきーは一人暮らしなのにバイトしないの?」
「高校のうちはやりたくねえな。遺産でなんとかする……って言いたいけど、イラもしばらく一緒に住むならちょっと考えないといけねえかも」
高校3年間、"普通の生活"ぐらいは送れると見積もりが取れてはいるが、一人暮らしが二人暮らしになればそのまま暮らしていけるかは分からなかった。
「……わたし、やっぱり迷惑?」
「いや……気にすんなよ一々。成り行きだろ」
「でも」
「だいじょーぶ!」
申し訳なさそうに聞くイラと、答えにくそうな幸彦の間に、すぐさま楓が割って入った。
「確かにゆっきー、ぶっきらぼうだし目つき悪いし髪色もガラ悪いけど……」
「おい」
「でも、困ってる人は絶対見捨てないよ!」
ね、と幸彦の方を向いて、また口を開いた。
「私は、あんまり親と上手くいってなくてさ。私も衆もゆっきーもそれぞれ色々抱えてて……それもあるのかな、仲良くなれたのは」
「みんな、こまってた?」
「だな。去年オカ研作る時に約束したっけ、"しんどいことは分け合おう"みたいなの」
「したした。だからね」
言いながら、楓の手がイラの頭に触れる。白く柔らかい指は幸彦のそれとは違った温もりがあって、イラの頬が無自覚に緩んでしまった。
「イラちゃんのことも、みんなで何とかするから! 安心してね」
「…………うん。楓も衆も、良いひと」
イラは微笑んで、静かな声で呟く。
教室のチャイムが鳴った。『本格始動』──そんな言葉が、何故か幸彦の脳裏に浮かんだ。