#2「ひとりぼっち」
「………………?」
涼しいそよ風が頬を撫でるのを感じて、少女は目を覚ました。
「あっ、起きた? 大丈夫?」
少女の顔を覗き込んで、楓が言う。廃墟で気を失い倒れていた少女を幸彦が背負って近場の公園に運び、ベンチに座らせていたのだった。寝ているだけだと思われていたのか、通行人には対して怪しまれずに済んでいた。
「…………」
「あれ? あのー……」
「あっ。日本語喋れないのかも」
返事がなくて困る楓に、横から衆が言った。
「…………私、は……?」
「日本語喋れるのかも」
「どっちだよ」
一瞬で主張を変える衆に、幸彦が横で突っ込んだ。一方の少女は、周りをキョロキョロとしたり、自分の着ている白いワンピースをじっと見たりしている。
「廃墟で倒れてるの見つけたから、ここまで運んできたの。怪我はしてなさそうだったけど……痛いところ無い?」
「……」
楓の質問に答える代わりに、少女はこくりと一回頷いた。
「そっか……おうち、この辺り? 送ってくから教えて?」
優しく微笑んでそう尋ねる楓に対して、しかし少女は首を振った。
「……無い、家」
「え……」
「無い……家……名前も、わからない。何も、わからない」
少女は独り言のようにぽつぽつと言う。
「何も覚えてない……ってこと?」
少女がまた頷く。見たところ手ぶらで、手がかりになりそうな物も持ち合わせていそうにない。
「…………じゃあさ」
重たい空気の中、衆が切り出した。
「とりあえず、今日は誰かの家で預かろうぜ。明日休日だし、また朝集まって考えるってことで」
「家? 警察とかじゃなくていいの?」
「警察でもいいけどさ……こんな記憶喪失? みたいな状態じゃ、どうなるか分かんないだろ? 本人も不安だろうしさ。そのへんどうすべきかも含めて、明日考えよう」
衆は少女の方をちらっと見ながら、そう言った。
2人のやりとりを、少女がぼーっと眺めるだけ。
「……あっ、ごめんね勝手に決めて。帰るところがないなら、とりあえず今日は私達の家で泊まってもらおうと思ったんだけど……どうかな?」
「…………うん」
少女は愛想のない真顔のまま同意した。
「ホント? ありがとね!」
「とは言ったけど……言い出しっぺなのに悪いんだけど、オレんちはちょっと厳しいな。年頃の女の子泊まらせられるような家じゃねえし。今井んちは?」
「え…………あー……ごめん。うちは……ちょっと、ね。嫌な思いさせるかもだから」
「あっ……ごめん」
「ううん」
何かを思い出して謝る衆に、楓はいいよいいよ、と手を振った。
「でもそうなったら、後は……ゆっきー? さっきから喋らないけど–––って」
「……………………すー」
楓が顔を覗き込むと、幸彦はベンチに座ったまま寝息を立てていた。喋らないのではなく、喋れない状態だったらしい。
「寝落ちで会議不参加……今井議長、これは」
「ふむ。そうじゃな」
「?」
2人が顔を見合わせて同時に頷くのを見て、少女はきょとんとするのだった。
『……ってわけだから、ゆっきー後はよろしく! あ、絶対ないと思うけど、変な気起こしちゃダメだからね!』
「………………どういうわけだよ!!」
数分後。目覚めた幸彦は、スマホの連絡アプリに残された楓のメッセージを聞くと、そのまま怒り任せにスマホを地面に投げつけた。彼女と衆はいつのまにか去っていた。
「確かに寝落ちしたけど……俺んちで泊めろって。流石に相談しろよ。てか起こせばいいだろ」
土の地面に垂直に突き刺さったスマホを引き抜きながらぼやき、幸彦はベンチに座り込んだままの少女の方を見た。
「一人暮らしだし、ダメではないけど……お前はいいの? それで」
「うん」
「うっわ、そこはヤダって言って欲しかった」
「…………」
「あ……じょ、冗談! 悪かったよ」
冗談混じりに言ったつもりだったのだが、少女がしゅんとするのを見て幸彦は慌ててそう返した。
「行こうぜ」
幸彦が手を差し出すと、少女は頷いて小さな手を伸ばし、掴んだ。
「あれ、何?」
「何が?」
「黒い、巨人」
帰り道を歩きながら、少女が尋ねた。
「あー……え? お前あいつ見えたの?」
「見えた……うん。それで、襲われた」
「まあ、夜鬼の声聞ける楓がいるんだから見える人もいるか……てか、襲われたって」
幸彦は、先刻の夜鬼の鈍重な攻撃を思い出した。よくあれに襲われて生きてたな–––そう思いながら。
「危ねえから、もう人気のないとこと怪しいとこには行くな。俺たちが行ってなきゃ大怪我してたかもしれないだろ」
歩道橋を上がると、幸彦の家が遠くの方に見えた。下ではたくさんの車が、夕陽に向かって吸い込まれていくように走り去っている。
「あなたは、どうして?」
どうして、あそこに? そう聞きたいのだろう。
「俺は……俺らは、活動だよ。課外活動」
「か……がい?」
「俺らが勝手にやってるだけだけどな。ああいう連中……夜鬼って呼んでんだけど。あれ、普通の人には見えねえし、声も聞こえねえんだよ」
「……見えないのは、こわい」
「そ。警察とか呼んでも本人たちが見えないんじゃ仕方ないし……だから、ある程度認識できる俺たちで倒す活動してんだ。知ってて放っておくわけにもいかなくてさ」
「でも…………あんなのが見えてて、立ち向かうのは……もっと、こわい」
他人事のようにそっけなく語る幸彦に、少女はそう返した。
「…………」
足を止めてその言葉を聞いていた幸彦は何か言うでもなく、また歩き出す。だが、少し歩くとまたすぐに立ち止まった。
「……そうだ。ちょっと寄り道いいか? すぐ終わるから」
「?」
きょとんとする少女を横目に彼が入って行ったのは、一軒の花屋だった。
人の声も車の音もしない、静寂に包まれた墓場。足の道を踏み進む2人の足音だけが、そこに繰り返し鳴り響いた。日が沈みきり、辺りはもう夜の闇に覆われようとしている。
「あったあった。暗いと見づれぇな」
幸彦は道の途中で立ち止まると、その横に並ぶ小さな墓石をスマホの光で照らす。
墓には"運辺家ノ墓"と、そう書かれていた。
「これ、は?」
「墓。俺の父さんと、母さんの」
幸彦はそう言うと、先程店で買った花を袋から出し、墓の横に添えてある枯れかけた花と交換し始めた。
「墓……って?」
「あー、そっからか。まあ簡単に言うと……死んだ人がここで眠ってるんだよ。俺の両親が」
「死んだ、人」
繰り返しながら、少女は墓石を見つめている。夕方より更に冷たくなったそよ風に、不思議な寂しさを感じながら。
「……ひとりぼっち?」
そして、少女が呟いた。
「あなたも、私も…………ひとりぼっち?」
そう問いかけた声は、震えていた。
「…………」
幸彦はその不安げな顔を、何も言わず眺める。
どうしてか、不意に過去の自分が脳裏によぎった。両親が死んだ日、嗚咽を漏らしながら見上げた部屋の鏡に映った自分。光の無い目から涙を流していた自分。
「……ひとりじゃない」
幸彦は、少女の頭をそっと撫でた。ひとりっ子だが、寂しさに涙をこぼす幼子の慰め方を知っていた。かつて、そうやって悲しんでいた自分自身がいたから。
「俺がここにいる。ひとりじゃない。ひとりぼっちの人間なんかいないんだよ。だから–––」
そう続けようとした時。
「–––ッ!?」
自分の第六感を褒めちぎってやりたいと、幸彦は思った。一瞬の判断で少女を抱え、後ろに跳んで滑り込んだ。
直後。大地が割れた。
「!?」
「夜鬼……またかよ!」
見えないし、聞こえない。だが夕方と同じく、直感で夜鬼の存在を感知した幸彦は、襲撃を回避するために少女と共に跳んだのだった。
「鬼……同じ! 三つ目、の……!」
「三つ目!? クソ、見えねえと話に……」
衆がいなければ、カメラで夜鬼を撮ってくれなければ戦いようがない。電話で呼び寄せるために、鞄に手を突っ込んでスマホを探した。
「…………?」
その最中、鞄に入れた覚えのない四角く固いものに手が当たる。まさか–––幸彦は素早くそれを鞄から引き抜いた。カメラであった。
『緊急用に貸しておく。何かあったらお前がその子を守れ! 衆』
カメラには、そう書かれた付箋が貼られていた。
「あいつ……だぁーもう! 最高だ」
幸彦は衆の見様見真似で電源を入れ、撮影モードにして素早くカメラを正面に構える。
「!!」
レンズが捉えたのは、拳を振り絞って殴り掛からんとする黒い巨人の姿であった。
「っべ……!」
幸彦は慌てて少女を左へ跳ね飛ばし、反発力を利用して自分も右に跳びのいた。2人が一瞬前までいた場所に、剛腕の一撃が降りかかる。
ゴォォォォォォン!!!
「こいつは……さっきと同じ? いや……」
跳びながらシャッターを切っていたことで、地面に拳を叩きつけた夜鬼の姿が露わになった。先程のと良く似た、筋肉質な三つ目の黒い巨人。だが今度は額ではなく、口があるべき場所に第三の目がついていて口は無い。類似しているが違う夜鬼だろう。
(2人を呼んでる暇はねえな……俺1人で何とか出来るか?)
ひとまずシャッターを切りまくり、できるだけ弱体化を–––そう思い、幸彦は再びカメラを構えたが。
画面には何も映らない。否、映していなかった。
「電池が……クソ、やっぱ微塵も最高じゃねえ!」
「…………!」
口が無く喋れない巨人だが、沈黙しながら立つその姿は逆に夕方の個体以上の威圧感を放っている。そんな巨人を、カメラによる弱体化無しで倒す。
出来るのか–––?
「!!」
幸彦に焦りが生まれたと同時に巨人は威嚇のつもりか、横の墓石を足で強く蹴飛ばした。粉々に砕けた石が辺りに飛び散っていく。
「てめえ……!」
運辺家の墓石ではなかった。だが死者への侮辱を目の当たりにした幸彦は激しく憤る。
そんな幸彦に一瞥もせず、巨人が続けて目をつけたのは。
「あ……!!」
少女だった。幸彦に押された後倒れた少女は、立ち上がれていないままの姿勢で、歩み寄ってくる巨人を前に声を上げる。まるで巨大な壁。それも触れた瞬間即死する、そんな死の壁が迫ってくるような感覚に恐怖した。
「そいつに手え出すな!!」
鞄に近づき木刀を取り出していた幸彦は叫んで駆け出し、巨人の左膝に鋭い一太刀を浴びせる。
だが、巨人はびくともしなかった。
「な……ぐあっ!?」
驚く幸彦を、巨人は左腕で振り払った。そして再び、少女に向き直る。
「くそっ……このデブ野郎!」
幸彦は近場の石ころを一つ握ると、そっぽを向いている巨人の顔めがけて思い切り投げた。視界の端に映る石に気付き振り向いた巨人の左目に、石ころが鋭く突き刺さった。巨人はその瞬間強く目を押さえ、苦しげに仰け反った。
「こっち見ろ……俺と戦え!」
「…………」
だが、それでも巨人は幸彦から排除しようとはしない。目を押さえるのをやめ、再び少女に向かって歩き出すのを見て、幸彦も慌てて彼女を助けんと駆け出した。
「きゃっ……!?」
しかし、遅かった。巨人は少女の胴体を巨大な右手で握り。幸彦が彼女に差し出した腕をかわして彼が届かない高さに掲げる。
「クソが……離せ馬鹿!!」
幸彦は吐き捨てるように叫ぶと、再び足に木刀を叩きつけようと走り出す。
「この……うあぁっ!?」
「あぁ……!」
だが、先に巨人が左足の蹴りを繰り出した。先程とパターンの違う突然の攻撃をかわしきれず、幸彦は木刀でその蹴りを受ける。衝撃を受け止め切ることができず、数メートル後ろに吹き飛ばされ、背中から地面に激突した。
「ゲホッ……」
衝撃で思わず咳き込む。強い。夕方の個体よりも、明らかに。そう確信させられても、それでもまた立ち上がり、幸彦は木刀を構えて高く跳んだ。
「!!」
頭に一撃叩き込もうとした、その時。巨人の目が赤く光った。
「なっ!?」
木刀を振り下ろそうとした幸彦の腕は、動かなかった。否、腕も全身も、動かせなかった。
「金……縛り……!?」
「!!!」
空中で幸彦を無力化した巨人は、そのまま右の拳を彼の腹に勢いよく叩きつける。
「うぶっ…………がっ」
今度は防御もできずまともに食らい、幸彦は石の地面に叩きつけられた。
「……ッ」
「ああ……あああ……!!!」
少女の嘆くような声が、とてつもなく遠くからするように感じた。衝撃でくらくらする、などという程度ではなかった。ほんの少しでも意識が残っていることが不思議なくらい、幸彦の意識は朦朧として、何も考えられずにいた。
「……俺……が、守–––」
そう言いかけたその時。
「…………ああ……!」
頭から血を流した幸彦は、動かなくなった。