#14「強襲」
「ね。ちょっと脅かしてやってよ」
「?」
踵を返し、廃墟を後にしようとしたその時。先ほどの女の声が、再び幸彦の耳に届いた。
そして気づく。音が響いている。ごごごごと、何かが溢れ出してきそうな音。
「……なーんか、嫌な予感」
幸彦は独りで呟きながら、自らの四方を囲む色褪せたコンクリートに目をやった。右ではない。左でもない。上でもない、なら。
「下か!?」
予測は、すぐに確信に変わった。何かが湧くようなその音が近づいてくるにつれて、それが迫ってくる方向も正確に把握できるようになってきたからだ。
そうだ。やはりこの音は、下から近づいている。幸彦はすぐさま走り出して廃墟を離れ、外の土の地面に着地した。
「……!!」
それと同時に、廃墟の床が爆発した。文字通り勢いよく爆散して、煙を上げながら、コンクリートが四方八方へ飛び散ったのだ。
その煙の中から、何者かが這い出てきた。幸彦の目には見えないが、しかし直感でそれが分かった。
そして"直感で存在を悟る"その時点で、その何者かの正体は一つに決まっていた。
「昼間っから現れやがって。お呼びじゃねえよ」
今やもう、遭遇しても大して驚かなくなった"それ"に向け、幸彦は言い放った。
(何とか出来るか? 俺一人で……)
夜にばかり出現してきた夜鬼が、こんな正午近くにいきなり現れた。その上、衆がいないせいでその姿を拝むことすら出来ない。だが、放置しておくわけにはいかない。幸彦は意を決して、背中に刺した木刀を抜こうと手を伸ばした。
「…………あっ」
その手は、空を切ってしまったが。
「やべ……没収されたんだった……」
灯台下暗しというべきか、失って初めてそのありがたみに気付くというか──今の気持ちを代弁してくれる言葉を、幸彦が脳内で探している間に。
「ちょ、タンマ!!」
見えず聞こえないが、直感で分かった。だが対処法が無い。ので、ひとまず叫んだ。
目の前の夜鬼が、幸彦目掛けて先制攻撃を仕掛けてきたから。
まるで突然猛獣に襲われるかのように、一方的に殺意をぶつけられたから。
「やべえッ……!」
蜘蛛がカサカサと迫るような幻聴が聞こえ、思わず足がすくんだ、その直後。
視界が真っ白になって、幸彦はそのまま意識を失った。
「………………うがっ!?」
一瞬の暗転の後、幸彦は何かに激突した。
何だ? 刺されて、眩しい光が差して、その後どうなった? わけがわからないまま、ゆっくりと体を起こす。何だか、柔らかいものが下にある。丸みのあるフォルムで、何やら温かくて──
「ゆき、ひこ……?」
間近で少女の声がした。急いで顔を上げる。見知った顔。同居人の顔。目の前に、イラの困惑した顔。どうしてか、ソファに寝転ぶイラの上に寝転ぶ自分。
「どわあああああっ!? あっ、えと、えっ……あ、ご、ごめんっ!! なんかごめん!! よく分からんけど!!」
「……ん。だいじょぶだから」
パニックになって土下座し始める幸彦に、イラは困りながらそう声をかけた。
「ちょっと、びっくりした。幸彦、そうやっておうちに帰るんだね」
「うち?」
言われて、急いであたりを見回す。見慣れたソファ、テーブル、テレビ。1秒で自分の部屋だと、自分の家だと気付いた。
「なんで……さっきまで外だったのに」
安藤がまた何か仕掛けていたのだろうか。武器のない幸彦らが万が一、夜鬼に襲われた時のために、と。だとしたらますます、彼のことが分からない。休部だの、夜鬼のことに手を出すなだのと言っておいて、こんなふうに幸彦が無茶をした時のために、完璧な備えをしているなんて。まるで──
「幸彦、怪我してる」
イラの言葉で、幸彦は物思いから帰って来た。確かに頬に痛みがある。あの夜鬼の攻撃が、ワープの直前でほんの少しかすったのだろうか。
彼女が頬の傷口に手をかざした途端、痛みが引き始め、ジンジンと疼いて血が溢れ出す嫌な感じが消えた。
「…………ごめんなさい。ちゃんと治らないみたい」
応急処置は完璧に済んだが、傷跡がはっきり残ってしまった。封印を施されたせいで、イラの治癒能力も半減しているらしい。
「気にすんなよ、ありがと。もう一回出掛けてくるわ」
幸彦はそそくさと玄関に向かう。"夜鬼が出た"、とは言わないようにした。言えば、きっと彼女も付いてくるから。
早く楓と衆に伝えないと。幸彦の木刀は無いが、楓の鈴と衆のカメラは没収を免れた。勝算はあまり無いが、それでも3人が揃えばやりようはあるはずだ。
意表をつかれたが、探し物が向こうからやってきたとも言える。上手く奴を倒せれば、あるいは──。
「幸彦」
そんな考え事は、すぐに中止された。
「私も行く」
「力、出せないんだろ。危ないから今回は任せとけよ」
「でも、それは幸彦たちも……」
「俺たちで何とかしなきゃいけねえんだよ。すぐ帰ってくっから、な」
そう言って、少し力を入れて彼女の手を振り解く。寂しげな目の彼女にごめん、とだけ言って、ドアを開けた。
彼女に頼るわけにはいかない。オカ研三人の力で夜鬼を倒して、自分たちが夜鬼と対等に戦えると示さなければならない。いざとなったら自分たちがイラを止められるという担保になれなければ、彼女を自由にしてやれない。
彼女のためにも、あの手は振り解かないといけない。
アパートを後にしようとした時、ふと隣の部屋の表札が目に入った。"安藤"という文字が。
「……これも、アンタの予想通りかよ」
バツが悪そうにそう言い捨てて、幸彦は歩き出した。