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天使ノ涙  作者: ニコネコ
1/15

#1「天使が堕ちてきた日」

 "無力"というのは、あの日の俺のような奴を言うんだろう。


「………………!!」


 部屋中から漂う血の匂いを、押し入れで必死に息を殺しながら嗅いでいた。文字通りの"必死"。気付かれたら終わる。そう思って、吐き気がする悪臭に耐えながら息を潜めた。


 悪魔の足音と笑い声が家の外へ遠ざかっていき、何時間も経ってからようやく押し入れの外へ出た。


「…………母さん」


 さっきまで母親だった血塗れの肉塊に、俺は喋りかけた。返事はない。


「………………父、さん?」


 震える足をどうにか前に進め、奥の台所に寝転がる肉塊にも目を向けた。頭すら無い肉塊に。首無しのその死体を見てようやく、俺はこれが現実なのだと知った。"悲しみ"ですらなかった。心をグチャグチャに握りつぶされていた。


「……………………ごめん……ごめん……ごめん……ごめん……ごめん……」


 小学校を卒業した日。家族が揃った最後の写真を撮った日に、俺は大切なものを奪われた。






 5月。県立・湊原第一高校、2年2組の教室。


「……っ」


 ゆっくりと目を開き、突っ伏していた机から顔を上げる。一粒の涙が机に滲み、夕陽に照らされていた。


「…………あの日の夢か」


 何度見たかわからない悪夢から目覚めた金髪の少年は、呟いて立ち上がり、他に誰もいない教室であくびをした。


「ゆっきー? ほら、やっぱ寝てる」


「あホントだ。よっ、運辺」


「あー……(かえで)。と、(しゅう)


 まだ眠気の取れないまま、ゆっきーー運辺(はこべ) 幸彦(ゆきひこ)は声に反応した。


「ふぁ……今何時?」


「ねぼすけさんめ。見なさい、ほら」


 そう言って白いポニーテールをなびかせる少女──今井 楓が差し出したスマホの画面には、"17:15"の文字。


「やっべ、ちょっと寝過ぎた」


「頼むぜー? オカ研のバトル担当なんだから」


「ごめんって……」


 黒髪の少年──岬 衆に頭をグリグリとされて、幸彦もようやくしっかりと目が覚めてきた。


「大丈夫? 明日にしとく?」


「や、平気。行こうぜ」


 一回伸びをすると、幸彦は鞄を持ってドアから出ていく。二人も後について行き、教室には静寂だけが居残った。






「今日の"夜鬼(やき)"は? どんなのだっけ」


 校門を出てすぐの横断歩道の前に立ちながら、幸彦が楓に尋ねた。


「三つ目の巨人だって。湊原二中の近くの廃墟で出没して、生徒が何人も大怪我させられたらしいよ。殺された人はまだいないし、生徒は当分廃墟に近寄るなって先生に言われてるらしいけど」


「中学生がみんな言いつけ守るとは思えねえもんな……いつ犠牲者が出てもおかしくない、か。オッケー、分かった」


 楓の解説に、しかし幸彦はそっけなく返すのだった。同時に横断歩道の信号が青に変わり、道を遮る車の群れが止まると、3人は歩き出した。


「毎度適当な返事だなー。怖くないの? 戦うのは運辺じゃん」


 どうでもよさそうとも取れる幸彦の態度に対して、衆が突っ込んだ。


「まあ……ビビってても仕方ねえからさ。どうせ詳しい情報は無いんだろ、今度も?」


 幸彦は再び楓に尋ねる。


「まあね。やっぱり"夜鬼"は見えないみたいだね、普通の人には」


「だよな。みんな存在も知らないし、"夜鬼"も俺らが勝手に呼んでる名前だし」


 角を右に曲がると、数百メートル先に目的の廃墟と中学校が見えてきた。


「んで、そうやってみんなの知らないとこで未知の敵と日々戦ってんのが、オレらオカ研だろ? くぅー、かっこいいねぇやっぱ!」


 衆は一人で盛り上がり、しゅっ、しゅっ、とヒーローのパンチのような動きをする。それに呆れて幸彦はため息をついた。


「別に、ヒーローごっこがしたくて活動してるわけじゃ──」


 そう言おうとした、その時。




「…………!」




 3人の横を早足で通り過ぎて行った、空色の髪の小柄な少女。視線が、意識が、あるいは心が、引き寄せられるようだった。気づくと幸彦は、歩いていく彼女をじっと見つめていた。


「ゆっきー?」


「……あっ」


 楓の声かけで、ようやく我に帰る。左を向くと、彼女がきょとんとした顔で幸彦を見ていた。


「何? お前あの女の子見てたの?」


「違っ……見てない」


 幸彦はその言葉をすぐさま否定したが、衆の小馬鹿にするような表情は変わらない。


「あっ、あの子? まだ小学生じゃない?」


「だよな? やいロリコン」


「ロリコンー!」


「だぁー、うるっせえな子供かよ! 見てねえって」


 そう言っても尚2人がクスクスと笑うので、「ったく……」と幸彦は諦めて、苛立ちを掻き消すように足踏みを強くして歩くのだった。


(…………なんで、あんなに目が離せなかったんだ……?)


 小さな疑問を、頭の片隅に残しながら。






 湊原二中付近・廃墟。


「……よし」


 制服の上着を脱いで鞄に詰めると、ワイシャツとズボンの姿になった幸彦は廃墟に一歩踏み込む。その右手には、一本の木刀が握られていた。


 砕けたコンクリートと土が混じった地面を踏みしめてボロボロと足音を鳴らすと、2人も追従して廃墟へ入っていった。高い建物だが、2階と3階は床が抜け切っていて、事実上の一階建てになっている。あたりにはヒビの入った柱や壁が見られるが、今にも崩れ落ちそうというわけでもなさそうだ。


 そしてその最奥に、"それ"はいた。


 全身に走る悪寒と、ほんの少しの恐怖感。そして警戒心。幸彦は己の第六感的な部分で"それ"を感じた。


「いる。衆、カメラ」


「はいよ」


 衆は幸彦の言葉に答えると、古びたカメラを鞄から取り出して正面に構えた。


「私も聞こえたよ。正面のちょっと左」


「オッケー……よし、捉えた」


 『聞こえた』と話す楓の指示通りにカメラを左に向けると、黒い人型の巨影がレンズに映った。だが、衆の肉眼の視界には何も映っていない。彼はカメラの中にしかいない"それ"をレンズに捉えたままシャッターを切る。焚かれたフラッシュが眩しかったのか、巨人はとっさに右手で顔を覆った。


「…………ヴ……」


 撮影した直後、そんな呻き声がした。衆がカメラを下ろすと、そこにはレンズに映った巨人が実際に現れていた–––否、見えるようになっていた。筋肉質な背丈四メートルほどのその巨人は、人間と同じ位置にある両目の上、額に第3の目を宿し、三つ目で3人をじっと見つめている。


「しっかし不便だよな。こうやって一回撮影しなきゃ、運辺は直感、楓は聴覚、オレはレンズ越しの視覚でしか認識できねえってさ」


「撮れば見えるんだからいいだろ」


 愚痴る衆にぶっきらぼうに言い返すと、幸彦は鞄を置いて、右手に握っていた木刀を両手で構えた。


 敵との対峙。高鳴る胸の鼓動を、耳と身体で感じる。ゆっくりと額を流れる汗を感じながら、ぐっと緊張感を噛み締める。深呼吸を一つ挟み、そしてまた息を吸う。


「……やるぞ。サポート頼んだ」


「おう」


「うん!」


 衆と楓の自信に満ちた返事を聞くと、幸彦は少しだけ微笑み──。




「…………ッ!!!」


 驚異的な速度のダッシュで間合いを詰めた。その勢いのまま、すぐさま反応し右足を蹴り出してきた巨人に対して、彼は構えた木刀を正面から叩きつけた。巨木のような足の鈍重な一撃と木刀のしなやかな一太刀がぶつかり合い、空間が揺れるような衝撃を辺りに引き起こす。


「ぐあっ……っと」


 力負けした幸彦は木刀ごと吹き飛ぶが、両足と木刀の先端を地面にがっちりと沈ませ、踏ん張って壁にぶつかる直前で持ちこたえた。巨大な足に叩きつけられてなお、木刀にはヒビ一つ入っていない。


「へっ……バーカ、正面から脛ぶつけやがって」


「グッ……グオオオオオ!? オオオッ…………」


 逆に大ダメージを受けたのは、より攻撃力があると思われた巨人の方であった。鋭い一撃を真正面から受けた脛が相当痛むのか、巨人は片膝をつき右足の脛を抱えて唸っている。


「そのまま止まってろッ!」


 動かすにいる巨人に向かって再び突っ込むと、幸彦は更に頭めがけて跳び上がり、木刀を頭上に構えた。巨人は顔だけ反応してこちらを向いたが、体は防御の準備も反撃の準備も出来ていない。上回った、叩ける–––幸彦がそう感じた時、しかし。


「ヴオォォォォォォォン!!」


 分厚い咆哮と、直後の鋭い音。


「が……熱っ……!?」


 巨人の額の目から突如放たれた赤い光線が、幸彦の左肩に突き刺さった。貫通こそしなかったものの、服も肌も焼かれ、痛みに思わず体制を崩しかける。


「ゆっきー!」


「っ……あのナリでビームかよ!?」


 思わぬ攻撃に動揺しながら、なんとか着地して正面を見据える。


「!?」


「ヴォ……!」


 だがその時すでに、巨人は追い討ちをかけようと右の拳を後ろに引き、殴りかかろうとしていた。幸彦の頭だけはその状況を理解できたが、体が回避行動を取るのは間に合わない。大ダメージと激痛を覚悟した時。


 チリィン……。


「ァ……?」


「ほら!! こっちこっち!!」


 鈴の音が廃墟の空洞の中に鳴り響いた時。巨人は殴るのをやめ、何故か右を向いた。


「楓……!」


「よ、よーし! いいよ、来い来い来ーい……いや嘘!! やっぱ来ないで!!」


 鈴を鳴らしたのは楓であった。彼女の右手に握られた手のひら大の鈴の音に反応して、巨人は彼女の方へどしんどしんと歩いていく。ビビりながらも一定の距離のまま後ずさる楓だったが、突然背後の壁に接触した。


「ぴょー!?」


「ヴオォォォ!!!」


 驚いて変な声を上げた楓の元へ、巨人は突然スピードを上げて走り出す。だが、その直後。


 パシャ! パシャパシャパシャパシャ!


「ヴ……ヴォ!?」


「……サービスシーンもーらい。ほら、もっと顔向けて顔」


 今度は衆のカメラのシャッター音だった。一発目を聞いて振り返った巨人に、続けて更に三発。今度はフラッシュを焚いていないが、なぜか巨人は顔をしかめて怯んだ。


 パシャパシャパシャパシャ!


「ヴァアアア!! ヴァ……グ、グオ……?」


 更に4枚撮影。煽られていると感じたのか、巨人は声を荒げて今度は衆の方へ走る。


 だがその怒号はどうしてか、困惑の混じる疲れ切ったようなうめき声に変わる。そして衆の元へたどり着けないまま、巨人は息が上がって膝に手を置き、立ち止まってしまった。


「へっ、ビックリしたか? こいつに撮られた夜鬼は力が弱まるんだぜ……理由はわかんねえけど」


 巨人に丁寧に説明すると、衆は運辺! と声を上げる。


「今だ! やっちまえ!」


「ゆっきー!」


「グォ!?」


 巨人は危険を察知し、背後を振り返る。だがそこには既に、空中で木刀を頭上に構える幸彦の姿があった。


「ヴオオ……オオ!?」


「サンキュー。よし……"気合"入れるか」


 巨人が狼狽えている間に幸彦が言う。そしてその手に握る木刀の刀身が、赤いオーラを纏った。その破壊力を何倍にも増した木刀を、離さないようがっちりと握りしめ–––


「…………ぶっ潰れろ!!!!」


 幸彦は、巨人の頭に思いっきり叩きつけた。


「グオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」


 地を揺るがすような衝撃。渾身の一撃。巨人の頭が割れ、そこから黒い煙のようなものが激しく吹き出した。


「グオ……ウオオオオ……」


 頭が、そして体全体が黒い煙となっていき、やがて巨人は跡形もなく消滅し、後には幸彦1人が立っていた。


「……終わりか」


「運辺お疲れー!」


「ゆっきー! ケガしてない!?」


 呟いた幸彦の元に、衆と楓も駆け寄ってきた。


「おう、平気。ワイシャツ逝ったけど」


 穴が空いたワイシャツの右肩を指差して言う。


「さてと……」


『ホントに行くんですかぁ? 先輩ぃ……見えない妖怪がいるって噂ですよぉ』


『当たり前だろ。そんなもんいねえって証明してやらぁ』


 一休みしようかと思ったその時、入り口の方から声が聞こえてきた。何者かが数人、会話を交わしながらこちらに向かってきているらしい。


「あれ、二中の生徒かな?」


「だろうな。出くわす前にさっさとずらかるか」


 幸彦はそう言うと、さっと鞄を持ち上げた。噂を聞きつけて度胸試しでもしに来たのか、退治したこっちの気も知らないで。こぼれかけたそんな愚痴を喉の奥にしまい込み、反対側の出入り口から外へ去ろうとした、その時。


「…………!」


 視線が吸い寄せられるような感覚。気がつくと幸彦は左奥を見ていた。


「おーい、運辺?」


 衆に呼ばれて初めて、幸彦は自分が方向を変え、建物の左奥の方へ歩き始めていることに気がついた。そして、最奥。建物の隅へ辿り着く。


「ゆっきー? ねぇってば」


「……いる」


「?」


「人がいる!」


 幸彦の声にはっとして、2人も慌てて彼の方へ駆け寄った。


 見ると、積み上げられた瓦礫の裏側に、1人の少女が横たえられていた。手前の瓦礫に隠れて、先ほどまでは見えていなかったのだ。


 楓が少女に近づき、その体を仰向けに直す。


「あれ? この子どこかで……」


 どこかで見覚えのある空色の髪が揺れ、顔が見えた。


「……!」


 幸彦ははっとして気付く。


「そうだ……さっきすれ違った、あの子だ」

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