第壱章3 「絶望的希望」
「京都に…出陣…?」
軍長に集められ唐突に話された京都出陣の内容に戸惑いを隠せず、思わず言葉にしてしまった彼の名前は宮野 空。兵団学校で実力をみこまれ、今年の春に新人としては異例だが天野家直属護衛軍へ配属された。
彼は英雄ではない。頭の良さも腕っぷしも上位とは言え、結局一般兵の枠を出るものではない。さらに兵士としての経験もほとんどない彼にとって突如言い放たれた『京都に戦争に行け』という命令は到底、はい分かりましたと納得できるものではなかった。
どうして日本一安全な京都へ?主君は謀反でも起こそうとしているのだろうか?
意味が分からない。怖い。意味が分からない。怖い。意味が分からない。怖い。意味が分からない。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。
気付けば空の感情は恐怖に染まっていた。実のところ意味などどうでも良かったのだ。何のために戦争に行くかなど一般兵の空にとっては関係がない。それを知ったところで抗うこともできないし、大賛成したところでその声は周りの数人以外に届くこともない。
空の心を塗りつぶすのに必要な感情は怖いだけで十分だった。真剣による人と人との殺し合いの中に自分も参戦しなければいけない。それだけで十分だった。まだ若い空を動けなくするほどに心を恐怖で染め上げるには…。
ついには空は足が震えて立っていられなくなりしゃがみこんでしまった。しゃがんで周りを見てみると意外なことにそんな兵士は大勢いた。結局みな命が恋しいのだ。兵団内でどんなに主君に忠誠を誓い。いつでも命を投げ捨てられると言ってるベテラン兵士たちとて、1度外に出ればそこには友人や家族が待っていて自分の命と同等に大切な愛する誰かがいる。死にたくないしそんな大切な人たちを置いて死ぬことなどできない。恐怖は護衛軍全体へと伝染していった。
そんな時だった。突如キーンというマイクの機械音が響いたのは。
「あー、あーあー聞こえてる?最後列のやつは聞こえてたら手挙げてくれー!ん?聞こえてないのかな?え、なに?聞こえてる?すまんすまんじゃあ始めるわ」
恐怖のパンデミックが現在進行形で広がっていた軍内に響いた音声はあまりに間の抜けたものだった。若い男性の声のように聞こえる。その声の正体を確かめようと立ち上がるが、空の所属の第3師団第5軍の待機場所は最後尾。前方に多くいる大きな侍たちに視界を遮られて声の主を確認することはできない。
「みんな突然理由も明かされぬまま京都出兵なんて言われて意味わからなかったと思う。得体の知れないものって怖いよな。俺だって怖い。」
この少年は何を話しに来たのだ、恐怖を煽りに来たのだろうか。周りの先輩たちも不安そうな顔で前方に顔を向けている。
「だから俺は、まずみんなに得体を明かしにきた。本当はカズとかに止められてるんだけどまさかお前らの中に内通者なんていないよな。だから俺はお前らを信じて秘密を明かす」
話の流れが見えない。空にとって重要なのは戦う目的などではない。戦うということそのものが恐怖の根源なのだ。
「今から3日後、京都の本能寺でほとんど兵士を連れてない信長様が1万を越える軍勢に襲撃をうける。簡潔に言えば俺たちの目的は信長様を助け出すことだ」
動揺の声が各地から聞こえてくる。それは空も同じだった。信長様が襲撃?1万を越える軍勢?どうしたら近隣諸国を大名に囲まれた京都にそんな大軍で攻め込めるのだ。
数秒して周りのベテランたちの顔色が変わる。動揺の声は静寂に変わる。空も少し遅れて気付いた。謀反だ。京都周辺の大名、あるいは信長の許可を受けて京都を通る大名が謀反を企てているのだ。
「信長様が殺されれば安定しかけたこの天下は確実に再び戦乱渦巻く世界となる。この金沢も例外ではないだろう。すぐに佐々木・上杉家の連合軍がお前たちの土地も仲間も家族も…!全てを奪いに進撃してくるだろう…。俺たちの戦は信長様を救出するとともにみんなの大切なものを守ることが目的となる。」
空には病の父親がいた。もし彼の療養する病院に敵兵が押し寄せれば確実に殺されるだろう。尊敬する父の死は空にとって自分の死より耐え難いものであった。それでも情けないことに空の心の中はまだ恐怖でいっぱいだった。
「ここからだとみんなの顔がよく見える。そうだよな。怖いよな。だって人と人が切り合うなんて意味わかんないよな。だけど安心して欲しい。信長様は必ずこのふざけた戦乱の時代を終わらせる。」
そんなこと言われても実感が湧かない。生まれた時から終わる気配を見せない乱世が終わることなどあるのだろうか。
「信じられなくても信じて欲しい。それがお前らがお前ら自身とお前らの大切なものを全部守る最後の手段だから。お前らがお前らであり続けお前らの大切なものがお前と一緒に笑い続けられる最後の希望だから」
急なお前呼び…。この声の主は誰なんだろうか。腹が立つはずのその呼び方はなぜか兵士たちには頼りがいがある声に感じる。それは兵士たちが不安だからだろうか、それもあるだろう。しかしこの声には何か力がある。はじまりには頼りなく聞こえたその声は今兵士たちの脳内に訴えかけるように話を続ける。
「お前らの大切なものが握りつぶされる姿を光景してくれ。吐き気がするよな。気持ち悪いよな。意味わかんないよな。それを防ぐために俺たちはたった3000で1万を超える軍勢を打ち破る!無理な戦い?違う!大切なものを奪う大軍と大切なものを守る俺たち。どちらが強いかなんて戦わなくても分かるよな」
そうだ、俺たちは守るものだ。いつか踏みにじられる命を…、罪なき誰かの大切な命を…、俺たちじゃないと守れない命を…。
「戦況は絶望的かもしれない!それでも希望はある!今ある大切な命を!いつか大切になる命を!希望はここにある!希望は自分自身でありここにある全ての誰かの大切な命だ!」
気付けば兵士たちの心臓は高鳴っていた。その脈の早さは不安で緊張していたせいかもしれない。それでもそれを興奮による高鳴りだと信じればその高鳴りは戦意による高鳴りに変わるのだ。兵士たちは声を上げ始める。雄叫びだ。それは決意だ。それは意志だ。兵士が兵士であり続けるがための覚悟だ!
「みんな俺についてきてくれ!俺の名は天野家4代目当主天野悠馬!お前たちの希望を勝利へと変える男だ!」
その言葉と共にいっせいに天野家家訓の旗印があがる。兵士たちの雄叫びも最高潮になる。空の目からは気付けば涙がこぼれおちていた。生の天野家当主を一般兵の自分が見れるなど考えたこともなかった。正確に言えば物理的に見えている訳では無いがその姿ははっきりと見えているような気がした。直属の護衛軍たちにとってそれほどまでにその名は価値あるものだった。
その後は最高潮の士気に包まれたまま速やかに出陣の準備が整えられた。そして決戦前日6月20日早朝に大将天野悠馬、副将に加賀八家の本多政長、村井長頼、篠原一孝の3人が率いる合計3000の軍勢が京都に向けて出陣した。3000の兵士は舗装されたアスファルト以外の道無き道を進む可能性も考えられ全員が馬に乗っていた。
その先頭を駆ける悠馬の腰には妖刀『闘神・光』が携えられていた。妖刀が金沢城から持ち出されたのは悠馬の代では初めてのことだった。それ程に妖刀とは守るべき価値のあるものなのだ。
しかし悠馬は妖刀とはなんたるかの説明を家臣から受けるとそれを持ち出すことを即断した。それが無ければ勝つことができないと分かっていたからだ。本能寺の変でいかに織田側が為す術なく明智軍に敗北したかを知るのは悠馬のみだったからだ。他の家臣たちは信長の敗北を知りながらも心のどこかではそれを信じられずにいた。それ程に妖刀を持った信長の実力は本物であり、その実力を天野家臣団も当然見てきてからであった。
それでも悠馬は知っている。24時間後には信長が死んでいることに。
6月21日早朝の明智軍攻撃開始前に信長救出に成功すればベスト。悠馬は愛馬の尻を叩きさらにスピードをあげた。3000の軍勢もそれに従ってスピードを上げていった。