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家族トラブルー友美サイドー


ーはじまりー


私(友美)は今、裁判所の前に来ている。


なぜか・・・姉(八重子)を訴える為、訴訟手続きをしにきたのだ。


現在2021年3月8日月曜日。


私が訴訟を起こそうと思ったきっかけは、5年前に父(真太郎)が病で倒れた事から始まった。


ー友美サイドー


私(友美26歳)はどこにでもいる専業主婦で2歳になった息子と主人(翼35歳)と慎ましいながらも幸せな結婚生活を送っていた。


私は結婚する前は看護補助者として病院で働いていて看護師という職業に興味を持ち主人と出会った。


主人は当時看護学生の3年生で、共通の知り合いを通して出会い、看護学校入学試験の勉強を見てもらってるうちに仲良くなった。そして、恋に落ち、第一子を授かり、就職先も決まり、順風満帆な結婚生活が始まった。


私には6歳年の差のある姉(八重子32歳)がいて、今まで疎遠だったが、結婚を気に仲良くなり、ご飯を食べに行っては家庭の話で盛り上がり、子供も預かったりするほど仲良くしていた。


姉は当時、子供が3人(長男小6、次男3歳、長女生後5ヶ月)いて、4人目を授かっており、つわりが酷く、毎日子供を預けに来ていた。


姉が毎朝8時から夜8時まで預けるので、私は自分の息子と姉の次男・長女を一人で世話をしているのを主人が心配して、「自分の子供は自分でみるように。みれないなら嫁ぎ先の実家か自分の実家でみてもらうように」と姉を注意した。


すると姉が主人に向かって「家族なら助け合って当然でしょ!」と言ってきたのだ。


その出来事をきっかけに姉とは疎遠になってしまったが後悔はしていない。


私も主人の休みの日は家族だけで過ごしたいと思うし、出かける際も気を使うのでお出かけにもいけない事が多々あった。


それに姉の次男は3歳で噛む癖があり、目が話せない状態だった。以前もうちの息子が泣いているのでどうしたのかと思ったら歯型が着いていた事もあり、手を焼いていた。


姉の長女はまだ生後5ヶ月でオムツ交換もあり、ミルクもあげたりと大変だったが、家族だから助け合いと思って我慢していたのだ。


姉が子供達を預けに来なくなってからは、私達は家族で外食にでかけたり、公園に行ったりと心穏やかで幸せな日々を送っていた。


ー真太郎が病で倒れるー


そんな時だった。父が病で倒れたのは。


父の職業は大工で定年退職後は、建物修理の依頼を引き受けながら、家庭菜園やヤギを飼って老後を楽しんでいた。


その日もヤギの餌を刈るため、畑に行っていた。父は草刈り機で作業中、病で倒れたのだ。


近所の人がジョギング中に通りかかり、草刈り機の音がずっと鳴ったままなので気になって覗いたら、畑で倒れていたのだ。


近所の人が救急車を呼び、病院へ搬送され、私達に連絡が入った。その後、精密検査が行われた。


父の病は「右前頭部硬膜動静脈瘻」という珍しい病名だった。健康に悪い生活習慣により、血管が破れたのではないかと推測されたが、原因不明である。


意識不明の原因を調べる為、検査を行う事になった。検査の結果、頭部CTで右前頭葉皮質下出血と脳室内出血、閉塞性水頭症が認められた。


同日救急で手術が始まった。まず、開頭血腫除去、硬膜動静脈瘻の遮断、脳室ドレナージを施行した。


※脳室ドレナージ:急性水頭症に対して頭蓋内圧をコントロールする目的で、チューブを挿入し、体外に脳脊髄液を排出させる。 頭蓋内圧亢進により意識障害を来しているような場合に救命目的で行う。


私達は助かって欲しいと祈りながら暗い気持ちで廊下のベンチに座り待っていた。


ようやく手術中のランプが消え、医師からの説明があり、「手術は成功しました。発見が早かったお蔭で命に別条はありません」と報告があった。


私達は心の底から良かったと胸を撫で下ろして喜んだ。


術後、父が左半身麻痺が明らかになり、CTで右前大動脈領域に脳梗塞の出現し、痙攣発作を起こした。難治性であったが、テグレトール(てんかん治療剤)にイーケプラ(抗てんかん剤)を追加、痙攣消失。


GCS(グラスゴー・コーマ・スケール意識レベルの評価指標)が12〜14点と回復し、経管栄養食を離脱、リハビリ目的にてリハビリ専門病院に転院となった。


※GCS(Glasgow Coma Scale):合計点が13点以下であった場合は頭部CT検査などで頭蓋内病変の有無を調べる必要があり、GCS8点以下は緊急度が高い。


父は早期離床の為、リハビリ生活が始まった。リハビリはマンツーマンで朝10時と昼3時の2回あり、集団で体操やレクリエーションもあった。


父は70歳で軽度の左半身麻痺があり、術後ベッド上で生活していた事もあり、体力の低下が著しく、立ち上がるのもやっとの状態だった。


父は術前術後の記憶が無いため、体が思うように動かない事にショックを受け、泣き出す事が多々ある。時折、死んだほうがマシだと呟くが、「今だけだよ!リハビリを頑張れば元の生活に戻れるよ」と励ます日々が続いた。


入院生活が3ヶ月続き、これ以上回復が見られなかった為、ソーシャルワーカーと今後について話し合いが設けられた。

このままの状態では自宅で介護するのは困難だった為、リハビリができる老人ホームに入所することになった。


父は今の体の状態を受容できず、入院生活と施設入所と自暴自棄になり、どんどん精神状態が悪化していった。


終いには、家族の事もわからない状態になり、頭皮を掻きむしり血が出たり、リハビリ拒否も多くなり、ゾンビのように虚ろな目で車イスに座り、家族が声をかけても知らない人に挨拶をしているようで頷くだけになってしまった。


そんな中、母(景子)も持病が悪化し、入院する事になった。母は糖尿病を患っており、薬を飲み忘れ、体重コントロールも上手く行かず、気分が悪くなり入院となった。


そんな時だった。姉が成年後見制度の申請をしようといったのは。


母も体調を崩すことが多々あり、私達で父の入院費や介護費用を自由に引出してこれるように成年後見制度申請するべきだと話を持ちかけられたのだった。


確かに母も入院していて、体調を崩していたので必要かもしれないと思った。


私の両親は子供に自立して欲しいと18歳になったら家から出ていくようにと言われていたし、お金に関して一切話したことがなかった。


だから、家の財産がどれくらいあるか知らなかった。


だが、父や母が病気で動けない状態になったり、認知症になったりしたら、入院費や介護費用を私達の生活費から建て替えると生活が苦しくなるので困ってしまう。


私達は母の退院後、母と姉と私の3人で父の成年後見制度申請する為、裁判所へ向かったのだった。


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