第7回
養成学校の話を話し終える頃には食事が済み、メイドが食器を粛々と片付けていた。窓の外を見ると、深い漆黒に満ち森の木々を薄っすらと視認できるだけであった。僕は幼い頃にアンリと冒険をした話やリリアンヌとの淡い思い出を語るのについ熱くなり、料理の味もあまり覚えていなかった。ビアンカはまるで僕の思い出に入るように目をつむって僕の話に聞き入っていた。
「まぁここまでが僕の冒険までの話だよ。」
ビアンカはゆっくりと瞼をあげると、シャンデリアのガス灯の光が彼女の瞳孔に入ってキラキラしていた。ビアンカは感嘆の声をあげた。
「これが青春というものね」
メイドがワゴンで紅茶のポットとティーカップを持ってきた。ロココ調のティーカップに紅茶がなみなみと注がれていく。ビアンカがミルクはいかが、と尋ね僕は頷いた。褐色の水面に重いミルクが複雑に混ざり合い、クリーム色へと変化していく。
青春....きっと学生時代の僕は純血で様々な可能性を秘めていたのだろう。リリアンヌの口車に乗って窃盗団の一味になっていたらどうなっていたのだろうか...なんにでも染まることのできる自由さと脆さは今の自分にはない。厳しい現実や艱難に揉まれ僕は不明瞭な色に混ざり中途半端に染まってしまっている。自分のこれからの身の振り方も未だつかめていない。
ビアンカは受け皿ともう片手にカップを持ち、
「私には幼馴染というものがいないから少しユウが羨ましいわ。幼馴染と切磋琢磨をしていきながら、そして恋を育んでいく。どんな小説よりも素晴らしい思い出ね」
僕は恋という異物な言葉を聞いて声を出して笑った。ビアンカは不満げに「何がおかしいのよ」と抗議した。
「ちゃんと聞いていたかい。アンリは好きな人がいるんだよ。僕と恋を育むはずないじゃないか」
ビアンカは「まぁ」と驚いた様子で白い髪をいじっていた。
「きっとアンリっていう娘の好きな人はユウよ。こどもの頃あなたが救ってくれて好きになって、リリアンヌっていう盗賊のなれと仲良くしていることに嫉妬だなんて証拠には十分すぎるわ」
「そんなのはアナロジーの域を出ないよ。アンリは『とても強い人』って言ったんだよ。その前の日にボコボコにした男が好きだなんて冗談もいいところじゃないかい?」
ビアンカは紅茶に口を付けて「それもそうね...」とうなだれながら小さく呟いた。僕はクリーム色に染まった水面を見つめていた。
アンリは今頃ジョーと上手くいっているだろうか。ジョーは僕やアンリの一つ後輩にあたる。後輩と言っても養成学校は半期入学制なのでほとんど同期に近い。卒業する年の闘技大会、決勝戦はアンリとジョーの戦いだった。ジョーは序列15位とアンリよりも格下だが、序列は学科成績も加味されるため、実践の上ではほぼ互角であった。ジョーは槍騎士で身長よりも長い槍をいとも簡単に振り回して剣士からすればとても厄介な相手であった。闘技場は学生たちの熱気で溢れ返り、円状の闘技場の真ん中には剣を構えた華奢なアンリと槍を持ったアンリよりも二回り大きいジョーが立っていた。
間合いに入れずにいたのか暫く動かないままであったが、アンリが突っ込んでいきジョーは槍を大きく振り回し応戦していた。アンリがジョーの懐に入っていき槍の制空権を奪ったかと思えば、ジョーは槍を軸にして大きく飛び、まるでサーカスのように槍に飛び乗り闘技場の端へと移動した。アンリはさかんにジョーへ攻め込んでいく。槍の突きを上手くよけながら至近攻撃を仕掛けようとするが、ジョーの防御は高くアンリはなかなか攻め込むことはできない。こうした熱戦に闘技場は声援で大きく震え、じりじりとした太陽の日差しが強くなっていった。太陽が昇ってきて観客の学生らは脂ののった顔に汗を流しながら拳を握って試合の様子を見守っていた。
アンリは何を思ったのか持っていた模擬剣をジョーに向けて投擲した。ジョーは体を躱して剣をよけるが、その瞬間アンリはジョーに接近しており素手で組み合っていた。あまりにも無謀である。ジョーの方が体格で有利であり、隙を作った程度ではジョーを組み伏せるのは困難だ。アンリは案の定ジョーに押し倒され、絶体絶命となる。僕はジョーの勝ちだと思っていたが、アンリはジョーの首に模擬剣を突き付けていた。
どうしてだ?さっきアンリは剣を投げていたはずではなかったか。僕は先ほどアンリが投げた模擬剣の行方を目で追っていた。見るとそれは剣ではなかった。剣を収める鞘だったのだ!
ジョーはなすすべもなく降参し、アンリは2年連続の校内闘技大会優勝を果たしたのだった。あの試合は今でも養成学校の伝説となっており、アンリとジョーの真剣勝負はこれが最初で最後であったはずだ。僕はこの試合を見てアンリの好きな人はジョーだと確信した。ジョーは王国の冒険者の中ではアンリと共に強く、学生の頃から女生徒にモテていた。冒険ものの主人公のような爽やかさと剛健さを兼ね揃えた男でアンリが女性の部分を出すのも分からなくもない。アンリは僕のようなお荷物を置いて恋に走り続けていくのだろう。アンリとは幼馴染だ今更恨みさえ湧かない。ただアンリとジョーが幸せになってくれることを切に望むばかりだ。
僕はとっくに冷めきっていた紅茶を飲んだ。あんまり美味しくなかった。
ビアンカはメイドに目配せをして、紅茶を注がせた。メイドはおかわりはいかがですか、と尋ねてきたので「お願いします」と口数少なく頷いた。
「ユウ、あなたとアンリのことは分かったわ。予習も済んだことですし、そろそろ本題を聞いてもよろしいかしら?」
「本題?」
僕が間の抜けた声で言うと、ビアンカは首を少し傾け
「これまでの冒険のお話。どういう国に行って何を見て何を感じたのか...これを聞かずに眠ることなんてできないわ」
ユウの顔は強張った。あまり冒険の話はしたくはなかった。
「ああ。そうだったね。旅の話ということだったか。しかし、些か話が長くなってしまいもう暗い。」
「じゃあ、明日もここに泊まればいいのよ!」
ビアンカは良いことを思いついたとでも言いたげに手を合わせた。
「しかしお嬢様...」
メイドはビアンカを諫めるが、
「大丈夫よ。ユウはパーティーからはぐれてしまったのですし。直に迎えのお連れがやってくるでしょう。それに私もアンリという娘に会ってみたいわ。」
僕は「アンリ」という言葉を聞いて鳥肌が立った。もし、アンリがこの古い洋館に入ってくれば僕はたちまち斬られることだろう。パーティー抜けは大罪であり、正義感の強いアンリは幼馴染であろうと容赦なく斬るだろう。
しかし、パーティーとはぐれたといった以上この提案を突っぱねる弁は思い浮かばないし、なにより洋館を出てその後再び森を抜ける術を持ち合わせていない...
「ビアンカ、暫くいてもいいのかい?」
「ええ。寂れた屋敷だけれどよかったらゆっくりしていって頂戴」
メイドも「お客様がよろしければ」と申し訳なさそうにビアンカの脇に控えていた。僕は諦めたように長い溜息をついて、
「今日はどこまで話そうか」
と自分に言い聞かせるように呟いた。「あの日」まではビアンカに話したくはなかった。できるだけ綺麗な冒険譚を語りたかった。その時子どもの頃に大人たちが教会で話していた東の国の話を思い出した。きっと彼らも語りたくない辛い過去を抱えていたのかもしれない。自分を騙しながら冒険話を脚色して話していたのか、と考えた。
「そうね。まだジョーという者とエレナという魔法師の話を聞いていないわね。その方たちとパーティーを組んで冒険に出るところまでがいいわね」
「お嬢様、お休みが遅くなるとお体に悪いです」
「メル、分かってるわ。」
ビアンカはメイドを制して紅茶を啜った。瞳は旅の話を聞きたいとばかりに輝いていた。
「養成学校を卒業した後....」
ユウはゆっくりと再び言葉を紡ぎ始めた。
一方、森から山を抜けた麓にある国は炎に包まれていた。重厚堅固な石造りの城には窓からあちこちに火柱が立っていた。城を囲むように栄えていたであろう都も火が上がっており、路には逃げ惑う人ごみがゴマ粒のように見ることが出来た。暗闇の中で火の光と黒い雲のような煙が立ち込めていた。
そんな国の様子を5キロほど離れた小高い山から女は見ていた。女は鋭い目つきをし、無表情で灼熱地獄の様子を俯瞰していた。
「もうここに用はないわね.....後はユウだけ。さあ冒険を続けましょう」
女は燃え上がっている都に背を向け、山を下りていった。ブロンズの前髪に留めている錆びついた髪留めを指で撫で、その指を唇に寄せてキスをした。