第6回
手首を細かに動かしながら模擬剣を振るう。
しかし、アンリにはかすりとも当たらず、残像だけが見える相手に蹂躙されていくのはまるでカマイタチにでも襲われているような感覚を覚えた。僕はアンリの剣を受けることに精一杯で、ほぼ棒立ちとなっていた。模擬剣とはいえ本当に殺されるのではないかと言った戦慄が走る。アンリは攻撃を止め後退した。苛烈な剣舞を魅せていたにも拘わらず涼しい顔をしていた。
「どうしたの。あの女と特訓したんでしょう?肩慣らしにもならないわ」
アンリはニタニタと笑いながら模擬剣を軽く素振りした。僕は中腰になり、シャツの裾で額に浮いた汗を拭った。腕がジーンと痺れ、手の感覚がほとんどなく、指と指の間に蛆が湧いたようなむずがゆさがあった。剣を地面に突き立て立ち上がる。
僕は剣を振り上げアンリに迫る。アンリは模擬剣を腕で受け、もう一つの片手に持った模擬剣で僕の腹部を思いっきり突いた。まるで内臓を貫かれたような痛みのあと景色が反転し臀部に堅いものが当たった。一瞬の出来事で自分の身に何が起きているのか分からなかった。目下には星空が映っており、体をギシギシと起き上がらせるとアンリは20m先にいた。アンリが僕の下に近づいてくる。
「立ちなさいユウ。まだまだこれからよ」
「そんなに...リリアンヌと特訓していたことが気に食わないかい」
僕は嫌味を言った。続けざまに
「それに勝手にリリアンヌとの約束を..ちゃんと説明してくれ」
「いいわ。私に勝てたら、ね」
当然僕に勝算はないし、アンリのサンドバッグになっているが、それでもアンリをどんな手を使っても負かしてリリアンヌとの約束を勝手に反故にした訳を吐かせてやりたかった。次はアンリが仕掛けてくる。僕はなんとか剣で受け、身を引きアンリの胴を叩こうと引き技を繰り出すが紙一重のところで避けられる。
「どこでこんな上品な剣術を覚えたの...ちょこまかと」
アンリはイライラしているようだった。僕は挑発するように
「リリアンヌに一矢報いるほどには上手くなったよ。アンリの雑把な教え方と違ってね」
アンリはカチンと来たのか脳天を叩き上げるように模擬剣を高く振り上げた。僕は頭上で受け、しばらく膠着状態が続いた。僕はのけぞりたかったが、アンリの押す力が強く受けきれないことは明らかだった。
「ユウは楽しそうね。リリアンヌと密着して鼻の下伸ばしてね...」
「しっかり見ているじゃないかアンリ。やっぱりあの時目があったのは偶然じゃなかったんだね」
「いつも見てるわ....忌々しい。好きでもないのにユウに色目を使うあの女がね!」
アンリの力がまた一層強くなった。顔にも余裕がなくなり顔を紅潮させ、怒りの形相へと変えていた。僕は耐えきれずアンリの剣を押し返し、後退する。再びアンリの脇腹目掛けて模擬剣を振りかざす。
「甘い!」
アンリは叫び僕の視界から消える。僕は目線を下に落とすと、足元に剣を構えたアンリが振りかぶっており、気がつけば模擬剣の芯は僕の臍をとらえていた。僕はボールのように吹っ飛び、校庭に植えられた木にぶつかる。木は僕の無様な姿を嘲笑うかのように幹を揺らしていた。
「お上品な剣術では私には勝てないわ」
アンリは手を貸してくれたが、なんだか癪だったので自力で立ち上がった。
「アンリと僕じゃ実力が違い過ぎるよ」
「そんな次元の話じゃないわ。剣の実用性の話よ。確かにユウ、あなたはだいぶ強くなったわ。でもその剣術が通用するのは学校だけ。外へ出れば役に立たない剣術よ、どうしてか分かる?」
僕は不貞腐れながら静かに首を横に振る。アンリはため息をつき、説明をした。
「リリアンヌの剣術は相手の攻撃を全て剣で防御して引き技や相手の体力を削る戦法であることはユウも十分知っているでしょう。でも、冒険では野犬やクマのような獣や魔物と戦闘をする必要がある。その時あっちから襲ってくるのを待つ?待たないでしょう。私がさっきユウの剣を剣で受けずに腕で受けたのは次の動作が遅くなるから。単数なら防御をする余裕があるかもしれないけど複数の敵がいた場合攻撃を受ける可能性があるでしょ。」
僕はアンリの話に頷きながら聞き入っていた。アンリの説明はリリアンヌから学んだ剣のデメリットをついていたからだ。
「でも、ユウと私が師匠...ユウのお父さんから学んだ剣はひたすら相手に切りかかる『現場の剣』攻撃を避けてただ相手に攻めていく。冒険ではこちらの方が数段役に立つの。あの娘が5位で私が1位であるのも剣術の限界というところかしら。まぁあの娘の剣は冒険者というよりも...」
アンリは何かを続けようとしていたが、「いえ、いいわ。やめておくわ」と話を切り上げた。僕としては後味が悪かった。
「さっきから口幅ったい言い方でリリアンヌが何だというんだ。教えておくれよ」
僕はアンリに詰め寄るが、アンリは「ダメよ。私に勝てなかったんだから」と相手にしてくれなかった。アンリは模擬剣を腰に戻し、
「汗かいちゃった。本気で誰かと当たるのは久しぶりだったわ。ユウ、浴場行くでしょう?一緒に行きましょう、奢ってあげるからさ」
カッターシャツの襟元をパタパタさせ、暑さで紅潮した顔で言った。
結局アンリはリリアンヌのことを何一つ教えてはくれなかった。
次の日、教室に入るとクラスは異様な喧騒を放っていた。学生の口からは次々と「リリアンヌが...」「まさか」といった言葉が交わされていた。僕は4人ほどで会話していた群れにこの騒ぎの訳を聞いた。
リリアンヌが退学処分となったのだ。
噂によると、リリアンヌは窃盗団と関わりがあったらしい。
窃盗団は都のはずれにあるスラム街を本拠としており、主に底辺冒険者を中心に組織されていることは聞いたことがある。リリアンヌは養成学校に忍び込みクラスの中でも落ちこぼれ、序列下位や中間層に声を掛け回り窃盗団へスカウト...実際には恫喝に近い形で窃盗団へ入れさせる仲介役を担っていたようだ。僕は昨日の約束を思い出す。
『明日是非ユウに会わせたい人がいるんだ』
『その人はギルドや海外事情に詳しいんだ。ユウは東の国に興味があったようだしね。きっとその人と話が合うさ』
リリアンヌが僕に会わせようとしていたのはきっと窃盗団の幹部か何かだったのだろう。僕はアンリがいなければ大きく道を外れるところだったのかもしれない。しかし、僕は半信半疑だった。頭脳明晰眉目秀麗で誰にでも優しく振舞うあのリリアンヌが市民に暴力を働いて金品を強奪し、時には人を殺すことも厭わない極悪非道残忍冷酷な窃盗団の一味だったなどと。周りの学生も僕と同じく信じられないといった様子であった。男子同士の会話からは
「リリアンヌ好きだったけどな」「俺も密かに恋してたんだけどな」と片恋慕を吐露していた。
教室の温度が冷めやまないままアンリが入ってきた。茫然としていた僕の下に駆け寄り肩に手を置き
「.....そういうこと」と申し訳なさそうに言って自分の席についた。
その後教官が来て一限目の授業が開始されたが、全く内容が入ってこなかった。正直リリアンヌに騙されたことへの怒りやショックはあまりなかった。それよりも形容しがたい感情が僕の胸を苦しめていた。教室の窓をぼんやりと見る。雀が羽を一生懸命羽ばたかせて飛んでいた。僕の胸の苦しさもあの蒼穹へ飛散しないだろうか。
校門を通る石畳の下で腕立て伏せ300回を終えた。これは何度やっても立ち上がれないほどにきついもので僕は終えると同時に堅い石畳に倒れかかった。
「ユウ」
顔だけあげると僕の前にはタオルを持ったアンリが立っていた。少し息があがっていたが、ほとんど汗をかかず僕の首にタオルをかけてくれた。
「ねぇユウ、明日休暇日でしょう。港町へ遊びに行かない?」
「ごめん。そういう気分じゃないんだ。」
明日は月に4回ある休暇日であった。朝から晩まで冒険者を養うため厳しい鍛錬を積んでいる養成学校で唯一各々自由な時間を過ごせる日であるが、僕は正直心の整理が出来ておらずどこかへ行こうという気力もなかった。アンリはしゃがみこみ顔を近づけた。
「部屋にふさぎ込んでても気分は変わらないわ。気分転換に行きましょう。ね?」
アンリは困ったように上目遣いでこちらをうかがった。僕は渋々「分かったよ」と二つ返事をした。食堂でもアンリと一緒に夕食をとったが、ほとんど会話はなかった。食堂内は相変わらずリリアンヌの話題で持ちきりだった。僕は飯を胃に詰め込んで直ぐに食堂を後にした。
アンリは僕が食堂を出るまで丸椅子に座ったまま目で後を追っていた。
休暇日、僕は麻のパンツにネルシャツを着て校門の前で待っていた。校門にはキャッキャと騒ぐ女の子の集まりや腕を組んで歩くアベックたちが過ぎ去っていく。朝特有の白い太陽の光に街が照らされ小鳥たちが声を上げて空を闊歩していた。校庭へ目を移すと休みにもかかわらず剣術やトレーニングに励む学生の姿も少なくはなかった。
「お待たせ....ユウ」
振り向くといやにおめかしをしたアンリがいた。珍しく化粧をしており、赤色のワンピースに腰には細いベルトを巻いていた。アンリは頬を赤らめさせこちらをチラチラを見ていた。昨日男子を滅多打ちにしていた血気盛んな少女とは言わなければ分からないだろう。僕は息を飲んだが、何か言わなければと思い「かわいいね」とだけ言った。アンリは顔を余計赤くさせもごもごと何か言っていた。落ち着いたのかアンリは咳を払い
「ありがとう。あまりこういった服は着ないもの」
「よくアンリのお母さんが女の子らしい服を着せようとしていたね」
僕は笑いながら言うとそれに呼応してアンリも顔を崩して「そうね」と笑った。学校からほど近くにある駅に向かい、2等車の切符を買った。港町までの列車はさほど混んでおらず向き合った二つの席を確保することが出来た。木製の椅子に凭れアンリと向き合う。間隔が狭くアンリと膝が交わるくらいだ。汽車は煤を含んだ黒い煙を吐いてゆっくりと貨車を動かしていく。車窓の景色は横に流れていく。
都から田園風景へと景色が変わろうとしていた頃、アンリがゆっくりと口を開いた。
「私、知っていたのよ。リリアンヌが盗賊だってこと」
僕は驚くこともなくただ頷いた。恐らくアンリはこのことを知っていたのだろうと察することはできた。
「はじめは噂程度よ。序列上位があることないことはよく言われることだから。でも、私見てしまったの。リリアンヌが校舎裏で刺青をした男と話しているところを。明らかに学校の関係者や冒険者という感じではなかったわ。それにリリアンヌがしていた三日月型のペンダント、ユウも覚えているでしょう」
僕は首肯するとアンリは話を続けた。
「あれは異教徒の証拠よ。窃盗団の一部には底辺の冒険者がいるけれど上層部は東方人からなると聞いたことがあるわ。東方人は教会を信じていないからリリアンヌも恐らく異教徒なのでしょう」
あくまでアンリのアナロジーの域であるが、説得力がありそれが事実だと信じてもいいレベルだった。アンリの話を聞いていると、いつの間にか客がまばらだった客車も人でごった返していた。席に座れず立っている婦人や商人の姿も認められた。
「僕がショックを受けると思って黙ってたんだね」
「ええ...ユウはリリアンヌと仲がよかったから。でも、ユウが悪いことに巻き込まれるのは看過できなかったから...」
僕もアンリも暫く黙っていた。ここしばらくの歯切れの悪さはそういうことだったのだろう。僕はアンリに胸に残る心苦しさを話した。どうもアンリのことやリリアンヌへの疑いの心とは別のものであった。こうして車窓を覗いても気が晴れず、メランコリィともまた違った。アンリは少し顔を曇らせ、少し考えたあとに
「リリアンヌのことが好きだったんじゃないかしら」と冷静に答えた。
「好き.....か。人を好きになったことがないから分からないけど。」
「リリアンヌはモテたから。男子は昨日、リリアンヌの話で持ちきりだったわ」
そういえば、男子の群れは「好きだった」とかそういった話をしていたことを思い出す。僕はあくまでリリアンヌとは友人として一緒に勉学に励んでいたのだが、この感情は彼らと同じような恋だったのだろうか。
僕はおそるおそるアンリに「アンリは好きな人はいるのかい」と聞いた。
「いるよ」
アンリは媚びたような声で顔を紅潮させ、視線を下に落としていた。
自分が一日中悩んでいたものを簡単に暴いたものだから軽く聞いたのだが、まさかの回答だった。僕は急にアンリの恋愛事情に興味が湧いた。村の男たちを子分に従え、今も模擬剣を振り回しているような少女が街の女の子のように人を好きになっているのだ。
「どんな人なんだい」
「とても、強い人」
アンリは羞恥の顔を浮かべて一言だけ呟いた。
強い人か。アンリより強い男というのは余程だろう。頼りがいのある男が好きというのはアンリとて乙女なのだと痛感させられた。話が過熱するごとに列車も加速していく。列車は林の中を走り抜けていった。
「アンリならきっと好きな人と上手くいくはずさ。応援してるよ」
「ありがとうユウ。でも今日はユウの失恋を癒す慰労旅行になりそうね」
林を抜けると窓から潮の匂いがして景色も海へと一変した。水平線が定規を引いたように一直線に広がり、海には漁船のような小さな船が浮かんでいた。
僕たちはその後港町で休暇日をゆっくりと過ごした。