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第5回

手首を細かに動かしながら模擬剣を振るう。リリアンヌと剣を交えるごとに腕の先の筋肉が振動しジンとした痛感が走る。しかし、今日は以前とは違い素早く離れ引き技を仕掛けた。驚いたのかリリアンヌは防御が遅れ、手の甲で剣を受けた。それと同時に彼女の模擬剣が弾かれ芝生に転がる。

「いやはや、まさかユウに一本取られるとは..」

「初めてリリアンヌを追い込むことができたよ」

僕はカッターシャツの裾で額の汗をぬぐう。僕の掌にはピリピリした感覚がまだ残っていた。序列5位の相手に勝てたことは僕にとって十分な自信となっていた。リリアンヌは落ちた模擬剣を拾い、腰に収めていた。彼女の手の甲は燃えたように赤くなっていた。

「手は大丈夫かい」

「ああ。この程度造作もないさ、それよりも続きをしようか」

僕は首肯し、剣を構え直す。櫛をすかれたように綺麗に整えられた芝が夜風に吹かれ共鳴するようになびき、火照った体が冷えていくのを感じる。汗が気化して僕の熱量を表すように白い蒸気となり外へ放出される。

 ここ数か月の特訓の影響で上達を実感している。子どもの頃から習っていた父の剣は攻撃一辺倒の剣であった。防御は基本的には避け、胴体や脚を徹底的に攻める剣術、10代になると突きについても仕込まれた。僕と同じく父に剣術を教わっていたアンリは今でも攻撃型の剣術で他を圧倒する。ある騎士科の学生がアンリと手合わせした後「剣が全然当たらなくてひたすら迫ってくるのが怖ろしかった」と仲間内に話していた。アンリは子どもの頃から足も速かったのでその敏捷さがあれば相手の攻撃の避けながら攻めることは造作でもないことだろう。しかし、僕は半端に身に着けてしまったので受け身も取れず力でも格上の相手には押し返されることが多かった。そんな自分には攻撃型の剣術よりもリリアンヌから習った受け身型・カウンター型の剣術がとてもあっているような気がした。相手に当たった後、引き技を仕掛けたりする方がよほど身につけやすかった。リリアンヌから剣術を見てもらうようになってから実技の成績は良くなった。上位層には太刀打ちできないが、自分より少し格上の学生とは互角に戦えるようになってきた。対戦時間が延びる副産物もあってか引き分けにもつれ込むことも多かった。相手からすれば長期化は厄介なものらしい。

僕はその後筋力トレーニングなどをこなして校庭の周りを軽くジョギングして早々に切り上げた。いつもなら図書館で授業の復習をするのだが、今日はリリアンヌが外に用事があり自習となった。別れ際、リリアンヌは

「明日是非ユウに合わせたい人がいるんだ」

「え?誰だい」

「それは当日までの秘密だよ。だが、その人はギルドや海外事情に詳しいんだ。ユウは東の国に興味があったようだしね。きっとその人と話が合うさ」

明日の放課後校門で集合しようとリリアンヌはいい、胸の位置に掌を見せ街の方へと走っていった。僕は模擬剣を肩に担ぎ腰に着けた革袋から水筒を取り出して口に含む。喉を動かしながら勢いよく水を流し込む。

宿舎に戻るとカッターシャツや下着をベッドに無造作に投げ捨て濡らした布を絞り、布をからだに擦り合わせた。公衆浴場は都にあったが、毎日通うとお金が足りないので1か月に2回くらいは公衆浴場で残りはこうして濡らした布で体を洗っている。

僕はベッドに横になり目をつむる。疲労のせいか自然に目が閉じていった。睡魔に落ちる数秒前と言ったところか、扉から環を叩く音がした。

僕は朦朧としながら扉を開ける。前にはブロンズの髪を引っさげ、前髪をきっちりと留めた少女が礼儀正しく立っていた。

「アンリ...こんなところでどうしたんだい」

驚きと共に僕が声を掛けるとパッと花が咲いたような笑顔を見せ

「やっぱりここにいたのね!勉強を教えに来たの。今日はリリアンヌと一緒ではないのでしょう?」

アンリはずんずんと僕の部屋に入りベッドに投げられた温度を失ったカッターシャツを一瞥する。アンリは壁にかけられた衣文掛けを手に取り「吊るさなきゃ皺になるでしょ」と母親のような口ぶりでシャツを掛け壁にかけた。僕は窓際に設けられた机に向かい、教科書を机の上に置く。アンリも僕の腰かけた机の背もたれに手をかけ僕の脇に立っていた。

「殊勝ね。教えると言ったら断るかと思ったわ」

僕は教科書を開き、今日習った部分の頁を探した。今日は組織神学の時間であった。

「そんなことはしないよ。アンリに勉強を見てもらえるなら安心だよ」

アンリは満足そうな顔で「まぁ断っても椅子にくくりつけてでもさせたのだけれど」と顔色を変えずに言った。僕も断った後が怖かったので無下にしなかったのだが、アンリは(僕が言えた立場ではないが)リリアンヌよりも怜悧であるし神学においてはアンリの右に出る者はいないほどに詳しいのだ。アンリの家は村の中でも敬虔なカトリック信者でアンリも小さな教会に日曜の説教以外の行事には必ず参加をしていた。12歳になる頃には聖書の講釈はある程度できるようになっており、神父は「冒険者になるには惜しい人材」だと語っていたのを思い出す。養成学校に入るとより高度な基督教神学を学ぶことになったが、アンリはこの1年ずっと学年首位を取り司教と懇談をしたことがあるくらいだ。

 アンリとの復習はリリアンヌの説明的なものとは違い多少荒っぽい教え方で時折「そうじゃないでしょ」「違う」と左耳から聞こえてくるのだが、アンリはかみ砕きながら説明をしてくれるので真剣に教えを聞いたことがない僕でも分かりやすかった。教科書とは別に新約聖書を参照しながら説明をしてくれたのでより理解が深まった。アンリ曰く神学というものは聖書が下敷きになっているのだという。机の端に置いた懐中時計を見ると一時間が経っていた。僕は座りながら背伸びをする。アンリは給湯室からショコラを入れて部屋に戻り、カップを僕に手渡した。カカオと香辛料の香りが湯気とともに立ち上る。ショコラを一口飲み一息ついているとアンリが名前を呼ぶ応答すると、

「私とあの娘どっちの方が分かりやすい?」

アンリは両手でカップを持ち微笑を浮かべて尋ねた。言い終えた後「正直にね」と抑揚のない声で付け加えた。僕は「嫉妬かい?」と軽口をたたくと、

「そうよ」

と真顔で返された。突然の答えに僕は困惑し、しどろもどろになった。

「私とユウは『仲間』でしょ?なのにどうして他の子に教えてもらってるの?よりにもよってあんな....」

アンリは言い切る前に押し黙った僕は「よりにもよってってなんだよ」と聞いたが答えてはくれなかった。アンリは僕に近づきカップを机の上に置いた。

「ユウ、明日の放課後は空いている?久しぶりにぶつかり稽古にでもしましょう」

「いや、明日は...」

僕はリリアンヌに外へ誘われていることを話した。アンリは話を聞くごとにみるみる顔を険しくしていった。アンリには話さないほうが良かっただろうか..そんなことを考えているとアンリは「前にも言ったのだけれど」と続け

「リリアンヌとは早いうちに関わりを切ったほうがいいわ」

僕が何か言おうとすると「これは嫉妬とかとは別に言っているの」と真剣な顔立ちで語った。僕は教科書を鞄にしまい、アンリに向き合った。

「どうしてリリアンヌをそんなに毛嫌いするんだい」

「別に嫌いなわけではないわ。でも...」

アンリは床へと目線を落とす。アンリの意見は要領を得ず何か隠し事をされているようで気分はよくなかった。

「何を隠しているんだい」「別に隠してなんかいないわ」

アンリはその後何も言わずベッドから立ち上がり、ゆっくりと扉へといった。帰り際、「明日待っているから」と小さく呟くと伏し目がちにおやすみ、とだけ言い帰っていった。

僕は横になるが、アンリの言葉が離れなかった。

「仲間、か」

言われ腐れた表現であるが、離れつつあったアンリとの友情が引き戻されたような気がした。


 校庭を50周走らされ、1時間程度で走り終えた。僕は肩で息をしながら芝生にへたり込んだ。シャツが汗でへばりついて気持ちが悪い。今日は風呂に入りに行ってもいいかもしれない。水筒に入った水をがぶ飲みしていると、アンリが小走りでこちらに近寄ってきた。僕は軽く手をあげた。僕はタオルを受け取り、汗に濡れた髪を拭いた。

「やぁユウ。おや、珍しい取り合わせだね」

少し遠くからリリアンヌの声がした。首にタオルを巻き、顳顬の辺りを擦り体に熱気を纏わせやってきた。

「リリアンヌ」「こんばんは、リリアンヌ」

アンリは僕に目配せをする。暗に断れと言いたげな視線でこちらを見るが僕は素知らぬふりをした。

「アンリとはどういう間柄なんだい」

「言ったことがなかったか。僕とアンリは10年来の幼馴染さ」

そうかいとリリアンヌは頷き、今度はアンリに僕と彼女の関係を話していた。アンリはつまらなそうに相槌を打っていた。話を終えると、アンリはゆっくりと口を開いた。

「申し訳ないのだけれど、今日ユウは私の練習に付き合ってもらうことにしたの」

アンリは僕の隣に立ち腕を絡めた。リリアンヌはあまり面白い顔はしなかった。場の雰囲気が凍りつくのを感じたが僕は深刻な顔を浮かべるほかなかった。

「酷いじゃないかユウ。昨日約束をしたのに、君がそんな人間だとは思わなかったよ」

リリアンヌは抗議の声を挙げた。すかさずアンリが反論をするように

「勘違いをしてほしくないのだけれど、私が無理にお願いしたの。それに...」

アンリは一拍おいて、

「あまりよろしくないことにユウを巻き込もうとするのを幼馴染として見逃せなくてね」

アンリは少し微笑んだが目は笑っていなかった。リリアンヌは少しのけぞり視線をあちこちに運んでいた。

「もし、強引に連れていくというのなら私の知っていることを白日の下に晒すけれど..」

「.....分かった。ユウを連れていくのはよそう。それでいいんだね」

アンリは意地悪そうな笑いを浮かべて「ええ。その代わり口外はしないわ」と言うとリリアンヌは「ユウ、また明日」と悲しげな視線を向け去っていった。

僕が何が起きたのかよく分からないまま立ち尽くしていると、アンリは腰にかけた模擬剣を取り出す。

「さて、それじゃあやりましょうか」

片手で模擬剣を素振りするとフォンっという空を切る音がした。

「ユウを矯正しなくちゃ...今日は手加減しないから。さぁ抜きなさいユウ」


アンリの剣からは殺気を感じた。僕はリリアンヌのことを詳しく聞きたかったのだが、アンリに気圧されたのかおずおずと模擬剣を抜き、構えた。

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