2.日常に飛び込む非日常という名の日常
この作品は、真っ当にヒーローが活躍することはありません。タブンネ。
授業中にテロリストが襲撃してくる妄想なんて、誰しも一度はしたことがあると思う。
別にテロリストじゃなくてもいい。モンスターとか、妖怪とか、最近だと異世界の魔王が飛んでくる、なんて妄想もありだろう。
ヒマなときに、ふと考える非現実。
……ただしそれは、十年前の『あの日』を境に、日常になりつつあるのだが。
「ぐぐ、ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃっ! この教室は俺様が占拠したァ――!」
蟹のハサミのような右腕を振り上げる怪人が、ぎゃりぎゃりと歯を削るような喋り方で吠える。
平和な授業の風景が一転、最悪の事件現場に早変わり。
ちなみにコイツ、五分前まで数学の授業を行っていた教師であり、美羽のクラスの担任である。どうしてこうなった。
普段と変わらない退屈な授業中、唐突に教師がうつむいたと思ったら、変な笑いを上げ始め――それと同時、腕が膨張し、蟹のハサミに変型したのである。生徒達の目の前で。普通にトラウマものだ。
実際、顔を青ざめさせている生徒の半数は、怪人への恐怖よりも、目の前で見知った人間が怪物に変化したことへの忌避感の方が強いだろう。美羽も、小学生の頃に見たら吐いていたかもしれない。
と、そんなことを美羽が考えているうちに、怪人が生徒に近づいた。生徒達は皆教室の後ろの方に固まっているのだが、その中でも出入り口に近いグループに怪人は向かう。逃がさないためだろうか? ――美羽の予想が正しければ、恐らく違う。
「ぐぎぎ。腕、うでェ、切りだいィい!」
「ひぃぃい」
「いやぁ!」
この蟹腕男は、人体を切りたい衝動に駆られているらしい。普通に怖い。
「お前らァの、腕を切るのは楽しいだろうなァ。どォせ使わない腕だけどなァ! 良い声で叫んでくれるだろォ!? いつもみたいにさァ!! ぐぎゃぎゃぎゃぎゃッ!」
……あぁやっぱり。
予想の一つは、今の言葉で正解だとわかった。怪人が狙う生徒達は、授業中に特にうるさかったグループだ。恐らく、あの怪人はあの生徒達に対してかなりのストレスを感じていたのだろう。そして、怪人化したことで理性が消え、欲望を爆発させた。
……こっちを巻き込まないでくれるかなぁ。
などと、割と最低なことを心中でぼやいていると、いつの間にか怪人の前に立ち塞がる人間がいた。
「やれやれ。私の有意義な時間を奪わないでくれるかね」
名前は何だったか。クラスメイトではあると思うが、あまり印象の強い人間ではないので、思い出せない。決して美羽が他人の存在を記憶する気がなかったわけではない。ないったらない。
というかこの流れ、昨日経験した気がする。ヒーローの方々はいつもこんな感じに怪人と遭遇するのだろうか。契約精霊に急かされて授業中に脱出する魔法少女とは大違いだな。
「二口ィ。お前ェが、腕を切らせてくれるのかァ?」
「悪いがね。生憎と、私の腕は貴様ごときにくれてやるほど安くはないのだよ。――勉学のために、必要だからね」
勤勉な生徒じゃん。二口何たらくん。
「ぐぎゃ! 赤点常習犯のド底辺には不要だろうがァ、二口ィ!」
ええ……そんな知的っぽいキャラ演じてて赤点なのかよ……。
「ふん。高校の試験程度で私を計れるものか。現に、小学のテストでは、私は常に満点だったからな」
「高校のレベルについてこれてねェってことだろ落ちこぼれェ」
「その見方は正しくないな」
二口少年は長い前髪をふさぁ……と手で払い除ける。その際、眼鏡に手が触れてずれたため、こっそり直していた。
「私は常に、私に必要なものだけを取得している。高校の試験には無駄が多く、私には必要のないものばかり出題された。ただそれだけのことさ」
「この高校の甘々な赤点程度回避できずにほざいてんじゃねェぞォ!」
自分理論をすまし顔で語る二口にいい加減焦れた怪人が、右腕のハサミを鳴らして威嚇する。
対し、二口は退屈そうに息を吐いた。
「……貴方は、私が何者なのかを知っているだろう。それでもなお、無駄な戦闘を行うつもりか?」
担任の先生だから、二口がヒーロー(恐らく)であることを把握している、ということだろうか? 周りの生徒達にとっては訳がわからない状況だが、怪人の意識が二口に集中していること自体は喜ばしいので、これ幸いと巻き込まれないように逃げている。――ただし、教室の外に出ている者は一人もいないのだが。
「ゴニンジャー、だったかァ? 確かに五人揃ったら危険だァが、一人なら弱い……違うかァ?」
「ふむ。なぜ、郡の騎士、個のヒーローと呼ばれているのか、わからないわけではあるまい? なのになぜ、そのようなことが言えるのか……理解に苦しむね」
まぁいい、と二口は吐き捨て、
「仮にその認識が正しいとしても、だ。時間は十分稼いだとも思わんかね?」
「ぐぎゃ? ……何が言いたい」
「ゴニンジャーが集結する、ということだよ。授業中だから、彼らも教室にいるしね」
……ん? つまり、ゴニンジャーは皆、この高校に通う生徒ってこと?
世界って狭いなぁ……。
しかし、二口の言葉の通りならば、もうじきヒーローチームが集結する。ゴニンジャーはそれなりに名の通った強力なチームだ。怪人は容易く倒されるだろう。
けれど。
「ぐぎゃッ」
蟹男は、嗤う。
「ぐぎゃぎゃぎゃぎゃ――ッ!」
「……、何がおかしい?」
二口の問いに、怪人は侮蔑を隠しもしない声音で答える。
「こォれが笑わずにいられるかァ! 俺様が最初に何をしたのか、お前は気づかなかったのかァ? ああ!? ヒーロー様よォ!!」
「なに?」
……美羽の予想が正しいのならば。
この教室は、外界から切り離されている。
「俺様は、【絶対切断】の力で、この教室自体を切ってやったのさァ! 外の世界から、まるごとなッ!!」
なぜ、誰も教室から出て逃げなかったのか。
答えは、教室から出ることが不可能だったからだ。
……空間切断とか、なんでそんな強力な能力を、こんなやつが持っているんだ……。
「……なるほどな。空間を切り取り、我々を閉じ込めた、ということか」
ならば仕方あるまい、と二口は覚悟を決めたように呟く。
制服の内ポケットから青い手袋を取り出し、両手にはめた。ヒーローとしてのトレードマークなのだろう。特別な力が宿っているようには見えないが、ヒーローとして戦うための自己暗示にはなり得る。
「――青き水流のコバルト」
なんで無難にブルーじゃないんだよ、という誰かのどうでも良い呟きが美羽の耳に届く。
二口の体から魔力が溢れだし、剣の形を成す。淡く青い輝きを放つそれを握り、二口は宣言した。
「私一人で相手をしよう。なに、貴様程度の怪人、他の四人がいなくとも問題ない」
ヒーローとは、もとより個にて強大な魔を打倒する存在。
チームを組んでいるとはいえ、一人で戦うのが弱いわけではない。
それは、昨日のゴニンジャーのリーダー、赤き情熱の某の戦いを見ればわかる。
だが――。
「おらァ!」
「ぐぺら――ッ!?」
一撃、であった。
勢いよく振るわれた怪人のハサミを二口は剣で受け止めようとしたのだが、そのガードは一瞬すらもたなかった。硝子が砕けるような音を立てて剣が折れ、全く勢いを失うことのなかった怪人のハサミが二口の腹を裂く。
幸いにも、真っ二つになった死体が転がることはなかった。ヒーローが戦闘時に行っている自己強化の恩恵だろう。
だが、盛大に血飛沫を上げて倒れ伏すクラスメイトの姿は、一般高校生には刺激が強すぎる。
女子の甲高い悲鳴と、男子の太い絶叫が教室をビリビリと震わせた。それが歓声にでも聞こえているのか、怪人がぎゃりぎゃりと異音を発しながら哄笑する。
「ぐぎゃ、ぐぎゃぎゃぎゃぎゃ――ッ! もう俺様を止めるものォはなァい!」
「ぐ……くそッ、わ、たしの……剣が……ッ」
魔力の残滓となって空気中に溶ける己の剣と、それを為した怪人を必死の形相で睨み付けながら、床に這いつくばる青き水流の二口。
そんな瀕死の教え子をニタニタと見下ろしながら、怪人はなおも笑う。嗤う。
「おォッとォ……腕ェ、切らねェとなァ? 切る、切るゥぜ? ぐぎゃ!」
ジャギンッジャギン! とハサミを鳴らす怪人。
「俺様、お前、ぶったぎり――!!」
強力な能力を宿したハサミが、振り下ろされる――。
その、直前で。
「木符、起動。捕縛術式展開、実行」
別のヒーローが、動いた。
――いや、分類的にはヒーローではない。
「ぐぎゃゥ!?」
「続行及び派生命令。絞殺術式展開、実行」
陰陽術、或いは呪術系統に連なる魔術を扱う者達――。
社会の影で闇を討ちながら、己の術を極め、世界の真理を解き明かすことにのみ執着する狂人ども。
――魔術師、或いは魔導師と呼ばれる存在。
「はぁ。放っておいてもどうにかなると思って静観していたけれど、やっぱりヒーローは使えないわね」
毒を吐く魔術師は、クラスでは特に目立ったところのない普通の女子生徒だった。いや、冷たい美貌は一部で有名であったし、何なら美羽は彼女と多少関わりがあったので名前も知っているが――それはさておき。
術式の書かれた札を油断なく構えながら、少女――八重崎楓は二口を睨み付ける。
「ゴミがしくったせいで、他が迷惑するのよ」
「わた、しは……クールに……戦った……!」
「……、そのまま死になさい」
辛辣であった。助ける気はないらしい。
……とりあえず、こっそり回復魔法をかけておこう。
心優しき少女である美羽は、例え名前すら覚えていなかったクラスメイトであっても、目の前で死なれるのは心が痛むのである。
と、そんなやりとりをしている間も、楓の魔術が怪人を絞め殺そうとしていた。腕ほどの太さの木の幹がギチギチと怪人の体に食い込み、細胞を潰していく。
――だが。
「あ、やば」
美羽が思わず呟いた、直後であった。
「ぐ、ご、おおおおォォおおおォおおおおお――ッ!!」
バチンッ! と、太いゴムが切れるような音があった。
木の幹が次々に切り裂かれ、派手に飛び散る。何重にも巻かれていたはずの拘束樹は、しかし瞬く間に無残な破片と化す。
「俺様の、能力は……ハサミにだけ宿っているものではなァい……俺様のォ両腕は、どちらァも、全て、須く、悉く、切り裂く――ッ」
「そうね。で?」
札が、怪人の額についていた。
誰一人気づかないうちに、必殺の術式は、起きていた。
「――ぎゃ?」
切り裂かれたはずの木が、怪人の頭を貫いた。
鋭く尖ったそれが、怪人の頭蓋をこじ開けて通り、天井を目指して伸びる。
しかしその木は途中でいくつも枝分かれし、激しく反り返って地へ向いた。否。怪人の体へ、照準を合わせた。
数多の枝が、怪人の肉体を突き刺す。肉を食い破って再び外気に触れた枝が、また複数に分かれる。骸を突き破る。分かれる。刺し貫く――。
「――なんて、惨い」
ヒーローの言葉は、恐慌状態の教室では誰の耳にも届かない。
この事態を引き起こした張本人にして(一応)生徒達を救った英雄でもある魔術師の少女は、周囲の惨状を見回して、たった一言。
「面倒ね」
どこからか取り出した札の術式は、人の意識に干渉するものであった。
◆ ◆ ◆
結果として今回の事件は、教師が怪人化し、ゴニンジャーの一人が倒した。ただそれだけのことになった。
クラスの変な人から一転、カッコイイヒーローとして認識されるようになった(一応正体を隠して活動していたらしいので、問題らしいが)二口某くんは、実際に怪人との戦闘を見ていたはずのクラスメイトがその時の情景を詳細に思い出すことができないにもかかわらず、串刺し公爵というあだ名で呼ばれるようになった。本人は「私は突き技主体で戦うわけではないのだが……」と首をひねっていたし、実際彼は敗北していたのだが、世間的にはそういうことになった。
「いいの? それで」
「昔からそうでしょ。私達が戦って、手柄はヒーローに」
クラスメイトの意識を奪い、軽く記憶操作を行った非道な魔術師・楓は、特に何も感じていない風を装って美羽の問いに答えた。
「あの頃とは少し事情が違うけれど。魔術師は、一般に認識されるべきではない存在だし」
「……、そうだね」
運営母体は民間だが、世間に広く認識されるヒーロー。
国家が舵を取り、確固たる信頼の元に動く騎士団。
それらから少し外れた存在が魔術師である。それは、一般人を救うという理念が共通する前者二つと違い、魔術師が怪人討伐を「魔術研究のついで」として認識しているからであった。
「ああでも、ちょっと面倒なことにはなるかもしれないわね。別方面で」
楓はスマートフォンの画面から目を逸らさないまま、こう言った。
「あの怪人が接触した使徒、憤怒の竜みたいね。魔力の残滓が感じられたわ」
「憤怒の竜……」
思っていたより大物の名が出たな、と美羽は人ごとのように呟いた。
そんな美羽の様子をちらりと横目で見て、楓は溜息を零す。
「やっぱり貴女は、今回も動かないの?」
「……別に、私が動かなくても、大丈夫でしょ」
この街のヒーローは強い。ゴニンジャーの青はちょっとアレだけど、彼らの他にも戦えるヒーローは沢山いる。楓のような魔術師だって、表には出ないし裏では碌なことをしていないが、並の怪人程度に後れを取ることは滅多にないだろう。
「そう」
楓はそれ以上、何も言わなかった。
ちょっとずつ色々動かしたいなぁ、とは思います。ちょっとずつね。
ちなみに切り取られた空間は、しれっと美羽が直しました。