1.ある世界の日常風景
町中で、猿みたいな怪人が暴れていた。
ごく一般的な女子高生である佐伯美羽としては今すぐ背を向けて逃げ出したいところだが、そうもいかない事情があった。
別に正義の味方だからとか、実は秘密の五人組ヒーローの一員だからとか、そういうわけではない。……正確には似たようなものであったが、ちょっと今は認めたくない。
件の怪人の能力――【強制捕獲・催眠能力】により、怪人の周囲十メートルにいた人間、それも女性だけが、謎の粘着糸によって捕まってしまっているからである。勿論、うら若き少女である美羽も捕獲対象であった。ちくせう。
ちなみに、能力については怪人が声高に語っていたから知っている。アホかな。
「うけけけけけっ! おで、おでは、ようやっと、四十年の悲願を果たすのだ! うきゃ、うきゃきゃきゃきゃッ!」
これ、恐らく……いや、確実に「狂信者が邪神を復活させる」とか、そういうアレではない。目でわかる。だってこいつ、さっきから捕まえた女性の胸と尻しか見てないし。クソ猿が、死ね。
「助けてえ!」
「いやあ!」
……などなど、甲高い悲鳴が街に響く。けれど、善良な一般市民は遠巻きに眺めるだけだ。いや避難しろよ。
「うきゃ! ふひ、良い、うへッ、そだ。催眠、催眠……おでは催眠の力で……うけけけけッ!」
そういや捕まえるだけが能力じゃなかったんだっけ。一つの能力で二つの力って、なんかずるい。そういうのってもっと物語の後半で出てくるやつだろ。……いや誰の物語なんだ、この場合。この怪人が主人公だったら美羽も地獄を見ることになるのだが。
この世界が誰を中心にした物語なのか、なんて。中学生くらいの自分に聞いたら、「私の物語」なんてイタい答えが返ってくるかもしれないが――生憎と、この世界には『主人公』は沢山存在する。
例えば――今、怪人の前に降り立った、赤いマスクのそいつとか。
「そこまでだ、怪人!」
「うけ!?」
赤いマントを靡かせて、赤い手袋に包んだ拳を怪人に向ける少年。妙に赤色ばかりの装飾がなければいたって普通の男子であろうそいつは、市民の危機を救う英雄の如く勇ましく吠える。
「赤き情熱のレッド!」
「うけぇ!?」
「……、」
「うけ?」
「……、」
妙な間があった。
こぶしを上に振り上げた決めポーズのまま、ぴたりと赤き情熱の某は止まっている。
そして、数秒の後、
「五人揃って、ゴニンジャー!」
いや一人しかいないが。
もしかしてさっきの妙な間は、本来他の四人の仲間が台詞を言うシーンだったのだろうか。
「うけけっ、ゴニンジャーめ! このおでの卒業式を邪魔するなぁ!」
「え、卒業式? ごめん、式はしっかりしなきゃ駄目だよな……」
何謝ってんだコイツ。隠語だよ察せよ純真過ぎるだろ。明らかに文字通りの意味じゃないってわかるだろ。
「だが一般の女性を無理矢理卒業式に参加させるのは見過ごせない! 招待すべきはお世話になった親族や、親しき友人だろ!?」
マジかコイツ。本気で文字通りの卒業式を怪人がしようとしているとでも思っているのか。
「うけ!? お、おおおお前、は、初めてを見られながら……それも、家族や友人に!? ややややヤバイ」
怪人が引いてるし。いや気持ちはわかるけども。
「ん? ……ん? いや、見た感じ、どう考えても初めての卒業式じゃないだろ? 大学の卒業式とかじゃないのか?」
「大学で卒業できなかったおでを馬鹿にしてるのかぁぁあああぁあぁああああ――ッ!!」
話がかみ合っていないけれど、結局戦闘にはなるらしい。怪人が能力の捕獲糸を飛ばす。
けれど、さすがヒーローを名乗る者。怪人の糸をひらりと躱してみせた。
「くッ、やはり話し合いでは解決できないのか……!」
煽ったのはキミだけどね。
美羽の心の中の呟きは、勿論赤き情熱の某には届かない。
「五人のヒーローの力を見よ!」
「いや一人だろ」
思わず声に出た美羽の突っ込みを他所に、少年は拳を天に掲げるようなポーズを取る。こいつそれ好きだな、名乗りの時もやってたし。
「うおおおお! 必殺!!」
「うけッ!?」
少年の強く握った右手に、力が――魔力が収束する。強化のために全身に回す魔力を、一カ所に集中させているようだ。必殺というか、諸刃というか。美羽の目にはかなり危なっかしく見える。
そして――少年は拳を引き絞り、
「ファイブ☆ボンバァぁぁぁあああああぁぁあぁああああああああああ――ッ!!」
膨大な魔力を爆発させて、撃ち放った。
「ぐぎゃげえええええぇえええぇえぇぇええええええ――ッ」
回避に失敗した猿怪人は、なんとか能力の糸を使って防御を試みたようだが――無駄。少年の必殺の拳は糸の盾を容易く突き破り、怪人の腹を深々と抉った。
土手っ腹の風穴から、どす黒い血が噴き出す。
……コメディー映画みたいな戦闘のくせして、こういうところはリアルなのだ。
現実なのだから、当たり前のことなのだけれど。
「ひっ」
「き、きゃああああぁぁあああああああああ――っ!」
怪人が打倒され、能力が消えたとしても、具現化したものはなくならないことも多い。今回も現実に残るタイプだったようだが、能力によって強化されていた『捕獲』の部分が消失した影響で、女性の力でも容易に脱出できた。
そして身軽になった女性達が、次々に悲鳴を上げて、逃げだす。
漂う血臭から、逃げ惑う。
或いは――、
「お、落ち着いてください! 怪人は倒しました! もう脅威はありません!」
「ひぃ!」
「な、殴るだけで、お、おなか、あいて、ひぃ、いやああああああぁああぁああっ!」
より強い脅威から、逃げ惑う。
助けた市民から怯えられたヒーローは、怪人の死体と共にぽつりと残されてしまった。
そして、近づいてくるサイレンの音を聞きながら、ただ一言、こう呟く。
「……俺も、コミカルに敵を倒せる能力があればなぁ」
◆ ◆ ◆
ちなみに、混乱に乗じて美羽も脱出していた。
別に、ヒーローの少年が恐ろしかったわけではない。むしろかわいそうだと思う。まぁ他の女性達と一緒に逃げている時点でそんなことを思う資格はないのだが。
ともあれ、美羽にも事情があった。
「うーん……完全には死んでない、かな。辛うじて息してるっぽい?」
少し離れたビルの屋上。本来誰も上がることのできない、固く施錠された階段の先にあるそこで、少女は何とはなしに呟いた。
怪人の能力が切れたのは、ショックによって意識が飛んだからだろう。制御できなくて消失した。暴走する要素はなかったが、怪人の持つ能力というものは未だに謎が多いので、幸いなことだ。
「さて」
腹に大きな穴が空いた猿怪人は、放っておいても死ぬだろう。突き抜けた異形の見た目になっているわけでもないし、死骸は警察がきちんと回収し、基となった人間がどこの誰なのかもきちんと判明するはずだ。もし猿怪人が二つ目の能力を隠し持っていて、仮にそれが強力な再生能力だったとしたら話は別だが――。
「ま、それはさすがにないと思うけど」
言いながら、美羽はその細い指を、血海を広げる怪人に向ける。
「このくらいなら、変身も要らないし」
僅かな魔力の動きがあった。
しかし、本職として戦うヒーローの少年すら感知できないほど小さな動きは、絶大な効果をもたらす。
「散れ」
唱えた呪文は、たったそれだけ。
直後、――猿怪人の死骸が爆ぜた。
「……ちょっと魔力込めすぎたかな」
飛び散った肉片を頭から被りあたふたするヒーローの少年の姿を尻目に、美羽はそっと溜息をついた。
瀕死で横たわるヒトを爆破するとか、こいつとんでもねぇ悪党だぜ。
リハビリのために書いたので、続きは不定期です……気長にお待ちください……。