前編
ルイーズの兄である、レナード視点のお話です。本編の舞台裏をもう少し語ってもらいます。
今日は妹の学園卒業パーティ当日。私はパーティが開催されているホールに隣接した控え室で両陛下と共に息を潜めながら、隣で繰り広げられている婚約破棄騒動を、まるで観客のような心持ちで聞いていた。
…ふん、殿下にしてはなかなかの演技力じゃないか。
殿下の宣言を聞きながら、私は投げやりにそんな事を思う。気になるのは妹が――ルイーズがどんな思いでこの言葉を聞いているのか、それだけだ。ここからではカーテンの隙間からホール内を覗いても、後ろ姿しか見えない。アイツが泣いているんじゃないかと、それだけが気がかりだった。
さて、まずは自己紹介をしようか。私の名はレナード・クレイトンという。クレイトン侯爵家の第一子で、次期侯爵となるべく、それなりの期待とプレッシャーの下で育てられた。学園を卒業した現在は父と同じく王城の財務部で働いている。そんな私の家族関係は、高位貴族にしては珍しく円満で温かいものだ。両親は恋愛結婚でいつも大変仲が良く、また、基本的に二人とも優しく穏やかで、争いを好まない性格だ。そして私より一年遅れて生まれた妹は、とても可愛らしい。
だが、この妹は昔から少し変わっていた。頭がおかしいとか、そういう事ではない。むしろ頭はめちゃくちゃ賢い。ただ、何というか…そう、子供らしくないのだ。そんな事を言うと、お前も十分子供らしくないぞと親には言われそうだが。…まあ、今は私の事は置いておこう。
妹は物心ついた頃から、学問と魔術の習得に異様なほど熱心だった。周りの貴族の子女達は、いかに家庭教師から逃げて遊ぶかに躍起になっていたのに、だ。妹はいつも何かに追いたてられているかのように、ひたすら真面目に勉学に励んでいた。
「なぁ、ルイーズ。勉強はそんなに楽しいか?」
ある日の家庭教師を待つ時間。私は隣で課題の本を静かに読んでいた妹に、何の気なしに問いかけた。彼女はきょとんとした表情を私に向けると、少し考える素振りをして答える。
「楽しい…とは少し違うかもしれません。必要だと思うからしている、という感じでしょうか。」
「それは悪いことではないが…普通に考えて、そこまで頑張る必要はないと思うぞ。」
実際問題、茶会などで私に群がってくる貴族令嬢達は勉強よりも社交、というか見目を磨く方面ばかりに力を入れていて、簡単な政治問題の話を振っても碌に会話が成り立たない。あんなのに比べれば充分すぎるほどの知性をこの妹は兼ね備えている。
「…そうかもしれません。ですが、先の事は分かりませんから。」
僅かに苦悶の表情を浮かべて、妹は自分に言い聞かせるようにそう呟いた。まるでこの先起こる未来の何かが、彼女には見えているかのように。
妹が9歳になった頃、王家から第二王子の妃候補の打診があった。どうも父の上司である老公爵がクレイトン侯爵家を推薦してくれたらしい。正直うちの家族は出世とか権力とかそういうものに対する欲は薄いので、あまり喜ばしくない話だった。
「第二王子殿下のお妃候補、ですか…?」
妹の表情は純粋に驚いているというより、信じたくない事を聞かされてショックを受けているという印象だった。
「ああ。まだ内定の段階だが、特に問題がなければこのまま決定になるそうだ。」
父の言葉に私は内心で舌打ちする。問題などあるはずもない。妹はこの歳で既に学園に入学できるレベルの学力を身に付けていたし、魔術も中級レベル程度なら思いのままに操れるようになっていた。その上ダンスや刺繍などの令嬢の嗜みと言われる事柄も一通りそつなくこなせるのだ。断られる可能性を探す方が難しい。
私はふと思い出した事を父に尋ねる。
「第二王子と言えば、昨年王太子になられたのですよね?」
「ああ、第一王子殿下はルーディスに移住されるらしいからな。」
「という事は、第二王子殿下の妃というのは、未来の…。」
「…ああ。この国の王妃であり、国母になるという事だな。」
私と父が顔を引き攣らせながら妹に視線を向けると、妹は無言で固まっていた。とはいえ、結局のところ王家直々の話にこちらが否などと言えるはずもなく、妹はそのまま殿下の婚約者に決定した。その頃から、ルイーズは以前にも増して何事にも必死で取り組むようになった。
10歳になる頃、妹は急に精霊の事をよく話題に出すようになった。精霊などという伝承やお伽噺の中の存在に興味を持つなんて、随分年相応の女の子らしくなったものだ、と感慨に耽ったのも束の間。どうやら妹の本当の関心は精霊召喚の魔術だと分かり、愕然とした。
「…は?精霊を召喚する方法?」
「はい、色々な文献を調べた結果、数代前の王の時代には、そういった術を使える魔術師がいたようなのです。」
「…いやいやいや、ちょっと待て。精霊なんてお伽噺の中の存在だろう?そんな術、聞いた事もないぞ?」
私は頭を抱えるが、妹は一歩も引く様子はない。
「はい、ですが国の歴史書にもそういった術の存在が残されておりますわ。」
そう言って文献を机の上に広げて私に示す。どうやらこれは本気で言っているらしい。私は頭痛がしてくるのを感じた。とりあえず、妹の目的を確認した方がいいな。
「分かった、では万が一そんな術があったとしてだ。お前はそれを使って何をしようと言うんだ?」
「それは…。」
言葉に詰まった妹は視線を周囲に彷徨わせる。
「家族にも言えない事なのか?」
「…申し訳、ありません。」
悲しそうに唇を噛み締めて俯く妹に、私はため息を吐く。
「…無理に話せとは言わない。だが…話せる時が来たら、聞かせてくれ。私も父上達も…お前の言葉なら、絶対に信じるから。」
「お兄様…。」
妹を苦しめたいわけではない。それに、私達を信じていないわけではないのだと思う。だからこそ、それ以上の追及は避け、ポンポンと優しく妹の頭を撫でる。
「絶対に、悪用はしないと約束できるか?」
「っ!では…。」
「私の方でも、精霊召喚魔術については、色々と当たってみよう。」
私の言葉に、妹は瞳に涙を滲ませて微笑んだ。
「はい。ありがとうございます、お兄様。」
その後、私は可能な限り妹の願いを叶えてやる為に奔走した。精霊に関する文献を取り寄せたり、魔術師の知り合いに片っ端から声をかけて、古の魔術のどんな些細な手掛かりでも探し回った。妹もまた、王城の書庫で文献を調べたり、殿下に頼み込んで精霊伝承の色濃く残る地方など、一部王家が立ち入りを禁止している区域への視察の許可を得るなど、あらゆる伝手を使って調査を進めていた。その甲斐あって、妹は学園に入学する13歳直前くらいには、精霊召喚の魔術書を入手するに至ったのだ。それからは召喚実験の日々が続いていた。
そうこうしている内に学園を卒業した私は、内部進学せずにすぐに王城で働く道を選んでいた。近い内に王家に嫁ぐであろう妹の為に、少しでも王城内に味方を増やしておきたいという思惑もあったが、殿下や王家の動向が気になっていたというのもあった。妹があれほど完璧な令嬢であろうとし、かつ、古の召喚魔術までも習得して備えようとする程の何か、それは王家に関係があるのではないかと、感じていたのだ。
「レナード・クレイトン様。少しよろしいですか?」
ある日の午後の仕事が始まる少し前、見慣れないメイドが財務部の私の席までやって来てそう言った。
「何でしょうか。」
「王妃殿下が、貴方にお話したい事があるとおっしゃっています。」
「は?王妃さ…殿下が私に?」
私が目を丸くして聞き返すと、王妃付きのメイドらしい彼女は静かに頷く。
「それほどお時間は取らせません。責任者にもお伝えしておきますので、どうか。」
「…分かりました。」
王妃様直々の呼び出しを断わるほど私は向こう見ずではない。仕方なく隣席の部下に一言伝えると立ち上がった。
そのままメイドに連れられて、王妃様の下へ向かう。着いた先は王妃様のお気に入りらしい庭園の一角のテーブルだった。既に到着されていた王妃様は優雅に紅茶を飲みながら花々を見つめている。
「殿下、レナード様をお連れいたしました。」
「ご苦労様。彼にも紅茶をお願いできるかしら?」
「はい。」
王妃様はメイドに指示を出すと、私に視線を向け、立ち上がる。
「急にお呼びだてして申し訳ありません。よく来てくれましたね、レナード殿。」
「いえ、どうぞお気になさらず。」
申し訳なさそうに謝る王妃様に私は首を振って礼をとる。王妃様はこくりと頷き、そのまま向かいの椅子を勧めた。私は促されるままに彼女と向かい合う形で腰かける。メイドが紅茶を注いでいるのを視界の端に捉えながら、私は口を開いた。
「それで、ご用件は?」
私の問いに、彼女は少し難しい表情を浮かべる。
「…カーレルの事なのです。」
「殿下の?」
殿下の事なら、私よりもルイーズの方が適任だろうに。そんな心の中の思いが顔に出ていたのか、彼女は苦笑を浮かべると、補足するように続けた。
「カーレルとルイーズちゃ…ルイーズ嬢も後半年で学園を卒業するでしょう?」
いつもの愛称を使いかけたが、一応私の前では正式な呼称を使う事にしたらしい。正直私はどちらでも構わないのだが。そんな事を思いつつ、私は特に気にした風もなく頷く。
「ええ、そうですね。」
「そうなると、そろそろ二人の婚儀の事も考える必要があります。」
「はい。」
私が頷くと、王妃様はややためらう様子を見せる。
「それに当たり…ルイーズ嬢には王子妃教育の成果を見せてもらう必要があるのです。」
「王子妃教育の…成果?」
私が眉を顰めると、彼女はこくりと頷く。
「はい。代々の王子妃が皆通ってきた道です。彼女が何らかの危機に陥った時の考え方、立ち回り方…総合的な心の強さを見極める必要があるのです。」
「…。」
「親族である貴方やご両親には非常に申し訳ないのですが…。」
言い難そうにそう告げる王妃様。…まあ、言っている事は分からなくもない。とはいえ、納得できるかは別問題だ。
「具体的に何をしようとしているんです?」
「…それはまだ。正にそれをカーレルが悩んでいるところなのです。」
…なるほど。それで私を呼んだ訳か。
「…察していただけたようですね。」
「殿下の力になってやって欲しいと、そういう事なのでしょう?」
「…はい。」
「私が、妹を陥れる方法なんて、考えて差し上げると思いますか?」
挑戦的な目で王妃様を見つめると、彼女は困ったように眉を下げる。
「ええ、普通なら無理でしょうね。でも…この試験は避けて通れません。ならば、少しでもルイーズ嬢にとって良い道を、貴方なら見つけようとしてくださるのでは?」
そう言った彼女は頼んでいるようでいて、決して断られるとは思っていない目をしていた。…食えないお方だ。
「分かりました。今日の業務後にでも、殿下と話してみましょう。」
「ええ、よろしくお願いします。」