四話
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精霊が姿を消すと、ルイーズは力が抜けたようにふらふらとその場に座り込んだ。そんな彼女の肩を支えたまま、私は彼女の顔を覗き込む。
「ルイーズ!大丈夫か!?」
「問題ありません、わ。少し休めば魔力は回復いたしますから…。」
「だが…!」
疲労の色を滲ませつつも、あくまで侯爵令嬢としての顔を崩さず、微笑みすら浮かべてみせる彼女に、私はやるせない気持ちになる。私の前でくらい、弱さを見せてくれても構わないというのに。
そんな私の胸中も知らず、彼女は自分の肩にかけられた手にふと視線を向け、上目使いに私を見上げた。
「…あの、殿下?なぜ私の事を心配してくださるのですか?」
不思議そうに問いかけてくる彼女に、一瞬何を言われたのか分からなかった。しかし、すぐにその意味を理解すると、つい大きな声が出てしまう。
「当たり前だろう!婚約者の心配をしない男がいるわけがない。」
愛する女性を心配するのは当然の事だ。そう思っての発言だったのだが、当の彼女はやはり首を傾げたままで。
「いえ、ですから、私との婚約は破棄なさるのでしょう?」
「は!?」
「先ほどそうおっしゃったではありませんか。あちらのシェリル様と改めて婚約を結ばれるのですわよね?」
そう言って彼女が壇上で立ち竦んだままのシェリルを目で示す。それを見て私もようやく自分の立場を思い出した。彼女を心配するあまり、芝居を途中で放棄していたのだ。今の私は彼女にとって、他の女性の言葉を信じて自分を悪者に仕立て上げ、婚約を破棄しようとしている最低な男でしかない。その事実に思い至った私は慌ててルイーズの両肩を掴んだ。
「そ、そんなわけないだろう!私の婚約者は後にも先にも君だけだ!」
「え?ですが…。」
「あれは芝居だ!事情は後で話すが、私は君との婚約を破棄などしない!そもそもあの娘と婚約するなんて一言も言っていないだろう!」
そう、少なくともあの娘と婚約をするなどとは断じて言っていない。嘘でも言いたくなかったのだから。なのに何故、彼女の頭の中ではそんな風に変換されているんだ。
私が焦って釈明すると、彼女は口元に手を当て、自分の記憶を辿るように考え込んだ。しばらくすると、どうやら最初の私の台詞を思い出してくれたらしい。彼女は小さく「確かに」と納得したように呟き、私はほっと胸を撫で下ろした。
それにしても、先ほど私の両親が何らか関与しているという事はすぐに察してくれたのに、こういうところはまったくと言っていいほど察してくれないのは何故なのだろう。昔からそうだが、彼女は自分に向けられる好意に対して、疎すぎるのではないだろうか。
内心で苦悩する私を他所に、彼女は続けて次の問いを口にした。
「ではその事情というのは?」
「それは…。」
私が今回の一件について、洗いざらい告白しようとしたその時――
「ルイーズ・クレイトン嬢。見事であった。」
「さすがルイーズちゃんだわ。」
そんな明るい声と共に、今回の元凶とも言うべき二人がこの場に現れた。突然の最高国家権力者の来訪に、ホール内に再び動揺が走る。そんな周囲の様子を物ともせず、堂々とこちらに近付いてきた二人は、未だ状況を飲み込めていないルイーズに対し、交互に事情を説明し始めた。
「二人はこの学園を卒業したら婚姻を結ぶ事になっているでしょう?」
「…はい。破棄がなければそうなる予定でしたが…。」
母の問いに対し、どう答えればいいのか、と戸惑った表情を浮かべる彼女に、私は慌てて横から口を挟む。
「ルイーズ!私は君との婚約を破棄などしない!だから先ほどのは全て芝居だと…!」
再び言い募ろうとした私だったが、母が黙っていろとばかりに自分の身体を私とルイーズの間に割り入れる事で遮った。
「…というわけで、まあ、二人は予定通り結婚する予定なのよ。そうなると、ルイーズちゃんの王子妃教育の成果を見せてもらわないといけなかったの。」
「成果…ですか。」
それを聞いて、ルイーズはどうやら今回の一件の意図に気付いたらしい。先ほどまで不安と戸惑いに揺れていた彼女の瞳が、しっかりと母に向けられた。
「簡単に言うと、卒業試験ってところかしら。危機に陥った場合の立ち回り方、考え方…総合的な心の強さを見るという事よ。これから王家の一員となれば、様々な場面でそういったものが必要になるから。」
ルイーズが真剣な面持ちで頷くのを見て、母は続ける。
「だからまあ何かルイーズちゃんを試す場が必要だったわけなんだけど、何しろルイーズちゃん優秀だから。」
そんな母の茶化すような声に、シリアスになりつつあった空気が一気に霧散した。ルイーズも先ほどと一転、目を点にしている。
「…はい?」
「全然なかったのよ。付け入る隙がね?勉強も運動も魔術も…誰も寄せ付けないし。生徒会活動もそつなくこなすし、生徒からも人望篤いし?」
「うむうむ。」
そう言ってニコニコと頷く両親。半年前、彼女の弱点を探し回っていたあの日々を思い出し、私はげんなりとため息を吐いた。
「…探すのに苦労したぞ。」
私がそう言うと、驚いたようにルイーズが私に視線を向けた。
「唯一、君に嫌悪感を抱いているのがシェリル嬢だった。まあ、正直私としては視界にも入れたくない人種だったがな。君にその卒業試験をクリアしてもらわないと、私と君の結婚が認められないと言われたら、耐えるしかないだろう。」
ようやくこの苦痛に満ちた日々が終わる、という思いで私は壇上を見上げた。既にシェリルとその取り巻き連中は騎士達に拘束されている。
「カーレル様!どういう事ですか!?」
喚き散らすシェリルを私は冷ややかな眼差しで睨み付ける。すっとルイーズを庇うように前に立つと、口を開いた。
「今更説明が必要か?」
「…っ。」
「ありもしない罪の捏造、偽証、自作自演。何よりも、我が愛しい婚約者への非礼・侮辱の数々、許されると思ったか?」
聞くに堪えなかったこの半年間のシェリルの欺瞞に満ちた言動。何の恨みがあって、ルイーズをそこまで貶めようとするのか。ルイーズに叱責されたという、一部事実はあったものの、それは決してシェリルを排斥しようとしたものではなく、あまりにも常識を弁えない行動を繰り返す彼女に対し、貴族としての在り方を説いただけのものだった。それを逆恨みしたからなのか、それとも別の理由があったのか、私には知る由もないし…知りたくもない。
「そんな!カーレル様!」
「黙れ!二度と私の視界に入る事は許さん!連れていけ!」
騎士が喚いているシェリルを問答無用で連行するのを見送ると、続けて私は拘束されているグレンとザキに目を向ける。
「…グレン、ザキ。」
「「殿下…。」」
「そなた達には失望した。あのような娘の甘言に惑わされ、ルイーズを貶めるとはな。」
かつての友にこのような言葉を投げ掛ける日が来るとは思いたくなかった。能力的にも、家柄的にも、将来は私の側近となるであろう二人だったというのに。何度、目を覚ませと願った事か。しかし、彼らは最後までシェリルに心酔していた。
「…返す言葉もございません。どうぞ、ご処分を。」
「…合わせる顔もないっす。」
跪いて項垂れる二人に、私は心を痛めつつも処分を下そうと口を開いた。
「そなた達は貴族位の剥奪を――「お待ちください。」
そんな私を止めたのは、傍らで呆然と事の成り行きを見つめていたはずの彼女。
「…ルイーズ?なぜ止める。」
「二人の行動の責任の一端は、殿下にもございますわ。」
訝しむように振り返った私に、彼女は臆する事なくそう告げた。
「…私にか?」
「はい。芝居であったとはいえ、殿下がシェリル様の傍にいたのです。それを周囲で見ていた者は、殿下がシェリル様の言い分を信じていると思っても仕方がありませんわ。」
痛いところを突かれた。例え内心はまったく違う思いでいたとしても、外からは確かにそう見えるだろう。私が彼らを助長したと言われても、言い返せない。
「勿論、彼らの心の弱さが大きな原因です。彼女の甘言に付け入られてしまったのですから。グレン様やザキ様はもっと客観的に検証を行うべきだったでしょう。ですが、彼らの行動にお墨付きを与えてしまったのは殿下です。」
冷静に意見を述べる彼女は、決してグレンやザキを庇っているわけではない。しかし、彼らだけの責任にして裁く事を是とはしなかった。正論過ぎる彼女の言葉に、私は口を閉ざすしかない。
そんな中、重くなった空気を吹き飛ばすかのように父の豪快な笑い声が響いた。
「はっはっはっ、さすがはルイーズ嬢だな。」
「父上…。」
「カーレルよ、ルイーズ嬢の言うとおりだ。そなたは自分の行動が招く影響をもっと自覚しなければならん。」
「…はい。」
私が神妙に頷くと、父が傍らのルイーズを振り返った。
「では、今回の沙汰はルイーズ嬢に任せるとしよう。」
「え、私ですか?」
「そなた以外の誰にもその権利はなかろう。」
その言葉に周囲の面々が大きく頷く。もちろん私もだ。彼女は困惑の表情を浮かべていたが、やがて諦めたように頷いた。
「…分かりました。」
一つ深呼吸をすると彼女が彼らに向き直る。
「ではグレン様、ザキ様にはもう少し実務を学んでいただきましょうか。学園の授業の後に王城で無償奉仕をしていただくというのはどうでしょう?確か外交部門と国境警備隊が今お忙しいと風の噂で伺いましたが。」
「ああ。確かにそうだが。」
彼女の確信めいた問いかけに、父が圧されるように頷いた。それを聞いて彼女もまた満足そうに頷く。
「グレン様は語学の成績がとても優れていらっしゃいますし、ザキ様も剣術については既にこの学園内では右に出る者がいないとか。お二人には自身の長所を活かせる場所で、もう一度自分を見つめ直していただきたいと思います。」
ちなみに、今日の卒業パーティは言うなれば前夜祭のようなもので、実際の卒業式は一週間後だ。それまでの間は基本的に自由登園制となる。多くの者は実家に帰り、卒業式の日に家族と共に再度学園に戻ってくるというのが通常だ。そして、私のような王族やルイーズのように嫁ぎ先が決まっている令嬢、その他地方から通っていて卒業後は家業を継ぐような者達以外は、大抵このまま同じ学園内の大学部に進学する。…ああ、レナードのように学園はもう飽きたなどと言ってさっさと社会に出たがる変わり者もいたか。
まあとにかく、グレンやザキは一般的な進学組だった。ルイーズはそんな彼らに、授業後は国家の為に働けと、それが今回の罰だと、そう言っているのだ。
「「ルイーズ様…。」」
信じられない、と言わんばかりに二人が彼女を見つめる。父や私も同様だ。あれほど悪し様に罵られ、名誉を傷つけられたというのに、それだけの処分で済ませるなど。
「ルイーズ嬢、本当にそれだけでよいのか?そなたの名誉を傷つけられたのだぞ?」
父がそう再度問いかけるが、彼女は何の憂いもないような表情で微笑んだ。
「構いませんわ。私は自分の名誉は自分で守ってみせますから。もしまた今回のような事が起こったとしても。何度でも。」
そんな彼女の言葉に、私達はただただ目を丸くして。清々しい程に強い彼女の心根に、一拍置いて吹き出した。
「…ふっ、はっはっはっ。さすがはルイーズじゃ。」
「本当に、見事な矜持だわ。王子妃として、申し分ないわね。」
満足そうな両親の言葉。どうやら今回の試験、文句なしに彼女は合格のようだ。万が一の手段は使わなくて済んだようでほっと胸を撫で下ろす。
「父上、母上…笑いごとではありません。私の立場がないではありませんか。」
「そうだなカーレル。もっと精進せねば、お前の方が見捨てられかねんぞ。」
からかうような父の言葉に、私は小さくため息を吐く。冗談では済みそうにない話だ。なにしろ相手は精霊まで味方につけた、現在この国で最強の人物と言っても過言ではないのだから。
…やれやれ、まさか、こんな展開になるなんて。
これから先、別の意味でも彼女が狙われる事が増えそうだと内心頭を抱えつつ、私はゆっくりと歩いてルイーズの正面に立った。どうしたのかと首を傾げる彼女の前で、私はその場に片膝をつき、彼女の手をそっと掬う。そして彼女の目を真っ直ぐに見つめて口を開いた。
「ルイーズ。改めて謝罪させてほしい。他に方法がなかったとはいえ、このような場で君を貶めるような発言をした事、本当にすまなかった。これから先は決して君を欺くような真似はしないと誓う。だから…どうか私と結婚してくれないか。」
これまで、こんな風にはっきりと彼女に自分の言葉で想いを伝えた事はなかった。元々婚約は両親が決めた事だったし、準備も何もかも周りが行っていたからだ。
だからこそ、全てが終わったら今度こそ自分の声で、言葉で、改めて彼女に申し込もうと決めていた。こんなやり方で彼女を試した私の事など、許してもらえないかもしれないとも考えたが、それでも私の意思は変わらないし、何度でも許しを請いに通うつもりだった。
ところが、今目の前に立っている彼女は、そんな身勝手な私を恨む様子も責める様子もなく、ただ純粋にその大きな瞳を驚きに見開いているだけ。
…ああ、やはり敵わないな。
彼女の懐の深さに感嘆しつつ、私は判決を待つ囚人のような心持ちで、俯き、彼女の言葉を待つ。そんな私の頭上から降ってきたのは――
「…はい。私も、殿下と共に生きていきたいですわ。」
そんな彼女の澄んだ声と、そっと握り返された手。先ほど触れた時よりも少しばかり温もりが戻っていたその手に、弾かれたように顔を上げれば、彼女の優しい眼差しが真っ直ぐに私に向けられていて。
目が合ったその瞬間、彼女は今までで一番の、心から幸せそうな笑顔を浮かべたのだった。
カーレル王子視点はこれにて完結です。
本編では語れなかった彼の心の中の葛藤にフォーカスして書いてみましたが、いかがでしたでしょうか。皆さまの中のカーレルのイメージが少しでも改善されていたら幸いです。
最後は番外編でちょいちょい登場していたレナードお兄様視点で書いてみたいと思います。もしよろしければお付き合いください。