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侯爵令嬢の矜持  作者: 結城 洋乃
番外編:第二王子の葛藤
6/9

三話

壇上からルイーズを睨むように見下ろすと、私は一息に言い放った。


「クレイトン侯爵家令嬢――ルイーズ・クレイトン!君のシェリル嬢へのこれまでの行い、もはや看過する事はできない!よって君との婚約は、今この時をもって破棄させてもらう!」


唐突な私の宣言に、ホール内にどよめきが起こる。その場にいた卒業生の面々は、驚きの表情を浮かべて私とルイーズを交互に見つめていた。まあ、ルイーズとシェリル、それぞれへの一般的な評価から考えれば、私が発狂してルイーズに言いがかりを付け始めたと思われても仕方がないくらいだ。ただ、さすがにそれをこの場で口にできる者もいないようで、皆ただ事の成り行きを見守っていた。


当のルイーズはと言えば、全く取り乱す様子もなく、ただ無言で私達の方を見上げたまま。いや、正確には私を――私の目の奥にある本心を、探るように見つめていた。私はやや緊張しながらその視線を受け止めていたが、どうやら先ほど心の奥底に押し隠したそれは、彼女にも見破れなかったらしい。やがて彼女は諦めたように目を閉じた。閉じる直前、彼女の瞳に映っていたのは失望の色。


…ルイーズ…。


その色を見つけた瞬間、心に走ったのは鋭い痛み。分かってはいたものの、彼女を傷つけてしまったという事実が、重く私の心にのしかかる。今さら引き返す事などできない私は、自分の拳を強く握り締める事で、どうにかその痛みをやり過ごすほかなかった。






「ルイーズ、何か申し開きはあるか?」


しばしの沈黙の後、私が問いかけると、彼女はピクリと反応してこちらを見上げた。その瞳にはもはや先ほど垣間見せた弱さも迷いも残ってはいない。


「はい。」


大きな頷きと共に、凛とした彼女の声がホール内に響いた。こんな状況下でも堂々とした姿勢を崩さない彼女に私は内心感嘆させられてしまう。しかし次の瞬間。


「まず、殿下。私との婚約を破棄したいとおっしゃるのでしたら、それは構いません。勿論、陛下や私の両親の了承を取っていただきますが。」


淡々と続けられた彼女の言葉に、私は凍りついた。


…破棄を、受け入れる?そんなにもあっさりと?


もっと正当な理由を出せ、とか、こちらの言い分を聞いてくれ、というような切り返しを想定していた為、一瞬言葉に窮する。


「君は…破棄を受け入れると?」

「はい。ですが、まだお話は途中です。」

「…続けよ。」


心の中で大きな衝撃を受けながらも、私は何とか続きを促した。そんな私の様子に彼女は訝しげに眉を寄せつつも、すぐに気を取り直して話を続ける。


「殿下が私との婚約を破棄し、そちらのシェリル様と婚約を結ぶとおっしゃるなら、私はそれを受け入れましょう。ですが私は…クレイトン侯爵家の名にかけて、冤罪を受け入れる気は毛頭ございませんわ。」


はっきりとそう告げて、彼女は私に揺らぎのない視線を向ける。そこには、自分の背負っているもの――侯爵家の誇り、父母や兄の名誉を守らんとする確固たる意思が感じられた。そこで一旦息を吐き、彼女は更に続ける。


「『シェリル嬢へのこれまでの行い』と殿下はおっしゃいましたね。私が一体彼女に何をしたというのでしょう?婚約破棄を言い渡される程の罪を犯したと、そうおっしゃるのですわよね?」

「…しらを切るつもりか?」


彼女の気迫に負けないよう、私もなるべく感情を抑えてそう切り返す。


「いいえ。覚えがないので伺っているまでですわ。勿論証拠があっておっしゃっているのでしょう?」


彼女の問いに応えるように私が後ろの者達を振り返ると、グレンが前に進み出た。そして、以前シェリルが話していた、過去に彼女が受けたという暴言や友人の証言について話し始める。ルイーズは冷静な表情でそれを聞き、一つ一つ看破していった。


…さすがルイーズだな。


やり込められたグレンが次に持ち出したのは、昨日シェリルがルイーズに階段から突き落とされかけたという話だった。傷害沙汰の事件と聞いて、周囲の者達が再びざわつく中、グレンでは旗色が悪いと感じたのか、シェリルが不安そうな顔をして私の腕に縋り付いてきた。正直すぐに振り払いたい衝動に駆られたが、今それをしては台無しだ。私は仕方なく、その会話に介入する事にした。


「突き落とされた時に、犯人の顔をご覧になったのですか?」

「ああ。そうだな?シェリル嬢。」


ルイーズの追及から庇うように問いかけると、そんな私の対応に気を良くしたのか、シェリルがルイーズを見下すように口を開いた。嘘泣きのオプション付きで。


「そうです。私、突き飛ばされた時にとっさに手すりに手を伸ばして、それで振り返ったらルイーズ様が…。」

「…そうか。もういい。」


必要な事とはいえ、ルイーズを貶める発言は聞くに堪えず、私はすぐにその発言を制止する。勿論、表向きは目の前の気の毒な女性に、辛い記憶を思い出さなくていいと気遣う男のように見せてはいるが。


その後もザキやグレンが彼女を非難する発言が続いた。ルイーズはあくまで冷静に彼らを説得しようとしているが、二人は全く聞く耳を持たない。


…これ以上は平行線か。


ルイーズは優秀とはいえ普通の貴族令嬢だ。いくら聡明でも、これほど頭に血が登った男達を相手に口だけで戦うのは些か分が悪いだろう。そう思い、私がその場を治めようと口を開きかけた時だった。


「…左様ですか。分かりましたわ。そこまでおっしゃるなら、私が自分の無実を証明いたしましょう。」


彼女は一歩も引かずにそう言い放ったのだ。






そうして彼女が取った驚愕の行動。まさか、精霊を召喚して裁定を受けるなど、誰が想像できただろうか。


『殿下。私、精霊について調べたいのですが、書庫を見せていただいても構いませんか?』


以前、彼女が城を訪れた時に言っていた言葉が、脳裏に蘇る。あの時の私は、女性はその手の話が好きだからだろう程度にしか捉えていなかったが、どうやらそれは大きな間違いだったらしい。彼女はそんな可愛らしい器ではない。学園入学後に魔術の研究に打ち込んでいると言っていたのも、おそらくはこれだったのだろう。まったく…どこまでも私を驚かせてくれる婚約者殿だ。


ふと気付けば、先ほどまで私の腕にしがみ付いていた重みがなくなっていて、どこへ行ったかと振り返れば、精霊の登場に驚いて後ずさったらしいシェリルの顔が真っ青になっているのが見えた。


「…嘘よ…こんな展開、ありえないわ…!」


近くにいた私以外には聞こえないような小さな声で彼女が何か呟いていたが、よく意味が分からず私は眉を顰める。一方、ルイーズはそんな彼女を一瞥し、次いで私に声をかけた。


「殿下。ご紹介いたしますわ。こちらは審判を司る精霊様です。これから、どちらが嘘をついているのか裁定をいただきたいと思いますわ。」

「精霊…?まさか、本当に…?」


ルイーズが嘘をつくはずがないと分かってはいるし、目の前の存在が明らかに普通の生き物ではないという事も分かってはいた。とはいえ、やはり精霊という存在が現実のものだというのは、すぐには受け入れ難く、つい疑うような言葉が口をついた。


「お疑いであれば、精霊様と直接お話しください。」


彼女の言葉に私はごくりと息を飲むと精霊と呼ばれた存在を見つめた。


「…本当に精霊、なのか?」

『なんじゃ、若造。儂が偽物だとでも申すか?』

「い、いや。しかし…精霊を呼び出すなど、今の魔術師では…。」


そう。王城に使えている国の最高レベルの魔術師団の中にも、精霊召喚などできる者はいない。それをまだ学生の彼女が扱うなど…可能なのだろうか。私の困惑している理由を察したのか、精霊は一つ頷く。


『まあそれは儂も同感じゃがの。そこの娘の真摯な呼びかけには応じずにはいられないような何かを感じての。』


そう言った精霊の目には彼女に対する憐れみと慈愛の念が見て取れた。

…ああ、そうか。彼女の清廉な魂が精霊すらも引き寄せたという事なんだな。


『とはいえ、儂の姿をこの世界で維持するには魔術師の魔力を相当消費するのでな。あまり長居すると娘の身体に障るぞ。』

「なっ!それを早く言ってくれ!ルイーズ、大丈夫なのか!?」


その言葉に私ははっとして彼女を振り返った。そうだ、精霊を召喚するなどという高度な術を、何の代償もなく使えるわけがない。彼女の身に何が起きているのかを考えると、一瞬で心臓が止まりそうな恐怖に駆られた。だが、私の気迫に彼女は驚いたように目を見開くと、次いでコクコクと頷いた。


「は、はい。まだしばらくは。」

「そう、か。ならよかった。」


彼女の答えに心底安堵し、私は息を吐いた。



そうして裁定は進み、ルイーズの無実は精霊によって証明された。さすがにグレンもザキも精霊の裁定を否定する術はなく、困惑した表情で互いに顔を見合わせている。ただ、私はそれよりもルイーズの顔色がどんどん悪くなっている事が気にかかっていた。


ルイーズがシェリルに裁定を受けるよう促している時、私の嫌な予感は当たった。ルイーズの身体ががくりと大きく傾いたのだ。







私は堪らず声を上げた。


「もういい、そこまでだ!」


突然響いた私の大声に皆が目を丸くする。だが、もはやそんな事はどうでもよかった。試験も何もどうでもいい。そんな事よりも、彼女の身に何かあったら、私は…!


私は祈るような思いで壇上から飛ぶように駆け降り、彼女の許に急ぐ。そして蹲る彼女の前に跪いた。


「ルイーズ。すまなかった。」


謝罪の言葉と共に彼女の手を取り、自分の両手でそっと壊れ物を扱うかのように包み込む。その小さな手が、いつもなら温かい彼女の体温を感じる手が、氷のように冷たくなっている事に戦慄した。


「…あの、殿下?」

「君を騙すような真似をして、本当にすまない。許してくれ。」


彼女の手を自分の手で温めるように握り締めたまま、ひたすらに謝罪の言葉を繰り返す。彼女が戸惑っているのは分かっていたが、言わずにはいられなかった。こんなになるまで、彼女を追い詰めてしまった自分が許せなかった。


「陛下や母上の意向とはいえ、大切な君を苦しめるなんて…私は最低だ。」

「陛下?それに母上…とは王妃殿下の事ですか?」


聡明な彼女は私の言葉の中からいくつかの単語を聞き取り、すぐにこれが両親の仕組んだ茶番だと察したらしい。続けて何かを問いかけようと口を開いたが、すぐにまた眩暈に襲われたのか、再び体がふらりと傾いた。


「ルイーズ!とにかく、その術を解くんだ。君の体に障る。」

「は、はい。」


慌てて彼女の身体を支えるように腕を回し、術を解くよう命じる。一刻も早く、彼女の身体を蝕むものから解放させたかった。


「精霊様、ご助力いただきありがとうございました。」

『構わぬ。…若造、もう少しやり方は選べよ。次、儂らの大事な娘を苦しめたらその時は覚えておれ。』


精霊の厳しい視線から、今回の芝居の事など全てお見通しだと悟った。私はその視線を正面から受け止めて、大きく頷く。


「…肝に命じよう。」


私の答えに一応の納得はしてくれたのか、精霊は一つ息を吐いた後、持っていた鎌を後ろ手に掲げてその場から消えていった。


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